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とても「古い犬種」のしている仕事・・・

Posted by 世羽 on 09.2015 道草   0 comments   0 trackback
(独り言)
今回の天皇・皇后両陛下の行幸啓・・・。

英霊の御霊の慰霊・鎮魂はもちろんありがたい。
だが、それに並んでパラオの人たちの歓迎ぶりに心が癒される。
やはり見ていて嬉しい。

パラオは日本と戦ったことがないからだ・・・と言う人たちもいる。
しかし、
過去に携わった他国に日本が“ほぼ同じ対応”をした
歴然たる事実もある。

国によって受け取りかたがこうまで異なった現実は、
それはそれで興味深いw。

と、中国さんの日本人救出・・・それには素直に感謝したい。
お互いの感謝が積もりに積もったら、誤解も解けるだろうか・・・。

           ***


古い犬種(ナミビアにて)image_convert_20150408221958




先日、某テレビ局でナミビアの夜空が映し出されていました。


ナミビアと言うと、超絶美の夜空もさることながら、
自分、とある犬の逸話が想い浮かびます。

そもそもの話は
ナミビアあたりに生息するチータから始まったりするわけで・・・。


それはチーターの保護から始まった


誰でも知っている野性のチーター(「斑点のあるもの」の意味をもつ)さん。

日本では優雅に狩りをしている姿が知られていますが・・・
彼らの生息地域は時を追うごとに非常に狭まっていて、
近年、家畜への襲撃も多々生じる状況に陥っています。

狭い環境に暮らす弊害として近親交配が進み、
いま生息しているチーターの遺伝子は
各個体において99%同一になるという結果が出ているようです。

このデータが示すのはすなわち・・・
もし、そのうちの一頭が伝染性の病気にかかれば
「あっ」という間に種全体に広がって、絶滅する危機がある・・・ということ。

国際自然保護連合はすでに、チーターを「絶滅危惧種」に指定しています。


古い犬種(チーター)image


一方、

(生息環境の変化から)チーターが現地の牧場を襲ったりするので、
人間が家畜を護るために“家畜の敵”としてチーターを殺すという
弊害も生じています。


こうした諸々の状況の深刻さをとらえたローリー・マーカーという女性がいて、
彼女はナミビアのオティワロンゴの広大な土地で「チーター保護基金」(CCF)の設立に助力しました。

そして設立されたCCFは、
現在いる“二千数百頭あまりのチーターの保護”を大きな目的としています。


古い犬種(ローリーマーカーとチータ)image


CCFはチーターの保護活動の一方で、
家畜を襲うチーターを“追い払い”うことはもちろん、
その他さまざまな野性の捕食動物から家畜を護衛する「護畜犬」の育成を手がけています。


       古い犬種(CCFで)image


    古い犬種(CCFで2)image


この、ナミビアで活躍することになった護畜犬・・・
それはアナトリアン・シェパードという犬種でした。



非常に古い「血統」に連なる犬

紀元前1800年以上もの昔から、
トルコの遊牧民が“野営時の家族と家畜を護る”ために大型犬を飼っていました。

この犬は、何か不審なものを見かけると、対象物を“追いかける”のではなく
護るべきものの傍らにとどまって、任を果たします。

何かを執拗に追撃する犬はあまり役に立たない・・・とされたことから、
必然的に、動物を“無駄に追いかけない”性質を強く持った犬が
残る形になったようです。

その犬種は中央アナトリアの地で長い時を経て、
「大型でありながら足の速い血統の犬種」として形づくられていきます。

そして最終的に
「アナトリアン・シェパード・ドッグ」という名で知られるようになりました。

   参考:アナトリアン・シェパード・ドッグ“祖先となった護畜犬”は、
   時を遡ること6000年ほど前に存在していたCoban Kopegiと呼ばれる「超古代犬種」
   とされている。

古い犬種(壁画)image_convert_20150408223309

   ここからいくつかの犬種が分化し、
   有名どころではトルコ中部のカンガール・ドッグなどがいる。
   これら分化した犬種がかれこれ2000年ほどの歴史のなか、
   幾多の犬種と自然交配した結果、
   1800年代あたりから1900年代に、いまの犬種として確立された。
   特徴としては、護畜が突出するが、トルコでは猟犬や軍用犬としても使われていた)




近代になってこの犬種がアメリカに輸出されると、
彼らは狼やクーガーから「家畜を護る犬」として重用されるようになります。
彼らは非常に勇敢だったのです。

前記したCCFの起ち上げの協力者となったローリー・マーカーは
このアナトリアン・シェパードの特徴や性質をよく知っていました。

しかも、
彼らの祖先が生きた中央アナトリア地方の
「非常に寒い冬」「乾燥を伴う暑い夏」の気候は
ナミビアによく似ていました。

なので、こうした気候に適応した彼らの短く粗い体毛は、
ナミビアにとっても、うってつけだったのです。


そんなこんなで、アフリカの大地での家畜の守護者として
アナトリアン・シェエパードを使うプロジェクトが始まりました。

「保護すること・・・これが彼らの遺伝子の本質にあります」

この本質が、マーカーの頼りにした最大の利点でした。
アナトリアン・シェパードは無駄に攻撃するのではなく、
“護るよう”に交配されてきたのです。

CCFのアナトリアン・シェパードは、
家畜の友達のように育てられていきます。


     古い犬種(子犬の頃の練習)image


古い犬種(ccfの子犬)image



成犬になると、単に家畜を護るだけでなく、
家畜に被害が出て地元の人がチーターを殺したくなる前に、
捕食動物に対して「接近と撤退」を賢くこなしつつ
チーターを追い払います。

結局、彼らの持つ特徴こそが、
チーターの保護につながることになったのです。

     古い犬種(とある研究者の話)image



フリンティス


M・ウェイズボードとK・カチャノフ両名の著書『DOGS with JOBS』のなかに、
このアナトリアン・シェパードの“フリンティス”という犬が登場します。


古い犬種(フリンティス近影)image_convert_20150408235940

  (フリンティス:現地の言葉で「ボロボロ布」の意味。
   ナミビアの気候は埃っぽい。
   その中で生活する時間が長くなると犬の毛はそんな風に見えてくる)


フリンティスは独自の訓練プログラムのもとに育ちました。
彼は生後6週間になったころ、
飼い主となる牧場主ヨハン・クッツェーのもとで家畜の群れと寝食を共にし始めます。


  (参考画像:この時、人の介入は必要最低限に抑えられる)
  古い犬種(CCFの子犬さん)image


しかし、フリンティスが生後9週目を迎えたころに問題が起きました。

ほかの家畜番が目撃したところによると、
フリンティスが子羊をむやみに追いかけ回している・・・というのです。

これは、未来の番犬としてはマズイ行動で、
牧場主のヨハンはフリンティスをCCFに戻すことを考え始めました。

けれども「せめてもう少しだけ様子を見てみよう」というヨハンの観察が功を奏します。

ある日、小羊たちとフリンティスが日陰で休んでいたとき、
群れのうちの何頭かがおもむろに立ち上がって日向に出ていこうとしました。
するとフリンティスが本能的に、彼らを日陰へと方向転換させたのです。

以来フリンティスは、
めでたくヨハンの牧場で護畜犬としての本来の性質を開花させることになりました。

かつてヨハンの牧場では、酷いときには一夜にして
42頭、29頭という多くの家畜が捕食動物に殺されることがあり、
ヨハンは家畜を護るためにチーターを何頭も殺したことがありました。

ですが、フリンティスの成長につれてチーターの害が減り、
やって来ても長く居座ることがなくなったのです。

フリンティスの護畜犬としての特質はマーカーの思惑通り、
家畜を護るだけでなく「チーターの保護」に役だつものになりました。

ただ、牧場にやってきて家畜を襲うのはチーターだけではありません。
ときにジャッカル、ときにヒヒの群れが襲ってきます。


古い犬種(ナミビアのヒヒ2)image_convert_20150408222452


ある日のこと。
フリンティスが侵入者に警告を発する声が聞こえてきました。

また、ヨハンを呼んでいると思しき吠え方もありました。

ヨハンと家畜番のひとりが、声のするほうへ駆け出します。

しばらく行くと、数十匹もあろうヒヒの一団が羊の群れに乱入しているのだとわかりました。

藪のなかからフリンティスの猛り狂ったような唸り声と
ヒヒの鳴き声が入り交じって聞こえてきます。

「何事か!」と思っていると・・・

その直後、一瞬の静寂が訪れました。

ヨハンと家畜番は必死に辺りを見回してフリンティスを探します。
けれども彼の姿はどこにもありません。

ふと見ると、
一頭のヒヒが大きな岩のそばで首を裂かれた状態で転がっているではありませんか。

しかも、そこからさらに向こうで、
フリンティスが別のヒヒに捕捉されて死闘を繰り広げている様子が見えました。

通常、CCFのプロジェクトで育った犬は、
捕捉動物を脅して追い払うか、
最悪の場合でも主人が来るまで噛み方を抑制し、
捕食動物を押さえつけておくよう訓練されます。

ですが、この時のフリンティスとヒヒとの闘いは
その訓練の域を超えるもの、まさに死闘となっていました。

ヒヒとフリンティスは組み合った形でもつれあい、
ヒヒがフリンティスを前足でぶちかましては噛みついています。

しかもこの時、フリンティスは大量に失血していたようで
フラフラの状態でした。

それでも、フリンティスは力を振り絞るような格好で頭をねじると、
ヒヒの喉元にかじりつきます。

両者の死闘現場にヨハンと家畜番が駆けつけたとき、
ヒヒとフリンティスのどちらもが、力尽き果て、地面に横たわった状態でした。
ヒヒの息はありません。

「フリンティスも・・・」と、駆けつけた2人は確信しました。

2人が見たフリンティスの身体は血まみれで、
背中はパックリと裂け、背骨が露出していたのですから・・・。

顔が歪むほどの悲しみにとらわれた2人は
思わず、フリンティスの傍らにがっくりと跪きました。


けれども・・・


フリンティスは生きていた・・・。


2人は、息も絶え絶えのフリンティスを家畜囲いの傍まで運び、
ヨハンはそれから毎日、ペニシリンの注射をフリンティスに打ちます。

5日のあいだ、フリンティスは水も食物も一切受け付けませんでした。
6日目、彼はようやく自分の水入れから水を飲み、ほんの少し食物を口にします。
そして8日目・・・フラフラと立ち上がったフリンティスは、
なんと、自分が護る羊の群れのところへ戻ろうとしたのです。

しかしながら、この時のフリンティスの体力では
どう考えても無謀なことだったので、
彼が無茶をしないようにとヨハンたちはフリンティスをロープで繋ぐしかありませんでした。

ところが・・・

フリンティスはそのロープさえ噛みちぎって、
「一刻も早く・・・」という感じでよろけながら羊のところへ戻ろうとし、
あげくは群れのなかで倒れ込みました。

倒れこそした・・・とは言え、もの凄い気力です。

「このままでは駄目だ・・・」
やむなくフリンティスは鎖で繋がれて傷を癒すことになりました。

ヒヒが悪いわけではありませんが、彼らも生きるために獰猛になります。
その獰猛さは、ときに都会人の想像以上のものです。

古い犬種(ナミビアのヒヒ)image


   (現地では、ペットの犬がヒヒに殺されるケースも頻発する)
   古い犬種(ナミビアでのヒヒの被害)image



実のところ、
それまですでに、CCFプロジェクトの犬数頭がヒヒに惨殺されていました。

ですから、フリンティスが少なくとも2頭のヒヒと渡り合ったことは
現地ですら信じがたい事件だったのです。

この出来事はナミビアでも広く報道され、
護畜犬のプロジェクトへの関心を高めるきっかけとなりました。

体力が回復すると、フリンティスはこれまでの仕事に復帰します。
そして、のちの日々のなかで雌のアナトリアン・シェパードのブーツと出逢い、
2頭のあいだにはめでたく13匹の子犬が産まれました。

「彼は働くことが好きなんだ」

これはフリンティスに向けたヨハンの言葉です。

フリンティスにかぎらず、
犬にはそれぞれの犬種に独特の性質や心根があって
可愛がると同時に、それをうまく引き出せたなら・・・
犬自身にも、また人のためにも幸せなことのように思えます。


古い犬種(青空と羊とわんこさん)image


そして著者らはこんな内容も書き記しています。


「自らが護ると決めた群れのためには命も賭ける・・・

フリンティスが見せた力強いこの本能は
現在もナミビア各地の大地のうえで、
恐れを知らない番犬たちに脈々と伝えられている・・・」





翻って・・・人間・・・
どんな感じで何を護るだろうか・・・などと。


古い犬種(ワンコさん近影)image_convert_20150409000223





文末のついでにナミビア辺りの夜空も・・・


     古い犬種(Namibiaの夜空)image



古い犬種(ナミビアの夜)image



(Naukluft国立公園の夜)

古い犬種(修飾画ナミビアのとある国立公園)image




その下で・・・今日もわんこさんが・・・


古い犬種(わんこさんとヒツジ)image


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身体の話いろいろ・・・プチ科捜研的なことから始めるこぼれ話

Posted by 世羽 on 30.2015 道草   0 comments   0 trackback
(独り言)
身体の一部が特化して、別なほうへと突き進みすぎれば
身体全体に支障を来たす。

とすると・・・

「同じ国」に住んでいるという
“心”があるならば・・・だが・・・

一部の地域の想いを大切にするとしても・・・
そのほか多くの場所に住む人々の民意はどうだろう。


身体(修飾画吉野の桜)image



これまで、不朽体についていくつかメモっています。

裏話をすれば
それらをメモるとき、文章にこそしませんでしたが
けっこうシビアな側面も把握しながら
比較対象していました。

で、そのあたりの「こぼれ話」を。


命の息吹が抜けたあとの人の身体


TVドラマとかでは
事件に巻き込まれて落命した人の遺体から
「被害者がどうした経緯でそうなったか」を解き明かすものがあったりします。


青酸カリによる殺人事件話もたくさんあって、
劇中「アーモンド臭が・・・」と言われたりします。

それを甘い感じの「アーモンド臭」と想像するかもしれませんが、
実際には、ほとんどの人が嗅いだことがない
生の実の臭いだったりして・・・。


     身体(修飾画科捜研の女より)image


・余談が先行してしまいましたw。
話を戻すと・・・。


人の身体は出生時、ほぼ無菌状態で出てきて、
胎内から離脱し始めるとすぐに細菌が住み始めます。

長じるにつれてそれら細菌は増殖し、
成人になると、
体内には数百種類の細菌が住み着いていることが確認されています。

総数で言えば、100兆を超す細菌がいると見込まれ、
もし、それらを取り出したなら・・・
理論上、重さにして約1㎏にもなります。

なので、人はけっして単体で生きているのではなく
こうした菌と共生している状態だと、わかったりします。

一方・・・人が“事切れた”状態になると、
その直後から、体内では新たに猛烈な化学変化が起き始めます。

体内細菌が酵素を出してタンパク質を分解し出す「腐敗」です。

人工的な防腐処理をして、腐敗をとどめた死後の人体もありますが


   身体(ロザリア)image
   (防腐処理で名高いロザリア。当時2歳。1920年にカタコンベに埋葬された)


    身体(聖シルヴァン殉教者)image
  
   (聖シルヴァン殉教者:クロアチアの聖ブレイズ教会に安置されている。
    首に切られたあとがあり、4世紀の殉教者とされているが、
    彼の詳細はそれ以外知られていない。
    これは正直、どんなものかはわからない


いずれにしても、通常であれば、死後の腐敗を免れる人はまずいない・・・。

なので、何もせずに死後の人体が腐らないとしたら
科学的な見地からしても
「十分尋常ではないことが起きている」・・・ということになります。

  参考:一時的に、法医学的な処置から
   「腐敗」を遅らせる薬剤の注入がなされる事例もあるが、
   何年もの長きにわたり人の遺体に防腐措置の人工的処理をほどこすことなく、
   そのままの形状で“常温維持”はできない)


腐敗は気候条件にも左右されます。
日本では、平均すると
死亡後の腐敗現象が顕著になるのは2~3日とされます。

ドラマだと、死亡後の発見が翌日だったりするので
生きているときの面影を少し青ざめた感じに表現するだけで済みますが、
当然、死後の時間が過ぎれば過ぎるほど、
ましてやそれが野外だったりすれば
状態はもう・・・推して知るべしです。

野外に遺体が放置されたままだと
昆虫をはじめ、色々な動物や生き物が集まります。

蝿に産卵されようものなら
1日もたたないうちに孵化がはじまってウジ虫が発生します。

    (産卵から孵化まではおよそ十数時間しかかからない)

    身体(蝿のライフサイクル)image


いくら事情があっても、そんな状態をひととおり想像できれば、
少なくとも、自死なんか止めたくなるかもしれません。

さらに、殺害などで長期間放置されたご遺体が発見されるとき
よく「臭いが凄かった・・・」などと表現されます。

これは「腐敗」が進んだときに体内で細菌が出す酵素のガスが溜まり
やがて表皮に気泡が現れたり、そこが破けるなどして、
ガスが噴出したり、それに腐敗した体液など混ざったもので
表現のしようのない臭気・・・「死臭」です。

葬儀屋さんのなかのきわめて特殊な人には、
通常のご遺体であっても、100mも離れた場所から
微量の臭いを識別出来る人がいるそうで・・・驚きます。

  (この腐敗の進行を遅らせることもあって、現代ではドライアイスが多用される)

身につくと落ちにくいこの臭気は、
酷いものほど
本能的に身を遠ざける感覚を及ぼします。


なので


もし人の死後、“消臭剤”を振りまいても簡単に消えない「死臭」ではなく
ご遺体から“香しい芳香”が出ていたなら、
それは作り物ではなくて、「常識をくつがえす事象」だと
それなりにわかります。



    身体(StPadrePio)image

   参考:1968年9月23日に死亡したカプチン会司祭・ピオ神父のご遺体が
    その後40年たった2008年3月2日に発掘されている。
   「腐敗」を免れたその身体は聖マリア・デッレ・グラツィエ修道院の教会で、
    研究と崇敬のために数ヵ月のあいだガラスに覆われたケースに安置された。



   地元大司教ドメニコ・ダンブロジオによると
   「頭蓋骨の上部は部分的に透けている状態が見られ、
   それ以外は幾分白さが際だっていたものの、良好な状態で、
   彼の手は、生きているのと同じに手入れが行き届いた人のものに見えた」
   と語っている。
   2010年4月19日以来、ご遺体は新しい巡礼のための聖堂の地下室に移され、
   薄いシリコンのコーティングで覆われた)



身体(ピオ神父)image



ちなみに、このガスが猛烈に産出されるころになると、
事切れた人の身体がしばらく風船状態になる時期があります。

この時期まで放置されていたご遺体となると、
老いも若きも、美醜もへったくれもなくなります。

とはいえ、そんなご遺体には
いまだ、微細な生き物が息づいていて、
人体を土に戻す作業を続けています。

「揺りかごから墓場まで」という言葉は、
こうした細菌にも当てはまる・・・と思えたりするところです。


いまの日本は火葬が主流になってしまいましたから、
大地に返す細菌さんたちの役割は途上で中断されますが・・・。


ちなみに・・・・・・

病院や自宅で平穏に家族に看取られて命をまっとうできた人たちではなく、
死後、「合法的」な死亡診断書が書かれていない
何かしら「異常な事態」があるご遺体は、
数だけ見れば年間10万を超える現実があったりします。


法医学者も少ないなか、
実際にこうした事案に立ち合ったり、
いろいろな調査をして死因を特定するみなさんのご苦労というのは
余人にはほとんど知られないだけで、
単なる職業という範囲を超えて、けっこうハードなものです。



身体が霊魂の衣服の役割だったとしても・・・


近頃では病やそのほかの苦難にしても
原因はすべて心や魂に起因するとされて、
肉体そのものの重要性はあまり語られないかもしれません。

でも・・・人の肉体を良く見てみると、
指紋や虹彩はもちろんのこと、
血管の走行具合や内臓の微妙な形の違いなど
人それぞれ異なっていることがわかります。

たぶん自分の手の甲を誰かと比べてみただけでも、
「あ、違っている」とわかると思います。

そうした意味で言うと、
人はみな、
本当に個性あふれる個体を持って生きていると言えるでしょう。

身体には人それぞれの生き様の歴史が、
ずっと刻まれていくわけで、
ごく当たり前のことなのですが、これは本当に凄いことです。

近年ではいろいろな条件下で、
法的に認められた自死を
ひとつの選択の権利として受け止める人もおられるでしょう。

そこには確かに、深刻な病気の苦痛からの離脱や、
脳死に陥った患者を抱える家族のみなさんの判断などもあって
無視できませんし、そのような例外があるのでしょうが・・・。

たとえば、惚れたはれたの苦しみとか
生活の疲れとか、
当人にとって、それが何にも代え難い苦痛のように感じるとしても
もしそこに何かしら、突破口がある問題だとしたら、
それを理由にして
この世に二つとない身体を自ら遺体にしまうことは
かなり残念なことではないでしょうか。

それはやはり、
世界に一つしかない貴重な生命の乗り物
「魂の経験」を積むのにとても大切な乗り物
自分でぶっ壊すことになりますから・・・。

まして、自己の理由だけで
多くの他者を巻き添えにしてしまうなら・・・

その人は、世界に二つとない自分の生命の乗り物と
貴重な他者の生命の乗り物を壊すという、
何重もの残念な事態を引き起こすことになるでしょう。

命を無くしたってその先があるじゃないか・・・
魂は永遠だ・・・それは運命だ・・・
と言われもしますが

人が持てる肉体はその時だけのものです。

2度と同じものを持てません。

それを考えると、
安易に視えない部分だけに焦点を当てすぎて
身体を“着替え自由な霊の洋服”ぐらいに想ってしまったら
なんだか、身体に可哀想な気もしたりして・・・。


*****


古代の文明の痕跡を知らせてくれるものの一つに
遺跡だけではなく
時を経て残された、当時に生きた人の身体もある。

その人が生きた刻印を調査することで
過去の出来事が解明されたりしてきた。


(あの有名なアイスマン:発見時)

身体(発見時のアイスマン)image


(調査時)

身体(Iceman調査)image




  身体(修飾めがねネコさん)image




身体(icemanの足)image

身体(iceman調査2)image


死者の身体は忌み嫌われ恐れられたりする。


だが、その身体にどれほどの情報を蓄積されたかを想えば
仮に、身体が荼毘にふされるものになったとしても
恐れを超えた「敬意」すら、抱けるような気がする。


人には、いつか必ず通るがある・・・。

そのとき、もし自分に余裕があって最後まで意識があったら、
いつも言っている「ありがとう」とは別に、
「これまで、いつも一緒に生き抜いてくれてありがとうね」
“自分の乗り物”に心から感謝を言って、新たな扉をくぐろうと思う。


身体(修飾画マドロスねこさん)image



文末に加筆。

桜が多くの地で満開の時を迎えています・・・
みなさんそれぞれにとって素敵な時になるといいですね。


  うらやまし
     心のままに咲きてとく 
        清々しくも散る桜かな   (大田垣蓮月)


     身体(修飾画電車と山桜)image


身体(修飾用日本のどこか)image


天と地の「動き」・・・長期周回天体やイヌイットとか・・・

Posted by 世羽 on 24.2015 道草   0 comments   0 trackback
(独り言)
地下の独特の唸りと空鳴りが継続中。

天変地異(修飾用彩雲)image



まずはニビルの噂から・・・


海外では
「2015年(8月頃)~2016年(6月)」あたり、
いわゆるゼカリア・シッチンが世に知らしめた“ニビル”の現在の軌道の位置が、
地球に影響を与える可能性がある・・・と、提唱している人たちがいます。


ただ・・・
この天体の存在自体が疑問視されるようになって久しく・・・。


思えば・・・終末騒動が生じたころ、

「NASAは惑星ニビルの存在を隠している!」

という声が世界で上がっていました。


当のNASA
「そんな惑星は存在しない。
その話が事実なら、天文学者たちが少なくとも
10年前からその惑星を追跡しているだろうし、
現在では、肉眼でも確認できるぐらいになっているはずだ」

と、完全否定。

とはいえ、
月や火星についての情報操作や、NASA上層部を占める某・結社要員の件もあり、
NASAがいくら公式否定をしても信用されず、
疑念を残したまま、いまも煙がくすぶっています。

太陽の近傍に、
(条件が整ったときに)“別の太陽”のように姿を見せる
正体不明の「星」が映り込んだ写真も多数あって、
「撮影に成功した」
民間研究者たちによる“ニビル存在のアピール”も続いています。


天変地異(ニビル)image


ニビルの存在を提唱する人たちからすると、
「NASAや世界の政府が“すでに知っている”・・・ということを
前提としなければならない」
そうで。

(近頃、中国なども密かに地下シェルターを建造している事実が伝わっているが、
 日本の政府などは、秘密を隠している気配すらない。
 たぶん興味もないだろう)


一方、これまで言われてきた
“この星”の軌道の特殊性が原因となって、
現在位置や姿が地球から確認(視認)しずらいとしても
世界中の天文学者をはじめ、アマチュア天体観測者たちは
まったくと言っていいほど、この星について言及していません。

なので、真偽がどうか・・・と問うならば
実のところ「不明」・・・。


いずれにせよ、

実際に存在していても・いなくても、
問題の天体が地球の近傍を通り抜ける“だけ”なら、
騒がれることはないわけで・・・。

要は、これにまつわる“アヌンアキの帰還”の話や、
予想されるカタストロフィーを、
多くの人々が話題にしたい・・・というところでしょう。


天変地異(謎の帰還)image



ニビル・・・と言うと
かつては「単体の惑星」として知られていただけでしたが、
近年になって海外などでは、
褐色矮星を回るひとつの惑星システムのように認識されて、
そのシステム全体が地球の近傍を通過している・・・という話が展開されるようになりました。

注:科学的な公式見解によるものではない・・・)

さらに、近年になって
2000CR105などの長期周回天体
(偏心軌道3345年)の様子などから、


天変地異とか(2000cr105)image


天変地異とか(2000cr105軌道)image



ニビルの軌道や周回年数は3600年ではなく
「もっと長いのでは?」とか、軌道が違うかも・・・といった、見方が出てきています。


天変地異(ニビルの軌道)image_convert_20150322214721


天変地異(ニビルの軌道2)image_convert_20150322214947



このように、今のところ「ある・なし」もさることながら、
流れている情報全体が昏迷状態です。


そして、ニビルの存在を提唱する人たちのもっとも一般的な説では、
前回の“接近”が、
大洪水のあった「ノアの箱船」の頃ではないか・・・とされていることもあって、

「今度、接近があるとしたら、どんなことが起きるのか?」
「生き残るにはどうしたらいいのか?」

などが、とりわけ取り沙汰されます。


なので、ニビルの存在が誰もが納得するような形で明らかにされないかぎり
この「起きるかもしれない出来事」の部分は
話題になり続けるのでしょう。



ポール・シフト


ニビル接近の真偽は別にして、
この話で言われている最大のカタストロフィー
何と言ってもポール・シフトです。


天変地異とか(極の変化)image


ニビルを起因とするポール・シフトも、
現実的に起こる可能性を秘めた、学問上のポール・シフトも
“最悪のケース”だけを想定すると似ていて、
たとえば、このように伝えられているのはご存じと思います。

「ニビルの接近によって地球は、
海と陸に極端な乱流をもたらすポール・シフトを経験する。
ポール・シフトが起きるとき、地球の回転が停止し、
一時的に、地球の半分が夜、もう半分が昼の状態がつづく。

そして地球が再び回転を始めるとき、
場合によっては
時速600㎞もの風が吹き荒れるほどの負荷が地上を襲う。
それによる生物全体へのダメージは計り知れないものになるだろう。

海洋が揺らいで生じる巨大な波は、すべての陸地を洗う。
極端な超・大地震が連発して起き、
ふつうであれば火山活動がない平地でさえ、溶岩の噴出が発生する。
インドなどでは大地が裂けて直接マグマが流れ出たり・・・。

日本などの火山・地震国は、逃げ場がない。
たとえ生き残っても、
その後に生じる食物危機によって、多くの餓死者が出るだろう。
ときには、飢えを満たすための食品争奪戦として、
人を殺すことも起きてくるだろう」


これについて、具体的な避難可能な地域も情報として流れています。

ただ、そう言われても、
庶民にはほぼ・どうしようもないし、
その時はそのとき・・・と、
個人的には言えたりしますがw

一応、先を続けると・・・。


現在報告されている「太陽の磁極の変動」を見れば、
謎の天体の通過で地球が・・・というより、
いまは「太陽系全体の各惑星でポール・シフトが起きる時代」
来ているかもしれない・・・と感じます。



地下の避難場所とか・・・


冷戦の時代から、世界では核戦争に備えたシェルターが造られ、
現在ではそれらが、地球規模の大変動に備える地下施設に姿を変えつつあります。

巷の有名どころを上げてみると・・・。


*デンバー国際空港の下あたり(コロラド)
世界最大、かつ最も忙しい空港のひとつにあげられ、
53平方マイルをカバーする平野の上に立つ建物の下に
地下施設がある・・・という。
一方で、現在の建物はその上に「間違って」建てられてしまったとも。

天変地異とか(デンバー国際空港)image


*アイアンマウンテン(マサチューセッツ)
本来、サバイバル用の地下施設を意図して建設されたものではない。
しかし、地球上で最も安全な場所のひとつとして有名。

天変地異(アイアンマウンテン)image



*上海コンプレックス(中国)
数年前、新華社通信が伝えたところによると・・・
上海当局が2006年ころから
テロや産業事故の不測の事態に対する「巨大な地下シェルター」の構築に着手したとされる。
正確な場所については言及がない。

詳細は憶測の域を出ないが・・・
百万平方フィートをカバーする広さで、最大15日間、20万人を収容できる。
核放射線や有毒ガスに耐える能力を持ち、迷路化したトンネルによって、
政府オフィス、商業、住宅地や輸送システムに繋げられている・・・
という。

*レイブン・ロックマウンテン・コンプレックス(ペンシルベニア/メリーランド)
複数階の建物で構成される地下施設に、病院やスナックバー、理髪店、
はてはスターバックスまで、必要とするすべてのものが含まれている。

天変地異とか(RRcomplex)image


天変地異とか(RR詳細)image


*シャイアン・マウンテン(コロラド)
花崗岩質の地下2000フィートに位置する。
もともと1.7マイルの距離での5メガトン核爆発に耐えるように設計された。
コロラド州において最も安全とされている。

天変地異とか(シャイアンマウンテン)image


*マウント・ウェザー(バージニア)
もともとは民間のコマンド・バンカーだが、
現在は米連邦緊急事態管理局(FEMA)の指令センターとしても使用されている。
もしFEMAが緊急警報アナウンスをするような場合、
この施設から発信される可能性が高いとされる。
当然のことながら、地下バンカーは要塞化されている。


天変地異とか(mountweather)image


天変地異とか(マウンテンウェザー)image



このほか“名だたる先進諸国”をはじめ、北欧、スイスなど
「シェルターをつくっているほうが当たり前」と思える状況があります。



なぜか・・・プロジェクト「ノアの箱船」


中国が「シェルター計画」を明らかにしたのと同じ年の“2006年”
欧州連合(EU)もなぜか、
「壊滅的なイベントが生じることに備える」として、
世界中から、数百万におよぶ植物の種子のを保存するための
“終末のための種子貯蔵庫”構築計画を展開し始めました。

世界各国で運営されている様々な遺伝子銀行は
現時点で大・小1400にのぼるとされますが、
その枠を遙かに超えたノルウェーの「スヴァールバル世界種子貯蔵庫」の創設は
さまざまな論議を呼びました。

ある人たちは、
「種子の独占だ。種子は農民のものなのに・・・」と言い、
また、ある人たちは
「なぜいま、これを?」と・・・。


*「スヴァールバル世界種子貯蔵庫」

(概要をウィキそのほかから拝借して、まとめてみると・・・)


ノルウェー領スヴァールバル諸島最大の島・スピッツベルゲン島に創設された
種子バンクがそれ。
「地球上の種子を冷凍保存する世界最大の施設」である。



天変地異とか(ノルウェーの貯蔵庫入り口)image


創設については、ベント・スコウマンが提唱し、
ビル・ゲイツ主導のもとで、このスピッツベルゲン島の中心地
ロングイェールビーン近郊で2008年2月26日に操業が始まった。


この施設は、今後さまざまに予想される“大規模で深刻な気候変動や自然災害”
(植物の)病気蔓延、核戦争などに備え、農作物種の絶滅を防ぐ。
そして世界各地で“地域的絶滅が”生じた際に、
その栽培を再開する機会を提供することが目的とされている。


地下貯蔵庫は、基本的には300万種の種子が保存可能とされ、
庫内は-18~20℃に保たれている。
たとえ、もし冷却装置が故障するようなことがあっても、
この地の永久凍土層によって、-4℃に維持できる環境が整えられている。
また地球温暖化が進んで“海水面の上昇”が起こった場合にも備え、
海抜約130mの岩盤内部に横穴を開け
そこから水平に約120m入ったあたりに建設されている。


天変地異とか(svalbard)image


ノルウェー政府はこれを「種子の箱舟計画」と称した。
施設は100ヵ国以上の国々の支援を受けて具体化されたものでもあり、
運営は2004年設立の独立国際機関「グローバル作物多様性トラスト(GCDT)」が行う。

2010年にはすでに、保存種子が50万種に達し、
施設の最終目標は450万種で、1品種当たり平均500粒を保存し、
発芽率を維持するために20年ごとに種子を入れ替えることを旨としている。



天変地異とか(貯蔵庫の開口)image



*ロシアでの同様の話

2012年のモスクワ。
5000のシェルターを構築するには・・・と銘打って
検討が開始されて・・・「冷戦中でもないのに何で?」
言われていました。

また時期は違えど、モスクワ国立大学のサドヴニチイ学長が
世界初の生体材料貯蔵庫(バイオマテリアル・バンク)を作る計画を明示し、
そのプロジェクト名は「ノアの方舟」でした。

ロシア科学財団から最大の助成金を得て始められることになった
このプロジェクトの提言は

「このプロジェクトを“ノアの箱船”と呼ぶ。
そこでは、地球上のすべての生命、および絶滅しかけている種、
それら生命データの作成を含め、私たちは、それらの収集を目指す」


ノルウェーが植物主体なのに対して、こちらは、収集可能な生き物すべてを含みます。


で、モスクワ大学の敷地に建設されるこの施設では
長期の保管がつづいた後も再生が可能となるように細胞材料の低温保存を行い、
蓄積した材料分析のために最新コンピュータ・システムを設置し、
ロシア国内の他の研究施設や海外の生体バンクなどと ネットワークで結ぶ計画
・・・になっていて・・・。

このバイオバンクが完成した暁には、
世界中の「絶滅危惧種」および世界「430万種」にのぼる生物種の生体材料が
貯蔵され・・・。
10億ルーブル(約20億円)をかけたこの「ノアの箱船」プロジェクトは、
“2018年”に開始の予定
・・・です。

ロシアでの、この施設稼働が「2018年」なら、
優秀なサイキックを多数抱え、実に多くの情報を握るロシアがそれまでに、
現人類未到の地球規模のカタストロフィーが起きるとは想定していない
・・・の“かも”しれません。

このことは、仮に何らかの「地球の変動」があっても
局地的なものにとどまる可能性を示唆するかのように映ります。


天変地異とか(ロシアのバイオマテリアルバンクのイメージ)



そして、もし・・・


どんな原因からであっても、地球規模の天変地異が起きたとして、
それ対応できる特殊なシェルターがあっても、
そこにすべての人が避難できるわけではないでしょう。

しかし・・・こうして今も人類が存続してるように、
人は何だかんだ言って、困難な時代を通り抜けてきました。


かつて、ヌナユット族の映画監督ザカリアス・クヌットと
環境学者イアン・マウロが
イヌイットを追ったドキュメンタリー・フィルムを製作しました。

そこでイヌイットの長老たちの語る自然の変化が、けっこう話題になったので
ご存じと思います。そこを振り返ってみると・・・。

「私たちは5歳ぐらいになると、毎朝起きてすぐ
外に出て天気を確認するよう親から言われて育ちました。
でも・・・いま空を見れば、
太陽は本来沈むべき位置から何キロもずれた位置に沈んでいます。
夜空の星の位置も、本来あるべき場所と大きく異なって見えています」


  (注:たとえイヌイットが歳差運動の詳細を知らなくても、
 季節ごとに太陽が昇る位置や沈む位置の変化は経験として知っている。
 彼らは、そうした巡る季節の変化に言及したわけではなくて、
 この撮影があった“当時”に
 
 「これまでとは明らかに異なる現象が起きている」・・・と言った。

 ドキュメンタリー製作関係者たちは、これを聞いて
 「ポール・シフトの前兆現象?」と思ったようでNASAに確認したが、
 NASAは「あり得ない」と否定した。

 一方、2010年ごろの日本では、
 某巨大掲示板で「太陽や月の位置の“一時的な異常”」があげられていた。
 多くは「無知・・・」と揶揄されていたが、
 その後に、あの大震災がやってきた。
  近年、
 「大地震が起きる際には地軸のふらつきが生じているかもしれない」
 という説も語られ始めている。
 馬鹿にされた情報が、ひとつの前兆現象だったかもしれない)


天変地異(長老の嘆き)image_convert_20150322215212



ふだんから、自然の変化や異常に注意を払っている人たちが
「何かおかしい?」と言うなら、
一応それに耳を傾けて、その都度、自ら確認してみることは
これからの日々には、必要です。

  (注:ただし、そうでないものも多々混入するので、
   本物と想われる情報の選別ができる眼を磨きつつ・・・)


ちなみにイヌイットたちは、
自分たちが巻き込まれていく“ありとあらゆる異常現象や環境異変”
悲しみを秘めつつも、不平不満をこぼす様子を見せませんでした。

むしろ、彼らの態度はこんなふうで・・・

「こうした異変はすべて、自然のサイクルの一部なのだ。
それを受け入れて、変化した環境に“適応して”生きていこう」



大した心持ちです。

人類の生み出す人工的な環境破壊は、もちろん責任をもって是正しなければなりません。

が、何やら・・・

人を乗せて運ぶ星の上に生きて、自然と共生するというのは
イヌイットのみなさんの心持ちのようなもので、


そんな心になれたなら、

天空で何が起きようと
地上で何が起きようと
たとえそれが未曾有の天変地異の脅威であっても、



天変地異とか(チュニジア2015)image
(チュニジア2015)

天変地異(january2015)image_convert_20150322214358


人はみな
“それなりに”雄々しく受け止められる・・・


そんなことを改めて想っています。







中国の故事から・・・とある賢妻の話

Posted by 世羽 on 12.2015 道草   0 comments   0 trackback
(独り言)
政府の制止をものともせず
クリミアに入ってしまった“日本の宇宙人”と呼ばれたあの人・・・
それに対する“中国人の寸評”が注目を浴び、
日本人も色々と反応していた。

そのひとつ・・・。

172 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2015/03/11(水) 21:01:13.24 ID:/RVoGhJe.net
>「鳩山さんはやるべきこと以外、なんでもやるな」 (中国人が言っている)

ちくしょう上手いこと言いやがってw
・・・
(と、日本の市井のお方)

そこはかとなく、分かる気が・・・。


故事(修飾用ウイグルあたり)image



4年ほど前に「大紀元」さんに中国の故事が載って・・・。


すでに読まれた方もおられるとは思いますが、
ほんの少し、リライトしてご紹介してみます。


昔、「蕭氏」の女子で意辛(いしん)という女性がいた。

場所は中国の北の地方。
現在の北京を含む河北省・山西省・遼寧省あたりの広大な土地にあたり・・・。


故事(河北省辺りの地図)image


そこに耶律阿保機(やりつあぼき)という人物が興した
「遼」(907~1125)という国があった。



故事(遼の地図)image


これは契丹族という北方系の騎馬民族の国で、漢民族の国ではない。

(歴史的には916年、耶律阿保機が満洲に樹立した王朝が遼〔契丹〕)


     故事(khitan地図)image



『遼史』に記される契丹の起源伝承によると・・・

土河(老哈河)の東にある馬孟山(馬鞍山)から白馬に乗った神人が、
また潢河(西拉木伦河)西岸の平地松林からは青い牛のひく牛車に乗った天女がやってきて、
両河の合流地点にある木吐山で出逢い、
結婚して8人の子供をもうけ“契丹古八部”の祖先になったとされる。



この「遼」という国は、漢民族の宋朝と対立する関係だったが、
次第に漢民族の文化(中国伝統文化)を取り入れるようになり、
漢式の政治制度を作ったり、
漢字を参考にして作られた「契丹文字」で文書を記録したりしていた。


ここでの故事の主人公となる“蕭意辛”は、「遼」後期の女性だったらしい。



意辛(いしん)の父親の名前は陶蘇斡。
母親は「遼」国の“皇族の娘”だったので、
意辛は母方の姓である「蕭」氏で呼ばれている。


意辛は、若い頃から美しく聡明な女性だった。
彼女は「契丹族」の出身だったが、
礼儀を重んじ、夫の家族や親族と睦まじく暮らすなど、
中国女性の伝統的な美徳をよく身につけていた。



故事(契丹の服)image


彼女は20歳で嫁ぎ、耶律奴(やりつど)の妻になる。
  (耶律は満州にいた耶律氏。
   なお、「異民族の人名に蔑称のような“奴”という名前をつけるのは
   漢民族のちょっと困った癖だ」
・・・と、解説がついていた)

ある日、意辛が夫の兄弟の嫁たちと談笑していたところ、
嫁たちがこんなことを言った。

「ねえ、夫の心をもっと引き付けて寵愛を得るには、
どんな魔魅の呪術を使ったらいいのかしら」

魔魅の呪術とは、
低いレベルの霊や幽鬼を操って人を惑わせる邪法のことで、
そんな怪しげな呪術を使えば、人間に恐ろしい害がある。


そこで意辛は、こう言った。

「そのような邪法は、礼法のすばらしさにはとても及びません」

嫁たちはその理由を訊ねる。
すると、辛はこう答えた。

「ひたすら自己の修養に努めて、自身のふるまいを端正にするのです。
そして規範に則って行動する・・・。

例えば年長者には恭しく仕え、
親には孝養を尽くし、
目下の者には寛容な心を持ち、
夫には、温かく柔順な態度で接するのです。
これこそが礼法です。

これができたなら、
私たち妻は、夫の尊敬と惜しみない寵愛を獲得することができます。

邪法などに頼って夫の寵愛を得ようとすれば、
必ず後悔することになるでしょう」


それを聞いて嫁たちは皆、恥じ入ったという。



     故事(契丹草原の王朝のパンフレットから)image


意辛と耶律奴(やりつど)・・・。
この仲睦まじい夫婦の間に、何年かの歳月が過ぎた後のこと。

夫の耶律奴が、佞奸(ねいかん)の誹りを受けたため、
罪もなく遠地へ“配流”
(はいる:流罪に処すること)になってしまった。

意辛は皇族の血を引く女性だったので、
「遼」の皇帝は、意辛と耶律奴を離婚させようとした。

この皇帝の命を聞いた意辛は、次のように答えた。

「皇族の血縁者である私に、
配流の地へ赴く苦労をさせまいとする陛下の大いなるご恩情、
まことに有難く存じます。

しかしながら、夫婦の間には道義があってしかるべきもの。

生死さえ相随うのが夫婦の道ならば、
“禍患”
(災難とか不幸)もまた
夫婦一緒にお受けいたしましょう。

私は若くして耶律奴に嫁ぎ、その妻となりました。

今、夫に苦難がふりかかったからといって
私が夫のもとを離れたら、
まさしく“礼の教え”に背くもの。

どこに、“禽獣”と区別がありましょうか。

陛下がお情けをもって私どもを憐れんでくださるなら、
どうぞ私を夫の行く先へ同行させてください。
それで私が死んでも、決してお恨みはいたしません」


意辛の言葉を聞いた皇帝は、非常に感動し、彼女の願うとおりにした。

配流の地に着いてからの意辛は、毎日が苦労の連続だった。
しかし彼女は、一言の恨み言もなく、
ますます礼をもって、恭しく夫に仕えた・・・。

                                      (作者・清言)



まあ、こんな故事があるわけで・・・。


立場や場合によって
事情も色々異なりますから、一概に言えないでしょうが・・・

それでも、

もし、

恋人や伴侶の片方に“禍患”がふりかかったとして・・・

もう一方が、それまでと変わらずに
苦難を共に分かち合い、支えてくれるというのは
素敵なことです。

何かあると簡単に別離を選択する世では、
こうした姿はレトロな骨董品にも映るでしょうが・・・。


     故事(契丹草原の王朝展から)image
     (契丹草原の王朝展から)


しかし、それはまた、
非常に味のある、素晴らしく貴重な一品に感じます。


*****


ちなみに・・・

日本人、そして“日本と色々とある隣国周辺のみなさん”・・・とは
姿形が似ているので、
住むところを異にした“似たもの”として“ひとくくり”にされがちです。

ただ・・・
近年の、人類のY染色体「ハプログループ」(型集団)の
分類研究の一端を見ると、

Y染色体のDNA塩基配列の国際的分類法(YCC2002)による
AからRまでの18種の大分類のうち、

Alu配列と呼ばれる約300個の「特定塩基配列」(YAP+因子)を持つのは
DグループとEグループのみで、
DグループとEグループは、およそ5万年前に分化した近縁グループ
  (アフリカや中東、ヨーロッパなどで発見されているハプログループEは
   ハプログループDEから分化た)

うち、Dグループが相当な頻度で存在するのは日本チベットのみ。
   (日本では40~56%前後、アイヌでは88%前後、沖縄では70%前後、
    チベットでは約30~50%)。

現在のインドや中国漢民族:中国の9割を占めると言われる)や
その他の地域では、この痕跡がまったくと言っていいほど見当らない・・・。

また地球上で、
ハプログループDが人口比に対して高頻度で見つかるのは
日本、チベット、ヤオ族、グアム島だけ。

つまり、Y染色体にAlu配列(YAP+因子)を有する人が
相当頻度で存在する地域は、
アジアにおいて、チベット(D1、D3)と日本(D2)のみで、
日本人のY染色体の30~40%については、
DNA塩基配列の近縁関係が周辺国等にない・・・。
チベットのY染色体と近縁関係にあると言える。

いまのところ、このハプログループDは、
日本列島や南西諸島、チベット高原のほか、
アジアの極めて限られた地域でしか見つかっていない。

    故事(余談の南西諸島地図)image
    (南西諸島)



似ていても、ちょっと違う・・・。


ついでに言えば・・・ときおり朝鮮半島の方々を
エベンキ族と呼ぶ人を見かけますが、
それは、“かなり遠い”呼称ですよね。

故事(資料シベリアのエヴェンキ)image
(シベリア系のエベンキ族の場合)


*****


上記の「契丹族」と呼ばれた人たちをはじめ
中国は、実に多くの民族が合体しています。

   故事(参考1933年代の蒙古系の人たち)image
   (1933年代の蒙古系の人)



そこには、
かつてのロシアの伝統衣装にどことなく、似た格好をする人たちがいたり・・・


      故事(あちらの美人さん)image


    故事(資料ロシアの婚礼衣装)image
    (参考資料:ニコラス2世の妹、大公妃セニアアレク。
            ロシアのロイヤル・ウエディング・ドレスのひとつ)



シルクロードが通じていたこともあって
ペルシアの名残もあり・・・


故事(ウイグル自治区のタジク族100組の結婚式)image
(タジク族〔中国国内で唯一の、ペルシア系民族〕の結婚式)


漢民族のなかに、たくさんの民族が混じっています。


        故事(huiの美人さん)image

     故事(huiの人のいる場所)image
     (回族)



そして、地球の何処に住んでいても
“伴侶を伴うことを選ぶ人たち”がいるわけで・・・




共に歩むその日が来ると、みな、ほんとうに嬉しそうです。


故事(資料ヤオ族の新郎新婦)image
(ハプログループD・・・ヤオ族の新郎新婦)


みなさんのどなたかが、そんなお一人であるなら・・・

またかつて、祝されて一緒になられた方だったら・・・



人生の途上に色々あったとしても・・・

「代々とこしえに、死が2人を分かつまで」・・・



            幾久しくお幸せに・・・。




     故事(修飾用蒙古族の女の子)image

     (回族の親子)
     故事(huiの親子)image


古文献の『上記』とか・・・

Posted by 世羽 on 05.2015 道草   0 comments   0 trackback
(独り言)
最近の日本外務省さんとかTBSさんとかの動きを見ていると、
日本人らしい心をもつ勢力が多少は戻ってきている気が・・・。
さらに気概を見せてほしい・・・と言ってみたくなる。

と・・・「流石にウソだろう」と言われているデイリーメールのトンデモない記事。
ISISに捕まった息子を助けに行ったクルド人の母親が
お疲れでしょうからと、料理をふるまわれた。
「息子はどこにいますか?」と問うたとき、ISIS兵士が冷笑しながら言った。
「あなたが食べたのが探している息子さんだよ」
・・・ゲッ~っ
こんな話が飛び交うほど、あそこはおかしい。

さらに・・・何か地下が大きく動いている感覚がある。
関東から北の太平洋側もしくは、海外のかなり大きめ?


上記(修飾画像とある国立公園)image


近年は、カタカムナについて話す人がいても
『上記(紀)』(うえつふみ)が話題にされることはあまり無い感じなので、
メモってみようかと・・・。

この『上記』・・・他の古史古伝と同じく
“偽書”とされて久しいです。

最近では“宗像版”“大友版”との比較研究もされたりして、
やはり「偽書」だろう・・・という見方が出たりしています。

まずは、それらを念頭に置いていただいて・・・。


『上記』が世に知られるようになった経緯の“一部”


時は1831年(天保2年)のころ・・・豊後の国
その大分郡にいた幸松葉枝尺(さきまつはえさか)という御仁が、
とある従姉妹(国女という人)から、薄汚れた“古文書の束”を見せられました。

そのおりに彼女が言ったことを現代風にして書くと
こんな感じで・・・。

「これは私が嫁いだ宗像家に代々伝わるもので、家宝とされてきたものです。
けれども十数年ほど前、
城下を訪れた神道の師に鑑定を依頼したところ
『まったくのくだらない偽書』と言われ、
それ以来、見向きもされていませんでした。

夫・(宗像)良蔵の亡き後、私が持っていましたが、
もはや何の役にも立ちません。
もし売れるのであれば、そうしたいのですが・・・」


で、その書の中身はというと・・・

冒頭の“はしがき”あたりが、いわゆる当時の和文で、
あとは奇妙な異体文字で埋め尽くされていました。

その“はしがき”などを、これまた現代風に簡単に言うと

「この書は、
平清盛が偽書と断じて焼き捨てさせた常陸の国・新治郡の富田家に伝わる
神代文書『新治の記』の断簡、
また神代文字で記された『高千穂の宮司の伝書』、『日向国主元雄の伝書』
をもとにし、
他にも各地の古文書(注:15種類以上とも言われる)を統合して
1223年(貞応2年)に完成したものである」


編纂者は、鎌倉幕府を開いた征夷大将軍・源頼朝のご落胤・・・
と囁かれたこともある大友能直(よしなお)で、
豊後の国守となり、大友家の初代となった人物です。

   (先の宗像家大友家の末流と言われている)


     上記(大友能直)image


国女から「売ってほしい」と頼まれて、ならば自分が買おう・・・と
幸松葉枝尺は思ったのでしょうか、安価でこの書を買い取り、
解読を始めました。

するとそこには、
「記紀」の歴史以前に“ウガヤ朝”なるものが存在し、

神武天皇はその73代目に当たる・・・とか、

出雲には7代にわたる王朝が存在した・・・とか、

いっときは出雲王朝の天皇が日本を統治していた時期もあった・・・等々、

これまでの史書に語られていないことが、たくさん記してあったわけです。

そんな内容に一抹の恐れを感じたのか、
幸松はその後十数年以上も、この書に手をつけませんでした。

が・・・彼はのちに、原本の写しをとり、写本全41冊をつくります。
そしてこの写本は明治7年
政府に献上する意図をもって、
まずは大分県令の森下景端に渡されました。

で、つぎに

地元の士族だった吉良義風がその解読の任を命じられ、
根本真苗『上記直訳』を完成させ、
それが明治10年『上記鈔譯』として発刊されます。

しかしこれは、ダイジェスト版のようなもので、
しかも内容が内容だけに評判も悪く、
結局のところ吉良は「偽書をつくったヤツ」との、ありがたくない汚名を着せられます。

のちに吉良は、『上記徴証』などを新たに発刊しますが、
結局、受けた汚名も拭われないまま、
謎の死〈書面には縊死とある〉を遂げてしまうのです。


     上記(大友本と宗像本の写本)image
      (臼杵市 陶瓷美術館さん。平成18年の春藤倚松・里帰り史料展から)


『上記』で使用された異体文字


上記で用いられている文字は“「豊国文字」の変形と思しきもの”とされ、
類似の文字が九州でいくつか見られるなどしたため、関係性が模索されました。

また一方で、
古代から日本の山々を流れ歩くようにして生活していた
“山人族”が使用した文字ではないか・・・とも言われたりしました。

   (ここでの山人は、一般にサンカと認識されてるようですが、
    まずこの呼称は、かつての官憲の差別用語に相当することもあって、
    当メモでは“山人族”を使用しました。
    また、“山人族”サンカと呼称された人々
    まったく同一視できるかというと・・・
    そこには、いまだ謎があることも、あらかじめお知らせしておきます)


    上記(サンカ文字)image


この山人族たちは、表社会の法に属さずに生き、
自分たちの社会だけで通用する特殊な文字を持っていたとされています。

  (あるとき、山人族の「紙」が官憲の手に渡ったおり、
   紙面に焙り出し文字がかくされていて、
   浮き上がった文字が豊国文字だったという話もある)


   上記(豊国文字古体象字)image
   (参考:豊国文字古体象字)


また、出所不明の話として、こんなものもあって・・・。


『上記』を編纂した大友能直が、
あるとき1000人以上〈1600人とも言われる〉の山人族たちの生命を奪った・・・。
そのとき能直は、
山人族が使っていたコトノカタと呼ばれる山人族文字で書かれた
古文書を奪った・・・というのです。
そして、この非道な殺戮に怒った山人族たちは、
のちに薩摩と内通し、大友を亡ぼす手助けをした・・・と。


こうした奇妙な逸話はさらにあって・・・。

大友能直が『上記』編纂のために各地の古文書を集めていたとき、
奇しくも領地内で“平一郎”という翁に出逢った・・・。

この翁は齢138歳
高齢にもかかわらず、1日に15里を歩いても疲れを見せず、
4斗の米俵を軽く担ぐという健老でした。
そして「いろは」すらわからないのに、神代文字のほうはいとも容易く読み、
失われた“超古代の出来事”に精通していたそうで・・・。

あの“カタカムナ”楢崎皐月に与えたのが“平十字”という人物でしたから、
一部の研究者が同じ「平」姓に偶然以上のものを見る・・・というのも
このへんから来るのでしょう。

さて・・・・
この翁にいたく興味を持った能直は、
「なぜそんな色々なことを知っているのか」と尋ねました。
すると、こんな答えが戻ります。
「私が100歳の齢になったとき、
山幽神(やまかくり神)を名乗る亡き父の導きで神仙界への出入りを許され、
以来数々の教えを受けたからです・・・」


こうして、何だかんだあって・・・この『上記』・・・
「記紀」やそのほかの古史古伝と合体されたと推測されてはいるものの、
出所の大元は、山人族が伝えていた彼ら独自の神話伝承だったのでは?・・・と
噂されることにもなります。

ちなみにこの山人族は、
自分たちの社会のみで伝えて秘匿するべきことは
“決して外部に漏らしてはいけない”。
もし禁を破る者があれば
“死”をもって制す
・・・という生き方をしていたふしがあります。

ゆえに、先に名前を出した吉良が
『上記』の完訳を遂げたのちに謎の死を遂げたのも、
もしや、そのせいだったのか!?・・・などという、ミステリアスな見方も出たほどです。

(この山人族は“謎な人々”の集団だったことが知られている。
彼らについて“ほのか”ではあるが、
聖書時代に中東地域に住んでいた“とある人々”との繋がりが示唆されている)


上記(修飾用春花)image



『上記』と星


『上記』は、「記紀」以前の出来事の伝書と言われ、
ぶっとんだ“神話部分”の伝承が、とかく話題にあげられがちです。

しかし実際はそれのみならず、内容は非常に多岐に渡っています。
(民俗、習俗、度量衞、地理、言語、暦制、天文、教育、医薬、医学など)

また「記紀」にはほとんど見受けられない星神のことも
数百にのぼって示唆されてもいます。
(『上記』の最重要「星神」は“北極星”とされる)


そんな、星絡みの話のなかでも興味深いのは、扱われている暦です。

たとえば日本は、一昔前まで中国の太陰暦を使用していましたが、
『上記』では使用している暦を「太陽暦」としています。

この太陽暦は、東西南北をさらに18のアラカと呼ばれる宮殿で区分けし、
どのアラカのところに太陽が昇るかで月を定めるという、
どこかのストーン・サークルでお馴染みのやり方に似たことをしています。

また、1年を360日1ヵ月を30日とし、
12月末と1月の始めに不足分の日数の帳尻合わせをするという、
古代エジプト“初期の”暦と似てもいます。
(歴史上では紀元前2000~3000年以上も前のエジプトあたりに似ている)


これらについて、
かつて『上記』の研究家・田中勝也氏の依頼を受けた天文学者・金井三郎氏が
天文学的見地から『上記』の記述に所見を出したことがありました。

それによると、

* 本書に記された星神は、
  実際の惑星や後世の天体観測をもとにしたのではないか・・・
  と思われる。


* 示された星神の数などは、
  神話に見られるような作為的な数合わせではない・・・と思われる。


* 主だった古代文明における古代天文学は、
  “星座の形”で星を認識す傾向がある。
  しかし、『上記』の星神にはそうした星座の観念が見られない。



偽書と言われていても、実に面白い展開です。


     上記(昭和10年神代文化研究会刊)image
     (昭和10年神代文化研究会刊の『上記』)


古史古伝の残すもの

これまで、名を残した日本稀代の霊能者のなかには
偽書とされた『上記』を重要視した人たちもいました。

荒深道斉川面凡児などは、
この書が「非常に古い伝承や知識を伝えている」と信じ、
“霊学的に”読み解こうとしたことで知られています。

  (・荒深道斉は「かつて日本には高度な文明が存在した」と主張し、
    そのうえで、いわゆる出雲系の神々の国譲りは
   “謹んで行われたこと”としている。
    現在語られているような神道における神々の闘争は語っていない。


     上記(荒深道斉)image


   ・川面凡児は知る人ぞ知る、強い霊能力の持ち主で、神道家。
   自身の霊的な繋がりが「すばる」にある・・・と
   述べていたことでも知られている)



   上記(川面凡児)image



彼らの見方は、彼らを取り巻く人々を通じて、後世に伝えられ、
大なり小なり、現代の霊的思想にも影響を与えているでしょう。


近年になって『上記』は、宗像版と大友版の比較が進み、
創作や改作と思しき部分が明確になっているようです。
そこらは、ひとつの事実として認める見識を持っていたいものです。

またその一方で、
偽書とされたにせよ、このような文書が創出されるにあたって
どこかに真の原本があったゆえのことだとしたら、
「それは単に人の想像だけで創り出されたものなのか」
などと問えるだけの、心の余地も残しておきたい・・・。


現行の歴史的見解では、古代日本は独自の文字も持たず、
古伝古史に出て来る神代文字のほとんどが
漢字や仮名の成立以後の偽作とされています。

また、日本文化は大陸伝来とされ、
中国や韓国からは「文明を教えてやった」と言われもします。

ですが、以前から書いているように、自分は
それはどうかな?・・・という感じを強く抱いています。

それは、日本が“世界を統治する最高の国”だとか、
そんな意味づけから出るものではなく
言葉にできない感覚から生じる「?」です。


人づてに聞いたことだけを真実として認めたり、
うわ面の文字を読むだけでは、
古史古伝のどこまでが真実で、どこからが虚偽かは掴めないでしょう。

それは、文書が記された時の感覚にリンクできて初めて
真意をくみ取れる書とも言えます。

たかが「偽書」・・・と言われても、
されど、それなりに意味深い「偽書」
・・・というところでしょうか。



*****


『上記』に登場する神々は山々に深い関連を持つ。


そう言えば、チリの活火山Villarrica・・・。

上記(1995年ビジャリカ)image
 (1995年)


久々の噴火となって、大地の騒々しさが増した。


上記(修飾画像2015Vilarrica)image



そんな地球のどこかでは、
きっと安らかな時を過ごしている人もいて


上記(修飾用トナカイと子供)image



ましてや、そこに平和な心持ちが一緒にあれば、
小さなまどろみさえも「極上の幸せ」に変わっていく。


上記(修飾用平和な眠り)image



たったそれだけの、たわいない時間にも・・・感謝したい


上記(修飾用ねずさんと花と蝶さん)image


  

プロフィール

世羽

Author:世羽
心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
すべての人が幸せに
喜びに満ちて生きることができますように祈っています

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