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とことん「聖母」を愛した人・・・その霊性

Posted by 世羽 on 09.2014 聖人からの学び   0 comments   0 trackback
(つぶやき)
当地もかなり雪が降った。

と、なんか、世界的に地下が動いている感覚がしている・・・。


とある太陽の光輪image_convert_20140209163208


(注:以下、イエズスと表記します)


長崎あたりではけっこう知られ、日本にゆかりのある
・・・ポーランドの司祭、聖マキシミリアノ・マリア・コルベ・・・。


コルベ神父近影2imagejpg


アウシュビッツで、とある男性の身代わりを申し出
自らの命を捧げた人として、日本でも一時、話題になりました。
ご存じの方も、けっこうおられると思います。
(書籍もたくさん出ていますので、詳細な内容は、そちらに譲り・・・)


聖コルベの身代わりimage


この聖人の見せた「霊性」
それにもとづく“生き方”にずいぶん教えられたことがあります。

彼は、こよなく・・・というか
もう、猛烈に・・・と言っていいほど
聖母を崇敬し、愛した人でした。

彼は、短い年月ですが、日本(長崎)で暮らし、
宣教生活を送っていたこともあり
「ご絵」にこんなものがあります。


聖コルベのご絵image


左上の聖女は、24歳の若さでこの世を去った
“幼きイエズスの聖テレジア”(リジューの聖テレジア)で、
生前、コルベ神父がこの聖女にたくさんの助けを願っていたことを
記念してのことでしょう。

また、アウシュビッツの鉄条網が描かれ
左下には、日本の象徴のひとつ「富士山」が描かれています。

コルベ神父は幼いころ、親が心配するほどの非常に腕白な少年
将来を危ぶまれていましたが
ある日、とある“神秘体験”をし、態度を一変させることになります。


聖マキシミリアノ・マリア・コルベ(幼少)image


のちにわかったのは
彼が、そのとき聖母の“ご出現”を受けたこと。

そのさい、聖母は白色と赤色の冠を見せ、
「どちらがほしいですか?」と尋ねたようです。
少年だったコルベ神父は、「どちらも」と答えます。

“白”は司祭になること、“赤”は殉教を意味していました。
そして、コルベ神父はその通りの人生を歩みました。


聖コルベの帰天場所image


で・・・

その神秘体験もあったゆえ・・・かもしれませんが

コルベ神父の「神の母」である聖母に対する想い、
特に、「無原罪の御宿り」としての存在に対する崇敬、

不思議のメダイimage


“聖母を通してイエズスへ至る道”を目指す生き方は
峻烈、かつ目を見はるものがありました。


コルベ神父近影3image


ときおり、聖母に対する信心は幼く、
「イエズスをないがしろにするものだ」
批判されることがあります。

でも、特別な想いをもって聖母を崇敬する人がそうであるように
コルベ神父は、けっして神をないがしろにするつもりも
はたまた、聖母を「神」として見ていたのでもありません。

当然、キリスト教の完徳が
「自らの意志を神と一致させること」だと踏まえたうえで、

神に完全に一致していた聖母、その聖母に一致することは
とりもなおさず、神との一致である
・・・そんな霊性を育んでいたようです。


聖コルベのimage


その心の内を、つたない言葉で表すならば、

聖母マリアを、被造物のなかで最高に優れた人・・・もっとも“神に近い人間”としてとらえ
その人に最大の信頼を寄せた・・・
そして聖母を人類の「母」として見ていた・・・

と、言えるでしょう。

コルベ神父は哲学の博士号を有し、非常に優秀で、理性的頭脳の持ち主でした。
しかし、彼は
それをさらに上回る、心の感受性をもち、
その“心”で、聖母の存在とはどのようなものか・・・を
霊的に把握していた
ように思えます。


聖母マリア(無原罪の御宿り)image


おこがましいですが
なんとなくわかるのです。

「神」の存在を知ろうとしても、
人の頭、理性のようなもの
つまり、人間からの一方向的な接近の仕方だけでは限界があって
それを知ろうとするとき、それぞれの魂に応じた
いわゆる超自然的な「恩寵」が必要ではないか・・・と。

ここに、ひとつの“神秘”があるのではないかと。


聖母の御出現(ファチマ)image


今は聖人となったコルベ神父が、こんな言葉を残しています。


人間の心というのはあまりにも大きいので、金銭とか肉欲とか、
人を惑わし、夢中にさせる名声といったものでは
決して満たされることがありません。


人間の心はそういったものより、
もっと高貴で限りのない、永遠に続く善を希求します。
神だけがそういった善なのです。


人間は偉大であること、有名であること、幸福であること、
愛し愛されることを願います。


しかし、この世においては、
いかなる幸福も人間の心を満足させることはできません。
人間は常にそれ以上のことを、さらにもっと多くのことを
願い続けるのです。
人間が最終的に満足するのはいつのことでしょうか。


たとえ人間が最高の幸福に巡り会ったとしても、
その幸福にも限界があることに気づけば
さらにそれをしのぐ幸福を手に入れたいと願うでしょう。
「この限界を神の無限性に入れることができればなあ!」と。


人間はどのような種類の幸福を望んでいるのでしょうか。

人間は、限界のない幸福、
つまり、濃度、広がり、深さ、継続期間、その他のあらゆる点において
限界のない幸福を望んでいるのです。


神だけがそういった幸福であります。
神だけが種々の段階において、
この世の被造物に見られるあらゆる幸福の限りない源泉であります。


ですから、人間は
神ご自身を所有することを望んでいるのです。


しかし、どうすれば
人間は完全な幸福である神を所有することができるのでしょうか。
どうすれば
人間は完全な幸福である神と一致することができるのでしょうか。


わたしたちはできるだけ完全に、無制限に、相手は神であるけれども、
神とひとつにならなければなりません。

(中略)
全能の神の御手から生じている被造物は神に帰っていきます。
そして被造物は神のうちに憩い、
神とひとつになるまでは安らぎを得ることはできません。


限りある被造物としての人間が、完全なものとなり、
神と一致するためには
一歩一歩段階を踏む以外に方法はありません。


人間が神と同化するためには限りない時間、つまり永遠が必要です。
人間は常に限りがあります。
しかし、人間が越えなければならない場所は無限です。
この無限の場所が天国です。

                 (『無原罪の聖母』M・コルベ神父の言葉集より引用)


聖コルベ近影4image


コルベ神父はよく「ベリタス・ウナ」(真理は一つ)・・・と言っていました。

現代における真理とはいったい、
どんなふうに人の心に映っているでしょう。

もし、入り口が少し違っていたとしても
本当に真剣に、至聖なる御者を探すものは
とある天使の名前のごとく
「神を眼に映す者」となり、その真理に導かれていくのではないか・・・
そんなことを感じます。
その道筋は、人のはかれるものではなく、
また、人が人を強固に糾弾できるものでもなく
「神」のみが与えたもうもの・・・だと。

で、さらにコルベ神父の言葉を借りて吐露するなら・・・

「聖母よ、それではどのようにすれば
人はあなたのうちに
あなたを通して神が備えられたことを悟り、
それを言葉で表現することができるのでしょうか・・・」

・・・・・・。


コルベ神父の笑顔image


多くの聖人が、それぞれ“特徴ある霊性”をもって
聖母を愛していました。

(それらの足下にもおよびませんが)
自分も、馬鹿にされようがなんだろうが・・・

心の眼を閉じないで
聖母を「旅路の星」として見つめていたい・・・



聖霊の導きなimage_convert_20140209163941


かな・・・と。







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聖人と天使・・・

Posted by 世羽 on 19.2013 聖人からの学び   2 comments   0 trackback
(つぶやき)この世を生きるとき、模範にしたい人がいるのはありがたいことだ。
自分が見倣おうとしている人たちはみな愛に生きた。
一生かかっても、凡人の自分はできないだろうけれど。
でも、心の奥底ではいつも想う。そうありたい・・・と。

(昨日南大西洋でM7超えが発震。その後、いったん地下の動きが弱まっていた。
が、18日午後から、関東の地下深くがうごめき始めたのを感じている。
先日の関東の動きを超えている。備忘)



ピオ神父様11image


これまで何度か、聖人となったピオ神父のことを書きとめました。

今の世からすれば、ストイック過ぎると感じられ、
敬遠される聖人かもしれません。

ただ、この人の存在からは、
ただならぬ圧倒的な透明感、そして
信仰の強さからきているであろう説得力を感じます。

彼をそこまで育てあげたものが何か・・・は
言うまでもなく“信じる神への愛”かもしれませんが、
それ以上に・・・言葉にできない超自然的な「神秘の賜物」を感じさせられます。


ピオ神父さまimage


聖ピオ神父が起こした不思議な話は
枚挙にいとまがありません。

神父の助力を願うために訪れた人の数も
また彼のもとへ寄せられた手紙、そして感謝の手紙も、膨大です。

確かに、ピオ神父の発現した力は、プチ・キリスト並みでした。

今風に言えば、
バイロケーション、テレパシー、サイコメトリー、クレボヤンス、
リモートビューイング・・・など・など、

ありとあらゆる超常的な能力を兼ね備えていた・・・という感じです。

さらにピオ神父は、
イエズス、聖母マリア、自分の守護の天使、聖フランシスコなど、
愛する存在たちと親しげに会話をする様子が認められています。


ピオ神父様12image


彼は、常人には視えないものを視て、それと語り、
ときに指導を請い、助けられ・・・
一方では、“人を惑わす霊的存在”にも、果敢に対峙していました。


ピオ神父様6image


今の時代に存在を復権してきた「天使」について言えば
ピオ神父にとって「いて」当たり前の存在で、
ときに、知らない言語の翻訳を手伝ってもらったり
まったく、話せない他国の言語での会話を手伝ってもらったり・・・

こうした場面は実に多く
さまざまな証言の記録として残された「有名な逸話」の多くを占めています。

神父はそれこそ、寸暇を惜しまずロザリオをあげ、
その沈黙の祈りの最中に
ときおり、関係ないことをつぶやく様子が目撃されていました。


ピオ神父様10image


たとえば、

「あなたの守護の天使をわたしに送りなさい」

「私が“彼女のために祈る”と伝えなさい」

「私のミサに来るように彼に言いなさい」

「聖母がこの恩寵を彼女に賜ることを、彼女に知らせなさい」


などと、実に色々です。


ファティマの聖母像近影image


はたからすれば、
ただ祈っている・・・としか見えないのに、
ピオ神父からすると、非常に「忙しい」と言うので、
不思議に思った同僚の神父が「どうしてそうなのですか?」・・・と
尋ねたことがあります。


ピオ神父様5image


するとピオ神父は驚いたように、
「守護の天使たちが、私の“霊的子供”たちのメッセージを抱えて
行ったり来たりしているのが視えないのですか?」

と、答えました。

で、同僚の神父は
「一人の守護の天使も視えませんよ。
でも、ピオ神父様は毎日、
人々に守護の天使を送っている・・・そう、おっしゃっておられますから、
私はピオ神父様を信じます」

と答えています。同僚の神父はピオ神父を尊敬していました。

人々がピオ神父に“何らかの切実な助け”を請い、
「“緊急事態に陥っている”と、神父さまに伝えてほしい」・・・と願うと、
その人たちの「守護の天使たち」がピオ神父のもとへやってきて、
ひっきりなしに行列をつくって陳情していた・・・というのです。

しかもこの状態は、しばしば就寝時を過ぎても続き
場合によっては、夜どおしつづくので、
ピオ神父は眠る暇さえなかった・・・
という日が、日常茶飯事だったようです。


いくら聖なる人とはいえ、
肉体を有する人として、そんな状態が辛くないはずがありません。

けれども神父は

彼の師であるイエズスならきっとしたであろうとおりに
万事において、助けを求める人たちをおろそかにせず、
すべての人を助けようとしていました。



ピオ神父様3image


たぶん、このような感覚は
人のために生命を捧げる・・・ということを甘んじて受けられる人にのみ
真意が理解できることなのでしょう。



ピオ神父様2mage


ピオ神父は自分の超自然的な事柄を表沙汰にしたり
話したりすることには非常に慎重で、めったに口にしませんでした。

でも・・・あるとき、こんなことがありました。

ピオ神父に“告解”を聞いてもらうことを望んでいたひとりの神父が、
その告解の時間に間に合わせようと
自分がたてていたミサを急いで終わらせ、
自分の思いを優先させようとしていました。

そのときミサには、彼のほかに神父がもう一人がいて、
まだ御聖体を配っている最中でした。
しかし、先の神父は自分の持っていた御聖体を配り終えたので
とっとと、チボリウム(聖体を入れる器)をきれいにしてしまおう・・・
と考えていました。

そのときのことです。

突然、彼の右側からホスチア(聖体)が出現し、
空中を浮くようにして彼の手にしていたチボリウムのほうへやってきました。
そしてなんと、そのチボリウムのなかへと入ったのです。

とっさに彼は右側を向きましたが、誰もいません。
「控え目に言っても、私にはショックだった」と、
後日になって彼は語りました。

彼は、この出来事をピオ神父に話したのですが、神父いわく
「もっとよく注意しなさい。御聖体を配るときには急いではいけません。
イエズスを落とさないようにしたあなたの“守護の天使”に感謝しなさい」

だそうで・・・。


ピオ神父様8image



生まれて間もない幼子たちが、何もない空中に向かって微笑むことがあります。
その様子を見た誰かが「この子は天使を見ているんだね」と言ったとして
それを口にした人が、本気でそう言っているかどうかはわかりませんが
少なくとも、ピオ神父にとっては、ごく当たり前のことだったようです。

宗教がらみの話になりましたが、
そんな世界もある・・・ということで。

一寸、つけ加えると
別の聖人がこう言っています。

「汚れのない人間の霊魂は、
天使が自らのあらゆる光栄にいるときよりも
もっと美しい」
・・・と。



ピオ神父様7image



ピオ神父様4image


人それぞれにある、尊い「何か」・・・
それが、もっともっと美しいものとなりますように。





      愛とは選びである。
     単なる選びでも、理性的な選びでもない。
     むしろ、嘘やたくらみのない心で
     進んで他者のそばにいたいという気持ちである。


              ―――カーター・へイワード―――



永遠の彼方へimage




その人は・・・チマッティ神父

Posted by 世羽 on 27.2013 聖人からの学び   0 comments   0 trackback
(つぶやき)自分、霊的な向上を目指した師・・・として尊敬する人たちがいる。
ヴィンチェンツォ・チマッティ神父は、その中の一人だ。
(そう言えば、一昔前の呼称は「チマッチ神父」だった。今は「チマッティ」か・・)

・・・と。これで揺れないほうがおかしい・・・というくらい、
地下の唸りが聞こえる。 福島方面の音も混じりはじめた。気温があがらなければいいのだが・・・。

独り見上げる夜空の星image

たぶん、相当な不思議好きか信者さんでなければ、
ほとんど知られていない・・・と思われる
ヴィンチェンツォ・チマッティ神父

チマッチ神父さま御影vincenzo cimatti


自分は、このような人物が日本に来て、自らの生涯を捧げ、
多くの生きる模範を残してくれたことに、
深い感謝の念を抱いています。

*****

1977年11月18日、
チマッティ神父没後12年も経過したときのこと。

調布市にある「サレジオ神学院」の地下聖堂において
ごく普通に土葬されていたチマッティ神父の遺体が、
医師を含む11人の専門調査団によって正式な検案を受けました。

ごく当たり前のように朽ちていた棺の蓋・・・
これが開かれたとき
調査団と、それを見守っていた多くの関係者を驚かせました。

なぜなら、

そこには生前のまま、白く長いあご髭をたくわえ、
少し黄土色になったとはいえ
かすかに微笑むような顔をした、神父の姿があったからです。

神父の手は胸の上で組まれ、ロザリオが握られていましたが
指をほぐそうとしたさい、金属製の鎖部分はバラバラに崩れ
スータンの金属ボタンは長年の腐食によって、脱落しました。

ところが、チマッティ神父の身体は・・・

薄いまぶた、耳から唇にかけての状態は、生前のままでした。
まぶたを開けると、普通にめくることができ、離せば元に戻る・・・。
皮膚全体も弾力性を備え、
指で押すとへこみ、離すと、やはり元に戻る
・・・という具合でした。

アゴの関節も普通に開閉。

肘の関節から指の先にいたるまで、すべて普通に屈伸できました。
身体も「く」の字に曲げることができ、
首も垂れ、足も柔軟性を保っていました。

死後硬直なし、腐敗もせず・・・です。

遺体を持ち上げた医師はこう言いました。
「今、亡くなったばかりの人を抱きかかえたようだ」
「医学的な常識では、とても説明できないことだ」
・・・と。

(以下の動画の、25分過ぎあたりに一瞬、ご遺体が映っており、皆が信心用具を遺体に触れさせています)

チマッティ神父は、今も日本に眠っています。

チマッチ神父の今の棺


生前より、聖人の誉れが噂されていたチマッティ神父
彼はイタリアのファエンツァ出身。6人兄弟の末っ子でした。

彼が幼い頃、イタリアでは聖ドン・ボスコが活躍しており、
チマッティ神父はこの聖人の後に続くようにして、サレジオ会に入会、
神学を学びます。
しかも並行して、世界に名高い「パルマ音楽院」に学び
音楽教授の資格を取得、
そればかりか、トリノ大学で自然科学博士
さらには教育学部で哲学を学び、ここでも博士号をとっています。

チマッチ神父とオルガンimages

イタリアにいた当時から、
神父の優れた生活全般は、人の知られるところとなっており、
ほんとうに数多の逸話が残っています。

それらの記録を詳細に読むと、
神父が有する、傑出した霊性をまざまざと感じさせられます。

ですから、たとえイタリアに居続けたとしても、
きっと「聖なる人」になっていたことは間違いないでしょう。

そんなチマッティ神父が46歳のとき、
辺地への派遣を志願して、日本に来ることになりました。

そのころはまだ、他国との行き来など、そう容易くできるものではなく
海外への派遣は行ったら最後、戻ることはない・・・
というぐらいの覚悟が必要な時でした。

いくら強い意志をもって、同様の任についても
意志だけでは、やり通せない困難・・・というのが色々あるものです。

そんな想いに陥った仲間に、神父はこんなことを言っています。

「日増しに日本を愛し、日本人の心を理解し順応しましょう。
むしろ、それにまったく同化してしまうように努力しましょう・・・

私たちは勉強や交際によって
いっそう日本人の性質と風習を知り、
それに順応していくように努力しなければなりません。

“霊魂を神に導く”という至難な業に成功するには、
まず私たちが彼らのようになり、
その性質や風習をわきまえ、
彼らを大いに愛していることを示さなければなりません。
もし、私たちが本気で自らを日本人化しようと努めないなら、
自分の周囲に溝を作り、布教活動の成果はごく限られたものになるでしょう」


チマッティ神父はけっして、自らの信じるものへの勧誘はしませんでした。
それらは、神がなすことだと知っていたからです。

つまり、チマッティ神父は
人は信仰に対してもまったく自由で、押しつけられるものではなく、
誰よりも自由を尊重しながらも、

多くの人々に、その「望み」を思い起こさせようとしたわけです。

そして、神父の姿を見て、心を打たれて神を知った人、
「神の愛し方」を知った人は、子供から大人まで
ほんとうにたくさんいたのです。

チマッチ神父と子供image

また、チマッティ神父が宮崎に赴任していたさい、
別の、ある神父がこんなことを書き残しました。
「天気が悪く、道は最悪の状態・・・こんな生活をしていたら
神父は飢え死にするのが関の山だ・・・
チマッティ教区長が不在で来られない。
もし苦行をしたい者がいるなら、ここに来ればくればいいだろう」


これは・・・
宮崎の田野町に法光坊というところがあって、
駅から2キロ足らずの場所にあり
晴れた日には、歩いて30分ほどで行けたのですが、
雨の多い日本、その雨がしばしば、道行きを妨げました。

一旦ぬかるむと、そこはものすごい泥道となり、
まったく歩けない状態になり、たどり着くまでの時間が計れない・・・
それほど難儀する場所だったのです。

チマッティ神父は、役職をもつ身でありながら
不平不満一切言わず、
ただ、自分を待ってくれている、ほんのわずかの信徒のために
そこに通っていたわけで・・・。
さらには、
出先で得る、いくばくかのサツマイモを口にできたなら良いほうで、
場合によっては、
何も口に入れず次の場所に向かうことなどしょっちゅうでした。
つまり、代わりの人がそれを体験してはじめて、
チマッティ神父が、どんなに大変なことをしていたかがわかった・・・
という具合です。

大東亜戦争が始まり、日本の戦局が悪化すると
本土での空襲が始まりました。
そのころ、神父は東京にいたのですが
彼は、空襲に動じなかったようです。

警報が鳴ると、周囲の人たちを防空壕に入れ、
恐怖におののく人々を「安心させる」ことに全力を注ぎました。
そして自らはロザリオを片手にし、
防空壕の入り口で、皆を護るかのように立つのが常でした。


戦況は日々悪化し、ついに爆撃機の飛来もはんぱではなくなります。

本土空襲imagephotoB29

頭上の大空で戦う戦闘機も増え・・・・。
防空壕への避難もさらに回数が増えます。
あたりに投下される爆弾。ものすごいものです。

そのような熾烈な状況にあっても、
チマッティ神父は相変わらず防空壕の入り口に立ち、
中の人々が安心し、まるで「天使に護られている」かのような気持ちにさせました。

チマッチ神父さまの祈りimage

そのようななか、
戦闘機などが火花を散らして落下していくのを見ると
敵も味方もなく、
墜落とともに永遠の世界に移っていく見知らぬ飛行士がいる方向へ手をあげ、
十字をきっては、熱心に祈っていた
のです。

ロザリオrosaryimage


こうして神父は、日本人でさえ大変だった戦中時を、
日本人のために身を粉にして働きました。
もちろん「無償」で・・・。

来日してからの、チマッティ神父の生活の姿は、詳細に記録されています。
それらを読むと、神を想う聖なる魂とは何か・・・について
心底考えさせられます。

キリスト教は色々です。
伝統的なキリスト教も、様々な面で欠点を有していることは確かです。
信者でない人たちにつまづきとなる「腐敗」もあります。

それゆえ、うわべだけを見ていると
とかく、非難の的にもなったりします。

ですが・・・。
自分は、そうした中にも、時代が生む「聖人の姿」を視ます。
もし、それすらも悪とするならば
人の世の聖化とは何だ・・・と、改めて問いかけねばならないでしょう。

チマッティ神父は、人のために働いた・・・というより
それは、自らが愛する神のためでした。

「平静に、特に自身をまったく神のみ旨に委ねてしまいなさい。
これこそあなたの生命でなければなりません。
もしも、これが実現できたら、
何事があろうとも恐れることはないのです。
・・・私たちは、イエズスのみ手、いやむしろ、彼の心の中にいるのです」

                               ―――チマッティ―――                        

チマッティ神父という人は
まったくの未信者に、神についてまったく説くことなく
「まるで神を見ているようだった・・・」と言わしめた人でした。

光りへの道image


人は誰でも・・・何を信じてもいい・・・。

でも、その信じるものに、別の誰かを導くとき、
本当に周囲の人を心から愛し、納得させ、感動させ
「神」のような存在へと目を向けさせてくれる人が
どれくらいいるでしょう。

もし今、そのような人が少ないなら、はたまた、いないなら
それぞれが、
そうした傑出した魂をもつ存在として
それをめざすしかないでしょう。

理論は間違うこともあります。忘れられることもあります。

でも、誰かが、別の人に残した、見せた、愛溢れる姿は
きっと、相手の心に残る
でしょう。

もし、これらが神の愛の姿を映すものでないなら・・・
何が、神をこの世に映すというのでしょう。

今どき流行の・・・
神の「名前の別」でもなく、
神の出自でもなく、
神の生まれた星でもなく
未来を予言するような恐ろしい神でもなく
ただ、人の優しさを、愛を引き出す・・・至高の御者。

そんな至高の存在である神を、まこと心が捉えたなら
人は、何が必要で、何が取るに足りないものかを
本当の意味で「知る」ことができるのではないでしょうか。









そろそろ「本気」出したい・・・いや「本音」か

Posted by 世羽 on 16.2013 聖人からの学び   0 comments   0 trackback
(つぶやき)頂き物の紅しょうが味のかっぱエビせん・・・夜食にしながらネットニュースの中に、「ゴリ押し」で名高い剛力某さんの記事をみつけ
●●ちゃんのデビューシングルがなんたらかんたら・・・の記事

「何だかなあ~」と横目で流した(あ・お好きな方には申し訳ありません)・・・
この「自分の姿勢」の・どこが・・・神様の心・愛に近づきたい?・・・という姿なのか・・・。

でも、けっこう、生臭くなくて、修行にはげむまともな聖職者や僧侶の方でないかぎり
普通の人は皆そんな感じだったり?
(とはいえ、本文を「真面目」に書くときはいつも、祈りながら自分なりの真剣モードに切り替えます

世の光image


つねづね残念だ・・・と想っていることがあります。

それは、自分の心で視る「神人」の真の姿が、意外に知られていないことです。

そして、その姿を通り越して、
さまざまな罵詈雑言が重ねて浴びせられているのを目にするとき、
まるで身内に「それ」がなされている感もあります。

わずかながらも・・・自らの力を使いつつ
さまざまな陰謀論や酷評、トンデモ本を読み、ある程度さまざまな聖人を探り、
ニューエイジにもかなり足を突っ込み、地球外生命体の情報も知ったうえで、
自分の心に最後に輝きを残したのは、キリストでした。

ちなみに、その存在に導かれてきた日々のなかで
それに反旗を翻す「霊的な存在」が本当にいる・・・と、「実際に」知りました。
こればかりは、まったく・・・
本を読んだり、人の話を聞いたりするような知識では、わかりません。

そして・・・

カタリナ・エンメリックが視たビジョンにこんなものがあります。
かいつまんでお伝えすると・・・。

最後の晩餐images

食事の終わりにパンをわけ、一つの杯から飲み合うことはすでに、
昔から送り迎えの際、親愛や兄弟のちぎりを結ぶ証しとして行われてきたことだった。
しかしイエズスは今日、これを最高の秘跡にまで高めた。

わたしは主が使徒たちに、晩餐とすべての儀式を説明しておられるのを視た。
それは、司祭が聖なる犠牲の祭式について、誰かを教えているようだった。

主は全く愛そのものになられたかのようだった。
わたしは主がすっかり透き通って
光り輝く影のようになっておられるのを視た。

次に主は、パンを細かく割いて、盤上に積み重ねた。
そして、祈り、かつ教えられた。
主の御言葉はすべて、炎と、光のように、口から出て、使徒たちの中に入っていったが、
ユダだけには入らなかった。

「取って食べよ、これはおまえたちのために渡される私の体である」と言われ、
祝されるように、御手をそのうえで動かされた。

この時、光が主の御体から流れ出て、パンは輝きを放った。
それはまるで、主ご自身をその中に注ぎ込まれたかのようだった。

(ちなみに、ブラック・ミサでは、聖体をこっそり盗みとったりして
それに対して、ありとあらゆる汚聖を繰り広げます)

イエズスとパンindex

・・・それからイエズスは杯(カリス)の両方の取っ手を持ち、
顔の高さまで上げ、ご制定の言葉を言い込められた。
このとき、主はまったく変容され、
お授けになる者の中に、ご自身入って行かれたのだ。


イエズスと葡萄酒eucharist

・・・主はさらに、聖なる種々の奥義について教えられ、
使徒たちが主の記念として、
世の終わりまでこの聖なる秘跡を続けていくよう仰せられた。
さらに儀式と授与の要点を語り、
この秘跡を次々と他の者に伝えていくようにとお話になった。
・・・聖霊が降臨したならば、彼らが自分で聖餐を聖別するように仰せられた。


(このあと、使徒たちに「塗油」し、キリストの祭司が生まれることに)

主はこの印(塗油のこと)は世の終わりまで彼らにとどまるだろうと仰せられた。
わたしは・・・とても言い表すことが出来ないが・・・イエズスがこの塗油によって何か重大なもの、超自然的なものを与えられるのを視た。

主が聖なる晩餐の御制定の際に行われたことは
すべてきわめて秘密のうちに実施され、また秘事として伝えられ、
今日まで教会に存続している。


(キリスト教でも、これらの祭司の在り方の一部を認めていないもの、また聖体を排除した宗派、数多くの、まったくの亜流・新興宗教も生まれていきます)

・・・・で。

キリストはこの後、受難の前、ゲッセマネの園で祈っているとき、
こうしたことがはるか未来にどう伝わり、自分の教えがどのように壊されていくかについて、
時を超え、その全貌を視ることになります。

さまざまな聖職者の離反、汚聖、誤謬、亜種の教えの乱立、数限りない犯罪、
「霊的な悪の存在」の教会への侵入・・・など、ありとあらゆるものを視たのです。

もちろん、今現在、キリストに向けられている色々な評価も当然入っているでしょう。

これは、ゲッセマネで、キリストが血のような汗をながすほどに苦悶した原因のひとつです。
このとき、キリストの神性は一時的に剥奪されたような状態で
ただの「人間」として、
つまり、まったく普通の人として、これら未来の状態を甘受しなければならなかったのです。

自分を殺そうとする人、唾をはく人、あざけり罵る人、そのような人を愛し赦すために・・・。
だからといって「普通の人間」が、進んで命を差し出せるでしょうか。

でも、キリストがこのとき、そうすることで霊的な「解放の扉」の一角が開いたのだとしたら・・・。


近代になってキリストは、カタリナと双璧をなすマリア・ワルトルタ
今、ビジョンを見せるのは、何のためか・・・という理由をいくつか伝えています。

そのうちの一つについて、キリストがこう言います・・・。

この啓示によって、もう一度新たに、教義の超自然性を知らせ、
神聖を有すると同時に、完全な人間であるキリストについての福音書、
使徒行録、使徒たちの手紙が伝えることを確認することである。

私がすべての人間のために与えた福音の普遍性を、世の終わりまで伝えるべく、
新たに想い出させるため
である。


聖書の巻物images

以前書きましたが
キリストも言ったように
こうしたことは、「愛」をもって知るしかない。

これらのことはまた
「心」で知ること・・・。
けれども、知ったからといって、どうこうしろ・・・と、強制されるものではありません。
信じる信じないは、まったく自由な選択なのです。

ですが、ここに流れている「何か」に、自分は高貴なものを感じています。

キリストが何であるか・・・
けっきょくのところ、共に生きた使徒たちにさえわからなかった。
ですから、今の世に生きる人類が、そのすべてを理解できるはずもなく・・・。


そして、それを朧気にでも知って、受け入れたなら
如何に「キリストに倣った生き方」でありつづけるか・・・
が問われる
ことになります。

たとえ、紅しょうが味のかっぱエビせんを食べていても
どうでもいいネットのニュースに眼が動いたとしても

どれほど多くの愛をもって、人に、すべてに、接することができるか・・・が
問題なわけです。

たぶん、本物の能力者なら、聖変化した聖体を視たとき
何かを感じるでしょう。

そして、「本物の愛」をもつ人なら、たとえ宗教が違っても無神論者でも
実際に眼にしてみれば、何かを感じるのではないでしょうか。

これが何よりの、キリストの証しになるかもしれません。

イエズスの羊naturelight04

自分は想います。

「心」が聖なるものを求め、
求めたものが、実際に「心」を浄化し、向上させ、 輝く体験に導くものなら
それは善きものであって、
どんなに他の情報に翻弄されていても、それはいつかどこかで、
何らかの指標となり得る・・・。

だから
自身の心で感じ、視たものが
清浄かつ「悪の誘いや、明かな誤謬」ではない・・・と確信するかぎり

どれほど罵声を浴びせられようが、バカにされようが
勇気をもって
信じるものを追求していって良いだろう・・・と。

目的地は一緒でも、そこにいたるまでのツアー・コ-スは色々ありますし・・・。





平凡かつ何気に「聖なる人の言葉」

Posted by 世羽 on 02.2013 聖人からの学び   0 comments   0 trackback
(つぶやき)土曜の夜・・・また遅くなって、すでに日曜に突入。
ここのところ過度に睡眠不足で、実のところヘロヘロ気味だ・・・。
今の自分はというと・・・まさに・こんな感じ。

だるっ
だるっtimages

ここにくる直前、ネットの時事ネタが2本ばかり目にとまった。
一応貼り付けておくことに。

日本「尖閣は日本の領土だ」→ 中国「それは認めない。しかし台湾の日本統治を認める」→ お前ら「?」


安倍首相「森元首相が公邸でお化けの足を見たらしい」

(何かけっこうな強さで、北と東から音が響いている)

黄金の光images

本日は超クソ真面目に
「聖なる人の言葉」をつづっておきます。
もとは、キリスト教関連の言葉・・・です。
が・・・
ところどころの「神」の名前などを
皆さんの信じる「何か」に置き換えても読めると思いました。
(本当の神様であれば、上は通じているでしょうから、きっとOKを出してくれるかと)

提示された「霊性」が本物で、そこに真実があれば
何かしら、共通して学べるところがあると思います。
(注:以下はおそらく、「内なる神性」と「自我」の一致ということで読めるでしょう)

地下鉄ラッシュindex

父よ、わたしの心を広くしてください
わが神、万人の父よ、今私は地下鉄に乗っています。
詰め込まれる人、押し出される人、黙り込んでいる人。
重苦しい沈黙
群衆の砂漠、愛の砂漠。

父よ、私のなかに住んでおられる聖霊は
これらすべての人に、あなたの愛を伝えることをお望みです。
私にも、あなたにとっても、これほど近い人々に・・・。

私の心の覆いが、あなたの障害となりませんように。
私の眼、私の手、私の口はあなたのもの。
私はすべて、あなたのもの。

私の眼の前にいる女の人は非常に悩んでいます。
父よ、私の眼を用いて、彼女に微笑みかけてください。

この子供の顔色は蒼白く、土色でさえあります。
どうぞ、私の眼を用いて彼を見つめてください。

この男の人は疲れ切っています。
私の口を用いて、座って休むよう彼におっしゃってください。

この男の子は無気力で、言うことを聞きません。
私の心を用いて、限りなく彼を愛してください。

父よ、私の心を広くしてください。
私が皆に、あなたの愛をもたらし
砂漠に花を咲かせますように。
            ――――マドレーヌ・デルプレール――――



私に自由な心をお与えください
哀れみ深い父よ
あなたの喜ばれることを熱望し
叡智をもって、み旨を求め
真心こめて、み旨を認め
完全に、み旨を果たし
御名に、誉れと栄光を帰する恵みをお与えください。

しばしば心をあなたに挙げ
過ちに陥るとき、心から悔やみ
私自身を矯(た)め直すすべを教えてください。

いかなる無益な考えによっても
あなたから離れることのない気高い心
いかなる激烈な欲望によっても
打ち負かされることのない自由な心を私にお授けください。

私の父である神よ
あなたを探し求める知性を
あなたを見いだす智慧を
あなたに喜ばれる生き方を
信頼をもって、あなたを待ち望む忍耐を
そしてやがて死を迎える日、天のふるさとにおいて
終わることのない喜びのうちに
あなたに抱かれる恵みをお与えください。
               ――――聖トマス・アクィナス――――


そして・・・。

喜んで行い
そして・・・
行ったことを喜べる人は
幸福である          ――――ゲーテ――――


天をあおぐoriginal_0

さて、自分はどうか・・・。

おちゃらけながらも、けっこう真剣だったりします。

そして、祈ります・・・。

皆さんの一日一日が、さらに充実して
ますます「心」が輝きますように。
ご家族とともに、幸せでありますように。



http://www.youtube.com/watch?v=jRWMvj-oimk




  

プロフィール

世羽

Author:世羽
心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
すべての人が幸せに
喜びに満ちて生きることができますように祈っています

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