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二つに分かれたかもしれない「民」・・・まずは役小角のあたりから

Posted by 世羽 on 31.2013 歴史もの   0 comments   0 trackback
(つぶやき)古来、神道の修行などには潔斎(心身を清めること)
禊祓い(水で清め祓うこと)といった作法があった。
これは、神に向かうときにも同じだった。

神道、特に古神道を知る人なら「赤心」(清明な心、真の心)を知っている。

汚れた(気枯れた)心では、どのような行法をなしたとしても
その深奥に達すること叶わず・・・と言われてきた。

だから、あの本田親徳(ちかあつ)はこう言った。
「霊学は浄心を以て本となす」と。

今、チャネリングでもって
「神の名」を出してその言葉を伝える人たちに、
この矜恃、どれくらいあるのだろう・・・。

と・・・。何がどうなっているか・・・と口に出るほど、下の動きが凄い。
豪雨の被害を受けた方たちもたくさんいるときだ。ともかく、無事を願う。

ニューエルサレムのimage


一つ前、日本の心に見え隠れする精神性を書いてみました。
そして今、もう少し前の時代に遡ってみることに。

*****

話しは、今こそすっかり有名になった
「天河神社」(大峰本宮天河大弁財天社)から始まります。

この神社・・・以前は人知れず歴史に眠っていた神社でした。

天河神社image

どうして今のように有名になったか・・・という、
現代における「不思議ないきさつ」は、
これまで色々な方々が書いたりしているでしょうし、省きます。

社伝にあるとおり、
ここは、役小角(役行者)が勧請した弁財天を祀っており、
天河社と役小角とは深い繋がりがあります。

役行者彫像image

また神武天皇の御代には、天皇がこの地に詣でられて、
「日本」(ひのもと)という言霊をたまわった・・・とも
されているところです。

さて、これがなんでユダヤと関係が・・・となるわけですが。

役行者が「山伏の祖」と言われ、
山伏のいでたち、とくに 頭襟やホラ貝を吹く様などがユダヤと似ている点は
あまりに有名です。

ヒラクティリーimage

山伏image

一方、役行者の出自はというと
「役の優婆塞は賀茂役君、今の賀茂の朝臣なり、
大和国葛木上郡茅原村の人なり」
(日本霊異記)     
とあり

この伝え書きがどこまで信用できるか、難があるとしても
火のないところに煙りはたたず・・・精神で読みとくなら
この「賀茂氏」は、古代大和朝廷の「祭祀族」で、
元をさらに辿ると、なんと国津神系の氏であることが確認できます。

で・・・。
「あれ?」・・・と思われる方もおられるでしょう。

そう

ユダヤ話を巻き込んでの、天津系と国津系の対立で言うなら
天津系は「ユダヤの失われた支族」の系列に繋がるともされ
それが国津系である縄文人を追い出した・・・という構図が
おかしな具合になるのです。

国津系につながる役行者が、とても「ユダヤっぽい」からです。

ちなみに役行者のご母堂である「刀良売」という女性にしても・・・
白専女と呼ばれていますが
何か、日本人らしくない感じもします・・・。

白専女image

役行者の母とらめimage


現在に連なる天皇家も
決して国津系の民を排していたわけでなく
かつては、葛城和珥(和邇/わに)といった
「先住系」の人と婚姻関係を結んでいます。

そして、現在の神道に関わるかもしれない・・・と噂されている
ユダヤとのつながりは
過去にいくほど深い繋がりを見せ、
しかも先住系とされる国津系にさえ、つながりがあった
ことも
こうして、推測できたりするわけです。

面白いことに

役行者の生きた頃というのは、
仏教が入り、勢いをもって布教が始まったころで
布教された場所には、
不思議にも、けっこう上古からの神道の聖地があって、
役行者はその前に、それら聖地を巡っています。

まるで、仏教からそれら聖地を護るかのように・・・。

それも、流布を止めることができない仏教に
神道の霊性を押し込むかのような感じで・・・。

以後の仏教は、山岳神道と結びついた、
神道化された仏教の姿として、日本独自の形をとるようになった・・・とさえ
言えるかもしれません。

ご存じのとおり、
役行者は四国の山々を霊峰として開きました。

そして弘法大師空海がまた、
それらを護るかのように
八十八箇所の霊場を定めて結界を張ったのです。

ここは、ソロモンの秘宝が隠されているかも?・・・などと
言われている場所でもあります。

なにやら、視えない次元で繋がっているかのような行動です。

で、先にも書いたように
神武天皇は、天河の地で「日本」という言葉をたまわった・・・。


バラバラに見ると、何がなんだかわからないのですが
一つに繋げて見ると
ぼやけてはいますが
「浮かんでくる」ことがあります。

いわゆる征服した民と、征服された民が、
深いところで繋がっており、
必ずしも「敵対していたわけではない」可能性がある・・・ということです。

もし、そうだとすると・・・
今、世間で言われている
甦る神・・・とは何か?・・・にも
深い意味が生じてくる。

銀河image


あ・・・。すみません。
ちょっと、最後まで書ききれません!

上手く「オチ」まで持っていけるかも、おぼつかないですが・・・。

つづきは次回に。





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日本人の心に受け継がれているもの

Posted by 世羽 on 29.2013 歴史もの   0 comments   0 trackback
(つぶやき)決して他国を愚弄する気はなく、張り合うつもりもない。
でも、日本の「伝統でないもの」が日本文化のように普及されるの知ると
少し複雑な気持ちになる。この記事などもそうだ。

「ねずさんのひとりごと」から
おかしなアノお辞儀は・・・

こうした複雑?な気持ちを、完全放逐するには、
凡人の自分・・・時間がかかりそうだ。

夜空の輝きと親子imagejpg


今の時期、日本人として生まれていることは
ある意味、ものすごいことです。

それは、特別日本が優れている・・・という意味ではなく
あの、原爆投下に始まり、幾多の震災原発事故を経験し
そうした状況に遭遇することを「善し」として生まれているからです。

こんな話しがあります。

「太古、この世界に少し背の低い、異星の民が降り立った。
そのとき、すでに色々な異星の民もおり、
そこでは交易も行われ、ときに小さな小競り合いもあった。
小さな姿の星の民は、
自分たちのことよりも、他者のことをまず第一に考えた。
周囲の者たちのために、我が身の犠牲すらものともしない、
心豊かな民だった


出典不詳の文言で申し訳ないのですが、この記述を見ると・・・
関係ないのでしょうが、なぜか「日本人」を想起してしまいます。

(以前にも書きましたが)
あの大戦に敗北したとき
当時の天皇陛下が
「我が身はどうなっても構わないから、国民を助けてください」
と仰有られ
「命乞い」に来たのだろう・・・と見下しながら 接見に臨んだアメリカ側を驚かせた
・・・という「史実」が頭に入っているからかもしれませんが・・・。

天皇陛下とマッカーサーimage

幕末から明治にかけて、
日本がどんな国か、詳しく世界に知られていなかったころ
日本を訪れた欧米人が
こんなことを言い残したようです。

「けっして豊かとは言えないが、幸せそうだ・・・」
「貧しくても、幸せそうだ・・・」


当時の日本人は、それほどお金や名声に囚われることなく
自分の家や近所、友人たちとの 
親しい繋がりなどに、
ことのほか
単純な安らぎ、幸福を感じていたようです。

批判する見方もありますが、
こうした国民の心持ちは「トクガワ・ジャパン」と呼ばれた
250年の統治下での、
ゆるい「平和なひととき」が生みだしたのかも・・・などと考察されてもいます。

小さな、衝突はそこ・ここに多々あっても、
日本人はそのころ、けっこう幸せだったわけです。

その平和のなかで、それなりに独自の科学研究も進んでいました。
数学にしても、天文学にしても、その他諸々にしても
文献を見ればよくわかります。

関孝和の起こした和算をもとに、庶民が難解な数学パズルを楽しんでいたほど
日本人は生活のなかで、ごく自然に学んでいたりしました。

(とあるブログからお借りしました。ありがとうございます)
関の数学image

時の流れのなかで開国となり、西洋の文化に浸かり
幾多の「大戦」を通り過ぎた日本。

そして現代、
文明や科学の水準は上がりましたが
そこで失われたものも確かにありました。

かつての日本人はけっこう、「美」の追求をしており
これは、汚(けが)れを嫌う気質というか、
日本人独特の「美」意識、
それが、道徳の規範さえ、なしていただろう・・・と言われています。

どういう事かというと

「嘘」をついたら、美に沿いません。
やましいことをしたら、美に沿いません。
人を傷つけたり裏切ったりしても、美に沿いません。

男性も女性も、慎みを重んじ
奥ゆかしさや、貞潔ということにも「敏感な感性」を育み
そうした心持ちのなかに、生きることにおける「美」を見出していた・・・ということで。

日本女性の美しさimage

明治の美しい人image


さて

今は・・・。

何やら、そうした「美」意識が崩壊の憂き目にあっている・・・かのように映ってみえるのは、
頭の旧い自分のような人間ぐらいでしょうか。

個々の楽しみ、喜びを追求する影で
「自分は、自分は」と言う言葉が、聞こえてくるように想うのは
気のせいでしょうか。

明治時代、日本を訪れたイギリスの詩人エドウィン・アーノルドは
日本を評してこう言ったそうです。

「地上で、天国あるいは極楽にもっとも近づいている国だ。
その景色は妖精のように優美で、その美術は絶妙。
神のようにやさしい性質はさらに美しく
その魅力的な態度
礼儀正しさは、
謙遜であっても卑屈に堕することなく、精巧であるが飾ることもない。
これこそ、
人生を生き甲斐あらしめるほとんどすべてのことにおいて
あらゆる他国より、日本を一段と高い位置に置くものである」


明治の庶民の笑顔image

こうした日本人の姿、本当は今も、その心に受け継がれているはず。

子供と夜空image


そんな日本はどこに行った・・・と言いたくなる時もありますが
まあ、嘆くより
今いる場所で、
「さらに美しい日本」を、こつこつ形創っていくほうがいい・・・ですね。

ちょっとした自戒もこめて。





昔の武士もさることながら、女性・・・妙に美しい・・・ような?




その人は・・・チマッティ神父

Posted by 世羽 on 27.2013 聖人からの学び   0 comments   0 trackback
(つぶやき)自分、霊的な向上を目指した師・・・として尊敬する人たちがいる。
ヴィンチェンツォ・チマッティ神父は、その中の一人だ。
(そう言えば、一昔前の呼称は「チマッチ神父」だった。今は「チマッティ」か・・)

・・・と。これで揺れないほうがおかしい・・・というくらい、
地下の唸りが聞こえる。 福島方面の音も混じりはじめた。気温があがらなければいいのだが・・・。

独り見上げる夜空の星image

たぶん、相当な不思議好きか信者さんでなければ、
ほとんど知られていない・・・と思われる
ヴィンチェンツォ・チマッティ神父

チマッチ神父さま御影vincenzo cimatti


自分は、このような人物が日本に来て、自らの生涯を捧げ、
多くの生きる模範を残してくれたことに、
深い感謝の念を抱いています。

*****

1977年11月18日、
チマッティ神父没後12年も経過したときのこと。

調布市にある「サレジオ神学院」の地下聖堂において
ごく普通に土葬されていたチマッティ神父の遺体が、
医師を含む11人の専門調査団によって正式な検案を受けました。

ごく当たり前のように朽ちていた棺の蓋・・・
これが開かれたとき
調査団と、それを見守っていた多くの関係者を驚かせました。

なぜなら、

そこには生前のまま、白く長いあご髭をたくわえ、
少し黄土色になったとはいえ
かすかに微笑むような顔をした、神父の姿があったからです。

神父の手は胸の上で組まれ、ロザリオが握られていましたが
指をほぐそうとしたさい、金属製の鎖部分はバラバラに崩れ
スータンの金属ボタンは長年の腐食によって、脱落しました。

ところが、チマッティ神父の身体は・・・

薄いまぶた、耳から唇にかけての状態は、生前のままでした。
まぶたを開けると、普通にめくることができ、離せば元に戻る・・・。
皮膚全体も弾力性を備え、
指で押すとへこみ、離すと、やはり元に戻る
・・・という具合でした。

アゴの関節も普通に開閉。

肘の関節から指の先にいたるまで、すべて普通に屈伸できました。
身体も「く」の字に曲げることができ、
首も垂れ、足も柔軟性を保っていました。

死後硬直なし、腐敗もせず・・・です。

遺体を持ち上げた医師はこう言いました。
「今、亡くなったばかりの人を抱きかかえたようだ」
「医学的な常識では、とても説明できないことだ」
・・・と。

(以下の動画の、25分過ぎあたりに一瞬、ご遺体が映っており、皆が信心用具を遺体に触れさせています)

チマッティ神父は、今も日本に眠っています。

チマッチ神父の今の棺


生前より、聖人の誉れが噂されていたチマッティ神父
彼はイタリアのファエンツァ出身。6人兄弟の末っ子でした。

彼が幼い頃、イタリアでは聖ドン・ボスコが活躍しており、
チマッティ神父はこの聖人の後に続くようにして、サレジオ会に入会、
神学を学びます。
しかも並行して、世界に名高い「パルマ音楽院」に学び
音楽教授の資格を取得、
そればかりか、トリノ大学で自然科学博士
さらには教育学部で哲学を学び、ここでも博士号をとっています。

チマッチ神父とオルガンimages

イタリアにいた当時から、
神父の優れた生活全般は、人の知られるところとなっており、
ほんとうに数多の逸話が残っています。

それらの記録を詳細に読むと、
神父が有する、傑出した霊性をまざまざと感じさせられます。

ですから、たとえイタリアに居続けたとしても、
きっと「聖なる人」になっていたことは間違いないでしょう。

そんなチマッティ神父が46歳のとき、
辺地への派遣を志願して、日本に来ることになりました。

そのころはまだ、他国との行き来など、そう容易くできるものではなく
海外への派遣は行ったら最後、戻ることはない・・・
というぐらいの覚悟が必要な時でした。

いくら強い意志をもって、同様の任についても
意志だけでは、やり通せない困難・・・というのが色々あるものです。

そんな想いに陥った仲間に、神父はこんなことを言っています。

「日増しに日本を愛し、日本人の心を理解し順応しましょう。
むしろ、それにまったく同化してしまうように努力しましょう・・・

私たちは勉強や交際によって
いっそう日本人の性質と風習を知り、
それに順応していくように努力しなければなりません。

“霊魂を神に導く”という至難な業に成功するには、
まず私たちが彼らのようになり、
その性質や風習をわきまえ、
彼らを大いに愛していることを示さなければなりません。
もし、私たちが本気で自らを日本人化しようと努めないなら、
自分の周囲に溝を作り、布教活動の成果はごく限られたものになるでしょう」


チマッティ神父はけっして、自らの信じるものへの勧誘はしませんでした。
それらは、神がなすことだと知っていたからです。

つまり、チマッティ神父は
人は信仰に対してもまったく自由で、押しつけられるものではなく、
誰よりも自由を尊重しながらも、

多くの人々に、その「望み」を思い起こさせようとしたわけです。

そして、神父の姿を見て、心を打たれて神を知った人、
「神の愛し方」を知った人は、子供から大人まで
ほんとうにたくさんいたのです。

チマッチ神父と子供image

また、チマッティ神父が宮崎に赴任していたさい、
別の、ある神父がこんなことを書き残しました。
「天気が悪く、道は最悪の状態・・・こんな生活をしていたら
神父は飢え死にするのが関の山だ・・・
チマッティ教区長が不在で来られない。
もし苦行をしたい者がいるなら、ここに来ればくればいいだろう」


これは・・・
宮崎の田野町に法光坊というところがあって、
駅から2キロ足らずの場所にあり
晴れた日には、歩いて30分ほどで行けたのですが、
雨の多い日本、その雨がしばしば、道行きを妨げました。

一旦ぬかるむと、そこはものすごい泥道となり、
まったく歩けない状態になり、たどり着くまでの時間が計れない・・・
それほど難儀する場所だったのです。

チマッティ神父は、役職をもつ身でありながら
不平不満一切言わず、
ただ、自分を待ってくれている、ほんのわずかの信徒のために
そこに通っていたわけで・・・。
さらには、
出先で得る、いくばくかのサツマイモを口にできたなら良いほうで、
場合によっては、
何も口に入れず次の場所に向かうことなどしょっちゅうでした。
つまり、代わりの人がそれを体験してはじめて、
チマッティ神父が、どんなに大変なことをしていたかがわかった・・・
という具合です。

大東亜戦争が始まり、日本の戦局が悪化すると
本土での空襲が始まりました。
そのころ、神父は東京にいたのですが
彼は、空襲に動じなかったようです。

警報が鳴ると、周囲の人たちを防空壕に入れ、
恐怖におののく人々を「安心させる」ことに全力を注ぎました。
そして自らはロザリオを片手にし、
防空壕の入り口で、皆を護るかのように立つのが常でした。


戦況は日々悪化し、ついに爆撃機の飛来もはんぱではなくなります。

本土空襲imagephotoB29

頭上の大空で戦う戦闘機も増え・・・・。
防空壕への避難もさらに回数が増えます。
あたりに投下される爆弾。ものすごいものです。

そのような熾烈な状況にあっても、
チマッティ神父は相変わらず防空壕の入り口に立ち、
中の人々が安心し、まるで「天使に護られている」かのような気持ちにさせました。

チマッチ神父さまの祈りimage

そのようななか、
戦闘機などが火花を散らして落下していくのを見ると
敵も味方もなく、
墜落とともに永遠の世界に移っていく見知らぬ飛行士がいる方向へ手をあげ、
十字をきっては、熱心に祈っていた
のです。

ロザリオrosaryimage


こうして神父は、日本人でさえ大変だった戦中時を、
日本人のために身を粉にして働きました。
もちろん「無償」で・・・。

来日してからの、チマッティ神父の生活の姿は、詳細に記録されています。
それらを読むと、神を想う聖なる魂とは何か・・・について
心底考えさせられます。

キリスト教は色々です。
伝統的なキリスト教も、様々な面で欠点を有していることは確かです。
信者でない人たちにつまづきとなる「腐敗」もあります。

それゆえ、うわべだけを見ていると
とかく、非難の的にもなったりします。

ですが・・・。
自分は、そうした中にも、時代が生む「聖人の姿」を視ます。
もし、それすらも悪とするならば
人の世の聖化とは何だ・・・と、改めて問いかけねばならないでしょう。

チマッティ神父は、人のために働いた・・・というより
それは、自らが愛する神のためでした。

「平静に、特に自身をまったく神のみ旨に委ねてしまいなさい。
これこそあなたの生命でなければなりません。
もしも、これが実現できたら、
何事があろうとも恐れることはないのです。
・・・私たちは、イエズスのみ手、いやむしろ、彼の心の中にいるのです」

                               ―――チマッティ―――                        

チマッティ神父という人は
まったくの未信者に、神についてまったく説くことなく
「まるで神を見ているようだった・・・」と言わしめた人でした。

光りへの道image


人は誰でも・・・何を信じてもいい・・・。

でも、その信じるものに、別の誰かを導くとき、
本当に周囲の人を心から愛し、納得させ、感動させ
「神」のような存在へと目を向けさせてくれる人が
どれくらいいるでしょう。

もし今、そのような人が少ないなら、はたまた、いないなら
それぞれが、
そうした傑出した魂をもつ存在として
それをめざすしかないでしょう。

理論は間違うこともあります。忘れられることもあります。

でも、誰かが、別の人に残した、見せた、愛溢れる姿は
きっと、相手の心に残る
でしょう。

もし、これらが神の愛の姿を映すものでないなら・・・
何が、神をこの世に映すというのでしょう。

今どき流行の・・・
神の「名前の別」でもなく、
神の出自でもなく、
神の生まれた星でもなく
未来を予言するような恐ろしい神でもなく
ただ、人の優しさを、愛を引き出す・・・至高の御者。

そんな至高の存在である神を、まこと心が捉えたなら
人は、何が必要で、何が取るに足りないものかを
本当の意味で「知る」ことができるのではないでしょうか。









普通でないことが起きて有名になった人

Posted by 世羽 on 25.2013 不思議考   0 comments   0 trackback
(つぶやき)涼しくて助かった。
でも、これを読んだら汗が出た。どうしても無理!・・・絶対に自分は無理!
味はバッチリ コオロギでできた栄養食品が米で販売拡大中

本文前に・・・さらにプラス。今日は気になる話題が多い。

013年07月24日 21:19 | 痛いニュース ・ 海外NEWS  “中国・韓国連合”襲来? 日本の尖閣侵攻へ中国武装民兵50人が準備

米国 「もう韓国は見捨てる。米軍は撤退。韓国は自力で戦えよ」

日本の”ホーム救出劇”に称賛、中国人「我が国なら笑われて終わり」



20130724夜の星とimage

一昔前、精神を鍛えて宙を飛んでどうのこうの・・・
そんな時期があったりしました。

でも、それはたいてい、目立ちたいための大嘘だったり
大悪人だったり・・・

それらにいとも簡単に騙される人もおり
(今もそうでしょうが・・・)
結局のところ、うさんくさい、与太話で幕を閉じる結果となりました。

でも、調べてみると
本当に?・・・という稀なケースもけっこうあったりします。


かつてのロシア。
ヴァーツラフ・フォミッチ・ニジンスキーという
超有名な舞踏家(バレエ・ダンサー)がいましたが・・・
(ニンジン好き・・・ではなく、ニジンスキーさんです)

ニジンスキー近影image

このニジンスキーは、驚異的な脚力をもっていて
『まるで空中で静止したような』跳躍、中性的な身のこなしなどにより伝説となった・・・と言われています。

そうなのです。

彼は、助走もなく1メートル以上の高さに飛び上がると、
その空中で、しばし静止したようです。
もちろん、ずっと・・・というわけではありませんが。

それでも常人から見ると「異常な滞空時間」だったようです。

ニジンスキー空を飛ぶimage

あるとき、ニジンスキーは
「どうしてそんなことができるのです?」と質問され
こう答えました。

「ほかの人がどうしてできないかが、むしろわかりません。
自分はただ飛びあがって、息を止めたら、そこに静止するだけなんです。
空中にいても安定が保たれていて、
何かに支えられている感じがします。
そこから下に降りるときも、その速さは自在で、
ゆっくり降りることも、すごく速く降りることもできます」


そして、
「こんなに素晴らしい踊りを、自分自身が見られないというのはなんと残念なこと」
という妻に
「いや、私は見ているよ。
なぜって、自分から離れて自分の外にいるから・・・。
私は、外側から自分を踊らせているんだ」


・・・・・・。

残念なことに、彼は後年、精神を病んで薬づけとなり
二度と復帰することが叶いませんでした。

彼はウクライナ出身
・・・そうです。
超能力者を多く輩出することで、けっこう知られている場所です。
もしかすると、精神の力を使い過ぎた?・・・などという考えも浮かぶ事例です。


一方、

「翼よあれがパリの灯だ」・・・という名文句を残した
チャールズ・オーガスタス・リンドバーグ.

リンドバーク近影image

もちろん、彼を有名にしたのは
1927年に「スピリット・オブ・セントルイス」と名づけた単葉単発単座のプロペラ機でニューヨーク・パリ間を飛び、大西洋単独無着陸飛行に初めて成功。1931年には北太平洋横断飛行にも成功した・・・という偉業です。

リンドバークの飛行image

今ではこの人の本を読む人もいないでしょうが
彼が大西洋を横断したとき
異次元の存在と遭遇した逸話が残っています。

今なら、あっという間に飛んでしまう距離でも、
リンドバーグが飛行した当時は「40時間」あまりを要しました。

その間、操縦士は彼ひとり。
自動操縦もありませんから、当然眠ることができません。
それは、命がけでもありました。
加えて、リンドバーグは、
機体を軽くするためにパラシュートさえ積んでいませんでした。
つまり、落ちたら、それまでよ・・・だったのです。

その眠気に襲われていたときのこと。

リンドバーグは、自分のまわりに「精霊」のようなものがたくさん集まっているのに気づいたのです。
ちなみに、このときのリンドバーグは
「頭すべてが眼になったかのようで、360度方向すべてを見渡せた」そうです。

で、この精霊たちは、
非常に親しみを覚える存在で、
飛行機を自由に出たり入ったりし、宙に浮き続けていたりしました。

しかも、彼らは
リンドバーグが話すのと同じ言語を用いて、
当時の飛行機エンジンの騒音を上回る大声で話しかけてきたのです。

そして、この存在たちは、リンドバーグに
今回の冒険飛行について、非常に専門的なアドバイスを与え、
飛行そのものに協力し、飛んでいるあいだじゅう彼を励まし続けました。

リンドバークいわく
それだけではなくて、普通に生活をしていたらとても聞けない、知識の講義もしてもらって・・・それで、今回の偉業が成し遂げられた・・・と。

翼よあれがパリの灯だimage

また彼は、こうも書き残しています。

「いくたびも危機に遭遇して、長時間疲労しきったあと、
心と肉体が離ればなれになるように思われ、
その二つは、完全に異なるものだと思えることがよくある。

それはあたかも、肉体と心のあいだの繋がりはあるけれど、
その二つが決して結びついているというわけではなく、
肉体は一つの家にすぎないように思われるのだ。

意識はだんだん通常の感覚を離れ、
目の助けを借りなくても、水平線のはるか彼方まで見通せた。
肉体が心と何の関係もないように思われる瞬間があったのだ。

私は自分の身体から分離されたように、
時間や物質に妨げられることなく、地上を超えて空間の中を大空に向かっていくようだった。

もう肉体に気を配る必要はなく、空腹も暑さも寒さも感じない。
何も思い煩うことのない状態に身をまかせている。

ではなぜ私は、肉体をここまで運んだのだ?

この肉体を、ロングアイランドかセントルイスに残してきて、
そのなかに生きるこの無重力の要素だけで空を翔け、地球を眺めれば良かったのだ。

この旅には肉体は必要ない。
飛行機も、エンジンも、計器類もいらず、
必要なのはただ、肉体からの解放だけなのだ


夜の星々とimage


極限状態がトリガーになって、こうした状態になった事例は
調べれば今でも、たくさんあります。

そして、この「肉体からの解放」という言葉には、体験した人だけが知り、
言い得る重みがあります。

極限状態・・・
そうでなくとも、こうした状態は引き起こせますが
その体験は、心に残す印象を二手に分けるかもしれません。

とても良い気分か、もしくは最悪か・・・。

あまり語られることがありませんが
こうした体験をするときの心と魂の状態が、
実はとても大事だったりするのです。


だからこそ、稀代の師たちは言います。
内なるものを清浄に保て!・・・と。

皆さんも、いつの日か、似た体験をするかもしれません。

そのときはぜひ、体験が輝かしい栄光あるものとできますように。



実際の人間の友だち、視えない友だち・・・本当の友達がいるということは
いいことですね。






この「青い星」の姿は・・・

Posted by 世羽 on 24.2013 科学とスピリチュアル   0 comments   0 trackback
(つぶやき)先日、北の方角・・・三陸側方面からの音が続いている・・・ とメモって、23日に福島方面で数回揺れた。でもまだ、かなりの音が続いている。
本体が動いていないのか、関東にいる自分の近場か・・・。判断に迷う。

次元のimage

今でこそ
NASAが地球の写真を撮りまくり・・・。

宇宙空間から眺めた地球の写真は、
人々の脳裏に焼き付いているでしょう。

とはいえ
衛星写真が撮られ始めた初期のころは
なぜか、
今見るような感じの地球ではなく
生命の痕跡すら感じられない、
実に殺伐とした地球が映し出されていました。

・・・あの青い星はどこに行った・・・という感じです。

ちょうど同時期、
地球の磁気異常エリアでは、人・船舶・航空機などの消滅が頻繁に起きて、
「なぜ、そんなことが起きるのか」と、かなりの話題になってもいました。

時が進み、その現象がおさまると

それまでポツリポツリとしか姿を見せずにいた未確認飛行物体が
猛烈な勢いで飛ぶようになり
目撃される回数も増え
光学機器の発達とともに、激写されるまでになりました。

そして現在・・・意識上で、また物理的に、
いわゆる異星の民と称する存在とのコンタクトが行われている・・・
と言われるようになったわけです。

この流れのなかで
注目に値する、いくつかのことが起きています。

まず、いくら過去とはいえ、写真の映し出す風景は
そこに実際あるものであれば、モノクロかカラーかは別にしても
同じものが映るはずです。
でも、ほんのちょっと前に、そうならない時期があった・・・。


(穴などは「今でも」しばしば・・・・)

地球の妙な写真image2

地球の妙な写真image

また、
あまり知られていないかもしれませんが
地球の有人宇宙船が地球の周囲を飛び始めたころ・・・

地球軌道上に送り出された旧ソ連の宇宙飛行士2名が、
乗船していた船ごと消滅してしまった・・・という事件がありました。

このときはまだ、世界が東西の冷戦状態にあった時代でしたから
旧ソ連の通信内容は、情報戦争のかねあいもあって
西側陣営に傍受されていたのです。

その傍受内容によれば

2名の宇宙飛行士を乗せた宇宙船は、正体不明の特殊な領域に侵入してしまい、
そこから脱出できなかった
・・・ようです。

「もし、ここから脱出できなければ、世界は何も知りえない。
でも、それ(脱出)は、難しい」

・・・彼らが残した言葉です。

そして今は、不思議なほど、この手の消滅事件が減少し
ほとんど無きに等しいものとなりました。

『ドジャンの書』などをさぐると
こんなフレーズがあります。

「光の王たちは、怒りのあまり立ち去り
人々の罪があまりに邪悪になって、地球は悲しみに震えていた・・・
空色の座は開いたまま・・・
人々は大洪水によって大地から運び去られ、吸い込まれ、
空中に雲散した北と東の国に行ってしまった・・・・」


(ちょっと資料名を失念したのと、手元の資料がみつからず
確認しないまま以下に書きますが)

別の話しでは
このとき、多くの人、そして大地が空間へと消滅した・・・と、
記されてあったと記憶しています。

この世から姿を消した側が今の地球か
残ったほうが今の地球か・・・が、論議を呼ぶところです。

それにしても

ヒトラーは生前、宇宙の多元論について語りましたし
「時間の流れも空間も異なる地球」について、度々口にし、
「時間のちょうつがい」を開く・・・と言ってはばかりませんでした。

そしてそれを、どんな手を使っても成し遂げようと
あらゆる手段を駆使して、試みていたわけです。

次元の狭間をくぐり抜けて来訪しているとされる未確認飛行物体。
消滅した人・船・航空機・・・そして大地。

つきつめれば
この地球全体がすっぽりと「とある何か」に覆われていて
それが時折、裂け目を生じているのがよくわかります。

いったん不安定になることで
人類に、
また、特に古からのつながりのない別の星の住人にも見出された
この地球と、別の姿をした地球

そこには確かに、いくつもの次元の障壁がある・・・。

地球の幻想image

今のままだと
一般の人が自由に安全に、そこを突き抜けて別の次元を見るのも
行くのも、至難の業です。

そればかりか、いわゆる「霊的システムの扉」
ここに内在されているわけで・・・。

地球の霊的システムの「次なる扉」を開くには
「重要な鍵」が必要だと言われています。

この「重要な鍵」
ヒトラーがついに手にできず
過去のどのような人たちが
それを手にしたか
を省みれば

それが何かは・・・もう・・・

これ以上言わずとも、おわかりですよね・・・きっと。









心に残る「植物」

Posted by 世羽 on 23.2013 科学とスピリチュアル   0 comments   0 trackback
(つぶやき)意味不明のお題目を冠しつつ・・・。

自分・・・動物が大好きだ。

はまっているネコimage

でも、時に、教師のような感じのする植物も大好きだ


森と水のimage


以前、ほんの少し書いたのですが。
これまで色々と植物に助けられたことがあります。

植物にはけっこう個性があって、種類の別もさることながら
同類の植物でも、個体が別々になると
独自の個性があったりします。

また、どう、表現してよいかわかりませんが・・・。
感情?・・・と表現してよいものか迷いますが
怒った感じで、パツーンと切れることさえも・・・。

じっくり付き合えば
付き合うほどに「生きてるなあ・・・」と感じることしきりです。

かつて、フィトンチッドのことが話題になり
森林浴だ、なんだと騒がれました。
今さら、詳細を記すのもなんですが・・・。

ちょっとだけ書くと
それは、「植物が自己防衛のために発散する化学物質」

これが発見されたのは1930年代。
ソ連時代の科学者B・P・トーキン博士によって明らかにされました。

フィトンは植物、チッドは殺す・・・の意味で
「植物が備え持つ、他の生物への殺傷物質」のこと。

もちろん、これは
植物自身が傷ついたりしたときに
自らを防衛するために出すものではありますが、
その威力はけっこうなもので。

たとえば
結核菌は、10~15%の硫酸溶液内で10~30分も生きているほどですが、
ニンニクなどをすりおろしたものを少量加えると、
わずか5分で殺傷してしまったという研究結果があります。
(補足:タマネギも結核菌に対して、それなりの効果がある)

ニンニクimage

で、トーキン博士いわく、
人間に対して病毒となる細菌で、
ニンニクのフィトンチッドが殺傷できないものはない・・・そうで。

これが、大げさだとしても
現在「ニンニク」のサプリメントが流行っているように
確かにイイ線を、言い表しているのだと思います。
(実際、自分も服用しています・・・)

ちなみに、
腐敗作用を防ぐには「カラシ」がかなりの優れもので。
トーキン博士は、実験室でカラシを入れた密閉容器にゆで卵を入れ、
数十年も保存したのですが、
40年過ぎても、その卵が食べることができた・・・というほどです。

また、さまざまな植物が、
実に多種多様なフィトンチッドを有しており
ハエ、アブ、ネズミ・・・など諸々に殺傷効果を現します。

もしかすると
最終的なガンの特効薬も
化学物質からなる薬剤ではなく
何か、こうした自然的な植物の薬効から見つかるかもしれません。

そして、

フィトンチッドが人間の精神活動に、良い効果を与えるのは
もう、「超有名な話し」なわけです。

精神の集中や安定を促すのに、
クスノキの葉の香りが、実に効果がある、というのも
ご存じだと思います。

そして、あの思想家R・W・エマーソンがこう言いました。

「直感力を養いたいなら、森へ行けばいい。
そこでは、感覚だけが最優先される。
本物を探し求めてみつからないときは、植物に聞きなさい。
森林は、本物と偽物とを判断する能力を授けてくれるから」



確かに・・・。
自分の場合、そのような感覚が高まったのも
一助として、「緑の世界」があったと思います。

たぶん、感覚的にすでに把握している方もおられると思いますが
植物は確かに、周囲を意識する力を持っています。
音を聴いたり、想いに反応したり、しかも時空も超えて・・・。
それは、とてもナイーブな感覚ではあっても
ほんとうに人や環境を、見事に把握している・・・。

かつて、自分・・・非常に大きな心の苦痛に打ちひしがれたことがありました。
そのとき、
それまで非常に可愛がって手入れをし、
時に話しかけ、時に冗談なども言って聞かせ
いつもと変わらずに丁寧に育てていた、とある植物が
それこそ、急に枯れていきました。

でも、そのとき・・・。

その植物は、朽ちていきながらも笑っていたのです!
こんな卑小な自分に「頑張れよ!」と言って笑っていたのです!
その時に感じたことは・・・
ちょっと言葉にできないほどのものがありました。

ほんとうに、自分は慰められたのです。

緑のimage

植物に対して思い入れがあり、
可愛がって育てている人はたくさんおられることでしょう。
でも、もしかすると
あまり気に止めない人のほうが、それより多いのではないでしょうか?

で・・・自分は想うのです。

ふだん、あまり「気にとめない」かもしれない皆さんに
少しだけ
周りの植物に気をとめて
可愛がってもらえたらな・・・と。

売るためでも、買うためでもなく
この世界を生きる隣人として
植物を見てほしいなあ
・・・と。

きっと自分は、
この地球で
植物たちが、活き活きと育っていくところを
見たかったりするのかもしれません。







「時間」と「意識」と「次元の選択」

Posted by 世羽 on 21.2013 科学とスピリチュアル   0 comments   0 trackback
(つぶやき)選挙にも行ったし・・・。
時間もできたし
気になることでもメモしておくか・・・と。

・・・あ。
一昨日の地下の動きは、当方の近場M5.3だったと思うが
もっと北、いわゆる三陸側方面の音は、微妙に続いている。

時空のimage


量子力学が、古典的な科学思想を超えて、
いわゆる「視えない世界への扉」を開こうとしているのはご承知のとおりです。

あのドイツの物理学者マックス・プランクが「量子」と呼び、
アインシュタインがそれを確かなものにし、
デンマークの物理学者ニールス・ボアが、
電子も量子であり、
特定のエネルギーを持つときにだけ、その電子は、
ある軌道にピッタリはまり込むようにして安定な軌道を保つ
・・・
としたりして・・・。

この「安定した軌道と特定のエネルギー」・・・
ここには、人の存在についての答えも匂わせるほどです。

今にいたっては、こうした概念が
「時間」「意識」「次元」といった領域に突入し始めました。

そして、

ドイツの物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルグ
「不確定性原理」を打ち出したときに、
不思議世界の、表側にある「第一の扉」が開かれた・・・
と言えるかもしれません。

超有名な「シュレディンガーの猫」の意識実験も起き、

シュレディンガーの猫image

観測するという行為は
確率的な波として存在する事象を、
人間の意志によって、ひとつの状態に落ち着かせることだ
・・・
といった見解も生まれてきました。

アインシュタインは「神はサイコロをふらない」と言って
猛反発しましたが
それを打破する理論を打ち出せないまま、この世を去りました。

神はサイコロをふらないimage

ここら・・・アインシュタインの敗北というより、
答えが出せる域に、人はまだ到達していないだけ・・・と
個人的に感じています。

で、一流の科学者たちが
「量子力学を追究していくと
どうしても、東洋思想や哲学にたどり着くようだ・・・」
と言い
その果てに神を見るというのも「うん・うん」と頷ける・・・と思ったり。

それは、ともかく

この「量子」というものが
それまで不可能だとされていた
タイムトラベル、タイム・ワープ、テレポーテーションといったものを
実現させる可能性に絡み始めた・・・。

これがさらに進展すると、物はもちろん、人間さえも
あのスタートレックに出てくるような・・・

身体全体をスキャンし分解して、
情報通信でもするかのように、他の場所に転送すること

ほんとうに可能になるわけです。
(どこかの星の人たちによるのではなく、人類の手によって・・・)

テレポーテーションimage


その実現の一翼を担うかもしれないものに
試行錯誤されている、「量子コンピュータ」があります。

これは、まるで
人の「脳」内の動きを機械的に実現するかのようなものです。

で・・・。

量子コンピュータにそれができて、
そのモデルになるかもしれない人間の脳にそれができないはずはない・・・。

というより、脳と意識が連動した人間の処理能力は、
自然の「量子コンピューター」と言えるわけで。

だからこそ、
そんな「肉体量子コンピュータ」を駆使して
時間を超えてみよう・・・別の世界へ行こうと
神秘思想家や実践者たちが、めざしてきた・・・とも、言えたりします。

電脳images

そして

科学でそれを成功させても、生身の身体でそれを成功させても
どちらの場合も、
つきつめるなら、
「次元の選択」というものにつながっていく・・・かもしれません。

時間を超えるには「光速を超える」ことが必要で

それが完全に実現し、
光を超えた「何にか」が「どこかへ」到達したら
それは、すでに元の宇宙ではなくて、
別の時間線に入り込むのかも・・・という推論があります。

この推論によると

「何か」が移動した過去や未来は、
現時点での時間軸とは別の、
無限に異なる次元の世界の「どこか」・・・ということ。

つまり、この論によると
時を超えるというのは
無限に拡がる「別次元のどこかへ行く選択」と言えたり
します。

と同時に、視野を広げれば、こんなことも言えます。

誰かが未来を「予知」したとして
それが知られた時点で、
「予知」された物事・世界がまったく違うものになっている
可能性があり、
「予知」が実現されるまでの時間が長ければ長いほど、そのゆらぎが大きくなる。

しかも
次元の異なる世界から「何かの情報」を受け取ったとき
受け取った人がいる次元と、情報の発信された次元の時間が収束して融合する


つまり、誰かが
どこか「別の次元の時間」にいる発信者から情報を受け取ると
受け取った側の「時間」が、そちらへと呼び寄せられる
・・・といった感じです。

哲学問答のようですが・・・。

こんなことに関する研究が、
精神世界と呼ばれる想念のカテゴリーと異なる場所で
「数式」を用いて実際に論議・追求されていたりするわけで・・・。

タイムトラベルの果てにimage

自分個人としては、
こうした話しの究極には、
どうしても「それら法則を上回る大きなもの」を感じるので
上記したことがすべて・・・と思っているわけではありませんが・・・。

それでも
上記した概念体系は
かなり核心に迫っているだろうな、と。

いずれにしても・・・とにかく
できるあたりから追求して
先へ・先へと進みましょう・・・ということですね。







混在する神々

Posted by 世羽 on 20.2013 対立の構図   0 comments   0 trackback
(つぶやき)結局のところ・・・。
いろんなものがいろんなところで繋がっている。
人の心の、明るい部分と暗い部分がごちゃまぜになったように。
スプーンでかきまわしたコーヒーカップのなかのコーヒーにミルクを入れると
白い模様が渦を巻くように。
世界全体がそんな感じだ・・・
それらが、いずれ完全に溶け合うとしても
世界の場合、カフェオレのように、すぐ・・・とはいかない。
それには、まだ時がいる。
(と・・・久々に地下の音が活発に聞こえている)

海と星のimage


天孫・邇々芸命(ニニギノミコト)と
大山津見神の娘・木花佐久夜毘売(コノハナサクヤビ〔ヒ〕メ)との結婚で生まれた
火遠理命(ホオリノミコト:山幸彦)。

記紀によると、
この火遠理命は・・・・
海神・大綿津見神(オオワタツミ/海若:わだつみ)の娘で
竜宮の龍蛇神豊玉姫と結婚します。

そして、この豊玉姫は、ウガヤフキアエズ命(のみこと)を生み、
そのウガヤフキアエズ命は、
豊玉姫の妹の玉依姫(龍蛇神)と結婚して
神武天皇が生まれます。
つまり、神話上の天皇の系譜には龍蛇神の流れが入り込んでいるわけで。

アマテラスimages


一方、『扶桑略記』『通海解参詣記』によると
伊勢神宮で天照大神に奉仕する斎宮(いつきのみや:天皇の血筋に連なる未婚の女性)
の夜具に、夜ごと蛇のウロコが落ちていた・・・といった記述があることから、
皇室の祀る、伊勢神宮の天照大神は男神で、しかも龍蛇神では?・・・
などと見る説もあったりします。

また、伊勢神宮の一柱である豊受大神(宇賀神と呼ばれる)も、
蛇神と見る説が色濃く残っています。
というのも、
宇賀の語源が梵語のウカヤで、それが白蛇を示すから・・・とか
井の頭の「大盛寺」で見られる宇賀神の像が、頭部が翁体が蛇・・・
だったりするなどが、よく、その例にあげられたりします。

このように
記紀に登場する天津神の系譜に関係する神には、
なぜか龍蛇の名前が、どこかしらに絡んでいたりします。

これは

神話体系が似ているシュメールの神、
半人半魚の姿をしたオアンネスも想起させてくれます。

また・・・
巷で言われる艮の金神

ご存じのとおり
出口直さんでさえ、その正体がわからない・・・と仰有られていた神さまで

一応、出口王仁三郎さんによって、
日本神話の根源神と言われる国之常立神(くにのとこたちのかみ)とする向きになりましたが
完全にそうか・・・と断定され得ないところもあるわけです。
なので、大本さんでも、「何か」わからない・・・と表記してあるのでしょう。

さて、この神さま・・・・。

日本のニューエイジ界で注目を浴び
多くの解説や信奉者がおられます。

場合によっては、これを「アラハバキ神」とされてもいます・・・。

どうしてそうなったか・・・と考え得るに、
和田喜八郎が著した『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)
などにも影響を受けたのだろうか・・・と感じ。

ただその内容は、
のちに、和田喜八郎の「偽作」であることが
科学的な調査などによって、断定されたと言われており
論拠にする資料としては疑問があるかもしれません。

が、この書の発見当時のインパクトが東北地方に残っているのは事実で、
いまだにその説が正しいものとして紹介されたり、
大きな神として扱われたりしています。

大宮氷川神社などでも客人神として扱っている、このアラハバキ。
スサノオにとって代わられた存在・・・とも、言われたりしています。
(ちなみに、その大宮氷川神社群は、オリオンとの関係が噂される場所)

それはさておき。

伊勢神宮には、これと似た名前の「波波木(ははき)神」が祀られていますが、
その祀られる場所は内宮の東南、「辰巳」の方角。

祭祀は土用にあたる「6、9、12月の18日」の「巳の刻」に行われるそうで・・・。
「辰巳」=「龍蛇」ですから、何やら想像に火がつくわけです。

「艮の金神」「波波木神」・・・似て非なるものなのかが気になります。
もし関係があるなら、どちらもが龍蛇の系列となるわけで。

「艮の金神」を降ろした方自身が「何かわからない」・・・と仰有られたのですから
部外者におしはかる余地などありませんが・・・。

現在の神道系ニューエイジ界の一部論調は
この神が正しい神で、
いわゆる天照大神系(天津神)と対立する構図かと思います。

となると
結局のところ、その論調の行きつく先は、
天照大神を祀り、その系譜に連なる天皇を否定する意味になっていきます。

すなわち、これが昔、大本教さんが弾圧された一つの原因でもあったわけで。

なので、
たとえ日本の神さま、いえそれが世界の神の頂点に位置する存在だとしても
国之常立神を完全な正神とし、天照大神を偽神とする方々の場合
それは、日本の天皇制をつぶす覚悟で臨む・・・ということになるかもしれません。

今の日本では
けっこう天皇制が好きだったりする方も多いのではないでしょうか。
それを誇りとする方もおられる。
自分も、正直に言うと、
古から続く、この伝統に「日本の誇り」を感じたりしているわけで・・・。

どうするも「自由」とは思うものの・・・
個人的には何か・・・しっくり来ないなあ・・・と心に感じたりするわけです。

さて、

伊勢には伊雑宮もあります。

ここでは、御田植祭のときに
天照大神を表す「太一(たいいつ)」の大団扇を立てますが
「太一」とは、北極星を表し、天御中主神ともなります。
それは、天照大神の化身が天御中主神と言う見方からくるものです・・・。

伊雑宮の御田植え祭りimage


知ってか知らずか
「太一」とは、古代中国における宇宙の根元を表す哲学的概念でもあり、
天の中心に位置する星官(星座)、またはその神格を表し
大一・泰一・太乙とも書かれ、
太は「至高」を、一は「唯一・根元」を表す語です。

そして、この祭事ですが
この「太一」の文字を記した大団扇が祭事の最後のほうで
ズタズタに破かれる
のです。

破く意味は、
それらの小片を、航海安全や大漁を願うお守りのように使うためですが、
根源の神様の姿を文字にしたものを破くのですから
何か、それだけではないだろ・・・と勘ぐりたくなるのが人情。

ここら、とても口にはできない「ひとつの見方」が心に浮かびます。

いろいろ羅列してしまいましたが

ちなみに、ここで補足しておくと・・・

「龍蛇」と一口に言っても
龍の神性が蛇とまったく同義としてしまうと意味がわからなくなるかと思うのです。

尾呂霊(おろち)、水霊(みずち)、野之霊(のずち)・・・みな「霊」がつきます。

よってそれは
「地の気」を含む蛇とは別もの・・・と考えるほうがスッキリするのです。

太古から、世界各地では、
万物の創世にかかわったとされる龍蛇の神性を重んじ
崇拝されてきた現実が残っています。
そこには、何かがある・・・でしょう。

それらの痕跡を眺めるとわかると思うのですが
時に善く時に悪く・・・・。
これは、龍蛇の神性の扱い方の違いに由来し、またそれらが微妙に
混在している
ゆえかもしれません。

ムーにも神と呼べる形の龍蛇系がいました。それはインドにも伝わりました。
またアトランティスに連なる場所では蛇に羽が生えたりしました。
しかしながら・・・そのいずれもが
後に、龍蛇を模した「闇の勢力」に侵入されています

そして・・・ぶっとんで申し訳ないのですが
NASAの数々の写真を調べていくと
宇宙の彼方で、スペースウォーズが起きているのがわかったりします。

つまり、神さまにしても、異星の民にしても・・・うまく言えませんが
人が知覚できる世界には、やはりいまだ抗争が続いているだろう・・・と。

幸いにして
大戦も起きずにいる比較的穏やかな今の平和が、本物であれば・・・と思いますが
もしかするとそれは、見せかけの平和であって
恒久の平和ではないかもしれません。

シュタイナーが言っていたことを想い出します。

シュタイナーimage


20世紀の終わり(1998年あたり)に
「太陽の悪魔ソラト」と呼ばれる意識体が解放された。
これは「ヨハネの黙示録」に「666の獣」と記されている存在で、
「太陽の守護神」であるキリストと敵対している。
しかも、「イスラム主義を標榜する人たちの一部」が
この意識体の強い影響下にある。
21世紀の初頭には最強の堕天使の降臨があり
その霊的な戦いの「新しい始まり」がその時期になる。
個人の内面でも、世界的規模の現象面においても、その影響が出てくるだろう。


かみさまのimages


太陽に連なる二つの名前
あの・・・話題になった「霊言」が指し示すことに真実があるなら
「同じ名前でも意味が違う」・・・とは
こんなことも含んでいるかもしれません。

多くの人が意識の眠りから目覚め、活発に動き出す時代に突入して
色々なこともわかるようになってきましたが
混在した「神の絡んだ糸」は、ほぐさないとよくわかりません。

それをするのは、
誰かの言うことを全面的に信じるというより
個人個人が、確認作業をしていくことでしょう


そして・・・
たとえ、人類が「誰に」創られようが、それも宇宙の意志。

であれば、その宇宙の意志が招く、より賢明な生き方の道
強い意志をもって突き進むのみ

そうすれば、いくら霊的な戦いが視えないところで起きていようと
必ず護られる・・・。

そんなことを、夜更けに想いつつ。

*****

あ・・・。また関係ない話しで恐縮ですが。
こんな話題が。麦茶!

麦茶は実は凄いらしい




う~ん。
こんなはじけるような戦いとかだったら可愛いもんですが・・・。




【つづき】ある日の「イエスとユダ」の情景

Posted by 世羽 on 18.2013 イエス関連   0 comments   0 trackback
(つぶやき)この世は幻想だと言う。
でも、幻想を生きるにも、けっこうルールがあったりして・・・。
幻想の終着点・・・人それぞれなのだろう。
自分の終着点がどこにあるのかわからない・・・。
でも、進まなければそこには辿り着けない。
誰かと支え合って、助け合って、愛して、たくさん許して・・・。
そんな道の先にある終着点なら、それがどこにあろうと
たぶん、そんなに悪いもんじゃないだろう・・・。

ひとりの旅路images

前回(ファンタジーな幻視『IL POEMA DELL’UOMO-DIO』から)
ある日の「イエスとユダ」の情景

の続きです・・・。
(以下、短縮上、削除をかけ、原文を繋いでいます。ご了承ください)

*****

前回からの流れで、イエズスとユダの対話がつづいています。


「黙れ!」

「・・・・お前は誰の前にいると思うのか。
お前はもう私のたとえ話しが理解できないと言った。
私の言葉がもう分からないと言った・・・不幸な男だ。
お前はもう、自分自身さえわからなくなっている。
誘惑の時、サタンの言いなりになったために、
サタンは色々な方法で、お前を愚かにしてしまった。

それでも以前は、私が何者であるか、“存在する者”であることを信じていた。
その記憶はお前の記憶から消えてしまったわけではない。
他人の行為とその考えを知るのに、
神が人間の証言を必要としないくらいのことは覚えているだろう。
お前は、私が神であることを信じないほど堕落しきってはいない。
そこに最大の罪がある。


私が神であることを信じているからこそ、
私の憤りをそれほどまでに恐れるのだ。

お前は、人間ではなく神と戦っているのだと知って、恐れおののいている。
新たなカインであるお前は、神が復讐する者だけであると思い
コラ、ダタン、アビラムとその従者の身の上に起こったことが、
自分の身にも起こるのではないかと恐れている。

私が何者であるかを知りながら、それでも私に刃向かう“呪われた者よ”と
片づけるべきであろうが、そうすれば、私は救い主ではなくなる。
お前は私から追い出されるのを望んでいるが、
そうならないように私はできるだけのことはした。

とは言っても、そのためにお前の行為が正当化されるとは思うな。
繰り返し言うが、お前の行為が正当化されるとは思うな。
繰り返し言うが、お前には選択の自由があった。


ユダの金images

ノーベの時から、繰り返しそう言ってきた。
あの晴れ渡った朝、
地獄から這いだしたように、豚の汚水にまみれてきた淫らなお前を、
私はサンダルの先で蹴飛ばして追い出すこともできた。
だが、そうしなかった。
全身に広がる吐き気を抑えて、
お前が私のもとに来る前にも何度か繰り返し言ったように
“ただ、お前のためにだけ”あのように話した。
しかし、お前は、どこまでも自分の滅びから引き返そうとしなかった。
のちに来るであろう多くの人々の、異端者の始祖であるお前は
私の最大の苦しみのもとなのだ。

私が苦しみを感じないなどと言うな。
いや、私は罪の呵責や引力は感じないし、それについて無知でもない。
前者は私が“神”だからであり、
後者は、原罪に汚されない霊魂には無知が存在しないからだ。

今ここで、
アダムの罪を贖う“贖い主”なる“人間”がどんなものであるかを見せよう。

かつて、アダムに与えられた様々な賜物の中に、傷のない理性があった
また、全能の御父が祝された御子に注がれた光によって、
神との一致による偉大な知識があった。
新しいアダムである私は、
私自身の意志によって、罪のないところに立っている。

ある日、もうだいぶ前のこと、
お前は、私が誘惑されたことに驚き、
それに負けたことはないのかと聞いた。

覚えているか・・・?

私は『ない』と答えた。
そうだ、その時にできる唯一の答えだった。

なぜなら、お前はもう、その時すでに堕落しており、
キリストの徳の、貴重な真珠を見せるに値しなかったからだ。
せっかくの貴重な真珠を見せても、その値打ちは分からず、
ただの石としか見なかっただろう。

もし、あの質問をしたのが、ヨハネか、あるいは熱心者のシモンであったら、
私は違う答え方をしただろう。
いずれにしろあの二人は、
私が誘惑に負けたことがあるかとは聞かなかったし、
もっともありふれた誘いにも乗ったことはないか・・・とも聞かなかった。
ヨハネの純潔には淫らな想いがないし、
瞑想に慣れているシモンの心は、
私の中に純潔が輝いているのを“見分ける光”を持っているからだ。

お前が尋ねたから・・・私は答えた。
“真実”を無視しない“賢明”さで答えた。
この真実と賢明は、神の目にとって聖なるものだ。

聞く人の理解力と、霊的な純潔さと、正義に応じて、言葉を用いるのが
“賢明”というものだ。

いかがわしい人々に真理を告げても、相手には分からず、
ただ、あざ笑うばかりだろう。

あの言葉をお前がまだ覚えているかどうか、ここで想い出させよう。
我々は今、深淵のふちに立っている、想い出す必要がある・・・
だが、改めて言ってみよう・・・
砂漠で、私の最初の話しに満足せず、
お前が問いかけてきた『なぜ?』に、私はこう答えた。

『“メシア”であっても、人間に勝ると感じたことはない。
むしろ、私は人間であると知って、罪を除いてすべてにおいて
“人間”であろうとした
』と。

教える側に立つには、その前に学ぶ側に立たねばならない。
私は神としてすべてを知っているから、
神の知恵によって、人間にある“戦い”を理解させることができた。

だが、単にそうしていたら、ある日、あわれな人間がこう言ったかも知れない。
『あなたには、人間としての感覚と情緒を持つことがどんなことか、
わからないだろう』
と。
あるいはそうだったかも知れない。

私がそこ(注:荒れ野のこと)に行ったのは、
自分の使命を準備するだけでなく、誘惑にも備えるためだった。
サタンの誘惑に・・・。

私に対して、何の力も持っていないサタンが私に近づいたのは、
神と私の孤独な一致が終わった時だった。
その時、私は、肉体の弱さを持つ“真の肉体”を持っていると感じた。
私は飢え、疲れ、乾き、寒さを感じ、肉体の欲望も知った。
私は自分の意志によって、頭をもたげるすべての欲望を抑え、
踏みつけ、聖なる欲求だけが成長するのを許した。

私がこう語ったのを覚えているか?・・・
私はお前だけにこう言った。

『命は聖なる賜物であるから、徳を持って愛さねばならない。
命は、永遠という目的に至る手段である』
と。

またこうも言った。

『だから、生命のために、また精神に仕えるために必要なものを与えよう。
それは、肉体とその欲望に対する抑制、理性の望みを節操をもって管理すること、
人間的な匂いのする欲望を抑えること、
天を望むために限りなく飛躍すること、である。
それはすなわち、神と隣人への愛神と隣人に仕える意志
神の声に従うこと善と徳とを英雄的に行うことである』
と。

するとその時、お前は言った。
『そんなことができるのは、あなたが聖なるものだからです。
私は生命力にあふれる若い男ですから、そんなことはできません』
と。
若くて血気に富んだ男、お前は悪を弁護するようにそう言った。

淫乱におぼれていたお前は、
年寄りや病人は無能力で弱いから、お前の考えているようなことは行えない・・・
と言うかのように、そう答えた。
それについても反論しようとしたが、
実のところお前は、それが理解出来るような状態になかった。

今ではどうか・・・。
健康な人間も清く身を守れること、
自分の方から悪魔と肉欲を受け入れないなら、血気盛んな人でも貞潔を守れる・・・
と私が言ったら、少なくとも今は、あの不信の冷笑を浮かべて答えることはできまい。

貞潔は霊的な愛情であって、
肉体全体に影響を与え、肉体を護り、高め、香りを与える。

清い人には汚れた欲望の刺激を受け入れる場所がない。
そこには腐敗の入り込む余地もない。

また腐敗は、外部から内部へと入り込む動きではなく、
内部から、心から、考えから肉体を包み込む。

“腐敗は、心から湧くもの”だ。

姦通も、淫乱も、その他の感覚的な罪も、
外部から始まるものではなく、むしろすでに考えが堕落している時、
目で見るものを、何でも魅惑的なものと捕らえてしまう。

人間には見るための目がある。
男が女を見る時、彼女が自分たちと同じ一人の被造物であり、
神の美しい創造の御業として受け止める10人の男もあれば、
11人目の男は心と考えがすでに腐敗しているので、彼女を邪欲の思いだけで見る。
10人は彼女を姉妹として見るのに、11人目の男は雌としてしか見ない。

ただ、前の時に、私はそれに触れなかった。
私は天使のためだけではなく、人間のために来たものだと言っただけだ。

私が来たのは、
人間に、神に倣って生きることを教え、
神の子らの王国を取り戻すためだ。


神には肉欲はない。
ユダ、だが私は
人間であっても、邪欲を忘れて生きられることを示したかった。
人間でも、私が教える通りに生きられるのだと教えたかった。


そのためには、誘惑をも感じる人間の肉体を取らねばならなかった。

『私のようにせよ』と教えるためだった。


神の光にimage

お前は、私が誘惑されて、罪に落ちたことはないのか・・・と聞いたが、
私がたとえ誘惑されても、それに負けることはない・・・と、
お前には理解できなかった。

“みことば”にとって誘惑はふさわしくないし、
“人間”ならば、罪を犯さずに生きることは不可能だ・・・と、
お前は思っていた。

しかし、人は誘惑されても、
その誘惑に負けたいと思う人だけが罪を犯すのだ。
お前はそれを聞いて、不信と驚きのあまり、さらにこう尋ねた。
『では、あなたは、罪を犯したことがないのですか?』と。
その時、お前は不信の者だった。

パレスティナには、数え切れないほどのラビがいて、
それぞれの生き方や教えが違うのを見てきていた。

だが、今のお前は違う。私が罪を犯さないことを知っている。
健康な男として人々の中に生き、
サタンの仕掛けてくる激しい誘惑に、
決して心をかき乱されたことがない・・・とも知っている。

どんな誘惑も跳ね返せば、二倍の力で押し返してくる。
相手はますます激しく私を罪に誘い込もうとしたが、
私はそれに対する最大の勝利を得た。
相手は渦のように私を取り巻いて攻めてきたが、
私の意志に傷一つ、つけることはできなかった。

淫乱のことだけを言うのではない。
誘惑を承知しなければ、そこに罪はない。
その行為の行き着くところまで行かないまでも、
誘惑に乗って楽しめば、それはもう罪である。
それだけでは、たいした罪ではないかも知れないが、
そのようにして心に大きな罪を育てていくのだ。

誘惑を受けて、それを払いのけず、
頭の中でその成り行きを追いかけることは、自分を誘惑にさらすことになる。
サタンはそれを知っているから、
誘惑の炎をますます強めて、
中に入り込もうとする・・・。
こうして・・・誘惑されて罪に嵌り込むのは、いともたやすいことになる。

以前のお前には、そのことが分からなかったが、今では分かるはずだ。
もはやそれを理解するに値しない人間になっているにしても、
私はもう一度、お前に繰り返そう。

追い返された誘惑が姿を消さなかったのは、
お前に責任があるのであって、私ではない。
お前はそれを徹底的追い返さなかったからだ。


お前はその行為をしなかったとしても、その考えを引きずっていた。
今日はこうだが、明日・・・明日は本当の罪に落ちる。
だからあの時、誘惑の試みに陥らないよう、“御父の助けを請え”と教えた

神の子である私はすでにサタンに打ち勝っていたが、
それでも御父の助けを請うた。
私はへりくだって神の助けを願ったが、お前はそうしなかった。
神に救いも、予防も願ったことがない傲慢な男だ。
ユダ、だからますます深みに沈む。


ユダのimages

外を見てごらん、もう夏ではない。
窓からは夕方の微風が入って来た。
それでも激しい労働のあとのように、私は汗を流している。

お前が私にとって、どれほど重く辛い存在であるかに気づいているか。
言え、お前は何者か。
私に追い出されたいのか。
いや、そうであっても、私は追い出したりしない。
おぼれそうになっている者を助けないのは、人殺しと同じだ。
お前は二つの力、“私”“サタン”のあいだに立っている。

私が離れたら、サタンだけがお前に残る。
そうすれば、どうしてお前を救えよう。


だが、それでもお前は私を見捨てるだろう・・・。
すでに、考えにおいて、私を見捨てているのだから・・・。
それでも私はお前をそばに置く。
“さなぎ”のようなお前を、私を愛する意志もないお前の体、
善に向かって身動きもしないお前を、そばに留めているのは、
たとえ、そんな空しい“さなぎ”であっても、
なお、お前の心を呼び戻し、罪を避けさせたいと思うからだ。

・・・ユダ、私に話すことはないのか、
先生である私に一言も言えないのか、
私に頼みたいことはないのか・・・。

今さら私に向かって『ゆるしてください』と言え、とは要求していない。
私は今まで何回となく、お前を許してきたが、効果はなかった。
“ゆるす”という言葉は、お前にとって、単に音に過ぎないのだと知っている。
痛悔する心の動きではない。

私が望むのは“心の動き”だけだ。
もうそれもできないほど死んでしまったのか。
私を恐れているのか? 
ああ、せめて私を恐れていてくれたら・・・
だが、お前は私を恐れていない。
もし恐れているなら、誘惑と罪について、あの日、言ったことを繰り返そう。

『特に重大な罪を犯したあとでも、人が本当の痛悔の念をもって、神の足下に走り寄り、
神を信頼して償いを約束し、ゆるしてくださいと請い願うなら、
神は彼をゆるし、償いを通して彼は自分の霊魂を救うことができる』
と。

ユダ、お前は私を愛してはいないが、私が望むのはその愛なのだ。
今、この時、限りない私の愛に向かって頼みたいことはないのか?」


このあと、ユダは・・・何もない・・・と言い、ふてくされながら床に散らばった金貨を集めます。
このとき、金貨を集めるユダの姿を見ながら、イエズスは声を殺して泣いています。

ユダは多少狼狽しながら、
「今、起こったことについて、誰にも言わないと約束してください! 
私の方は誓って、自分自身を贖います・・・」
と呻きながら言います。

「自分自身を贖うだと? それはできない。
お前を贖うのことができるのは、私だけだ。
先ほど、お前の口で語った“あの者”を抑えられるのは、私だけだ。
へりくだって『主よ、私をお救いください』と言いなさい。
そうすれば、私はお前を支配するその暴君から解放してやろう。
その一言を、私は母の接吻よりも切に待っているのだ・・・分からないのか」


ここで、ついにユダも泣きます。でも、とうとう最後まで、その言葉は言いませんでした。

この後、ユダは「好きなところへ行け・・・」と言われ、
何も答えずにその場を立ち去ってしまいます。

それと入れ替わるようにヨハネがやってきますが、ただならぬイエズスの様子に動揺します。
「すべて忘れてくれ・・・」と言うイエズス。
すべてを了解したヨハネは何とか先生を慰めようとします。でも・・・。

「ああ・・・彼は後悔しなかった・・・」・・・イエズスのつぶやき。
ヨハネは呆然としてイエズスを見ると・・・
イエズスの頬に、一筋の涙が流れます。

グリーンの波images

人となった神が何であるかなんぞ、凡人の自分にはわかりません。
でも、自分の場合、ここらをよく読むと、
いろんなことがわかったり、感じたりできたのです。

これはあくまでも、自分個人の心の旅路の糧でしょうが
もし、どこかに同じ旅路を進んでいる誰かがいるなら
何となく、この自分が、何を言いたいかが
多少なりとも、わかってもらえるか?・・・
そして、ほんの少しでも、
その誰かの理解の助けになるのか?・・・と、
淡い妄想を・・・。






ある日の「イエスとユダ」の情景

Posted by 世羽 on 16.2013 イエス関連   0 comments   0 trackback
(つぶやき)ずっと前からこのエピソードを書きたかった。
でも、多くの人には、ホントどうでもいいことだし・・・躊躇していた。
でも、いまだ、ここの情景が頭に浮かぶ。・・・「まあ・いいや」
それにしても、1回で書ききるのは無理だ・・・。

山間のimage

(下記に、聖書には“ない”、ファンタジーな幻視『IL POEMA DELL’UOMO-DIO』から、著作権に触れないよう“縮めて”書き起こします。著作を読まない人にも、ビジョンが感じられるかもしれません。なお、文中はあえてイエズスの表記をとりました)


イエズスが、女弟子たち、そして「二人の弟子」と一緒に
エフライムの山の麓にいたときのこと。
二人の弟子は、
イスカリオテのユダ(いずれイエズスの居場所を密告する)と
12使徒のなかで、もっとも年下であった、少年ともいえるヨハネです。

その日、女弟子たちは針仕事などをしながら、
イエズスの話しを聞いたりして、雑談を・・・。
ユダとヨハネは、女たちとともに話しに加わりながら雑用をこなし・・・。
そんな最中に、ユダの姿が失せます。

それに気づいた皆が「ユダはどうした?」・・・ということになり、
ヨハネが「捜しに行く」と言うので、イエズスも一緒に行きます・・・。

ヤコブのマリアと呼ばれる人の家にやってきた二人。
どうも留守のようでした。
で、ヨハネは一応、家の中に入ってみるのですが・・・。
ある部屋の扉を開けたとき、とんでもない光景を見てしまいます。

なんとユダが、
その家にあった金庫から、まさに金袋を盗み出していたところだったのです。

ユダの金袋image

ヨハネは咄嗟に驚きの声をあげ、それを聞いたイエズスがやってきて
「ここには誰も近づけてはならない・・・」
そう言ってヨハネを部屋の外に出します。

イエズスに何かあってはいけない・・・と、
ヨハネは一緒にとどまることを願いますが
イエズスは
「恐れないでよい。扉を閉めて・・・
たとえ私の母であっても、中に入れるな。
言うとおりにしなさい!」
と厳命します。

ヨハネが去ると、イエズスは扉を閉め、掛けがねもかけ、ユダと対峙します。
じりじり、窓辺へとさがるユダ。
両者のあいだの束の間の沈黙。
時は日暮れ・・・窓から入る赤い光がイエズスを染めています。

イエズスは、ユダの帯にのぞいている鍵を開けるための小鉤を見ると、
人間的は怒りが生じたのか、たまらずに拳をいったん振り上げますが、
全身を震わせながら、
やっとのことで、その拳を下ろします。
そして、ユダから金袋を奪いとると、床に投げ捨て二言三言叫ぶのです。

この声に、ヨハネが驚き、扉の向こうで声を上げます。
さらにその声にユダが反応して、激昂し、
今にもイエズスに飛びかからんばかりとなります。
伊達男と呼ばれたユダの顔は、かなり醜悪に変貌しています。

「私を傷つけようと、見晴らせていたな!」

「あいつは、皆の前で私に恥をかかせるつもりだ。あんたはそうしたかったんだ。
実は・・・そうだ。私もそうしたい。
あんたが私を追放するか、呪うか、どうだ!
呪う! 私は、あんたから追放されたくて、色々やってきたんだ・・・」

それを聞いたイエズスは、低い厳しい口調でこう言います。

「泥棒、泥棒、今日は泥棒、明日は人殺し、バラバのように、いやバラバより悪い!」

(注:この話しは受難の直前の出来事で、ここに二つの重要なことが入っています。
明日は人殺し・・つまり、ユダの裏切りでイエズスは磔刑になり、そのイエズスの代わりにユダヤの民が釈放を願ったのがバラバでした)

ユダが、すぐと切り返します。

「そうだ、泥棒、あんたのせいでこうなった。
私のすることは、悪いことはみな、あんたのせいだ!
 
あんたは、皆を救うと言う、
皆に愛と誉れを与え、罪人を迎え、娼婦たちさえ嫌がらない。

盗人も、暴利をむさぼったザケオの友人の“ポン引き”も友人として扱い、
神殿からの回し者でもメシアのように受け入れる。
ああ、あんたは何て愚かな男だ!

その上、学問もない一人の漁師を我々の頭に置いて、税吏を会計係に据える。
あんたの友人は、薄のろばかりだ。

そのくせ私には一厘の金さえ出し惜しみ、一枚の貨幣も渡してくれない。
ガレー船の囚人が船底に縛り付けられるように、私を縛りつける。

『巡礼者から金を受け取るな』と私に命じた。
私には誰からも金を受け取るなと命じた。

あんたは私を憎んでいる! それなら私もあんたを憎む! 
さっきあんたは、私を呪おうとしてできなかった!
あの呪いで打たれれば、私は灰になってしまっただろうに! 

(注:他のエピソードで、異教の神の像を瞬く間に灰にした話しがある)

なぜ呪わなかったのか?
そんな弱虫の役立たず、力尽きた人間、負け犬・・・
そんなあんたを見るくらいなら、呪われて死んだほうがましだ・・・」


「黙れ!」とイエズス・・・。

「いや、黙るもんか! ヨハネが聞くのを恐がっているのか?
あんたがどんな人間かやっとわかって、ヨハネが去ってしまうのが怖いのか!
あんたはそれが怖い!
英雄みたいに見せかけているが、それが怖いんだ!
あんたは私を恐がっている! だからさっき、私を呪うのをためらったんだ!
私を愛しているのは見せかけで、本当は私を憎んでいる! 
私をおだてて、暴れないように牽制しているだけだ。

あんたは私が一つの“力”だと知っているんだ。『私はその力だ・・・』
あんたを憎み、あんたに打ち勝つ力だ。

私はすべてを捧げて、死に至るまであんたについて行くと約束した。
だから、あんたの時、私の時まで、ついていよう・・・
呪うことも追放することも出来ない“偉い王様”のそばにな。

王様・・・偶像・・・愚かな、嘘つきの王様!
あんたは、自分の運命を裏切る者だ!
我々が初めて出会った時から、私をずっと軽蔑し、
私の言うことに一切耳を貸さなかった。

自分を知恵者だと思っているだろうが、あんたほどの愚か者はない!
私は善い道を教えていたのに、ああ、あんたは聖者そのものだ・・・
人間でもあり、神でもあるし、
人間のくせに知恵者の言うことに耳を貸さなかったあんたは、
最初の瞬間から間違い、今でも間違っている。あんたは・・・ああ・・」

ここでユダのことばが突然途絶えます。

ユダは猛犬のようにイエズスに飛びかかろうと身構え、
両手は指を広げ、鷲づかみでもするかのよう。
ですが、イエズスは平然とし、
飛びかかれと言わんばかりにユダに背を向けます。

その隙に、ユダはヨハネがいなくなったかを、扉を開いて確かめます。

その後・・・イエズスはふたたびその扉を閉めると、
かんぬきを掛けて、それにもたれ、
何も言わず、ユダの狂気が過ぎ去るのをひたすら待ちます。
そうしながらも、激しく強い視線で相手を見つめる・・・。

「視線で祈る」と言えるものなら、
あわれな使徒を見つめるイエズスの目は祈りそのもの
悲しみをたたえたその目には、支配力だけではなく、厚い祈りがありました。

それから、イエズスは両腕を開き、
ユダに触れるためでもなく、天のほうに上げるためでもなく、
腕を開いたまま「苦しみと祈り」の眼差しを使徒ユダに向けます。

ユダは床にくずれおちます。

ユダimages

そしてイエズスは腕を下ろすと、低いはっきりした口調で言います。

「では・・・私がお前を憎んでいたというのか。
お前を足で蹴り、ウジ虫を踏みつぶすように踏みつけ、
錯乱状態に追い込み、それから呪って追い出すと思ったのか。

呪われなかったのを、私の弱さと取ったのか・・・
いや、弱いのではない。
私は救い主だ。救い主は呪うことなどしない。
ただ、人を救うだけだ。救いたい・・・。

お前は『私は力だ、あんたを憎み、あんたに勝つ』と言ったが、
私こそが力、唯一の力だ。

その力は憎むことではなく、愛だ
愛は憎むことも、呪うことも決してしない

力はお前と私のあいだで今のような戦いをする・・・
サタンと私との戦いだ。


お前を支配しようとする、サタンを取り除くために。
ちょうど今、私は人を救う“しるし”に形を変え、
ルシフェルが正視できない“Τ(タウ)”の形に自分を置き、
お前に住みつこうとする者を取り除いた。

私は今のような戦いに勝つことはできる。
不信仰者で人殺しのイスラエルに対しても、
近いうちにサタンと世間に対しても、贖いによって打ち勝つ。
お前の仕えているサタンにも勝つ

世紀で数える遠い遠い年代の、だが、永遠でものを計る“者”は
近いその戦いに勝つように、今のような“個々の戦い”にも勝つ。

お前と同じ罪を犯す者は、十万、百万の七十倍もあるだろう。

彼らは、自分の自由意志によって、悪魔に荷担し、
神を侮辱し、父母を虐げ、人を殺し、嘘をつき、姦通し、
淫乱に走り、聖なるものを汚し、最後に神を殺すに至る。

これらの者は近い日に、実際にキリストを殺し、
未来の時には、その心のなかで、霊的にキリストを殺す者たちだ。

人間は生きているあいだに百回も千回も耳にしているに違いないが、
死の最後の瞬間まで、改心の余地が残されている。
神と霊魂とのあいだでは、どんなことを言ってもよい。

ゆるしを受けるには、一瞬の千分の一の時間で足りる。
・・・・滅びた者たちは、私にこう言うだろう。
『ユダに対してされたように、
なぜ私たちも善にしばりつけてくれなかったのですか』と、

彼らの言うことは間違っていないだろう。
どんな人も、自然と超自然とにおいて、同じ一つの体と一つの霊魂で生まれる。
体は人間から生まれるから、誕生の時から多少健康の面で差がありうるが
神に創造される霊魂は、
皆にとって同じ特徴と、神から受けた同じ賜物を持っている


洗礼者ヨハネの霊魂と、お前の霊魂とは
肉体に注がれたその時には、何の違いもなかった。

彼の霊魂は、お前のとまったく“違うもの”となった。
彼は、罪を犯したことのない清さの中で自らの霊魂を守ったばかりか、
人間が正しくあることを望まれる神の御旨によって、正義に富み、
受けた無償の賜物をますます英雄的な完全さに発展させた。

・・・ところがお前は、
神から受けた無償の賜物を壊し、散らしてしまった。
神から与えられた選択の自由意志はどこへやったのか。
理性はどうしたのか。
自分に与えられた自由の意志を保ち、知恵をもって理性に従ったか。

いや、人間であり神である私に従わないばかりか、
神としての声を聞かず、サタンの声に耳を貸した。

神から受けた知恵と自由を、闇に従うために用いた。
善と悪の選択にあたって、お前は悪の方に走った。

永遠の創造主であり、善そのものである私が、お前の“目の前”にいたのに、
“永遠の知恵”なるものには、すべてが明らかであるから、
すでに時が存在したその時から、私はお前に善だけを置いた。
お前が掘の水草よりも弱いと知っていたからだ。

お前は、私に向かって、私を憎んでいると叫んだ。

私は御父と愛と一つであり、神のみことばとして天にある。
私の神性は全能で、常に神と一致し、御父と聖霊と共に一つのもの。
お前が私にした非難は、三位一体なる神への非難だ。

愛のために、お前を創造された父なる神、
お前を救うために人間となった神の御子、
善い望みを起こさせるために幾度となく、お前に話しかけた霊なる神は、
お前をこれほどまでに愛し、
世俗を見ないで神の方を向き、世間に背を向けさせようとした
が、
お前は私の道に入ろうとはせず、三位一体の神を侮った。

お前は私と会い、私の教えを聞きながら道を外れた。
理性によって、真の光栄の道である善へと、自由に導かれるはずであったのに、
その善を拒み、自らを悪の手に委ねた。

お前は自由意志を使って、そう望み、
渦巻きからお前を引き上げようと差し伸べた私の手を、頑強に拒み、
港から離れて、悪と邪欲の荒れ狂う海に身を投じた。

神はお前の救いを望んで、私を人間にされたのに、
我々がお前を憎んだというのか。

私がお前の悪を望んだと言ったが、
病気の子供が苦い薬を飲まされて、
医者と母親に怒るのと同じ逆恨みではないか。

お前はサタンに盲目にされ、狂気にされたから、
我々のしようとするどんな処置も、理解できなくなってしまったのだ。

お前を治そうとする救い主の、友人の、師の、
予防の意味がまったく分からなくなり、
それが自分を滅ぼそうとする“意地の悪い処置”だと取った。

私はお前をそばに置き、呪いの金貨に触れさせないようにと心を砕いた。
金貨はお前にとって抑えきれない乾きを与え、
やがて死に至る熱病となる魔法的な飲み物だと知っていた・・・。

お前の考えを読み、私をこう非難しているのを知っている。
『では、なぜ、長いあいだ私に金を管理させたのか』と。

なぜなら、まずお前に“絶対金に手を触れるな”と命じたら、
その時から悪に身を売り、泥棒になってしまっていたからだ。
お前が手にしたのは、ほんのわずかな金だったのに、
それでもやはり身を売った・・・
私はお前の自由を縛らないように、できるだけのことをした。
金貨はお前の滅びなのだ。
金貨のために、お前は淫乱を知り、裏切り者となった・・・」


イエズスとユダimages

これまでも、イエズスはユダのことを愛し、気に掛け、細かい気遣いを
それこそたくさんしていたのですが、ユダはそれを受け入れませんでした。
ユダは、たとえイエズスを売り渡したあとでも「赦された」はずでした。

このあと、もう一度「黙れ」・・・とイエズスは一喝し
二人の話は続いていきます。

長くなるのでここで区切り
(始めてしまったので・汗)・・・次回に続けます。

十字架の光image


と・・・。まったく関係ない話題ですが1本。面白かったので。
人の理解を超えた自然現象






(前回のつづき)そして・・・それは本当に「新時代の夜明け」なのか

Posted by 世羽 on 14.2013 対立の構図   0 comments   0 trackback
前回のつづきです。
初めてお読みになる場合は
下記・・・こちらからお読みいただければありがたいです。

実際に「何」と「何」が対決しているのか・・・その「一部分」を


光と闇のimage

クロウリーが未知の存在エイワスから受け取った啓示が
『法の書』と呼ばれ、エイワスが何を強調して語ったか・・・は
昨日お知らせしたとおりです。


さてこの書・・・

法の書image

クロウリーでさえ即座に解読できない代物で
今でも、解読不能な箇所があるとされています。

たとえば、
「4638ABK24ALGMOR3YX2489RPSTOVAL」

読めません!!!
(数字とアルファベット・・・なにか、あの「神示」の外国語版の感さえしてきます)

エジプトでのエイワスとのコンタクトののち
クロウリーはアフリカの地に赴き、霊能力に秀でた弟子と共に
「エノキアン魔術」を使って
14次元の異空間への侵入を試みます。

そして
「深淵」の守護者なる“魔神”「コロンゾン」の召喚に成功し、
これによって、魔術での「達人(アデプト)」の領域に到達します。

クロウリーの召喚image

この域に達してはじめて、
クロウリーはエイワスからの啓示の「価値」を、はっきりと自覚した・・・と言います。
(余談:自分は、このアデプトという表現のひびきが好きになれません)

ちなみに、「エノキアン魔術」とは、
地球外生命体もしくは天使の言葉・・・と言われる「エノク語」を用いて行われるもので、
クロウリーはこのとき、
エノキアン魔術のなかの「地獄のかまど開き」と称されるものを実行しています。

『法の書』はこう始まります。

「ハドよ! ヌイトの顕現」・・・

この「ハド」「ヌイト」
エイワスの言う「来るべき“ホルス時代”」の神の名前です。

「ハド」はカルデア語の「ハディト」
「ハディト」はエジプトでの「セト」
「セト」は、「サタン」の原型になっています。

そんな「セト」が
クロウリーとエイワスとのコンタクトによって
「霊的次元」での復活を果たした
・・・
そんな展開になっているわけです。

魔術的な解釈によると、
「セト」は宇宙の星々の支配神、「人類の神々」の創造者です。

ですが、このセトは、
自らが創造した「人類の神々」に封印されてしまっていた
・・・というのです。

そして、

このセトを「封印した存在」こそが
セトが創生したはずの「人類の神々」・・・
すなわち「ユダヤ教の、そしてキリスト教の神」である・・・と
クロウリーは、はっきりと知らされます。

そして、セトを封印した、この「人類の神々」が、
「オカルト(隠されたもの・・・の意)」の一切も封印していたために、
セトにつながる意識が断たれ、
人類が「宇宙意識」に繋がれなかった
・・・と。

だから、それを打破すべく、セトを復活させよ・・・と言うのが、
エイワスの言わんとするところ。
ひいては、クロウリーをはじめ、彼を信奉する人々の説となります。

現在、ニューエイジ思想を追う方々がめざす

現意識の拡大をとおして成し遂げる「神的意識」との神秘的合一
内なる「宇宙的な魂」への回帰と復活
一者である「宇宙意識」への統合
封印された「神」を解き放ち、
 世界を牛耳る「キリスト教支配体制」を転覆させ、終焉を導く


これらは、クロウリーの教える概論と奇妙に一致していきます。
(日本の神の表裏も・・・そんな感じでよく似ています)

一方、クロウリーがかかげたもうひとつの重要な課題に
「シリウスネットワーク」の構築がありました。

エイワスと呼ばれる霊的存在は、
「セトの星」つまり「シリウス」に座する神の分神
エイワスの霊的な故郷は「シリウス」なのです。

ですからクロウリーは
「セトの真の復活」をより強固にするべく
太古からシリウスに繋がりをもつ
薔薇十字、、フリーメーソン、イルミナティ、「黄金の夜明け」などが伝えてきた魔術を
ひとつにまとめあげること、「シリウスネットワーク」の構築を目指したのです。

彼は、その目的のために、いくつかの団体を創設しています。
なかでも、とくにクロウリーの色を濃く出していたのが
「アステール・アルゴス(A∴A∴/銀の星)」です。


クロウリーの出会った存在は、自らの目的遂行を赤裸々に伝えています。

エイワスを通してホルスがどう言ったか・・・。

「私は唯一無二の存在であり征服者。
私は死滅する“奴隷”たちに肩入れする存在ではない。
奴隷など呪われてくたばってしまえ!」
(法の書2章49節)

この“奴隷”は・・・最終的にセトを封印したとされるキリスト教の信者をさします。

「鷹の頭をもつ私は、
十字架にぶらさがっているイエスの眼をついばむ」
(法の書3章51節)


十字架image

ここにいたるまでの時間系列において
シリウスを拝し、クロウリーにその土台を最初に教え込んだ直接の原因となるのは
「黄金の夜明け団」ですが・・・さらに時間を遡れば、太古からの隠れた結社、
アトランティス・・・ひいては、創世の神秘にまで尾をひく深遠な話しになります。

クロウリーは、こうした闇の使命感を背負いながら
「シリウスへの霊的な帰還」を成し遂げるために
エイワスの指導に従い、クンダリーニの蛇を目覚めさせ、
かの有名な「性魔術」の業に没頭していくことになります。

そのさい、「意志が純潔」であれば、性欲の奴隷になることはない・・・として、
通常であれば、眼をおおいたくなるようなことをやってのけるのです。

人妻への姦淫、男色・・・をはじめ、
体を刃物で傷つけ血を流し、経血や精液、糞便まで使用して・・・です。

通常の感覚からすれば、
あまりに過激で血なまぐさいものでした。

文章にするのははばかられるので、詳細は記載しませんが
調べればどれだけ凄いかがわかるでしょう。

これらの行為は、明確な意図をもって
キリストが行った「道徳的な業」の数々を
すべて逆に辿る
ために行われたのです。

でも、その結果、何が起こったでしょう。

ある弟子は、ズボンの裾に石を詰めて海に飛び込みました。
別の弟子は、爆死しました。
2番目の妻は発狂。
とある愛人は幻覚によって廃人となりました。
別の愛人は泥酔死。

そのほかにも、一家離散・崩壊、発狂、自殺・・・いろいろです。

にもかかわらず「ハド」は、こう言うのです。

「意志をおいて他に法はない。
意志こそが、そして意志のもとの“愛こそ”が、人類の帰すべき唯一の法だ」


言っている言葉は正当だとしても
多くの人の命を己の供物のようにして培う
この「愛」とはいったい何なのでしょう?


クロウリーによれば
『法の書』がエイワスの指示通り人類に開示されたとき
現代の文明が壊滅する
・・・そうで。

エイワスも
徹底した流血や破壊のあとでなければ、「時代」は再生されない
・・・と告げているようです。

これまで、『法の書』が世界のどこかで出版される9ヵ月後に
世界で大きな戦争が起きている・・・と噂されてきたのも
そんな「流血と破壊」「新しい時代の創造の手段」としていることから
生じた見方かもしれません。

いずれにしても、クロウリーは間違いなくめざしていたのです。
この文明世界を消滅させて、新たなホルスの時代を構築する・・・ことを。

この流れが今も、後続する人々をつくり
少なからず、無意識に人々の心に影響を与えているとしたらどうでしょう。

仮に、日本がユダヤに繋がるとしたら
日本も例外ではありません

この影響下にあると推測できます。
なぜなら、クロウリーの奉じた「神」は
ユダヤに繋がる「神」を追い落としたいのですから


今の時代、人の意識を宇宙に向けて、神性の発露を促すことは
必然とも言えます。
意識の進化・向上はけっして無駄でも、悪でもありません。

ですが、世間に渦巻く思想の流れには、
こうした複雑に絡みあう「謎」が含まれているのが現実です。

「鷲」につつかれている人々がいます。
すでに地上にいる「セト」側の者たちは
対抗する側の内部に入り込んで崩壊を促しています。

なかには大勢の墜ちた魂たちもいて、
汚聖にかかわる愚行をさらし、見るものに躓きを与えています。
第三者がそれらを見れば、
「ダメダメ」モードを感じるのも無理はありません。
「セト」が手を下さなくても、
自らが、本来の教えを「滅び」に導くかのような状態です。

でも・・・だからといって
鷲につつかれている側は、すべてが滅びる運命なのでしょうか?

たぶん、その結果は定まっていない。

晩年になってクロウリーも顔がいくらか穏やかになってきました。
そんな彼が、こう言っています。
「セトの真の復活はなしとげられていない」・・・と。

そう・・・未定の可能性を含んでいるのです。

往年のクロウリー近影Crowley

こうして日本すらも巻き込みながら
「新しい時代の夜明け」と称した動きは加速していくでしょう。

ただし、それが
全面的に「人類の夜明け」を導いているかどうかは
大きな疑問が残ります。
だからこそ、つねに賢明であれ・・・ということです。

光と闇の対決image


何かを本当と思い、そうでないと思うか・・・の選択は
いつも申し上げているとおり
まさに「自由意志」による選択。

だとしたら

少なくとも自分は
どんなに素晴らしい「思想」「手法」で
「新しい時代の夜明け」が促されようとも
他者を犠牲にしてまで
自らの想いを遂げるような「道」を促してくる存在に従うことは
ない
でしょう。
たとえ、それがいくら遅れていようと
また、そんな道であっても
別の方向から、意識や心を向上させていこうと思います。


ということで
皆さんの今後の、それぞれの心の旅路でのご無事、
ご健闘を祈りつつ・・・。



自分・・・この曲を聴くとき、聖母マリアを連想します。
彼女は「闇を砕く者」・・・自分はそれが、やっぱ好きみたいです。





実際に「何」と「何」が対決しているのか・・・その「一部分」を

Posted by 世羽 on 12.2013 対立の構図   0 comments   0 trackback
(おつたえ)
とある「お方」へ・・・お言葉いただき恐縮です。
以前、別の方にお言葉いただくも、気づくのが遅すぎて・・・
返事を数行書いたものの、御礼が伝わったのかどうか、いまだわからず・・・。
赤面するしだいです。
そんなこともありましたから、一応、ここに御礼及びお伝え申し上げます。平伏。

一条の光image

古代ユダヤをさぐると、どうしても、
その根底に隠された奥義の数々が浮かんできます。

また、そこに横たわる
「何か」と「何か」が色々な事象をもってぶつかっている構図も浮かんできます。

それらを少しずつ紐解くにはどうしても
以前、名前を出したアレイスター・クロウリーのことに
触れる必要があったりするわけで。

この人を探ると、
多くの結社のルーツや、霊的な対立構造を垣間見ることができるからです。

で、そこから少し・・・。

(クロウリーについての概要は、書籍やネットで御覧になれると思います。
よって、経歴などは省略します)

若き日のクロウリーaleistercrowley


クロウリーは、いわゆる天才肌の人物です。
頭脳の点では軽くヒトラーをしのいでいたのではないでしょうか。
写真に見るように、もとは器量もいい
今で言うイケメンです。

そんな彼は、伝記が示すように
当初「黄金の夜明け団(ゴールデン・ドーン)」に入団します。

もともと才能があったと思しきクロウリーですから
初心者には許可されず、通常であれば長年かかるとされる、
「アブラメリン魔術」(過程はいろいろ。守護の天使の強制召還をもって完了となる)に、
なかば強引に取り組み始めます。

クロウリーが、この、
魔の眷属を使いこなしていく「アブラメリン魔術」に没頭していたころ。

彼の住む館では、異常現象が頻発するようになります。
ポルターガイストなどはごく当たり前、
歩いたり、そこらにたたずむ黒い影なども当たり前。
ひいては、館中が昼間にもかかわらず、異常なほど薄暗くなっていきます。

これだけならまだしも

その家に住んでいた友人は、突如気が狂ったようになって失踪。
クロウリーが「魔術の協力者」として連れていた霊能者は、
あまりに頻発する異常さにたまらなくなり、家を出るのですが・・・
のちに娼婦に身を落としてしまいます。
さらには、館の召使いもすべて遁走。うち一人は発狂しました。

こうした魔術・・・
たとえ、魔術といえども、そのころの「黄金の夜明け団」では
一応、「瞑想や祈り」を必要とすることを教えていたようです。
けれどもクロウリーは、これが嫌でたまらなかった。

そんなさなか、団内の派閥紛争が起き、
クロウリーはそれに乗じて、上級者で構成される団の一部、
そこの、のっとりを画策します。

もちろん、団員らも黙ってはいません。
素行よろしからぬクロウリーへの最終手段として、
卓越した上級者が束になって「魔術攻撃」をしかけます。

熟練した上級団員らの攻撃もかなりなもので、
突然の衣服の出火、
護持していた護符の変色、
1日4度の馬による事故・・・などが相次ぎます。

クロウリーも当然、
これに対して仕掛けられた魔術の封印解除をしながら対抗します。

まさに、ハリー・ポッターの魔術戦争の世界さながらでした。

結果として、クロウリーは敗北します。

が・・・。
彼はまだ、入団してわずか3年になるかどうか・・・というところ。
にもかかわらず、このときすでに、
他の者であれば数十年はかかるという力をつけていたのです。

魔術に染まるAleisterCrowley

この魔術抗争のあと・・・クロウリーは団を去り、
いよいよ
世間が言うところの「闇の世界」に足を向けていくことになります。

団を離れたクロウリーは長い旅、世界放浪に出るのですが、
それを終えてロンドンに戻ると、実に淫奔な女性「ローズ」と結婚します。
割れ鍋に綴じ蓋・・・というのでしょうか。
ここからがさらに、倒錯した世界が彼らの前に拡がっていくわけです。

二人は早速、新婚旅行に出かけますが
そのときに立ち寄ったカイロ。
ここで彼らは、数々の召喚魔術を行っていきます。
そのなかには「エジプトの神々」の召喚も含まれていました。

ある日のこと、ローズが奇妙なことを口ばしり始めます。

「あなたはホルス神を怒らせた!!!」
「彼はあなたを待っているわ!!!」


そう叫ぶと彼女は、クロウリーを隣接していた博物館へと導き、
とある展示ケースを指さすのです。
そこで彼が何を見たか・・・。

ホルスの姿が描かれた石碑です。
その展示ナンバーが「666」
すなわち、黙示録が言う「獣の名をさす数字」でした。

このとき、クロウリーは
自らの霊的な対抗相手をはっきりと自覚し
自らを「キリスト教を倒す黙示録の獣」だと自覚した・・・わけです。

この、数字を目にした直後から、
クロウリーは、神懸かり状態になったローズを駆使し
あの「エイワス」に初めてコンタクトします。

エイワスimage

このとき「エイワス」はこう言います。

「神々の分点が到来している。人類史の新時代が始まっているのだ」
「クロウリーは太陽霊の力と人類を結びつける力となるだろう」


「エイワス」とのコンタクトは3日もつづき、
220節におよぶ啓示が告げられますが
それがあの、『法の書』となりました。

こうして「エイワス」は、啓示の最大の主張として

古くなったキリスト教支配体制の終焉を告げ
次の時代は「太陽神ホルス」によって統治される・・・と言ったのです。

クロウリーnoimage

さて・・・これだけを読めば

「すごい・・・今のことだ・・・。そうか古いキリスト教支配体制の終焉なんだ。
これで世界もスッキリする」
・・・などと思う方もおられるでしょう。

事実、ニューエイジの世界の論調はそんな傾向です。


ただ・・・。
話しはそう簡単ではありません。
そこに落とし穴があったら・・・と、考えてみてほしいわけです。

で・・・。
つづきを、次回にメモります。



想像できる限りの世界が必ずある・・・と言われたりしますが
こんな世界は、自分・・・ごめんこうむります!



とある「神社」から眺めたユダヤとのつながり

Posted by 世羽 on 11.2013 歴史もの   0 comments   0 trackback
(つぶやき)当たり前だが・・・・・あ・暑いっ!!!

*****

日本を思うとき、どうしても浮かんでくることのひとつに
古代「ユダヤ」(古代イスラエルの意味を含む)とのつながり・・・があったりします。

この件は、それこそ多くの書籍になり出回っていますし
テレビなどでも放映されてきました。
なので
日本の風習、神道儀礼、そのほか様々な点で古代「ユダヤ」と類似点がある・・・ことは
すでにご存じだろうと思います。

ほんとうに色々ありますが、

たとえば兵庫県の曽根天満宮で行われる「一つ物神事」
古には
「一ツ物」という目に見えない神様の姿を具現化し、祭りの期間中「一ツ物頭人」に神様が憑依して、その役を担う子供が無意識に発する言葉を「神の意志」として受け取っていた・・・などとされる神事です。

そのひとコマを見ると・・・装束などが・・・と、改めて頷いたりしてしまいます。

一つ物神事image

一つ物神事2images

で、そのほか有名どころの事象は置いておくとして・・・。

伊勢神宮の元宮、「籠(この)神社」なんですが・・・。

この神社image

ここはかつて、
古代には、出雲神社よりも上位の社格を有していた・・・とも言われている神社です。

そして
伊勢神宮の神々がこの地から移られたことから「伊勢神宮の故郷」と呼ばれています。

社伝によれば

「神代と呼ばれる遠くはるかな昔から奥宮真名井原に豊受大神をお祭りして来ましたが、
その御縁故によって人皇十代祟神天皇の御代に天照大神が大和国笠縫邑からおうつりになって、
之を吉佐宮(よさのみや)と申して一緒にお祭り致しました。

その後天照大神は十一代垂仁天皇の御代に、
又豊受大神は二十一代雄略天皇の御代にそれぞれ伊勢におうつりになりました。
それに依って當社は元伊勢と云われております。

両大神が伊勢にお遷りの後、天孫彦火明命を主祭神とし、
社名を籠宮(このみや)と改め、
元伊勢の社として、又丹後国の一之宮として朝野の祟敬を集めて来ました」


そんな「籠神社」の81代目宮司、海部穀定さんという御仁が
こんなことを言っていました。

「奈良時代より前は、日本の神道は唯一神を崇拝していた」・・・と。

通常、神道といえば多神教ですから
八百万の神々を祀って奉じるというのが通常です。
しかし、この御仁に言わせるとそうではない。

彼はその唯一神を
「原初大神(げんしょのおおかみ)」と呼んでいます。

しかも、この元宮の主祭神「天火明命(あまのほあかり)」の御名前を辿ると
「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命」(あまてるくにてるひこあめのほあかりのみことくしみかたまにぎはやひのみこと)となり。

つまり、ここに色々な神様が「一堂に会している状態」になるわけで・・・。
まとめて「一つになった神」にも解することができます。

それはすなわち、ユダヤ教でいうところの「唯一神」につながっていく・・・。

(神道の諸神名を奉じて、それを導き手として、スピリチュアルを推し進める諸氏の方々も多いようですし、その皆さんであれば、ここに何柱の神々の御名前が入っており、神道において、それらがどの位におられるかは、言わずもがな・・・かと)

さらに
この「籠神社」の社紋のなかには、
別所の複数の神社にも見られるように
六芒星を基調にして、そのなかに日輪と月輪を配しているものがあったりします。
(奥の宮の真奈井神社にもあります)

元伊勢絵馬image


神道における、そうそうたる神さまの複合名と思しき御名を冠する神社の主祭神が
伊勢神宮に繋がる。
この意味するところは、意外に深い・・・。

詳細にお話しすると、この辺りにいた諸氏のことなどもかかわってきますし
とんでもなく長文になりそうなので
軽く振ってやめておきますが。

ただ・・・。

一説によると
ユダヤの民(特にヘブライ人の場合)は、「とある星の末裔」だ・・・
などとも言われており
その民が人祖になってしまうような、そんな「異星人話」にまで
広がりを見せていきます。

さらに、

もし、この異星人話が、ある程度真実だとすると
その話しの一部は、
ゼカリア・シッチンの言う「アヌンナキが人類を創りだした」・・・
という物語に対して、食い違いを見せることになっていきます。

空の星へimage


さて・・・何が真実なのか
どこまでが、あっているのか。

メモっておきたい気がするものの・・・。
たぶん、多くの皆さんにはどうでもいいことですよね・・・きっと。



文字の比較など、明かにやりすぎのところがありますが
ちょっと見るだけなら見れるかな・・・と。



つづき





「小さき天使」のこと・・・同伴者

Posted by 世羽 on 09.2013 天使考   0 comments   0 trackback
(つぶやき)たくさんの人が色んなことを伝えている。
むろん自分もそのうちの一人だ。
そして、思う。
多くの人にどんなに「特別な力」があるとしても、
また、多少、己にも何かがあったとしても
それで今すぐ、すべてを知りうるなんぞ、できないはずだ。

たぶん、この世を去って、異なる「どこか」にたどり着いたとしても
きっと、その先はまだまだ続いていくだろう。

守護の天使angelgardians

天使が復権したかのように
さまざまな書籍に紹介されるようになって久しいのですが・・・。

ときおり、自分の天使観・天使から受けるイメージは
多くの人のとズレているな・・・と感じることがあったりします。

もちろん「天使なんかいるか!」・・・という人もおられるでしょうけれど。

でも自分は、そのような存在を実際に感じ、助けてもらったりしています。
かといって、
よく一般書籍で言うような
また、よく見かけるような「なあ・なあ・・・といった友達感覚」ではありません
誇れるような体験でもないですから
誰かに話せる・・・そんなものでもありませんが・・・。

3人の大天使とtobias

自分は、そんな存在にある種の「敬意」を持っています。

特に「守護の天使」のようなものには特別な親しみもあります。

なぜなら、人生の「同伴者」のようにして、この身の喜び、悲しみ・・・諸々を
知っていてくれるからです。
時には、いくら助けを求めても
無視のような感じでほおっておかれることもありますが
そういうときはいつも、そこに教訓があることを追って知ることになります。

とはいえ・・・
そんな話しも、「個人の感覚で受け得る印象」でしかないでしょう。

で・・・ちょっとだけ、別の天使観をあげておくと・・・。

天使と名前がつけば、みな同じ・・・と思うでしょうが
宗教などの別によって、同じ名前を持っていても、異なる性質があったりします。
それは、本当の役割・・・というより
永い時間の経過のなかでの混乱もあったりします。

中世のころなどは、やたらにいろんなものに天使の名前をつけたりしましたから、
実際にいるかどうかわからない天使ができあがったりしています。
キリスト教で例にとれば、やたら「エル(神)」をつけて、天使化してしまったため
無用(?)の天使までできあがった次第です。
(ちなみにこれは、神道の「神さま」の一部などで同じことが言えるかもしれません)

大天使聖ミカエルarcangeloMichele

それはともかく。

もし・・・という程度で読んでもらえればいいですが・・・。
こんな話しもあります。

天使は「神」の知識をもっています。
そしてその知識は、天使が位置するヒエラルキーによって程度が異なります。

つまり、誰かが天使とコンタクトしたとしても
その天使が位置するところによって、
与えられる情報は「限られる場合がある」
ということです。

しかしながら、それが真に「天使」という存在なら、
彼らの人間に対する愛情は広く深いものです。

そして彼ら天使たちが、人間の想像をはるかに超えて、
如何に細かい配慮をもって守護しているか
・・・という事実に辿りつきます。

特に、個人に寄り添う小さな天使・・・「守護の天使」と呼ばれる存在は、
人が、弱さゆえに罪を犯してしまいそうになるのを防ごうとします。
自由意志で、それに気づき、人が罪を避けられたとき、その天使はすごく喜ぶようです。

とどのつまり、自分たちにまかされた霊魂を、
彼らは護り抜くことに全力をあげるわけです。

仮に、万一、人が何かとてつもない不祥事を起こしたとしても、
天使は自らが守護を任された「その人」に、寄り添うでしょう。

そんな天使たちには、違いがあったりします。
ある天使たちは活発で、別の天使は静かで、ときに臆病な感じを持つものもいたりします。

なので、こんなファンタジーな話しがあったりする・・・。

赤い服を着て、頭上に小さな冠をかぶっているのは、
「苦しむ人たちの助け」に派遣される天使。

白い服を着て、頭上に美しい冠をかぶり、いつも嬉しそうな顔をしているのは
「潔白な霊魂を世話する」任務が与えられている天使。

薄い青色に彩られ、真珠のような飾りものをつけた服を着て、
頭に美しいバラの冠をつけ、とりわけ美しいのは、
「子供たちのため」に送られる天使。

深紅の服を着て、自分たちの手を胸の前に合わせ、
嘆願するように頭を天のほうに向けているのは、
「罪人に寄り添う」天使。

これらの描写・・・ファンタジーかもしれませんが、
なんとなくわかるような・・・。

妖精のような天使zelf

天使に逢いたいという人はたくさんいたりします。

でも、その存在は、「視るため」に存在しているわけではないでしょう。
また、感じられないから、視えないから・・・といって、
存在していない・・・という証拠にもなりません。

これらについて
子供のような「夢」を持ってもいいと思うのです。

彼らの護りを知って、どんなときも「助けられている」と思えるなら
それでいいと思うのです。

色々な記録を読むと
彼ら天使は、笑ったり、泣いたり、時に人の姿をとって現れたり
場合によっては、さまざまな局面で、生命の危機を回避するよう動くのです。

それに・・・

人はいつも強くいられるとは限りません。

ときには多くの荒波にもまれるような時期が
人生には必ずやってくるでしょう。
そんなとき、「神」を信じられないまでも
一人ひとりに、いつも見護ってくれる存在がいる・・・そんなことを思えるなら
たぶん・・・それが、どれほど酷い嵐だとしても
乗り切る「よすが」の一つになるのではないでしょうか。

そして、天使を「感じる」には
子供心のような純粋さを持つ・・・
実は・・・・ここらに「鍵」があるようです。

天使のimage

今は使う人も少なくなった、こんな祈りがあります。
参考までに、残しておくことに。

わが守護の天使、御身は天主の御摂理によりて、
わが終生の友となりたまえり。
御身の尊きご保護と、絶えざる御導きとを感謝し奉る。
願わくは、御身の強き御翼もて弱きわが霊魂を覆い
危険を免れしめたまえ。
苦しみに会うとも落胆することなく、幸運においても思い上がることなく
世俗とその精神に流さるることなく
貧しき人をないがしろにすることなく
主の御慈しみにより、御身に委ねられたる我が一生が
すべて御身の喜びとなるよう、
われを導き、われを励まし、われを強めたまえ。
われを離れず、わが足のつまずかざらんよう
清き御手もてわれを支え、われを護りたまえ。




この場合は天使かどうかわかりませんけど・・・。

そして補足:自分が聞いたことのある、天使の歌声の「音質」に近いものがあったので・・・
歌詞のない高音のところです。






「月」の上とかの・・・

Posted by 世羽 on 07.2013 宇宙と星がらみ   0 comments   0 trackback
(つぶやき)七夕だ・・・というのに、頭の中身は「月」に飛んだ。

月面のアポロ11号images1


アポロが本当に月に行ったのか、それともフェイクだったのか、
決着をみないまま今日にいたっています。

「かぐや」が月面の写真を大量に撮影したはずなのに
ほとんど・・・といって報道されず・・・。

時は銀河時代

月なんて今さら・・・とは思っても
きちんと知る日が来るまでは、
色んな人が探りをいれていくのは終わらないでしょう。

アポロが月に着陸したとき、
ピラミッド型の透き通るUFOに監視されていた・・・という話しもあります。

そして、宇宙飛行士だったエド・ミッチェルが帰還後に

「月では絶えず頭の向きを変えていたので首が痛い。
なぜって、月にいたのは自分たちだけじゃなかったからだ。
祈るしかなかった・・・」


と発言しました。

月面のufoさんimages

しかも、彼らが目撃したのは、ピラミッド型のものだけではありませんでしたし
幾多の構造物も目撃していた・・・。

月面の補足画像image

月面の構造物4images

そのためアポロ計画を推進していたトップの人たちは、
月面上にあまりに多くの構造物があることに苛立ち
「この調子だと、月への飛行は中止されるかもしれない」
と、すぐに考えたようです。

案の上、
アポロ計画での宇宙船となるものは「25号」まで計画され、
18号がほぼ完成直前まで建造が進んでいたにもかかわらず
17号で打ち止めになりました。
それ以後、「公には」誰も月へは行っていません。

公・・・というのは
その裏で、多くのリモート・ビューアーが
月にいると思しき人の姿を視ているからで・・・。

皆さんも、すでにご存じと思います。
月に連れ去られたと思しき「人間」がけっこういることを。

どのような経緯でそれがなされたかは謎ですが・・・。
幾多の米軍人、民間人が、
月にある病院のような施設に収容されて
「苦悶の体験」を強いられている・・・と
RVによる報告書は伝えています。

とりわけ、ビューアーであるメル・ライリーに言わせれば

「どれくらいの人が月にいるのかと思うと、いい知れない恐怖がわく。
収容された人たちについての話しはしたくない。
救ってやりたくても救えないんだ。
あの情景は忘れられない・・・。
視てはいけないものを、視てしまった・・・そう思っている」


だそうで・・。

月の構造物3images

そんな、地球のビューアーたちが警告を発しているのが
「メンタル・アブダクション」です。

つまり、人間の意識をのっとる地球外生命体が
「いる」・・・ということ。

こうした情報は、ある時期までけっこう流されたり探られたりしていましたが
今はそれも、止まってしまいました。


月のコロニーの活動が、別の星系の「何か」によって停止させられた
・・・という話しは、まだ伝わっていません。
すると、上記のことは、今も続いている可能性がある。

で、こんなことが浮かんだりするのです。

上記のような、「異星人の巣窟」であるかのような話しがある一方
今も
「月の神様」・・・「月の魔力」などとも言われています。

ところが
月は、それ自体が「人工天体」という説もあるのですから・・・。
もし、その推測が本当なら、
月を「神さま」と結びつけることは、
人工の「スペース・コロニー」を神さまと呼ぶような感じになってしまいます。
さらには、
新月や満月などの時期に「月に願いをかける」・・・といった類の話しも
みな、すっ飛ぶのだな・・・と。

ufoと少年の絵

いずれにしても、この「月」
すごく近いところにあるわけですから
納得できるような「真相の解明」を、早く何とかしてくれないものかな・・・と。



一部フェイクの噂の高いものが入っています。ご承知のほどを。



「聖母マリア」の幼少時の姿

Posted by 世羽 on 06.2013 聖母マリア   0 comments   0 trackback
(つぶやき)神道の舞姫さん、墜ちた天使・・・ときて、次はこの人のことだ。
チャネリング系諸氏の皆さんがこの方を表現するイメージと、自分の視るイメージは少々違う。
ならば、そんな姿のほうも記しておいていいだろう。

(・・・と。なんか、久々に地下が動き加減です)

ファティマの聖母


日本人の場合
たとえば、キリスト教にかかわる人、よほど物好きな人・・・でなければ
一部を引用することはあっても
「聖書」を丸ごと読むことは、ほとんどないでしょう。

どんなことが書いてあるか、まったく知らない人もいると思います。
多くは、誰かがちょっと書いた批評、
もしくは推測したことで知るのみでしょう。

加えて、
聖書に出てくる「聖母マリア」(以下マリアと記載する箇所あり)の記述箇所は
非常に少ない・・・。
ですから
聖母マリアがどのような人であったかは、ほとんど知るすべがありません。

で、昔からの伝承と幻視の記録から少し。


マリアのお父さんはヨアキム。お母さんはアンナ・・・です。
ヨアキムはダヴィド王家の子孫、アンナはアロン家の血筋です。
(ヨアキムはブロンド、アンナはどちらかというと背が高い。
これらの要素は、後に、聖母とイエスに部分的に受け継がれていったようです)

ヨアキムとアンナimage

二人は信仰深く、傑出した美しい霊魂を有した人たちでした。
神に対する信仰のもと、互いを認めあい、
二人の愛は、いくつになっても変わることがありませんでした。
しかしながら、髪に白髪が交じるころになっても子供が授からなかった・・・。

そのため、アンナはとても辛い想いをします。
が、ヨアキムの支えもあって
彼らはずいぶん長いこと、子供をお授けください・・・と願い続けます。
そして、アンナは高齢に達したにもかかわらず、ついに身ごもったのです。
二人はほんとうに喜びました。

そして・・・いよいよ。

アンナは出産の時を迎えます。
ちょうど、その最中のことです。
突然、嵐のような空模様になり、周囲の人が「どうなっているのだ」と危惧することになります。
聖なる子供の出生を感知した「闇」の勢力が、それに怒り狂って押し寄せたようでした。
ですが、
まさにその子の誕生の時、嵐が静まり、
虹がかかるとともに、空に一つ、大きく輝く星が出ていました。
生まれた子は、アンナが予め感じていたとおり、「女の子」でした。

聖母マリアの誕生image

そしてこの子が、「イスラエルの最初の大いなる女の名前」・・・とされる
「マリア」と名付けられたのです。
(ちなみに、マリアという名前には70近い意味があるとされています)

マリアは両親の愛に育まれながら成長します。
とても利発で、神さまを愛する子供でした。
わずか3歳で、「神さま談議」のようなものをして、母アンナを驚かせます。

そのような具合でしたから・・・。
ヨアキムもアンナも、「この子は特別な子だ」・・・と、
確信するにいたりました。

二人は、アンナが身ごもったときすでに、
「枯れた幹から生まれた我が娘、それは私たちの、というよりも神の子供、
まことの父である神の実」
・・・と感じ、
「3年間子供を育てる喜びを味わったら、神のもとへお捧げしよう」
と決めていました。

しかも、それ以上にマリア自身が
本当に切ないほどの愛をもって、そうなることを望んでいたのです。

ある日、母アンナとマリアがこんな会話をします。

「私はこのため(注:メシアの到来を早めるため)に祈り、処女を捧げます」

「でもお前、それがどんな意味かわかっているの?」

「神さま以外に男の人の愛を知らない、という意味でしょう?
体は子供のようで、心は天使のようで、
目は神さまを見るためにだけ、耳は神さまの声を聞くためにだけ、
手はいけにえとして自分を捧げるためだけに使うということでしょう?」

「私はすっかり神さまのものになって、神殿で祈りましょう。
そしていつか、エンマヌエルを見るかもしれない。
大予言者が言っているとおり、
その“お母さま”となるはずの処女が、もう神殿にいらっしゃるかもしれないでしょう。
私は彼女の仲間と・・・女中になりたいの。
その幸せな人を知って、お仕えしたい!
彼女が私を御子に導いてくださったら、私は、その御子にも仕えられる!
母さま、
メシア(キリスト)に仕えられるなら、なんて幸せなことでしょう・・・」

幼い子供が、こんなことを言うはずがない・・・と論議をかもす部分です。

別のとき、イエスがこのようなことを伝えています。
「神の上智の発露を人の次元に引き下げるな・・・」と。

幼い聖母マリアCHLDMARY

マリアがいよいよ神に仕える日が来ます。

別れの朝、特別に愛情深いこの親子の交わした涙には、幾重にも深い意味がありました。
なぜなら、両親はすでに高齢でしたから、
マリアが神殿から戻るとき、またマリアが嫁に行くとき
両親はこの世にいないだろう・・・そう悟っていたからです。
つまり、それがこの世での「さようなら」になるだろう・・・そのことも
含んでいたからです。

聖母マリアの奉献image

その後、マリアの、たとえるなら日本で言うところの「巫女」のような、
修道女のような生活が、15歳の手前あたりまで続きます。

たぶん、奉献生活の「霊的なやりとり」に興味を持つ方は少ないでしょう。
もちろん、すべてを書き表せませんが
その生活の日々に語られる「マリアの言葉」の数々は
類い希な、深い叡智に満ちながら
ほんとうに、限りなく「純朴で、清い」・・・という感につきます。

やがてマリアは、そんな神に仕える場所から離れ、ヨゼフと出会い
受胎告知を受ける展開になっていきます。

そして、聖母マリアが最終的に置かれた霊的な位置は・・・
圧倒的な輝きをもった
「闇を踏み砕く者」でした。

今はいったん、ここでとどめます。

文末に・・・。

イエスが聖母のことを、こう言っています。

「泣いても、わらっていても、いつも愛をもって神を見る目、
神に対しての愛のためにすべてを耐え忍び、すべてを愛撫するような、
悪の攻撃にも負けない目である。

清い人々、聖なる人々、神の愛に燃える人々にあるような、
清い、安らぎと祝福を与える目である。

私(イエス)が言ったとおり、
『体の灯火は目である。目が澄んでいれば全身が明るいが、
濁っていれば、全身が暗い。
だから、あなたの中にある光が消えれば、
その暗さはどれほどであろう』(マテオ6・22~23)
聖人たちは、心の光、肉体の救いでもあるこの目をもった。

なぜなら、
彼らは一生涯にわたってマリアのように、神しか見なかったからである。
そればかりか、彼らは『絶えず、神を思いだしている者であった』」


ファティマの聖母fatima

アクエリアスの時代に突入した!・・・そう言って、
クロウリーらのような存在が属する「勢力」は、
真っ先に「処女懐胎」を否定し、マグダラのマリアをキリストの恋人にしたて、
聖なる存在を地に落とすことを始めました。
そしてたぶん、多くの人はそれを本当だと思っているでしょう。

もし、そうした話しに出くわしたなら・・・感じてみてください。

そのような話しを読んだとき、神聖な「何か」を感じるか・・・。

たぶん、そのときの感じ・・・「感覚」は、
もしそれが偽りの何かであるとき、多くの場合
「ざわざわ感」として感じられるでしょう。
そしてこの感覚は
他のどのような審神をするときも使えるはず・・・と思います。


皆さんの旅路を照らす光が、さらに輝きを増しますように・・・。






落とし穴の手前で・・・

Posted by 世羽 on 04.2013 天使考   0 comments   0 trackback
(つぶやき)多くの人にはどうでもいいことなのかもしれないが・・・。
堕ちた天使と呼ばれる「ルシファー」(ルシフェル)。
この存在について、悪の濡れ衣をおわされただけ、汚れ役を引き受けただけ、
として賞賛する論調をみかける。
正直なところ、抵抗感アリだ。
で、ちょっと・・・下にメモっておくことにする。

光と闇image

フリーメイソンでもあったバイロン(イギリスの詩人)。
彼が1821年に発表した戯曲「カイン」
この戯曲のなかでルシファーが、カインを誘惑するくだりに
こんな展開が見られます。

神にすらも、そして一切何にもとらわれない自由な認識、パワー、
そして万能の知識を与えよう・・・と、
ルシファーは、
カインを「無限の宇宙」へと導き出します。


のちに、カインが地球に戻ったとき
カインは「人間の英知は無限である」という想い、
またその想いにともなう「自由の要求、高慢な心」を植えつけられ、
神を信じなくなります。


あげくのはてに、カインは神に従順だったアベルの命を奪い、
神の祭壇をぶち壊す・・・。


・・・といったふうに。

人の心のなかにある「神殺し」・・・のような話しですが
ゲーテ(メーソン)をはじめ、サタニストたちは、
この戯曲を絶賛したようです。

後にこれは、

人が、神から離れて「いかに自由に生きることができるか」
それを人間に教えてくれた
また「神の束縛」とも感じられるものに反抗してくれた
ありがたい「光の天使ルシファー」・・・
という考え方にもなっていきます。

この「自由」の認識は、21世紀へ向かう思想の流れに溶け込んで
ニューエイジムーブメントの構成に取り込まれていきます。

この裏には、数々の秘密結社と呼ばれるに値する、さまざまな集団が
それこそ「非常に複雑に」絡み合いながら影響を与えていました。
(これら集団はいわずもがな、特定の星々にもつながります)

そして、真理を含む「数々の法則」を世に出しながら、
自己利益を満足させることのみに終始させ
一見、「まことの自由」を獲得するかのように見せて
逆に人を囲いこむ
という手法をとっています。

こうした時代の到来を告げ、
あらゆる宗教が、「新しい宗教の奴隷」になる・・・と告げた主要人物のひとり
あのアレイスター・クロウリーは、
自らを「666」と称して「ルシファー」を崇拝しました

降霊を通して彼に言葉を与えた謎の霊的存在エイワス
そして、同じチベットでも光と反対の集団との接触・・・。
そんな経緯が、彼にはありました。
さらに、
クロウリーが、魔術と称して実践した多くの詳細をご存じであれば
それらの行いがどれほど「暗く、陰湿」であったかがわかることでしょう。

引き合うものが「似たものになる」のであれば、
彼を引き寄せ、
かつてのクロウリーとは似ても似つかない
暗く陰湿な男に変貌させた存在とは・・・「何」でしょう。

言霊の重要性を口にする人々はたくさんいます。
にもかかわらず、そんな人たちが、けっこう
ルシファーの称号や、人の次元を表する数字を
実に無防備に使用したり冠したりする・・・。
「エイワス」の名前は、知ってか知らずか
不用意にアニメにまでも使用されているほどです。
(アニメでの名前はクロウリーの「エイワス」からとったとされています。
どれだけ多くの人が、その影響下にあることでしょう)

本来、名前そのもの、数字そのものに善い悪いはありません。

ですがそれを、「明確な霊的な意図」をもって頻繁に使うとき
「属性」が、使用する側へと自然に入り込みます。
それが何を生み出すか・・・その力と影響に対して、
多くの人があまりに無防備です。

よく、こんなことも言われます。

善悪の二元論から「光」を追う者は、
所詮、コントロールされた神の意識の罠に陥っているにすぎない・・・と。
それは、偽の神の支配のなせる業だと。

たぶん、そう言う人たちは、理性の罠に落ちている。
しかも
「自分の信じているもの/存在」を
知識として受け取ってはいても
心から愛していないでしょう。

人は誰かを愛するとき、
暖かい気持ちで、愛するものと一体になりたい・・・と感じます。
それは「信じる何か」についても同様です。

深い意味で、真剣にこの部分を「実体験」しないと
おそらく、二元論がどういうものか、
それを
「まことの意味で超える」とは、どういうことなのか・・・が
実感できないでしょう。

だからこそ、
「遊び」感覚での「霊性の探究」は行き止まりになるのです。

何を選んで、どう生きようとも
まさに、それは自由です。

ですから、たとえどなたであろうと
何をしても、何を言っても
クロウリーのような道を辿ったとしても、
他者が止める権利はありません。

ただ、
せめてここに記したことを
落とし穴に陥るかもしれないような場合に、
穴の「手前で」思いだしてほしい・・・。

そんなことを願って、改めてここに記しておきます。


光と闇2image


     ただ愛して
     すべてを明け渡すとき
     驚くべきことが起こる。
     わたしたちは
     もうひとつの場の中に溶け込んでいく。
     すでに
     心の内にある力(神)の場に。

                    ―――マリアンネ・ウィリアムソン ―――



自由もいろいろ・・・それぞれの道で、明るい「自由」を得られますように。



神道の「舞女(舞姫)」さん・・・

Posted by 世羽 on 03.2013 道草   0 comments   0 trackback
(つぶやき)この手の話も好きで、舞女(舞姫)さんの記事を保存してあった。
初めてこれを読んだとき、すぐに想起したのは
まだ聖母マリアが生きていたころの、ユダヤの神殿・・・。
あそこにも、神聖な場所に集う女性たちが・・・いた。

昔ながらの

(誤字・脱字そのままに。句点挿入、文字強調、行間開くなど施してあります。
・・・と・長文です!)

【スレ33】神社での祭儀の時に舞を舞う「舞女」という職業に就いていた人
から

906 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/22(火) 12:28:34 ID:YX4JR9ux
ちょっと昔の話になりますが、職業が「舞女」でした

普段は「舞姫さん」と呼ばれてました
今考えるとすごい呼び方だけど、当時は何の違和感も感じていませんでした

ある神社での祭儀の時に舞を舞うのが主な仕事でした
巫女さんとは少し職掌が違うのでお守りを頒布したりしたことはないです

格付けでは舞女>巫女という感じです
常装は巫女装束と同じですが祭典時(毎日あります)に
その規模や内容に応じた舞装束を着装します

神社で舞を奉奏するということはとても重要なことなので
朝の祭典(お日供といいます)から始まり、夕方の祭典に終わるまで
御神慮をお慰め奉るため、また人々のお祈りを捧げ奉るために毎日奉納されます
このため、舞女は神社では特別な位置にいて、特別な待遇を受けます

一般の神社には専門の舞女はいないので、全国では一カ所だけなのですが
身バレが怖いのでそこら辺はご想像にお任せします

毎日の暮らしは神社の年間行事や予定に大きく左右されますが
基本の暮らし(大分古めかしい)が神様のために身を清めてひたすらお稽古、
それプラス大きな祭儀があるとそれに向けての準備をしている感じです
また定年が早く、最長で5年奉職で、大抵は寿退社するか、
満期で定年退職して実家に戻ってそちらでご奉仕するか、
もしくは神社に別の職掌で残るかでした

私は満期退職後、一度実家(いわゆる「社家」です)に戻って家業を手伝い、
婚約者と一年後に結婚しました
お給金については詳しく言えないけど、
多分年齢と学歴からしたら大分いい方だったと思います


907 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/22(火) 12:32:06 ID:VYFZF0FV
>特別な待遇 についてkwsk
逆に、制約とかはありますか?
これたべちゃいけない、あれしちゃいけないとか。
休日はありますか?

908 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/22(火) 12:56:00 ID:YX4JR9ux
>>907
特別な待遇というか、神職ではないのですがそれに準ずる序列に上がり、
それなりの対応を受けるということなんですが、うまく言えません
休日は交代制であります
また、忌服期間などは神社の敷地に入れない期間は寮か自宅に待機します

制約というほどではないですが、派手な生活はできません
華美な服装はいけません、車なども外車はいけません
男女交際もあまり派手にしてはいけないことになっています
私の頃は、親が認めた交際相手としか外出できませんでした

実家から神社に通う人もいますが、その際には服装などは厳しく指導されます
普段から食生活に気をつけるように言われます
休日以外は臭いの強いものは口にしませんでした
四足のものも食べませんが、鶏や鴨などは食べていいことになっていました
「まけの日」(月経の期間)は行動を別にして、神前には上がりません

時代が違っても変わらないのは、
大きな祭典があるときは穢れのあるものは口にしてはいけないということ
そういう時は神社の中で清められた火で煮炊きしたものしか食べられません
専門の料理を作る係の人がいて、外から持ち込んだ食べ物は一切食べられません
また参籠といって、この期間は清められた神社のなかにこもることになります


909 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/22(火) 13:07:38 ID:VYFZF0FV
>908
回答ありがとうございます。
男女交際は一応認められてるんですね、意外です。
ついでにもう少し質問。
そういう職に就くには、限られた家から選ばれるわけですよね。
試験とかあるんですか?
舞は、小さな頃から習ってたんですか?
同じ時期に数名の奉職者がいるんですか?

辞めてからメリットとかありますか?(家の格が上がるとか)
あと、「舞女」「舞姫」の読み方をお願いします。

910 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/22(火) 13:43:10 ID:YX4JR9ux
>>909
神道では男女交際が後ろめたいことではありませんので普通に認められてます
善き夫婦となり、善き家庭を築き、社会の礎となりなさいと教えられました
あくまで真面目なおつきあいは、周りからも応援してもらえます
退職後は家庭に入る人がほとんどなので、
嫁ぎ先が決まらないと困るというのもあると思います

ご質問への回答ですが、ある程度の縁故は必要です
身元の確かな人でないといけないし、神道に対する理解もなくてはならないので
ある程度の規模の社家出身、または宮司さんの縁続きの女性が多く
社家でなければ神職から紹介のあった地元のしっかりしたおうちの方が多かったです

私の場合は社家生まれなので小さい頃から雅楽に親しんではいましたが
神楽は初めてでした
研修期間で舞はみっちりしこまれますので、
初めての方でも問題はありませんが全くの未経験の人はいませんでした
奉職者は30名強です
正職員でこの数で、助勤者(神前奉仕しない、舞は舞わない)を含めるともっといます

辞めてからのメリットというほどのことではありませんが
ネームバリューになるというか、同じ業界にいれば一目置いてもらえるので
父は自慢していました
私が勤めたあげたことがというより、
そういうところに就職させられる家であるということが誇りになるようです
また、勤め上げるとお見合いや結婚の申し込みはたくさん来るみたいです
私はもともと婚約者がいたので、そういうことはありませんでしたが。。。
それよりも、厳しい生活で精神的にタフになったことや貴重な体験がたからものです

舞女=ブジョ、舞姫=マイヒメと読みます
正式な職掌では「ブジョ」といい、名簿や案内に名前が乗る時には
例えば山田花子舞女 みたいに書かれます
それに対して呼び名が「マイヒメ」な感じです


舞姫image


911 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/22(火) 16:25:43 ID:NwjfGgh8
大きな行事の前には、食事まで厳しい制限があるんだね。

4本足の動物はだめ、ということは普段でも豚肉や牛肉は食べられないということかな?

913 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/22(火) 17:07:59 ID:YX4JR9ux
そろそろお稽古の時間なので落ちます
質問等あれば後でお答えしますね

>>911
だめです。
神社で清められたお火も煮炊きする時に動物を焼くのは
神様のお火が穢れてしまうので出来ないんだそうです
鶏や鴨が大丈夫なのは謎ですが

一説によるとスサノオノミコトが牛や馬の皮を剥いで
アマテラスさまのお怒りを買い、天岩戸にこもられたということから
牛や馬はいけないのだと聞きました
鶏や鴨などの二足のものは、これに当てはまらないのでいいのだそうです
豚は雑食なので食べません(動物の肉を食べている可能性があるから)

お魚は頂くことは出来ます
それに準ずる形で
普段の食生活にも気をつけてなるべく動物は食べませんでした
北野天満宮など、天神さまの神社では牛が神様のお使いなので、
神職さんは牛は絶対に召し上がらないと聞きました

私の時代は普段から食生活も制限がありましたが
今も続いているかどうかはわからないです
大分自由になったと聞いていますが、大きな祭儀があるときは今も同じだそうです


914 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/22(火) 17:09:52 ID:YX4JR9ux
補足

神社ないで参籠してる際は
牛や豚からとったエキス(コンソメやブイヨンとかでしょうか)もだめで
バターや牛乳、乳製品もいただくことはできませんでした
基本的には精進料理に魚と鶏を加えたような食事でした


915 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/22(火) 17:44:47 ID:NwjfGgh8
>>913-914
お答えどうもありがとう。
コンソメや乳製品もダメとは!思ったよりずっと厳しい生活なんですね。

916 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/22(火) 19:10:19 ID:h5waTTwZ
舞姫さんへ。
舞女さんの中に、ピザっていますか?
あと、そういったルールを破ると、どうなるのですか?

不謹慎な質問なのかな(´・ω・`)


919 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/22(火) 20:07:20 ID:Dc521fTW
前に大きめな神社の元巫女さん(だったと思う)の人がレスしてたね。同じように、
ご実家が裕福なコが多いって書いてたね。

>舞姫さん
就職前に、自前で衣装小物を用意したんですか?貸与されるモノはあるのかな?

920 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/22(火) 20:39:08 ID:YX4JR9ux
回答をさせていただいた後、また席を外します(長文失礼します)
ご質問があれば後ほど返します
>>916
ピザって何かわかりません、ごめんなさい
神道の倫理観の中でしつけられて育って来た人がほとんどなので
それを守らないと言う感覚がそもそもありません
最初は慣れない古式ゆかしい決まりもありますが、
尊いご奉仕をさせていただいているのでそれを守る努力はみんなします
守らない人がいないのでどうなるかはわかりません
ご奉仕をさせていただく上で何を大切にするかを考えたら守れないことはありません


>>918
ありがとうございます
舞姫だけではなく、ある程度の規模の神社になると
みんなとてもストイックな暮らしをしています
お金のためではなく、神様のため、ひいては人のために尽くす経験は貴重です
誰に感謝されなくてもきっと、舞女も巫女も仕女もみんな同じ気持ちでご奉仕してると思います

921 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/22(火) 20:46:02 ID:YX4JR9ux
回答続きです

>>919
神道において装束は衣紋道などというものがあるほど大切なことなので
レスが長くなります、すみません

基本的に祭儀に使う装束は神社のものを使います
舞装束はかなりの種類があり、その都度衣紋方が用意するものを着ますし、
それもすべてお祓いがされています

逆に外のものをそのまま持ち込んで着用するのは神様に失礼なことでできません
神社に出入りする装束店は決まっており、
そこで取り扱っている装束はどこで育てられた絹を使い、
どういう人が仕立てたかはっきりしているものです
個人が購入するどこで作られたどういう素性のものかわからないものは使えないのです

自分で用意するのは直接自分の肌に触れるものです
下着に当たる襦袢や半襟などは個人もちです
足袋は神社から支給されますが数多くいるものなので支給のものでは足りず、
神社出入りの装束店から買います

常装の白衣(巫女さんが着る白い着物)と袴も同じような理由で神社が誂えてくれます
半年に一度支給があります
ただしこれも装束のうちで、清められたものであり、
個人の持ち物ではないので神社の外に持ち出すことは出来ません
穢れがついてしまった時や退職時にはお炊き上げ(燃やす)になると聞きました
なので、手元に残すことは出来ません

装束はたんなる衣装ではなく、
神前に上がるために穢れを祓った清い身でいるための重要なものであり
祭儀には必ず決まった格によって細かい規定があります
これを覚えてきちんと居住まいを正すのも仕事のうちです

922 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/22(火) 20:54:51 ID:CHTOG58d
ピザというのは、やや度を越してポッチャリされた方のことです
アメリカ映画に出て来るポッチャリさんが好む食品だからですね
他の登場人物に「ピザでも食ってろデブ!」とか言われてたりします

923 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/22(火) 20:57:03 ID:VTreeKsS
916じゃないですが、ピザというのは太った人を指す言葉として最近使われているようですよ。
食事内容や生活から察するに、太ってる方はいないようにお見受けしますが。。。

924 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/22(火) 21:13:15 ID:Yx0GLptZ
なんかすごいな舞姫さんのレス。
内容もそうだが、行間から清らかさが漂ってくるようだ。

925 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/22(火) 21:39:10 ID:Dc521fTW
まさに「舞姫」感漂うよな。それに読みやすいです。衣装はお祓いした物を着用するんだね。
まさに「知らない世界」です。

927 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/22(火) 21:49:53 ID:eeZ02jgm
916です。
舞姫さん、レスありがとうございます。
ピザが通じないとは思わなかったのですみません。
922さん923さん、説明ありがとうございました。

ルールを守って当たり前って辺りが私の知らない生活です。
今まで、ルールを守らなかった人がいないって事でしょうね。
なんか、戒律を破ったりしたら「刑罰牢」の1つでもあるのかと・・・

もうちょっと、お伺いしたいのですが、
ご主人さんとは、どうやって知り合ったのでしょうか。
結婚後、価値観の違いなど無かったですか?
お稽古があるって事は現役なのでしょうか?
結婚後も続けられるんですか?

もう、想像も出来ない世界なので、質問だらけですが、
支障のない程度に、教えて頂けると嬉しいです。

928 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/22(火) 22:21:52 ID:+lV/ZrOa
舞姫さんはどういったきっかけで2chを知ったのですか?
普段よくいくのは何板ですか?

930 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/22(火) 23:00:43 ID:9IYigV2X
舞女さん・・・私もほんとにかな〜り興味深く読んでます。
巫女さんしか知らなかったのでそのような存在がある事自体
初めて知りました・・・(失礼;)
そして一つ一つ丁寧にレスをしていく舞女さんに好感度大です(´∀`*)

933 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/22(火) 23:36:59 ID:YX4JR9ux
>>922>>923>>916
ご説明ありがとうございました、浅学ですみません

神楽舞というものはゆっくりとした動きなのでのんびりして見えますが
ゆっくりした動きほど支える筋肉を使いますし、体力がいるものなんです
祭典時だけではなく毎日毎日がお稽古ですから運動量はかなりのもので、
体重はしぼられてしまいます

また、食事はお野菜やお魚中心になりますし、過剰なカロリー摂取もありません
それまで自由にしていた食事を完全に切り替え、かなりの運動量をこなすので、
大体奉職から3ヶ月ほどで体つきが変わります
そんなわけで、私の知っている限りではそのような体型の方はいませんでした

また、先輩方の話で聞いただけなので本当かどうかわかりませんが
朝は潔齋と言って、禊(お風呂みたいなものです)をするのが決まりなのですが、
これは自律神経に働きかけてすごくいいのだそうです
それに年中袴なので猫背にしたりお腹を緩める姿勢が出来ませんし
夏は相当汗をかきます
それで太れなくなって行くんだそうですよ


934 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/22(火) 23:44:19 ID:oa9/W9Cp
>>933
>また、先輩方の話で聞いただけなので本当かどうかわかりませんが
>朝は潔齋と言って、禊(お風呂みたいなものです)をするのが決まりなのですが、
>これは自律神経に働きかけてすごくいいのだそうです

潔斎のことをもう少し詳しく教えてくださいませんか?

935 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/22(火) 23:57:25 ID:YX4JR9ux
ただでさえ長文なので質問以外はお一人ずつに返信できませんが
長々と聞いていただいてありがとうございました、なんだか恐縮です
これを書いたら就寝します

>>927
神道には戒律というものがありません
教典も教祖もない、大和民族本来の信仰の姿が宗教です
「直正浄明」ということばがあり、これが神道の基本です
人として直く、正しく、浄く、明るくあれということです
神さまや自然を敬う心、ありがたいと感謝する心があればいいのだと教えられてきました
ですから何をしたから罰する、とか罰されるからこれをしろ、というのは違うのです

主人は父の友人の子息です
小さい頃から家族ぐるみの付き合いがあり、仲良くしていました
大学進学で主人は上京してしばらく離れていたのですが、
就職で帰ってきた折にお付き合いを申し込まれました
そこで両親に話し、了解を得てお付き合いをし、婚約から結婚して今に至ります
私の家庭環境を良く知っていますし、神道信仰の家で育っているので
特に困るような価値観の違いはありませんでした
ただ夫の職業柄、科学的論拠によった話し方には辟易します

お稽古は私が小さなお教室を開いています
見る人が見たらわかってしまうので内容は詳しく言えません、ごめんなさい
舞女は巫女と同じ役目なので、独身女性にしか出来ません
結婚は退職を意味します

>>928
お恥ずかしい話なのですが、ひいきの能楽師がいるんです
その人のことを検索していて2chにきたのがきっかけで
普段は伝統芸能板を見ています
ここは、たまたまリンクを踏んできてからたまに読んでいました


936 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/23(水) 00:04:37 ID:ftzPwf0W
質問。そういう人達にとって天皇はどういう存在なの?天皇って神道のトップなんだよね?

937 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/23(水) 00:15:47 ID:6OZS7Owj
>>933
>浅学ですみません
いやいやいやw、「ピザ」なんてのは一部の人が使ってる「2ちゃん用語」の類ですから。
衣紋道のお話も興味深かったです。

938 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/23(水) 00:19:22 ID:n11oPpea
ひいきの能楽師・・・・
俺とはやっぱりすむ世界が違うようだ

939 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/23(水) 00:20:13 ID:vKO2hDJs
>>935
>神楽舞というものはゆっくりとした動きなのでのんびりして見えますが
ゆっくりした動きほど支える筋肉を使いますし、体力がいるもの

なんか納得した。太極拳もそうだよね。

舞姫さん、文章から品格が伝わってきて読みやすいです。
今「品格」が話題になってるけど、早々身に付くもんじゃないと実感しました。
「知らない世界」ありがとうございます。

940 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/23(水) 00:21:22 ID:z8XxeMEA
2chで浅学なんて字が出てくると思わなかったよ(w。

942 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/23(水) 00:38:15 ID:NI1wnWus
935の神道の考え方、初めて知りました。八百万の神、自然の樹木にも神聖を見る日本人に合う考え方なんですね・

947 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/23(水) 09:36:44 ID:12ff+Cdk
これ、すごくいいなあ。感じ入ってしまった。

>神道には戒律というものがありません
>教典も教祖もない、大和民族本来の信仰の姿が宗教です
>「直正浄明」ということばがあり、これが神道の基本です
>人として直く、正しく、浄く、明るくあれということです
>神さまや自然を敬う心、ありがたいと感謝する心があればいいのだと教えられてきました
>ですから何をしたから罰する、とか罰されるからこれをしろ、というのは違うのです

948 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/23(水) 10:12:10 ID:BNo38652
ご質問にだけ返信させていただきます
毎回長文になってしまい申し訳ないですがお目汚しお許しください
ご感想を頂いた方、個別に返信は出来ませんが聞いていただいてありがとうございます

>>934
潔齋というのは、神前に上がるものが身を清めるもので毎朝一番に行います
装束は清められたものですから、行わないと私服から着替えられません
昔からの作法に則って舞女潔齋所という専用のお湯殿で身を清めます
お風呂は終業後にも自宅で入りますが、それとは違う意味があります
外でお湯を浴びたのでは体の汚れを落とせるだけですが
心の乱れや外の穢れを、御神域に万が一にも持ち込まないためにお清めをするのです

朝の潔齋以外にも祭典前には手水や、日常的にも簡単なお清めなどがあり、
御神域に上がる舞女にとって心身を清浄に保つことは何より重要なことです


949 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/23(水) 10:19:13 ID:ShA6b4kw
>神道には戒律というものがありません

なんというか、海外(欧米)における宗教(戒律)は日本における「道徳」なんだろうな。

950 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/23(水) 10:29:53 ID:BNo38652
>>936
これについてはうまく説明できるか自信がないため長くなります、すみません

天皇陛下は神道のトップというのは正確ではなく、
神道における祭祀者の頂点におわすというほうが正確です
戦前の軍国主義によって作られた国家神道は神道本来の姿ではありませんし、現在の神社神道とは違います

舞女は御祭神にお仕えしており、陛下ご自身に仕えている訳ではありません
しかし御祭神のご子孫であらせられる訳ですから、
特別の存在であることは間違いありませんし
御祭神の子孫である陛下にしか出来ないお役目もお持ちです

けれどこれは陛下に限ったことではなく、日本人であればどなたでも
さかのぼれば氏神さまに連なる血脈をもっているんです
ご先祖さまを敬うのは人として自然なことだと私は思います

私個人が天皇陛下について語るなど畏れ多いことですが
個人的には天皇陛下を敬うのは、陛下が天孫であると同時に
毎日、国の平安のため、国民の幸福のために皇居の賢所で祈りを捧げられ、
陛下にしかできないご神事を執り行っていらっしゃる
からです
子供が、守り育ててくれる親を敬う気持ちとあまり変わりがありません


951 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/23(水) 11:03:25 ID:590jDUT6
>>950
うわーなんだかもう、日本人っていいなぁって改めて実感させてくれました。
ありがとう。出かけるついでに、近所の神社に寄ってこよう。

952 :おさかなくわえた名無しさん :2008/04/23(水) 11:21:24 ID:3gmrAPPb
>>951 わかります
舞姫さんのおかげでこの国を改めて見直すというか好きになるというか
そして自分にもそういった信仰心が僅かながらに存在すると気付いたというか
素晴らしい文化に誇らしくなるというかいろいろでした
舞姫さんありがとう

953 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/23(水) 11:56:34 ID:TTvdgL8x
舞姫さん、古くゆかしい日本人の良さを再認識させてくれたことに感謝
致します。そう、元々神と万物と共にあったことを日々の生活で忘れかけ
ていました。
ありがとうございます。

954 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/23(水) 12:30:00 ID:p5olGari
良く日本人は無宗教が多いとか言うけど
こういう考えが根本にあるからだったのかもしれないと思った。
あえて「私の宗教は何々」と掲げなくても
万物に感謝する心があれば、それが信仰ということだよね。

955 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/23(水) 13:26:27 ID:NI1wnWus
舞姫さんは神道に深い関わりをお持ちですが、ちょっと違いますが霊感みたいなもの、
不思議な事象を経験された事はありますか?オカルトちっくな質問ですみません。

957 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/23(水) 16:59:12 ID:uaojtMaT
昨今の金儲けと御利益指向の「神道風の新宗教」あたりに読み聞かせたいものですw
ほんと、読んで胸がすく思いでした。

おいくつなのか知りませんが、なんとなく勉強も修養も深く重ねて
たぶんそれなりの地位にいらっしゃるのではと思いました。
だからこその平易な言葉にやどる真意を感じるのでしょう。
良い話を聞きました。ありがとう。

958 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/23(水) 17:23:24 ID:kcfo/kT1
若い頃は神も仏もまったく意識してませんでしたが、
どういう訳かここ2〜3年は神様の存在を信じ、敬いたいし神様の事を知りたい気持ちでいたので、
舞姫さんのお話は大変ありがたく拝見し勉強させていただきました。ありがとうございます。

お答えいただけるか分かりませんが質問させていただきます。

以前新聞の投書で神様が見える小さな子供の話がありました。
神社に行くと「ママ、今ここの神様はいないからお願いしてもダメだよ」とか
「この神様はもっと偉い神様に叱られてしょんぼりしてる」、「この神様は今機嫌が悪いから願いは聞いてくれないよ」
などの様子を話すそうです。
子供の言う事だから、で終わりにすればそれまでなのですが、とても興味深く印象に残ってます。

そこで、
神様はご自分の社以外にあちこち行かれたりするのか?
神様にも上下関係があり、また機嫌が良かったり悪かったりするものなのか?

を舞姫さんの目線で感じてらっしゃる事を教えていただけませんでしょうか。

964 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/23(水) 19:00:25 ID:BNo38652
長居をしてしまい、申し訳ありませんでした
たくさんの方々の暮らし、異なる考えを拝読するのはありがたいことです
私はこれにて失礼させていただきます、長々と本当にありがとうございました

>>958
私は神道について専門教育を受けた神職ではありませんし
このスレッドの趣旨である「生活」とは微妙にずれてきていると思いますので
個人的に簡単な回答だけさせていただきます

神社には社格というものはありますが、それは人が便宜上作ったもので
当たり前のことですが神様に上下はありません

神様の御霊は、お祭りの時に御神輿などで渡御されたり、
遷宮などでお遷りになるほかは常に神社本殿におわしますが、
それだけが神様ではないとも言えます
お札がお祀りされていればそこにも、お守りを頂けば常に一緒に、
人が思い、敬い、祈る場所に神様はいらっしゃるのだと思っています

私たちは人ですから人の考えや価値観を持っています
けれど人の暮らし、人の考え、人の性格、人の意志、人の価値観、
そのようなものと同列に神様についてのことを考えるのは違うと思います
神様は人ではありませんから、御神意や御神慮は人が計れることではないと思います

信仰には何も特別な能力などいりません、私もまったく凡庸な人間です
敬う心、感謝する心、祈る心があればそれでいいのだと思います
それを保つために研鑽したり、学んだりすることが重要なのだと思います


966 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/23(水) 19:26:08 ID:BNo38652
ご質問を見落とすところでしたので最後にこれだけお答えして
失礼させていただきますね(くどくなって申し訳ありません)

>>955
私は舞女としての尊いご奉仕をさせていただきましたが、平凡な人間です
敬神生活をされている方の中には感受性の敏感な方もいらっしゃるでしょうが
そういった個人の事情は信仰には直接関係がありません

正しく研鑽を続け、身を清く保って祈り、神様を敬う暮らしをしておりますと
目に見えずとも神様の御光を自然にいただいて心身が磨かれてきます


そういった中で自分が生かされていることや、
毎日のなんでもない出来事をありがたく思ったり
お参りにいらっしゃるたくさんの方々の心の不思議に触れていますと
仰るようなことには些事にしか思えず、興味を持つ流れにはなりませんでした

今もあの頃経験させていただいた様々な貴重な体験や
畏れ多くも、あたたかい思い出をありがたく伏し拝んで暮らしていますので、
相変わらずそういった話題には興味が持てませんが、
世の中にはいろんな方々がいらっしゃるので否定は致しません

こんな回答しか出来なくて恐縮ですが、本音です


968 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/23(水) 19:52:08 ID:ih/6TT+j
実際スピリチュアルばやりで知人の神主さん困ってた
勘違いしたやつが勝手に立ち入り禁止のとこに侵入しようとしたり
境内の樹木の枝折って持ち帰ろうとしたりするんだって
注意したりして事情聞くと大抵スピリチュアルかぶれらしい
神社の中は何百年も流行に関係ない信仰の場なのにね

970 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/23(水) 20:00:38 ID:t4m7lf+w
スピリチュアルなことやオカルト語るだけなら
誰でも努力なしにできるし馬鹿みたいだと思うが
舞女さんみたいに厳しい生活と鍛練した人の
揺るぎない信仰心には憧れるな
憧れるだけで実践したいとは思わないけどね

ありがとうございました
知らない世界をかいまみれて楽しかった!

980 :おさかなくわえた名無しさん:2008/04/24(木) 01:00:45 ID:qiul00uf
すごいなー。
普段、神仏の存在を実感できなくて、
生まれたときからカトリックとかの文化圏の人たちが
うらやましいとか思っていた。
なんの疑問も持たずに神様を信じられるって。
ものっすごく罰当たりだったんだなと反省している。
舞姫さんのお話を読んで、うまくいえないけど、
探し続けていた見えない何か(オカルトな意味でなく)
ぼんやり心の中に漂っていたものが言葉になって流れてきたというか。
身近に、生臭系の宗教者しかみてこなかったから、ほんとに新鮮だった。
ありがとうございました。


巫女さん

ネットでは、これと真逆に、かつて大きな社の巫女さんだった人が
裏側の汚い部分を知ってしまい
神経を患い、別の宗教に入信した話もあります。

神様にまつわる場所というのは
どんなところにも一長一短があったりして
何かしらの傷を負っていたりする・・・

とはいえ、この元舞姫さんの、「自己の信仰に対する姿勢」・・・
確固たるものを持って表現している感じです。

勉強になりまして・・・ありがとう・・・です。

・・・と。
この元舞姫さんの言う・・・全国で「一箇所」しかないところ・・・
もしかして「あそこ」のことでしょうか。

臨時祭主清子さま





当該箇所ではありませんが・・・雰囲気だけでも。



いちゃもんをつけられる日本・・・

Posted by 世羽 on 02.2013 時事ネタ   0 comments   0 trackback
(つぶやき)・・・どうしても思う。

いつまで、反駁できないまま
日本は言いたい放題・されたい放題という「まな板」に乗り続けるのか?
日本の心は、矜恃は何処に行った? 
高い精神性は、何処に置き忘れた?

で・・・「スピリチュアル」となると・・・。
今のそれは、はたして「スピリチュアル」と言えるほどのものなのか?
考えさせられるところだ・・・。

宇宙の虹image

こんな報道が流れていました。

産経さんの記事から(読みやすいように改行など少し直してます)
中国企業船も尖閣接近、EEZ内通告せず調査 「上海海洋石油局の所属船だ」
2013.7.1 08:53
尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺海域に6月、3度にわたって姿を現したバハマ船籍の海洋調査船が、海上保安庁の巡視船の警告に対し「上海海洋石油局 の所属」と名乗っていたことがわかった。

同局は中国の大手国有企業の傘下にある政府系機関で、新しい油田の発見などが主な業務。
同船は以前から尖閣周辺で の航行が確認されているが、頻度が急に高まっており、第11管区海上保安本部(那覇)では、中国が中央政府とは別の機関を使って尖閣での示威行為を本格化 させた可能性もあるとみて、警戒を強めている。
11管によると、バハマ船籍の海洋調査船は「DISCOVERER2」。
30日午前6時20分ごろ、尖閣諸島・久場島の北北西約132キロにある日本の排他的経済水域(EEZ)内でワイヤ8本を曳航(えいこう)しながら航行しているのが確認された。
海上保安庁の航空機が「同意のない調査は認められない」と警告した。

DISCOVERER2は6月17~18日と23日にも同様に航行。
17日には、巡視船の警告に対し「上海海洋石油局の所属だ」と説明した上で「ここは中国の排他的経済水域で中国政府の許可を得ている」などと中国語で回答してきたという。
11管は、海底資源の調査をしていた可能性もあるとみている。
EEZ内で他国が海洋調査を行う場合、海域の権益を持つ国の同意が必要で、事前に通告しなければならないが、11管によると、この船から日本に対し事前通告はなかったという。
上海海洋石油局は、大手国有企業、中国石油化工集団(シノペック)の傘下にある政府系機関。
前身は国務院地質鉱産省の上海海洋地質調査局だった。
省庁再編などに伴い、1997年に国有系企業に吸収された形で中央政府から切り離され、現在の名前に変更した。
シノペックのホームページなどによれば、同局の主要業務は「東シナ海、南シナ海、黄海などの海域で新しい油田を発見し、採掘開発基地を速やかに建設すること」とされている。

この船はバハマ船籍だが、
同国では税制の優遇や乗組員の国籍条項を緩和したりするなどし、外国船を誘致する政策を取っている。
11管では、この船も便宜上バハマ に船籍を置いた「便宜置籍船」であり、
「実態は中国当局の意向を受け、上海の半官半民の機関が運用している」(幹部)とみている。
DISCOVERER2は昨年11月にも尖閣周辺の日本のEEZ内で確認されたが、この際は、海保の警告に何も応答することなくすぐに海域を離れ、運用国を特定できなかった。
今回、所属を明かした理由などについては、海保は「不明」としているが、「中国の中央政府とは別の機関を使うことで、抗議の矛先を当局に向けさせないねらいも考えられる」とみる専門家もいる。
東海大の山田吉彦教授(海洋政策)の話
「上海海洋石油局の所属だという船による尖閣への関与は、中国政府への直接の批判をかわす狙いに加え、政府とは別の機関の船には日本側も強硬な態度に出ないという考えがあると思われる。
中国側は長期戦を見据えて今後もこうした手段を繰り出してくるとみられる。
中国側からは尖閣の領有権の『棚上げ論』も出ているが、安易に妥協すると、日本の実効支配が揺らぐ恐れもある。
日本は、尖閣を海洋保護区にして環境を前面に出して関与を強めるなど、中国の先手を打つことが 重要だ


あの白樺油田開発が始まったとき
ある意味、こうしたことはすでに予見されていたことです。
けれども、政治に携わる人も、そして国民の多くも、まるでないことのように
意識を向けませんでした。
特に一般の人は
自分たちに関係がない・・・と思っていたかのようです。

白樺油田image

尖閣や沖縄についての問題も、同じです。

先だって記したように、
この問題は、今後の「日本の未来」を大きく変えるかもしれない
一大局面です。

誰かが何とかしてくれる・・・その意識でいるなら、
この神経戦を切り抜けられるかどうかわかりません。
これは断固として、屈服することのできない問題です
多くは語りませんが、それを、声を大にして訴えたいと思います。

そして・・・。もうひとつ。

聯合ニュース (2013/07/01)から
韓国外交部長官 岸田氏に「歴史は魂」=外相会談
韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)外交部長官は1日、東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム(ARF)閣僚会議が開かれるブルネイ・バンダルスリブガワンで岸田文雄外相と会談し、日本の歴史認識について、「歴史問題は尊重しながら注意深く扱うべきもので、(間違えると)個人、民族の魂が傷つく」との考えを示した
尹長官は「『歴史は魂』という、ある歴史学者の言葉を想起したい」と説明。
「新政権の国政運営の方向は原則と信頼に基づいている。韓日関係もこのような方向で推進したい」として、「日本政府もわが政府の外交哲学を理解し、韓日関係を安定的に発展させるよう努力することを望む」と促した。



民族の魂が傷つく?・・・はい?

わかったこの話しはやめよう7

これは、むしろ日本の側のほうがダメージは大きい・・・。

この国の歴史は、歪曲されたものが国民に伝えられていますし。
(中国も同じですが・・・)

とにかく、国民自身が「知らされていない」そして「知ろうとしない」。
まったく別の他国の人が書いた「日本との関係」を示した史実さえ
拒否しています


日本にある慶應義塾。
日本で最初に朝鮮人留学生を受け入れたのは、
この大学の創立者である福沢諭吉さんでした。

そしてそのなかに、金玉均(きんぎょくきん)さんという人がいました。
金さんは朝鮮貴族である両班(やんばん)の出身で、聡明な人でした。
この金玉均さんは、福沢諭吉の協力を得て、ハングル文字を復活させるのに尽力しました。
このハングルの普及があってこそ、この国の「識字率の向上」をもたらしたことは
まぎれもな「史実」です。
その後、金さんは清国からの朝鮮の独立を目指し甲申事変を起こすのですが、
中国の介入で失敗し、亡命後、諭吉さんにかくまってもらうことになります。

諭吉さんは、金さんを見捨てませんでした。

けれども結局のところ、金さんは中国の奸計にあい、
上海で命を奪われてしまいます。
その死にいたる過程は凄まじいもので、
体をバラバラに切り刻まれたうえ、
その首とともに、野ざらしにされました。

このことがあってでしょうが・・・。
後に、諭吉さんは、「特亜論」の続きともいえる「脱亜論」
「辛辣な言い回し」をもってしたためました。
それは、中韓への「断絶を宣言する」ものです。

両論はいまだ、動画などで上げられるたびにクレームがついて
削除され、またアップされる・・・というイタチごっこを呈しています。

日本は残虐非道の限りをつくしたと言われていますが・・・。
よく、調べてみれば
(あってはならないこととは言え)
戦時下なら、いずれの国にも起こったことでした。
しかしそれが、必要以上に、ひどく誇張されて伝えられているわけです。

そして、こう思ったりするわけです。
近代になって、
500万にものぼる「自国の民」の生命を亡きものとしたのは
いったいどこの国だったか・・・と。

日本の風景japan

・・・と書いてみましたが、なんか心に雷が落ちてる感で。
(こんな勇壮なものならいいですけど)
【画像】稲妻の写真がかっこよすぎる件wwwwwwww




「いかづち」に因んで・・・こんな人がいた・・・。
きっと今だっている・・・。







7月の・・・隠れたUFO記念日

Posted by 世羽 on 01.2013 宇宙と星がらみ   0 comments   0 trackback
(つぶやき)地球外生命体の「意識話」はできるだけ避けている自分。
だからといって、UFOとかが嫌いなわけではない。
むしろ好きなわけで・・・。

ime-jiufo.jpg

「この目で見ないことには信じられない」
そう言ったトマに、復活したイエズスは言います。
「見ないで信じるものは幸い」

しかし、見たほうがやはり早い・・・のに。
見たいものは・見たい「とき」に・見れなかったりします。

ずっと昔から、地球に姿を見せていた未確認飛行物体。

あの、ロズウェルに未確認飛行物体が(実際に)墜落したかもしれない日というのが、
「7月の2日」前後と言われています。
それまで曖昧だったUFOについて、このあたりから一挙に現実味が増した・・・
そんな記念日のようなもの・・・なのです。

近頃頻繁に見る、地球外生命体と意識で繋がる話。また同行記など。
どちらかといえば綺麗な話がほとんどです。

ロズウェルもさることながら
あのダルシィ事件などは、本当にあったことなら非常に悲惨なものでした。
ご存じの方は多いでしょうが、改めて少しだけふりかえってみると・・・。

米ニューメキシコ州のダルシィ
ここの地下基地の逸話は「エリア51」をはるかにしのぐものです。

ここ、こそが・・・いわゆるエイリアンの人体実験として割り当てられた場所とされているのは、
よく知られていると思います。
それは、匿名の基地警備員から流された「ダルシィ文書」が発端でした。
「エリア51」に所属していた物理学者ロバート・ラザー博士によれば、
この文書は非常に真実に近いことを示しているということです。

つまり、ダルシィの地下基地には
2万に届こうかというほど多数のエイリアンが「7層からなる地下都市」に居住し、
そこで米科学者らと数限りない生体実験を繰り返していたと。

地下基地は、特殊なチューブ状のトンネルを介し、米国数カ所に存在する
他の地下基地に移動できるようになっていました。

当のダルシィでは、エイリアンと人類のハイブリットが創られていましたが、
そのハイブリットらの生き様は酷いもので、文章にするのがはばかられます。
当然、ハイブリットを生み出すには人間も必要ですから、同じことが人間にも起きていました。

こうした生体実験について異議を唱えていた科学者たちもいました。
そして彼ら44人がエイリアンに対して反乱を起こします、
当時、軍関係者66人も送り込まれましたが、激しい戦闘のすえ、
彼ら有志はすべて、抹殺されてしまいます。

さらには、この話をリークしようとした人、話題を追っていたジャーナリストなど
けっこうな人数が不審死にいたっており・・・。命がけです。

そして、ダルシィと同じような生体実験が月でも起きている・・・。
そう言っているのが
かつて「スター・ゲイト」計画で活躍していたリモート・ビューアーたちです。
RVで、こうした基地内を透視するとき、エイリアンたちもシールドを貼ったりしているようで、
侵入できないときが多々ありました。

間違いでなければ・・・ですが。
それらエイリアンの活動は、終了していない・・・。
彼らは、意識も操ります。

そんな歴史があったかも知れない・・・ことを想いだす7月。

ついでに、「古典の美術画像」などを置いておきます。


これを見るといつも・・・単純にすごいよな・・と

マソリーノの絵画1


しっかり見上げている人もいたり

マドンナとUFOlChristianReligion



旋回してます

昔のufoart


中世の書き物のなかにも

昔の本からimage


イエスの洗礼というタイトルの絵画

1710年イエスの洗礼art


なにげに・・・

ufoと宗教画像images


ちなみに雲だって負けていません

UFOのような雲cloud400


大戦中のドイツ・・・これがもとで地球製のUFO開発が始まったとか

ドイツのufo


ロサンゼルスの夜をにぎわせた・・・あれですね

ufo時期不明index


受胎告知・・・綺麗な絵です

受胎告知art


よく、キリストがエイリアンだったという話にもっていく場合があります。
思考のみで解すると、逆に真実が見えなくなるかもしれません・・・。
今に、真実がわかる時もくるでしょうが(謎かけ)・・・。
ほんとうのところは、
昔の人はたびたび「不思議なもの」を実際に見ていた。
だからこそ、神のように見えたものを
「信じる神」と結びつけて描いた・・・心はそう言っています。




途中に出てくるヘリコプターのあたり、フェイクでなければ・・・。




  

プロフィール

世羽

Author:世羽
心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
すべての人が幸せに
喜びに満ちて生きることができますように祈っています

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