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めぐり来る「桜花」の季節に・・・

Posted by 世羽 on 19.2015 季節ごとに   0 comments   0 trackback
(つぶやき)
世界の動きを見ていて想う。
やっていることの善し悪しは別にして、やはりプーチンは切れ者だw。


桜(宮坂雅博グリニッジ天文台コンテスト2012優勝)image_convert_20150218224930
                                         (宮坂雅博氏撮影)



桜花の雑談


気温が上下しつつも、だんだん春の足音が大きくなる時節となりました。

そしてまた、桜の季節もめぐってきます。


と言えば・・・。

恥ずかしながら自分、
この植物が「属名」こそ違えど、「バラ科」だと知ったのは
随分長じてからのことでした。

バラというと、園芸用のあでやかな「大輪の花」を思い浮かべます。
ですから、桜がそれと同じ「科」でくくられていると知ったとき、
花の在りようの違いに驚き、
一方で、なぜか嬉しくなったことを覚えています。

というのも、

1輪で栄華を誇るように咲き誇る“薔薇の花”
一方で、
何年もかけて成長し、1輪こそは小振りながら、
群れるように柔らかな色あいを醸し出す桜花・・・。

いかにも日本の風情にぴったりで、
日本の本質を表現しているじゃないか・・・と、改めて感じたのです。

現代で多くの人が観賞する桜花といえば、ソメイヨシノが真っ先に来るのでしょうが
本当は、多少“泥臭い感じ”の「山桜」
日本古来から愛でられてきた種ですよね。


敷島には、歴史ともに、そんな桜にまつわる伝承も溢れています。


たいてい、どなたもが真っ先に想い浮かべるのは、
「木花之佐久夜毘売」(木花開耶姫)のことでしょうか?

諸説のひとつに
「佐久夜」のサクヤは、「さくら」の語源というものがありますし・・・。


桜(コノハナサクヤビメ)image



この木花之佐久夜毘売
邇邇芸命(ににぎのみこと)がソデにした
醜い(女性になんと失礼な表現かといつも思うw)石長比売はよく知られていますが、
お父さんだった大山津見神(大山祇神)の娘には、
もうおひと方、木花知流毘売がおられ・・・。

“佐久夜”が桜の「栄華」を表すとすると、
“知流”は散るとなって、「死」を表現しているとされています。


お叱りを受けそうですが、
自分は「桜花」と言う文字を見ると
戦時中の特殊滑空機「桜花」(おうか)も浮かんでしまうわけで。

      (こちらの「桜花」の名称は、伊東裕満中佐によって命名された)


桜(桜花機)image


   (関連余談:いわゆる神風(しんぷう)特別攻撃隊の命名は、
    第一航空艦隊猪口力平主席参謀が、彼の故郷鳥取に古来伝わる
    「古剣術神風流」
に因んで命名したと言われる。

    かつて鳥取池田藩では、藩の武術の剣術として、
    武蔵円明流/新陰流/雖井蛙流/兌山流/今枝流/理方得心流/東軍流/岩流/
    富田信流/一刀流河田派/一貫流/神道無念流/神刀兌山流/神風流
    北辰一刀流などがあった・・・とされる)


特攻兵器として使用された「桜花」の名前と
桜にまつわる話を合わせて思い浮かべると、何かこう・・・
“命の儚さ”の表現として見事にかぶっているなあ・・・と。


桜(桜花と米軍)image_convert_20150218225504


桜(桜花MXY7)image




巷では、
桜の花の散り際の良さを、
先の大戦の特攻隊員や、戦地に赴いた兵隊さんたちになぞらえれば、
嫌な顔をする方がおられるのも知っています。

が・・・

たとえば、特攻隊員たちを見送った方々が、
ときに、桜の花のついた小枝を振った気持ちが何となくわかりますし、


桜(見送り)image_convert_20150218225257


自身の生命を「神木」にまでなった清い桜の生命になぞらえたくなる
当時の兵士の気持ちも、
日本人ならではのこと・・・と、わかる気がするのです。


       桜(たぶん横田あたりno天武の人たち)image


「戦争」は酷いものですし、けっして肯定できるものではありません。
今の過激派集団の広域に及ぶ殺戮なんぞは論外です。


でも・・・あえて脱線してみると・・・



戦争と平和、そして桜花



キリストのエルサレム入場後の月曜日。
「とある情景」が幻視されて、残されています。

それは、「受難」の前、
キリストが密かに母のところへ逢いに行くエピソードのなかにあります。

母に逢いに行くため、イエスがどうしても通らなければならない門があり、
そこではローマ兵たちが、通行人を見張るために門番をしていました。

   (この門は、当時の時刻割にしたがって、出入りが規制されていたらしい)

当然、キリストも停められて「誰だ!」と咎められます。


 (以下、はしょって短くまとめる)


「私はナザレのイエスです。町にいる母のもとに行くところです」

兵士は、それまでのイエスのことを知っていて、珍しいものでも見るように
キリストの周囲をグルグルと廻る。
優しい笑みをたたえつつ、キリストが言う。


「母の元に行ってもいいでしょうか・・・」

「私たちは誰も通すな・・・と言われています。
しかし・・・止めたところで、あなたなら通っていくでしょう。

  (この門番は、イエスが奇跡を行う人と知っていた)

冥途への門を開け閉めする力のあるお方に、
こんな門を開くぐらい、わけもないはずだ。
それに、あなたは騒動を起こす人でもないようだ。
あなたにしてみれば、ここの足止めなど“無い”も同じでしょう。

ただし、内側の巡邏兵に見とがめられないようにしてください。

マルコ・グラト、門を開けよ。

そう、あなたはそっと通ってください。
私たちは兵士ですから規則に服従するしかない・・・。

さあ、早く通りなさい。
私たちはあと少しで第2刻が過ぎて、交替になってしまう」


通過できるようになったイエスが言葉をかける。

「あなたたちに平和・・・」

「・・・・・・私たちは“戦い”をする人間ですよ?」

「私が与える平和は戦争のときにも残ります。心の平和ですから」

(こののち、通り抜けたナザレのイエスを見送った門番のうち
老若・兵士2人が面白いやり取りをします)

「ああ、もう見えないな。
あの言葉はどういう意味だったんだろう。知りたかった・・・」
と若い兵士。

すると老兵が言う。

「なんだ、聞けば良かったじゃないか。
あの人は我々を軽蔑しない、唯一のヘブライ人だ」


「勇気がなかったんだ・・・。
ベネベント
(古代南イタリアのカンパニア州の町)の農夫だった俺が、
神と呼ばれている人に話かけるなんて」


「ロバに乗る神か?
あっハッハッハハッ・・・バッカスのような酔っぱらいなら納得もいくが、
あの人は酔っていなかったな。
きっとムルスム
(当時のお金持ちが飲んだ蜂蜜入りの葡萄酒)も飲まないぞ。
見ただろうが、痩せて青白かったのを」


「だけど、ヘブライ人なら・・・」

「ああ、あいつらはよく飲むぞ!!人目のないときにな。
まあ、この土地の強い葡萄酒と、
自分たちのシチェラ
(酔わせるものの意)に酔って、
あいつらは、ただの人間を神と見間違えたんだろうさ。

俺様のいうことを信じろ。
神々なんて、お伽噺だ。
オリンポスは空っぽだし、この世にも神々の姿は見えない。

もし誰かが、今のお前の話を聞いたら・・・。
ああ、本当にお前はまだまだ小僧だ。

皇帝自身、神々を信じていないし、
司祭たち、鳥占いたちも、占い師たちも
アルヴァレスやヴェスタレスなんか信じていないと、知らないのか?」


アルヴァレス:司祭の名。
 ヴェスタレス:聖なる火を護るローマの女司祭)


「でも、だったらどうして・・」

「・・・儀式を行なうのか・・・って言いたいのか。
それは庶民が気に入っていることだし、司祭の利益になる。

それに、この世にいる神のように服従されるのは、
皇帝にとっても都合がいい。

誰よりも信じていないのは、
我々が“神々の使い”として尊敬している人たちだ。

俺は世界をあちこち歩きまわって、ごま塩頭になった。
ピロン派で、唯一の信仰はローマだけだ。
他のことは何も信じられない。

不滅の聖なる国家の他に、
我々を取り囲んでいるものすべてが錯覚だから、
何も信ずるべきではない。

自分自身についても疑うべきだ。
なぜなら、我々が生きているかどうかも疑わしいからさ。

感覚と理性とでは真理に到達することが出来ず、
生きることも死ぬことも、同じ値打ちのものだ。

実のところ我々は・・・
生きるとは何かも、死ぬとは何かも、両方とも知らないからな」


と、老兵が「哲学」の懐疑論をうつ。

若いほうの兵士はどこか納得していない様子。

「私は信じている。
さっき、ここを通ったあの人に色々尋ねたい。
あの人は、絶対本当のことを知っている。
身体全体から、何か微妙なものが発していたんだ。
心のなかまで入り込む光のようなものが・・・」


それを聞いて老兵が言う。

「お前は熱病にでも浮かされたんだ。
さあ来い、こんな時は香料の入った温かい葡萄酒でも飲むのがいちばんなのさ」

そして、若い兵士を衛兵所に押しやろうとする。
だが若い兵士は


「俺は病気なんかじゃない!!!」

そして、老兵が肩にかけた手を振り払う。

「俺は、そんな葡萄酒なんて飲みたくもない。
障壁の外で、
『イエスです・・・』と言った人を待つ」


「勝手にしろ!!!」

老兵は怒鳴りながら、そこを去った。

その後、イエスが戻ってくるまでの長いあいだ、
東の空が白みかかったころまで
若い兵士は本当にそこで待ち続けていた。


そしてやっと、兵士は戻って来るイエスを見つけた。
イエスを出迎えながら、その若者が言葉をかける。


「健康あれ・・・あなたをお待ちしていました」

するとイエスが言った。

「何でも話してください。何を望んでいるのですか?」

「知ることを・・・。
あなたは
『私が与える平和は戦争のときにも残ります』と言われた。
その平和とか、霊魂とか、それがどういうことかを知りたいのです。
戦っている者がどうして平和でいられますか?
この二つが、この世で並ぶわけがないではありませんか」


信仰を持たない人の心に“光の種子”を撒く喜びで、
イエスの声が光に溢れて響くような感じになる・・・。


「実際、この世において
平和と戦争は同時にはあり得ないが・・・
私の平和は戦争のときにもあり得ます。

なぜなら、私の平和は天から来るものだから。
戦争の残酷ささえも消せはしない・・・。

それは神的なもので、
人間のなかの霊魂と言われるもののなかにあるのです」


「神的? 私のなかに・・・ですか?
神的と言われるのは皇帝だけです。
私は農夫の倅で、何の位も持たない軍団兵です。
勇ましく戦えば百夫長ぐらいにはなれるかもしれませんが・・・。
神的とは・・・」


「あなたのなかに、神的なものがあります。
真の神から来る霊魂で、
信仰、平和、真理というような“神的なもので養われて生きるもの”です。

その平和は戦争によっても、虐待によっても傷つけられることはなく、
死によっても滅びません。

悪だけが・・・すなわち、厭うべき行いだけが、その霊魂を傷つけ、
“私の平和”を奪ってしまいます。
悪こそが、人間を神から隔てるものだからです」


「悪とは何ですか?」

「真の神がいると知ったうえで、人の創り出した神々を崇拝したり、
父、母、兄弟姉妹、隣人を愛さなかったり、
盗み、殺人、淫蕩、偽りなどが、それです」


「なら、私にはあなたの平和はあり得ない。
私は兵士だから、ときに人を殺すことを命じられます。
もし、そんなふうだったら、私たちには救いはないものですか?」


「戦争にあっても、平和にあっても、正しく生きなさい。
残酷でも貪欲でもなく、自分の義務を果たしなさい。

戦うとき、敵もあなたと同じ人間だと考えて、
獣のようにならず、勇敢でありなさい。
そうすれば、あなたは正義を失うことなく、私の平和があなたに残ります」



こののち、さらに会話は続くのですが・・・。

桜(戦争と平和星雲NGC6357辺り)image
 (「戦争と平和星雲」War and Peace Nebulaと呼ばれるNGC 6357
  ここでは新しい星が数多く形成されている)

桜(戦争と平和星雲NGC6357)image_convert_20150218225817
 (部分拡大)



自分・・・かつて、この話の行間に想いを馳せたことがあります。

上のエピソードは一部分なので、ここのみ目にしただけだと、
「なんだ、戦争を肯定しているんか?」
と思う方がおられるかも・・・ですが。

ナザレのイエスが残した言葉を詳細に知ると、
イエスはけっしてそんな真意は持っていなかった・・・。

もちろん、感じ方は人それぞれでしょうが、
自分の場合は、ここをこんなふうに受け取りました。


時の流れのなかで、国家などがやむを得ず戦いに陥り、
命じられて戦わねばならない人々があったとしても、
それは責められることではなく・・・

とはいえ、そんな環境にいれば
いつしか人の心にはさまざまな闇も、不安も生じるわけで、
その部分を取り払うために、
ここでは、当時の表現の範囲での
助け舟となる言葉を持ち出したのか・・・と。

そして・・・

生じた「時の定め」で戦わねばならなかったとしても、
非道をせず、精一杯、そこでより善く生を全うしたなら、
それはそれ・・・。

聖なる何かはけっして咎めないんだな・・・
自分はそのとき、そう感じたのです。


それは、

先の大戦で、敷島の人が「勇敢」に戦ったおり、
神宿るとされた桜の花に喩えて“自身の心を昇華しようとした「想い」”
それに似ているかのように感じられました。


桜(西澤広義飛曹長の笑顔)image
西澤広義飛曹長の笑顔:
彼は、米軍から「ラバウルの悪魔」と呼ばれ、恐れられるほどの、飛行技術の持ち主だった。
当時は稀な180cmの長身で、美男子だったことでも知られている)


現代では大量殺戮兵器が次々に開発されて、
一瞬のうちに人命を損なう戦いが起きます。

それは、敵と認知した相手を「人」と想わない行為だとわかります。

さらには、戦争と言うにも遠く及ばない、
人命を、残忍に、弄ぶように奪う世情もあるわけで・・・。

それらは、
桜の花の在り様に喩えられた「潔さ」とは
似て非なるものに感じるのです。


     桜(特攻兵と桜)image


“桜の花”の話がトンでもなくワープしてしまいましたw。


いずれにしても、

桜を“心の懐”に抱く敷島の人なら、
過去に逝った多くの戦没者の御霊を「犬死に」などと貶めて、
戦争の醜さだけを誇張して語るのではなく、

当時を「洗脳されていた」と“のみ”語るのではなく、

日本だけでなく、当時のすべての人が、
与えられた時代を一生懸命生きていた事実も認め、
そのうえで、彼らがみな神霊の満ちる「新たな世界」で
幸せに時を過ごしてもらえるよう
そっと願う心を持ちたい
・・・そんな気がします。


桜(とある1枚)image




そして

戦争に「反対」するというより
平和のみを願う“安らかな心”を持ち続けることが、
必要なんじゃないかな・・・と。



*****


気づいていないかもしれないが・・・

世界に不穏な動きがあっても、それに動じない心を保てる気質が、
不思議なことに、敷島の住人すべてに宿っている。

それは、まごうことなき天の恩寵

どんな環境で生きようとも、天に恥じることなく真摯でありたい。
古来から愛でられた桜花のように、純朴でありたい。

たった“それだけ”のことが、
目には見えなくとも
尊い一条の明るさをもたらす。




自然の生み出す本当の美、
本来の桜花の“美しさ”だけを堪能できるなら・・・


桜(子猫と桜)image



もうそれだけで、幸せ。


桜(リスさんと桜)image




本年もみなさんに、美しい桜花の到来がありますように。

桜(富士山と)image_convert_20150218230104


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「お馬さん」の年なので・・・

Posted by 世羽 on 03.2014 季節ごとに   0 comments   0 trackback
遅ればせ・・・ですが

迎春の慶びを謹んで、共にお祝い申し上げます!



お馬さんが駆けるimage



今年は午年です・・・ね。


はるか昔、とある産育系の牧場でお手伝いをしたことがあります。


当初、こんな形になれば、と妄想したりしていたのですが・・・


お馬さんが駆けるimage


いいやそんなことはまったくなく、というか、
もともとあり得ない話でしたが・・・。


毎日、馬房のボロ(馬糞のこと)出し
干し草の入れ替え、
一袋25㎏もあるエサを4~5袋
まとめて台車(三輪の手押し車:ねこと言ったりしていました)に乗せ、
厩舎間を行ったり来たり・・・そのほか
かぎりない肉体労働でした。

たまに、お腹の膨らんだお母さん馬に手綱をつけて
外に引き出し
引っ張りながら歩かせたりするのですが

もともとが競争馬で、
しかも走るのが得意な馬ばかり。
ちょっとお馬さんの体調が良く、気持ちが昂揚してくると
とっとこ、とっとこ早足で駆け出し始めてしまったりもします。



お馬さんお可愛い顔なimage



そんなとき、ちょっとリードするのに失敗しようもんなら、
人の力では引き戻せませんし
一緒に自分が走るはめになってしまったり
(自分が走りながら、徐々に馬を止めるように努力する)
今、想い出しても冷や汗もんです。
(こればかりは、経験しないとわからないかもです)



お馬さんのりりしいお姿な補足image_convert_20140102233853



だから何ということもありませんが・・・。


馬の性格も、他の生き物と同じく、実に多様です。
なかには、ひねくれた感じの暴れ馬みたいのもいました。
手のつけられんぐらいに荒んでいたのです。

気持ちがなんとなくわかったのですが
そこには、人間への不信がありました。

たぶん、その牧場にやってくる前に
酷いことをされた記憶が残っていたのではないかと。

結局、人も動物も
「されたことや、住環境によって」性格が変わるんだな・・・と
知らされました。

本来、馬の目はとても可愛いのですが
心が歪むと、やはり眼にキツさが出てきます。
ちょっと、可哀想なヤツでした。



お馬さんの眼なimage


と・・・

そんなお馬さん

ひょうきんな姿もいろいろですし



お馬さん近影なimage


お馬さんの楽しげなimage



野性の馬や、競走馬もさることながら
いろいろと人間社会でも活躍しています。
(日本ではあまりお目にかかれませんが)



お馬さんのポリスimage


あまりにカッコ良すぎで・・・。



お馬さんの完全防備な姿image



お馬さんの完全防備な姿2image



このわんちゃん・・・
そんなお馬さんに出会った興奮と
緊張と嬉しさが身体からにじみ出ており・・・あはは。



お馬さんに喜ぶわんわんおimage



他種の動物たちとの交流も頻繁で


お馬さんと仲良しさんのネコさんimage


お馬さんと鷹さんのimage



お馬さんとわんころのimage



夢学で著名なスイス人ハンス・クルト氏
夢見での「馬」についての第一象徴
精神生活や性生活が乱れていないことを示す・・・と解説していたのを
想い出します。

それからすれば、神馬・・・というのも、
人類の深層意識に宿る原型のひとつなのでしょう。

ネコや犬と違って、
間近に馬を直に見ることは、あまりないかもしれませんが
(人を乗せずに)本気で走る馬の姿は実に美しいものです。



お馬さんのimage


2014年午年で始まったのは、
そんな隠喩も含んでいるかもしれません。


お馬さんの親子なimageI


そして、意味ある時代を走り出したかのように
人類の「疾走の時代」が開きました。


お馬さん雪のなかを行くimage



市井に生きる自分も、
この星に住むすべてのみなさんのライディングが、
飛びきり上手なものになりますように
・・・と祈りつつ
新しい年の扉に入ってみます。




お馬さんの綺麗なimage






「年末」の最終日にあたり・・・

Posted by 世羽 on 31.2013 季節ごとに   0 comments   0 trackback
(つぶやき)
激しい感覚があり、危ういにもかかわらず
地下がなんとかもちこたえている。

と・・・。KA○○・・さん、
鍵付きのご連絡ありがとうございました。
そうだったんですかぁ・・・自分も興味深く・・・です。合掌。


とある冬山な情景のimage


2013年、カレンダーの最終日になりました。
数多くの立派なブログの立っているなか
3月より細々と書き続け・・・今日にいたり・・・。

一見さまも、
また、ときどき来てくださっているかもしれない皆様にも
年の区切りに際し、
改めて、心より御礼と感謝を申し上げます。


開始以来、できるだけ(書きたいことを)自重しつつ
それとなく・そこはかとなく、何とか書き続けて来られたのは
とにもかくにも
僅少とはいえ、暖かい貴重な励ましをいただいたことが大きく
そんな皆様には、感謝するばかりです。
ほんとうに、ありがとうございました。

・・・これまでの記載を振り返ると・・・

ときに、近隣国について書くなどもしてきました。
始めのころ記しましたが、
自分・・・親戚づきあいをするほどの中国人の方も
また、韓国人の知人もおります。


ですから、異種間フレンドシップ・・・のように


異種間の仲良しなimage


早く、色々な思想や思惑、認識等の誤解や洗脳が解け、
本当の意味での地球家族として
ともに未来を創造していけるようになることを
願ってやみません。


異種間スキンシップなimagegif



とは言っても、

勇気をもってとすることが必要なときは、
どれほど悪口雑言を浴びようとも
一時的に疎遠になろうとも
堂々と主張を貫く姿勢を保ちつつですが・・・。

おべっかをつかった「ご機嫌うかがい」的な付き合い方では
結局のところ
まことの友情は築けないので。


とある日の勝手にやってネコなimage


そして・・・

大晦日にあたり
(人が微笑むときは、必ず心が明るくなりますし)
このさい少し口元を緩めていただき


とある少女の笑顔(南スーダン)image



たとえ、
今年のどこかの時点ですごく嫌なことや心痛いことなどがあって
それが記憶に残っていたとしても・・・
いまだ悶々としていたとしても・・・

どこか余所の誰かが羨ましく、
自分が悲しく思えるようなことがあったとしても


せっかくです!
この区切りのいい最終日に
どこかに放り投げていただき・・・


(って拾ってど~する)


とあるネコのマトリックス的なimage



新たな、素晴らしい心持ちでお過ごしいただけたら・・・と。


とある子供たちの笑顔と合掌なimage




そして、
つぎには必ずこんなことがあるさ・・・の勢いで


クリスマスの喜びのimage



新たな激動の時代の幕開け、けれども記念すべき「初年」を
お迎えください。



陽光のなかでのフレンドシップなimage



どこの誰かもわからない小さな自分が
大きなことを言える段でもありませんが・・・


どこかしらで困難に合っている人の心に寄り添えるよう
どんなにささやかでも
自分のできるかぎりのことをして


南スーダンの子供の補足image_convert_20131231042942


この地球に生きる生命の、人類すべての、
そしてみなさんの幸せを
心から祈っていこうと思っています。



子供の笑顔(ブータン)image



そして末筆にあたり・・・まことに恥ずかしながら
自分の「生きる指針」のひとつをお贈りしながら
2013年の「最終日」を閉じさせてください。


   いつも喜んでいなさい。
     絶えず祈りなさい。
        すべてのことに感謝しなさい。

                     ――1テサロニケ 5:16-18――


そんな感謝の想いとともに
みなさんのご多幸を、心より祈りつつ・・・。





ゆらめく火のimage





その「業」はかぎりなく・・・

Posted by 世羽 on 20.2013 季節ごとに   0 comments   0 trackback
(つぶやき)
年末と言っても、いつもと同じように日が過ぎるだけだが
なぜか毎年、今ごろになるとやることが増える。


聖夜の街灯なimage


もうすぐ、12月24日、25日が近づいていて
ふつうにクリスマスを送るだけなら、あまり関係ないことなんですが・・・。


クリスチャンの方であればご承知のとおり
キリスト教での最大のイベントは復活祭で・・・
でも、それはあまり知られておらず、
日本人の一般の方であれば、ほとんど関係ないわけで。

でも、クリスマス・・・となると

年末商戦と併せてけっこう騒がれるので
なんとなく「サンタさんの来る日」として知られています。


サンタさんなimage


ハム速さんのところにはこんな画像が貼ってあって・・・
海外では、また独特の趣きがあります。


進撃のイギリス海軍(サンタ編)image


設定された日付云々はともかく・・・。

12月24日の夜から25日の朝にかけて
たとえば、修道院によっては
単独で、もしくはペア、さらにもう少し複数になったりして
時間交替制で祈りが夜通し続けられる場合があります。
(大晦日から元旦なども)


聖体礼拝のimage


信者さんとか、神学生さんたちが特別な想いで祈ることもあります。


聖体礼拝の3image


こんなことを書くと、
また時代遅れのこんこんちきが・・・と言われそうですが。

自分、それらの祈りを単純に「ありがたいな」と思っています。


多くの人がお酒を飲んで、カラオケなどにいそしみ
ほろよい気分で楽しく過ごしているころも

それぞれが暖かい家庭の団らんを過ごしているころも

ときには、誰も傍におらず
一人で世間の華やかさを横目で見ながら
淋しい想いで浸る人がいたりするときも

それらの人たちを想って
また、神に感謝して讃えるために「祈っている人たち」がいる・・・。

だからどう・・・ということもないのですが・・・。
なんか、こう・・・嬉しいなと。

そんな祈りは、こうしてご紹介しなければ、
人に知られるところのものではありませんし・・・。

もちろん祈っている人たちは、
見返りを望んでしているわけでもありませんから
何がどう・・・ということもなく、ごくふつうのことなのですが。


聖体礼拝の2image


ただ、こうした特別な日の祈りのときには必ず、
いつもよりも一層のこと、
世界の平和、人々の幸せを祈っています。

それは、自分たちの信じる「神」、
そして生きる模範として選んだキリストが、
かつて行った祈りの生き方に倣っていることです。

キリスト教といっても
ほんとうに色々な宗派があって
ときには、トンデモナイことを流布する人たちもいるので
それらがいっしょくたにされて
教えそのものがすべて
「悪」とされる向きがあるのは寂しい気もします。

まあ、そんなことになるのは、
キリストの存命時代から予見されていたことですし
今さら驚くことでもなく・・・。
時はたんたんと流れるだけです。

キリストがピラトの前に引き出され、
群衆が「十字架につけろ!!!」と大騒ぎしていたとき、
その場にとどまったのは、20人もいなかったとされ
しかも、彼らは弟子と呼ばれる人たちではなく
一介の、名も無き信徒であった・・・と、
とある幻視は伝えています。

今も、そうかもしれません。


聖夜の星のimage


さまざまな、誤謬や曲解によって
救い主と呼ばれた存在がほんとうに伝えたかったこと、
人々にしてほしかったことが薄れてしまい
また、聖職者たちも勇気を失いつつある現状では
キリストなる存在の意向を今の世の中で受け止め
「聖なる者になれ」を心底実践している人は、少ないのかもしれません。

かつての遠い日、キリストと呼ばれた存在
記念日のひとつが、今年も近づいているわけで
後日に、もし書けるようであれば、
クリスマスの夜話もできたらな・・・と思います。


クリスマスなimage


神のような存在の業は、
おそらく宗教や派閥、人の思惑を超えているのだと
自分は感じています。

そして、

そこから溢れる暖かいものは、
すべてにそそがれている・・・と。


ですから、そんな暖かい「何か」が、
ネットを見ることのできるみなさんだけではなく

路上の人たちにも、戦地にも、飢餓やさまざまな困難にあえぐ人々にも
たとえどんなに小さくてもいいから、
実感として伝わりますように・・・と




ホームレスのimage



ホームレスチルドレンのimage



ホームレスチルドレンの3image



ホームレスチルドレン予備image



ホームレスチルドレンの笑顔なimage



そんなことを、ほんとうに微力ながら、自分も祈っています。




ブルークリスマスツリーimage




「聖霊降臨」の夜明けに・・・

Posted by 世羽 on 19.2013 季節ごとに   0 comments   0 trackback
(つぶやき)アセンションの本来の意味は、キリストが復活してのち40日目に身体を維持したまま天に昇った「昇天」だ。
これを、キリスト教圏から来たニューエイジ思想が「次元上昇」として用いたわけで。
そのほかのニューエイジ思想のあらゆるところに、キリスト教の根幹が浸透しているのがわかる。
結局のところ、否む・否まないにかかわらず、日本もキリスト教の片鱗を受け取っているのは事実だろう・・・。

と・・・。18日午後に方向違いのところ、福島沖で発震。
ここのところ自分の法則を打ち破る動きが続いているが、これは「二日前」のつぶやきの結果だと思う。
で・・・まだ動いてる

聖霊images

今日、5月19日は、今年2013年での「聖霊降臨」の主日です。

キリストの復活後50日たったとき、
聖霊が使徒たちの上に降(くだ)ったとされています。

この様子をカタリナ・エンメリックの幻視から辿ると、こんな感じです。

前日、真夜中過ぎたころ
自然界に不思議な動きが起き、集まっていた人々にもそれが伝わっていた。
あたりは、静けさに包まれ、音ひとつない静寂に包まれた。

朝方、私は白銀に輝く雲が天から降り、晩餐の家に近づいてくるのを見た。

はじめは遠くのように、光の球のように見え、
その動きとともに、心地よい、そよ風が吹いてきた。
それは、輝く霧の塊のように街の上にたなびき、輝きを増し、
晩餐の家の上に停まって、募りゆく風の息吹とともに、雷雲のように降りてきた。
大勢のユデア人たちが恐怖におののき神殿に急ぐのも見た。

近づくそれは、雷雲に似ていたが、暗さはなく、むしろ明るく、
雷鳴はなく嵐のように近づいてきた。
あたかも気分を引き立てる暖かい風のように・・・。

私は晩餐の家と周囲がますます明るくなり、
使徒や弟子、婦人たちの熱心が刻々と募りゆくのを見た。

するとこの光雲から、突然白い光線が降り、家の上に「7度」十字を描き、
次いで細い光線と滴に分かれた。
光線が「7度」交叉した場所には、広げた翼、
あるいは翼に似た光を持った姿が現れた。
その瞬間、この家とその周囲は隅々まで光で充たされた。

集まっていた者たちは、無意識のうちに渇くように顔を起こした。

すると、各自の口に、光線が燃える焔の舌のように注ぎこんだ。
それはあたかも、彼らがその火を吸い込み、渇くがごとく飲み込んだようで、
熱情がその焔に対して燃え上がるようであった。

輝く雲は次第に、光の雨のように分散し、
焔は各自の上にそれぞれ異なる形と色で降った。


こうして、異言を話し始めたくだりは、聖書などにあるとおりです。

この聖霊・・・は、三位一体の第三位格として知られています。
その名がズバリ、「」(Spirit)・・・です。

真理の霊」、「創造主なる霊」、「聖化者」とも言われたりします。

そして、「聖霊の賜物」と呼ばれる超自然的原動力として
上智、聡明、知識、剛毅、賢慮、考愛、敬畏の「7つ」の形があります。

カタリナが視た、「7度」の光の動きは、この「7つの賜物」かもしれません。。

また、「聖霊の結ぶ実」として
愛、喜び、平安、忍耐、寛容、親切、善意、柔和、信仰、節度、節制、純潔があり、
この実を結ぼうとする者は、
自らがその実を結ぶような「善行」をするなかで神の現存を知り、
また他の人々は、それらの行いを目にすることで、
神の現存を感じとる・・・とされているようです。

聖霊の内住(内在)とは、恩恵の状態にある人のなかに「聖霊」が住むことですが
2000年以上も前に生きた、聖パウロがこう言っています。

「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか」(1コリント3:16)

「わたしたちは生ける神の神殿なのです」(2コリント6:16)

これは、ニューエイジで最もよく使われる言葉ではありませんか?

キリストはこう告げています。

「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。
わたしは父にお願いしよう。
父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。
このかたは『真理の霊』である。
世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。
しかし、あなたがたはこの霊を知っている。
この霊があなたがたと共におり、これからもあなたがたの内にいるからである」

(ヨハネ14 15~17)

「私を愛する人は私の言葉を守るであろう。
私の父はその人を愛し、父とわたしはその人のところに行き、一緒に住む」

(ヨハネ14:23)

聖霊は、神としてはどこにもいると言われています。

教会に通い、それを信じている人はもちろんでしょうが
たとえ、キリストを知らないとしても
善人の霊魂のうちにも特別な方法をもって存在している・・・と。

ちなみに、聖霊の讃歌に付随する伝統的な歌に、このようなものもあります。



かつて、水の結晶が言葉によって美しくも醜くもなる・・・という結果が話題を集め、
その後「トンデモ話」だと叩かれていました。
容器に入れた水に「ありがとう」、「ばかやろう」と書いたラベルを貼って
しばらく放置したのちに凍らせると、その結晶が異なる形になり、前者は美しく、後者は汚く・・・。
そのラベルに書いた言葉のなかには
イエス・キリスト」や「聖母マリア」もあったかと記憶しています。
仮に、この結果自体がトンデモ話だったとしても、
水の記憶や情報転写については、すでにさまざまな研究がなされており、
すべてを否定すること自体は、自由な科学の歩みを止めるものでしょう。

ガイアに繋がる水です。
それが「聖なる存在」のことを記憶しているとしても、
むしろ自然なことではないでしょうか。
そして・・・・
「聖霊」については、特にキリスト教の信者でなくても
心で読むならば、何かしら、うなずけるところがあるのではないでしょうか。

ペンテコステpentecost-titian-sm


http://www.youtube.com/watch?v=gXC32f-P-jI




  

プロフィール

世羽

Author:世羽
心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
すべての人が幸せに
喜びに満ちて生きることができますように祈っています

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