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休眠中の「お山」のこと・・・

Posted by 世羽 on 30.2014 道草   0 comments   0 trackback
(つぶやき)
マスゴミ・・・ほんとうに。
どこまで日本の世論を都合のいいように誘導するんだろう。

靖国境内全裸撮りのライターさん、しかも反日の先鋒・・・彼女にもっともらしく話を聞く。
一見、まともそうな「世情の動向を探る」団体の美人トップさんにも・・・。
この人はピースボートと深くつながり、「中共大好き議員」とズブズブで・・・。

話を聞くのはかまわない。一応、耳を傾ける。
だが、彼らの主張「のみ」を取り上げて民意を誘う報道姿勢には
かなり“忍耐強い”自分だって、“噴火”しそうになることもある。

音響工学研究所で望むようなヤジが特定できなかった某局
ヤラセの音源を作ってまで何をしたい?

ここまで来ると・・・糾弾されても、仕方ない。

それでもだ。
内部には「良心」のうずく社員さんたちがいるはずだ。

立ち向かう勇気を出してほしい。
面と向かうのがダメでも、知恵なら絞れるだろう。
ならぬものはナラヌ・・・この潔い根性を想い出してほしい。

・・・と、珍しく吠えかけて・・・でも、自省して。
本文へ。


富士山(雲間からの)image



「噴火」・・・と言えば・・・

あの大震災以来、敷島の火山の多くが活発化し
「富士山」はいつ・・・と、よく噂されます。


     富士山(プチ歴史)image

富士山(上空から)image



富士山が歴史上火を噴いたのは「宝永の大噴火」がいちばん新しいところで
宝永4年(1707)11月23日。

そして、

その3年前元禄16年(1703)に「元禄関東大地震」
大噴火の49日前には「宝永(東海)地震」が起きています。

(注:この宝永東海地震は、厳密に言うと宝永に起きた東海・南海地震

それから300年以上の時間が過ぎました。

大地震と噴火が関連するというのは「あり得ること」とされていますが
大地震が起きたから噴火が起きる・・・という方向付けは
学術的に完全には解明されていません。

論によっては、近隣で地震が起きたことでかえって岩盤の調節が進み
噴火を免れることもあるかもしれない
・・・と説く研究者もいます。

宝永の大噴火のときには
当時の知識人が多数目撃し、それを書に残してくれたので
以下のような大事があったのちに噴火が起きたことがわかります。

当日の朝、午前9時~11時にかけて2度の大地震があった。

その後、富士山が鳴り響き
その音が凄まじく、山が崩れる・・・と思うほどだった。

およそ最大規模の噴火が3日間つづき
その後は、消耗状態をはさみながら、ときに強い噴火を繰り返し
富士山が活発に動いた・・・。

そして1708年(現代の暦で)1月1日あたり
山の焼けが止まり、火山雷や地震が静まり晴天になった・・・。



富士山(宝永no)image



この間、降灰や溶岩、火山礫による被害が大きかったとはいえ
噴火そのものによる危険期間は、意外に短くてすみました。

「宝永の大噴火」以前は記録が乏しく
恐らく・・・という程度で「いつ」爆発したかが推測される程度ですが
過去の休眠が300~500年のあたりを
ウロウロしているらしい・・・と推測されるので、
宝永から300年を超えた現代で
「そろそろ?」と、言われています。

2000年あたりには、富士山周辺での低周波地震が一挙に増え
「こりゃ・・・あれだ」と、かなり危惧されました。


富士山(低周波地震)image_convert_20140629232653
 (防災科研のデータより)


しかし、それも過ぎ・・・まだ動きがありません。

研究者のなかには近い噴火を予測される方もおり
一時は「マグマの上昇」らしきものがキャッチされたりもしましたから気はぬけません。
でも、今現在
「火山リアルデータ」のなかに見る富士山は意外に大人しい・・・。

富士山の地下構造、とくにマグマの供給システム
列島にある他の火山よりも複雑で、
どこにどう中心火道ができるかの予測もしづらい・・・。


富士山(およその断面)image


そんな火山・・・の「富士山」。
いつごろ噴火したいのか当分したくないのか・・・
あとは、その本気度を
科学を含むあらゆる面から捉えていくしかありません。


そんななかで・・・ふと思うのです。


火山の噴火は確かに、人の世界に深刻なダメージを与えます。
ですが、なが~~~~い目で追うと、
火山の噴火は大地を造り、そこに新たな滋養形成を施す恵みになるもの。

地球が「望む」活動です。


富士山(茶畑と)image


なので人側の思惑だけから見て
怖ろしい「天罰」の一端などとされてきたのは、
富士山に申し訳ないな・・・などと。



かつて、カメラマン大山行夫さんが

富士山(大山行夫)image


南アルプスから見た富士山を撮ろうと蝙蝠岳に登ったとき、
その山頂で体験をしたことを、『富士を知る』のなかで語っています。


「正面には富士山が微かに見える。
無数の星が輝きを増し空を照らしていた。
遙か遠い遠い空の彼方に、チョンと微かな光を感じていた。

光はその後も消えず、徐々に明るくなり、
どうやらこちらに向かって来るではないか。

光は流れ星かに思われたが、光を強め明らかに私をめがけてくる。
眩しさに、、と思う間もなくズドンと私の胸深くに突き刺さった。

瞬間、わけがわからず、私はその場に倒れこんだ。

瞼からは大粒の涙がぽろぽろこぼれた。
もうたまらず、大声を出してわんわん泣いた。
わんわん泣いている自分がいた。

どれくらいたったのか、

気づくと小さな小さな小さな自分がいた。
それは塵にも満たない自己の存在であった。

地球でさえこの果てしない宇宙から見れば塵のような星だ。
気がつけば草も木も石も、
この世にあるすべてのものが
今という時を平等に生きている仲間だ。

あの光の矢は、きっと
すべてのものと私が結ばれた印だったのか・・・・。

それまでは、心の中の絶壁や断崖に自己を追いつめようとしていたのが
すうっと空へ消え、嘘のような自由な心に戻ったことを覚えている。

富士の写真を撮りたくて山に入ったのだが、
富士の写真を撮る以上の、大きな収穫があった。

それは、

何物にもとらわれない自由な心を、
自分自身に取り戻せたことである」 



富士山(by大山行夫)image



自分も富士山を見るとき(ほんとは、人も)
その自然、そこにある奥深い「何か」をも見通せる
心の眼を失わずにいたい・・・
確かに、そう想います。




・・・ときに楽しみながら・・・・・・って、また吠えてどうするw。

富士山(ゴジラと一緒に)image


富士山(by北斎)image
                                        (by北斎)



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人が「人」であるときに・・・

Posted by 世羽 on 28.2014 つぶやき   0 comments   0 trackback
(つぶやき)
どうでもいいことだが・・・。
とあるところで、天使本でけっこう有名な海外の人が書いた書籍を
パラパラと見てみた。
「ガブリエル・・・の説明のところで、眼が宙を泳いだ。
エリザベト(洗礼者ヨハネの妻)と聖母マリアに受胎告知をしたことで有名」・・・と
書いてあった。


えっ2image


ごくふつうには、エリザベトは洗礼者ヨハネの“お母さん”
洗礼者ヨハネはエリザベトとザカリアのあいだの子供だ。妻ではない。
彼は厳しい禁慾生活をしてキリストの道の前準備をしたことで知られている。

原著を見たわけではないので、著者が間違えたのか、それともマジに本気で書いたのか
訳者が間違えて挿入したのか、その後訂正されたのか、わからない・・・。

結局、そのあたりで、そっと本を閉じた。



人として(ロシア農場の子供)image



今でこそ、それなりに幸せな日本ですが・・・。

過去には何度も、
荒ぶる自然を因とする“大飢饉”に見舞われたことはご存じのとおりで、
現存する幾多の古文書がそれを語っています。


ひとりの旅人、菅江真澄の『遊覧記』などにも、
まさに地獄絵図さながらの状況があったことが
ひっそりと記されています。

菅江真澄(肖像)image


天明5年(1785)8月。
菅江真澄は岩木山を眺めながらの道中で、
金井ヶ沢辺りにさしかかったとき、
出遭った村人からこんな話しを聞かされます。
いわゆる「天明の大飢饉」の一端です。

「ごらんなさい、これはみな餓死した者の屍です。
過ぐる天明三年の冬から四年までは
雪のなかに生き倒れた者のなかにも
まだ息のかよう者が数知れずありました。

その行き倒れ者がだんだん多くなり、
重なり伏して道をふさぎ、
往来の人は、それを“踏み越え・踏み越え”通りましたが、
夜道や夕暮れには、あやまって死骸の骨を踏み折ったり、
腐れただれた腹などに足を踏み入れたり、
その匂いをご想像なさい。

なおも助かろうとして、
生きている馬をとらえ、首に綱をつけて屋の梁にひき結び
脇差し、あるいは小刀を馬の腹に刺して裂き殺し、
したたる血をとって、あれこれの草の根を煮て食ったりしました。
(略)
そのようなものも食い尽くしますと、
自分の生んだ子、あるいは弱っている兄弟家族、
また疫病で死にそうなたくさんの人々を、
まだ息の絶えないのに脇差しで刺したり、
または胸のあたりを食い破って、飢えをしのぎました。

人を食った者は捕まって処刑されました。

人肉を食った者の眼は、狼などのようにぎらぎらと光り、
馬を食った人はすべて顔色が悪く、
いまも生き延びて、多く村にいます」

                         (菅江真澄『遊覧記』より)


空腹のあまり、まだ息ある人を喰らう・・・
しかも身内まで・・・。

なんというか
理性もへったくれもなく腹がすいて
ただ「生きるだけ」の動物的本能が全面に押し出されるほど
過酷な状態だった・・・・ようです。

「眼がギラギラ」・・・実にリアルな表現で
確かにそうなるだろうな・・・と、当時の情景が迫ってきます。
それはまるで、餓鬼と化したかのような人・・・です。


餓鬼の図image


「馬を喰った人の顔色が悪い」・・・
豚・牛・鳥を食べたらはどうなのか・・・ということにもなるので
現実的には栄養失調状態の様相だったかもしれません。

(当時人々は、犬も猫も口に入れ、野性と化した動物は人の骸を生きる糧とした)


天明の大飢饉image



幸い、いまの日本ではまったく実感が湧かないことで
ありがたい、のひと言につきますが

近隣・某国の極貧地域では、
いま、この時点でも
似た事態がしばしば起き、死刑になる人たちがいたり

また、別の隣国では
ただの楽しみ、滋養強壮として、嬰児の遺体をスープにして食する人の画像が
堂々とあったりします。


人として(北朝鮮の子供2)image


人として(北朝鮮の子供)image


(せめて、このくらいであれば・・・と想うばかり)
人として(北朝鮮の子供3)image



人の意識がだいぶ向上したと言われている一方で
正直、すべての面においては無理っぽい・・・と想いたくなる
ひとつの現実です。


地球的規模で破壊的な天候不順が続いているなか
過去にあったような大飢饉が
世界的規模で「絶対に起きない」とは言えない。

そのとき人類は、はたして
お互い助け合えるのか
自分だけが、自国だけが助かろうとしないか・・・
本能だけで生きる状態に陥らないか
・・・などと、
突っ込みたくなる部分でもあります。
(当の自分でさえ、どうなるかわかりません)


人として(ハゲワシと少女より)image



そんな危うい現実に付随して、胸に痛い
現在見えている、ある「生き方」・・・。

たとえば

折しもいま話題の、あの女性議員さんが、
その「生き方」を代表するかのように公言していたので
彼女の言葉を一部借りて書き表すと、

要するに

「複数・股かけて、性的に奔放に生きるのは当たり前」
「そんな人はいっぱいいる」


結局のところそれは、逆に自身を貶めていくだけ・・・、
自分自身を虐めている
ように映ります。


上記のような生き方を選んでいるとき、人は
それなりに楽しいとしても
心の底から“自他を好きになれない”でいる状態。

自らが神聖な器であることなど、ほとんど気にしていない状態。

一見、都合がいいようで、寂しい生き方です。

「本能」が必要以上に勝り、
動物的な感覚で、異性を「性の対象」とだけ見る人が
世界には、いまだたくさんいて
男女ともに、互いが互いを貶めている感じです。

そして、それをリッチなステイタスとして、歓迎する向きさえある。

でも、そんな生き方が良しとされて
たとえひととき、栄華を感じるほどの感覚を得られるものだったとしても、
最終的には必ず、心のどこかに「悲哀」が籠もるでしょう。


人として(春をひさぐ人)image


この状態は、人が「人」として生まれ、その本質を生きるうえで
むしろ先祖返りするようなものです。

確かに、そんな人たちが「いっぱいいる」かもしれない・・・。


性において慎み深く、真に肉体としても霊的にも「人」を生きている人は
醸し出す雰囲気が澄んできます。
それは、ただの感触だけでも感じ取れるはず。

なので、個人的な想いとしては、
どんなことが背景にあったとしても

「悲哀」が結末になることなんぞ
かなぐり捨てて、輝くように生きてほしい・・・



まあ所詮、単なる市井のしがないぼやきですが


どうして世界がこうなっているかも見極めながら

人として(インドあたりの子供たち)image


人として(インドの子供のゴミ拾い)image



世情の“おいしい浪”に流されず
“美しい輝きを身に帯びる人”がドンドン増えることを、
それとなく期待します。





人として(ネコと本と少年)image




その辺りの「緑」・・・

Posted by 世羽 on 26.2014 道草   0 comments   0 trackback
(つぶやき)
特に何かの設定をした訳ではないが
折りたたみ機能が発動してしまった。
元テンプレートの変更か?

自分にとって唯一、
記事ごとに読んで下さる方の反応を知る手がかり
書く気の励み・・・。
だが・・・だ。
冒頭から「拍手タグ」が見えているのは・・・
なんか、恥ずかしすぎるし。・・・よわった・・・。
(日本のサッカーの結果に、どこか似て、切ない・・・嗚呼


森と機関車image



フラワーショップの店先などには
ほんとうに色とりどりの綺麗な花が並んでいます。
売り物ですから当然と言えば当然ですが・・・。

一方、そこらを歩けば、空き地や野原、
コンクリーとの割れ目にさえも
何かしらの緑が顔を出しています。

前者の美しい花々は、お客さんに「・・・ください」と名前を呼ばれて
旅立っていきますが

そこら辺に生息する緑さんたちは・・・
「あ・・・こんなところに草が生えてるよ・・・すごいね」
と誉められても
最終的に「雑草」として、ひとくくりにされて終わります。

だからといって、

当の緑さんには何ということもないでしょうが・・・。


「雑草」というのは、見方を変えれば
どこか、庶民に似ている感じがしないでもない・・・。


雑草(道の割れ目の)image


「雑草」は
「人の土地に勝手に生える」もの、
「農地の作物に有害」なもの
として
農業学的に分類されたもので、
人の主観から位置づけられています。

そんな雑草のなかには、
ドクダミなど、
「これ何?」と、
元の姿や形が知られていなくても
「ドクダミ茶」とか「美白化粧水」などに姿を変えて、
有名になっているものがあります。


雑草(ドクダミ)image


雑草(ドクダミ2)image



いまでこそ、お店に並ぶバナナ
もとは、雑草みたいな多年草のバショウ科
その「草の実」が食されている・・・。


雑草(バショウ科バナナ2)image


雑草(バショウ科バナナ)image



でも・・・
やはり多くが、ただの草にしか見えないので、


「あら、また雑草が出てきちゃったわ・・・」と、
奥様方の言の葉にのぼるぐらいで
ひっこ抜かれ、翌朝ゴミに出されるのが、ふつうです。

農家の皆さんにしてみれば
「てっ、こないだ取ったばかりでまた生えた・・・。
手間かけやがって・・・」
となり、
除草剤をぶちかけられて、ある程度の「雑草」が姿を消していきます。
(でも・・・また生えるw)

これまた、だから何・・・ということでもありませんが。
それでも彼らはしぶとく、またどこかで生命を育んでいくのです。



雑草(エノコログサ)image
      (エノコログサ)


人が気に留めなくても
雑草さんたちそれぞれに学名通称名があって
個性もあり
見た目は、それほど美しくなくとも
生きるにおいては、ほんとうに「強い」・・・。


ハルジオンをはじめ除草剤をものともせずに育つ種類もありますし

雑草(ハルジオン類)image
     (ハルジオン類)


あの被爆地・広島では、被弾後まもなく
「ヒメヨモギ」の類が群生した・・・と言われていて、
そのほか、土地の浄化を助ける「雑草」があったりします。


雑草(ヨモギ科)image
     (ヨモギ類)


ほんとうに、すごい・・・と思います。


なので一昔前、
まだ結核ハンセン病などが不治の病とされていたころ
療養所で生きる人々の心に、その強さが響き、
しばしば闘病者たちの生きる支えになりました。

 「私たちは自然に無関心な時には、
  路傍に咲いた小草の花は
             何でもないものと見過ごした・・・」

 「私というものの“孤独の姿”にかえる時、(中略)
  小草の花が“私の最も良い友”となってしまって、
  何だか
  “静かな或るもの”を与えてくれるような気がする・・・」

                                       (by島田尺草)


雑草と夕陽image



踏まれて強くなったりするのは、雑草の特徴のひとつで
道路の割れ目に生えた草が、何度も何度も
人の足や車のタイヤに踏まれてなお、
生き残っていたりします。

そればかりか

彼らのなかには、さまざまな医薬効果を持つものもあって
工業医薬品の発達がここまで産業化するまでは
庶民のあいだで大事な薬だったものさえあります。

雑草さんたちは
教えてくれているのでしょう。

「人は忘れているかもしれませんが・・・
 私たちはここにいます。

 人が少しだけ想い出し、調べてくれれば
 優しく、お役にたつこともできます。

 役に立たないものなど、私たちの世界にはないのですから・・・」



人もまさに同じ・・・です。



雑草(ツユクサ)image
    (ツユクサ)


雑草(オーストラリアでのコハコベ)image
    (コハコベ・・・七草粥などに使われる)



ある日ふと、何かでドン詰まって
自分の存在すら無意味に想えたりしても
めげることなんてない。


雑草さんたちは、身をもって
そう証している気がします。


そしてさらに・・・感じます。

たとえ、誰かが目立たず平凡に生きていたとしても
口にできないほど過酷な状況に生きていたとしても

雑草さんたちのように
風にいたぶられ、雨に濡れ
酷い寒暑にさらされ
ペシャンコになるほど踏みつけられ続けていても・・・


どこかつつましく、たおやかに、力強く生きている・・・とは
なんと素敵なことだろう・・・と。




雑草とネコさんimage



雑草とネコさん2image




「イアペトゥス」・・・

Posted by 世羽 on 24.2014 宇宙と星がらみ   2 comments   0 trackback

とりとめもなく「頭休め」・・・

Posted by 世羽 on 21.2014 つぶやき   0 comments   0 trackback
(つぶやき)
あはは・・・サッカー・・・日本のあの対戦状況・・・
リアルタイムでは見れなかったが
なんかこの前からすでに、選手の気持ちがバラバラだったような。
出た人たちが、けっこう自身の成功を考えてしまっていたのかも?
だとしたら、仕方ない。
彼らにも、それぞれ気付くことがあるのだ。

でも、やるからには、最後まで全力を出していることを
感じさせてほしいなあ・・・と願う。


星空(が見える前の)image


(本日は主題もへったくれもなく、とりとめない画像とつぶやきだけです)

陽が沈み

辺りが暮れはじめると

ひとつ二つと星が輝きだし

好きな星々が空に姿を見せる時になる。



星空(黄昏時)image




帰途を辿るとき、つい上を向く。



ネコさん(かなり青い眼)image



都会の天空だと、星々がほとんど肉眼に映らない。

なので、

ときに大きな月がかかっていれば眼をひく。



星空(スーパームーン)image



やっぱりあの「反射」綺麗だな・・・と。


とはいえ、
あそこには色々と、暗いものもあるし
波動がなあ・・・と考えると
苦笑も出るが・・・。

「見事な月」で誰かが遊んでいるのを見れば
まあ・・・そんなんでいいんだよな・・・と想う。



星空(月と遊ぶ)image


星空(月と遊ぶ2)image



心はいつしか、さらに夜空の彼方へと飛び、
太陽系を巡り
どこかから来ているかもしれない文明のことも考える。


星空(土星のリング近く2)image
(注:上は、科学的には衛星のプロメテウスとされている画像。引力で環に影響が出ている様子)


星空(土星のリング近く)image



意識を向ければいつも
宇宙はほんとうに広い・・・と、素直に感じる。

その広大さゆえに、知り得ないこと限りないし
文明の進んだ異星の民にしたって、
すべてを知っているわけじゃないとわかる。


だから、楽しくもある。



星空(G352)image
超新星残骸(G352)
NASAのX線天文衛星チャンドラの撮影。
X線源物質が通常の超新星と異なり、
かつ、爆発後にできるはずの中性子星も見当たらない。奇妙な残骸。


星空(春のソンブレロ銀河)image
ソンブレロ銀河(M104, NGC 4594)
乙女座にある渦巻銀河。太陽の8000億倍もの質量を持つ巨大銀河で、
地球からの距離は2800万光年
非常に大きなバルジがあり、ディスクには塵による顕著な暗黒帯が見られる。
チャンドラ、ハッブル、スピッツァーそれぞれが2007年5月2日にとらえた。



こうした銀河は姿形、種類も無数だ。
それぞれがドラマを創り出し、
ときに、ぶつかりあったりもしている。


星空(衝突気味な銀河)image


星空(colision)image




そして・・・こんなふうに粉々にも・・・。



星空(衝突するところの)image



こうしたことを見るにつけ
星々と、そこに生きる生命を生み出す「何か」を、
まざまざと・・・実感する。



星空(影絵)image



そして「何か」の一端が
声なき声で、そっと教えてくれる。

この肉体の「眼」が視ている世界も、大事だ・・・
それは、執着のない学びにおいては、かけがえのないものだ・・・と。


ほんとうにそうだと想う。


     沈黙の深い砂漠のなかでも
          私たちはなお、小鳥のように歌う。
                    ―――サラ・メトランド―――



たまには、何かしら見間違うこともあったりするが・・・
それも世の常、ご愛嬌だ。



ネコさん(現実との相違な)image




ネコさん(コンセントつき)image




そして、想う。


宇宙に比すれば、有るのか無いのかさえわからないほどの
小さな生命(人間)であっても

精一杯、この世界を生き抜いているかぎり


生まれ出たときに携えてきた意味づけは
自然にあとをついてくるだろう・・・と。




ネコさん(歩く影絵)image



それとなく「心の価値感」・・・

Posted by 世羽 on 19.2014 つぶやき   0 comments   0 trackback
(つぶやき)
あの問題が、ちょびっと再燃した。

裏ではこんなことがあった・・・のかもしれない。

Commented by CCC at 2014-06-17 21:10 x
内部のものです
CDB三銃士の先生方の奮闘には頭が下がります

またラストサムライである若山先生もちゃんと説明を果たしたと思います。
少しブログ主様(別のブログのこと)が勘違いされているようですが
Kahoさんと若山先生が解析した細胞は作成日が違います。

Kahoさんのは2013年半ばに解析に出されたサンプルであり
そもそも若山さんは山梨に行ってしまった後なので彼の関与は全くなく、
そもそものstap細胞がTSとESの混ぜ物であったことが判明。
若山先生の結果は2011-2012の時点で
彼女が渡したstapがESで有ったことの証明になります
有り体にいえば、
その場その場で自分の持っているインチキの細胞を渡していたことになります。

武市先生は直前まで
若山先生の第三者機関の放医研からの発表を>「するな」と強く圧力をかけていました。
それどころか、CDB内の三銃士たちの解析結果も「絶対出すな」
と言っていたのです。

もちろん小保方冷凍庫からES細胞が見つかった事など、
「口が裂けても言うな」という感じだったのです。

しかし、何処かからかリークが起こり、
結果的に理研は公表した形になりました。
そんなのまでして何を守りたいのでしょう。


243 :名無しゲノムのクローンさん:2014/06/17(火) 21:31:04.97
>あのES細胞の入った冷凍庫は実は
CDB内の有志が疑惑が上がった3月に封鎖、差し押さえしていた。
調べたくても笹井、武市の肝いりで調べれなかっただけ。
若山の第三者機関も結果を見て、そのプライマー使って調べた。
そしたら一致。さらにESと小保方の筆跡で手書きで書かれた凍結細胞株も
なんと、一致。終了。


細かい真偽はさておき、起きた問題はあくまで
「科学的な方向」から科学者の良心でもって
追求してほしい・・・もんだな、と。


とある都会の風景(シンガポール)image



どれくらい前だったか、「これ読むか?」と言われ
「あいよ」・・・ともらい受けた、ある「冊子」
そこに、短いけれど、眼をひく話が載っていました。

一部を、少しやわらかい表現にして伝えすると、こんなものです。
(すでにご存じの方はお許しを)


まだ携帯など普及していなかった、一昔前・・・。

ある児童福祉施設で、
収容制限年齢を超えた少年が卒園することになりました。


少年は18歳で、知的障害があり


メガネねこさんimage




卒園にあたって、
彼が社会に出てもちゃんと自立していけるように
施設の教諭のひとりがトレーニングの役割を担うことになったのです。




ネコさんの生きる糧image



ネコさん頑張るimage



で、そのひとつとして
社会に出て使うお金の判別も、身につけてもらおうとしました。


そこで、教諭は問題にぶちあたります。


ネコさんお勉強するimage


この少年は10円玉50円玉「お金の価値」
どうしても頭に入らなかったのです。

10円玉のほうが50円玉より見た目が大きい・・・
でも、
お金としての値は50円のほうが大きい・・・

その違いを、教諭は何度も、繰り返し教えようと試みました。

しかし

「どちらのほうがお金が高い(価値がある)?」と尋ねると
少年はいつも10円玉のほうを指さします。




ネコさんと10円玉image



どんなに一生懸命指導しても、毎回少年の答えは同じです。


たまりかねた教諭はついに
「なんで、こんなことがわからないんだ!!!?」
キレ気味に詰問してしまったようです。


すると、その少年がこんなことを言いました。

「公衆電話に10円玉を入れるとね
お父さんの声が聞けるもん。

50円玉を入れたってすぐ落ちてくる・・・。
10円玉より役に立たないよ」


少年にとって、ほんとうに価値があったのは
現実的なお金の値からみた50円玉ではなく
自分とお父さんを電話でつないでくれた10円玉のほうでした。




ネコさんと電話image



人はみな、この少年のように
何かしら、それぞれの価値観で
それぞれが大事なものをもっている・・・。


ネコさんとスイカimage


ネコさんの好きな場所image



人や社会の運命を左右するほど大きな偽り、誤解や誤謬は
確かに、正すことが必要です。


ただ、

この少年の感じていたような「心の価値観」
他者が見たときに

人が各々どのように感じ、どのように生きているか・・・
そのあたりを大きな「心のふところ」で眺められるというのは
けっこう大事だろうな・・・と思ったりします。



自分、かつて恩師に、こんなことを言われたことがあります。


「優しい、大きな心を持ちましょう」



ネコさんと子供のimage


今も、なかなかそうできないとき
多々あって・・・。

そのたびに
「そうだな」と、しばしば思いかえしている
大事な言葉のひとつになっています・・・。



ネコさんのやすらぎimage



ふと、「アリ」さんの世界・・・

Posted by 世羽 on 17.2014 道草   0 comments   0 trackback
(つぶやき)
昔は国家を歌わない学舎(まなびや)が出てくるなんぞ
およびもつかなかった。
今は、自国の国家「知らない・歌えない」人がたくさんいると聞く。

他国の選手たちが自国に誇りを持つように一生懸命に国家を歌う。
見ていて気持ちがいい。
一方、サッカーの日本サポータの方々が
大声で「君が代」を斉唱する。
自分的には、これだけでも、けっこう嬉しい。


アリさん(AntNebula)image
  (アリ星雲:Mz3 Ant Nebula)

アリさん(Nz3のかたち)image



よく何々ワーカーという言葉を眼にします。
心の世界もそうですが
社会的に色々と使われていて・・・。

最初これが頻繁に使われるようになったとき
「なんか“蟻”みたいだな」と感じたのを覚えています。

生物の世界、そのなかで「働き蟻(アリ)」のことを
「ワーカー」(すべて♀)と呼んでいるので・・・。


アリさん(女王と働き蟻)image


アリさんと言うと、もう凄く身近な生き物で
そこら中に当たり前のようにいます。

日本だけでも280種以上が棲息しており
世界には、それこそたくさんの種類がいて、姿形も様々です。

彼らはともすると
もの凄く勤労タイプな生き物に思われがちですが
近年の研究から、
ひとつのコロニーに7割の「働かないアリ」
いたりすることもわかってきました。

この「働かないアリ」にも色々あって
通常の場合は、
「働きたいと思っても、働けない感覚」になる類
実際に働いているワーカーが何かの要因で減少すると
封印が解除されたかのように労働するようになったりします。

例えば、アリも働きづくめだと疲れるので動きが緩慢になったりします
そんな状態のアリが増えていくと
「働かないアリ」が自然に働きだしたりします。

こうして、全体の労働力が止まってしまわないように
全体として微妙な調節をしている向きがあったりするのです。

(ただし、永遠に働けないままの個体もいる)

一方、これとは別に
宿主にしようと狙いを定めたコロニーに侵入し
コロニー全体の利益にまったく関与することなく
自身は働かずに卵を産み続ける「騙す(Cheat)者」(チーター)
と呼ばれるワーカー類がいたりします。

この侵入は、病原などの「感染」と同じ作用を、コロニーに及ぼします。
(通常、女王アリのみが産卵するが、これはワーカーが産卵する)

「チーター」が増殖したコロニーは
働かないアリがドンドン増えて生産性を失い、やがて滅びます。

「チーター」を排除できればいいのですが
侵入者はあの手この手で、
宿主となるコロニーのアリたちに身バレしない方法を使いますから
「チーター」の侵入を許してしまったコロニーは
たいてい壊滅にいたります。

“いろんな面”で、人の世界のようです。

日本でも、異国の人不当な生活保護を受給
真性の日本人がそれを貰えなくなるケースが多発している問題にも
なんとなく似て・・・。

ワーカーがたくさんいるアリのコロニーは生産性が高く
物事の処理が細分化されてスピーディに進みます。
ただ、分業化も高くなるので、
あるワーカーたちのしている仕事の内容を、他の仕事をしているワーカーたちが
全く知らなかったりします。

現代の社会にソックリです。


アリさん(たとえばマンガチックに)image


ちなみに、一つのコロニーに群れをなすアリすべてをひっくるめて
「超個体」と捉えることもあり
彼らが特に誰かの指令を受けることなく
各自がタンタンと任務をこなしていく姿は
なんとなく、人間の霊的な構成としての「超個体」の在り方すら感じたりします。


アリさん(橋渡しのお仕事中)image


アリさん(工事のお仕事中)image


話しを戻して・・・。


面白いことに
コロニー内で、比較的生命に危険が及ばない仕事
たとえば「卵のお守り」などは“若いワーカー”が行い


アリさん(もはや宇宙人なqueen・bulldog)image



いつ捕食者に食べられるともしれない外に出て
餌を取りに行ったり、バトルしたりするのは、“古参のワーカー”です。

ここらは、人は幸せだよな・・・と思えるところです。


アリさん(砂漠でのバトル2)image

アリさん(砂漠でのバトル)image


で・・・

外に出て餌を探しに行ったアリは
餌を見つけるまでに、ルートに標づけして行くので
別の個体は、それを辿っていきますが
時折、ダメポ(?)なアリ「道」を間違えたりします。

ところが、その“ダメポなアリ”の辿ったルートが
意外にも「近道」だったりする
ことがある・・・。


アリさん(行列)image


そして・・・

コロニー内に、ある程度の「ダメポなアリ」がいたほうが
「優秀な」ワーカーばかりのコロニーよりも
最終的に効率よく仕事ができている・・・という
研究結果が出ています。

これを見ると、
エリート偏重主義な社会のなかで馬鹿にされ
「のけ者」扱いされている人物が

思わぬときに
社会を救う役割を発揮したりする可能性がある・・・


研究者のみなさんが、人の世と眺め比べて、そう指摘していたりします。

なのでやっぱり、
謙虚な姿勢で世の中や人々を眺めることは大事だな・・・と
再確認できたりもします。


アリさん(ヨーロッパの)image


アリの世界と人の世界は「似ていて非なるもの」ですが
見れば見るほど学べるところが多々あって、実に面白いです。


アリさん(花とアリ)image


周囲を見渡すと、他の動物にしても植物にしても
まあ実にたくさん
人以外の教師がいてくれて
仮に専門の研究者でなくとも
その気になりさえすれば、様々に教えてもらえるわけで。

しかも、現実を生き抜く「答え」さえ読み取ることもできたりして。


ちょっぴり残念なのは、そうしたことに眼を向けたり
知ったりする機会がなくて
自然が拡げる「本」が読めなかったりする・・・。



アリさん(蟻さんのような羽のない蜂パンダアンツ)image
   (アリの親戚:パンダアンツ・・・羽がなくなった蜂さん)


しかし、いずれにしても
こういう自然界に息づく色とりどりの姿を見るにつけ


世界はほんとうにすべてが先生で、興味深いなあ・・・と、
いつも感嘆することしきりです。




アリさん(蟻さんのいる情景)image_convert_20140617005146




日本人があまり気づかない「誇り」

Posted by 世羽 on 14.2014 つぶやき   0 comments   0 trackback
(つぶやき)
あの、「有る無し」問題の科学的な見解を
日経サイエンスのWeb記事(PDF)で読んだが・・・なかなか興味深かった。

【号外】STAP細胞 元細胞の由来,論文と矛盾


海と雲の情景image


W杯も始まり、
日本選手のみなさんの活躍しだいでは、
日本全体も元気になったりするでしょう。
なので、密かに応援しつつ、
日本の誇れるところを少し・・・。


以前から、
日本人として生まれ、日本を思い、
日本国籍を持ってこの敷島に住むなら、
自分の国に「敬意を払い、誇りを持つ」ことが大切だ・・・
とメモってきました。

そんな「敬意と誇り」のひとつには
皇室の存在に対する再認識というものがあったりします。

こんなことを書いたりすると、

皇室の消滅を望むみなさんや
皇統の正当性の「裏・表」を考察して、存在意義がない・・・と考える方々

はたまた、天皇家と伊勢の繋がりを、正神・偽神・・・という観点で
それこそ、日本が操られていることだ・・・とおっしゃる方々から
お叱りを受けるかもしれません。

しかし
自らの感覚を信じる限り

そして、これまでの日本が
太古にどのような形で世界に繋がっていたかを見つめるとき
そこに「視えざる上意」が息づいているのを感じます。

ですから、
隣国からの干渉や、国内の“あまりに左寄りの思想”によって
また、国体を揺るがす一部の思想団体によって

日本の皇室全体、また祭祀の任を担う役割を持つ部分が
軽んじられて、存亡の危機に立たされていることを
憂いをもって眺めています。

さらに、

単なる、かつ安易な「男女平等感」だけから起草される、
“女系”天皇の考えにも、首を傾げています。


天皇(すめらみこと)・・・世界では「皇帝」(emperor)とされ、
現在、この名称を名乗る存在と認められているのは、世界で唯一
日本の天皇陛下のみです。


皇帝という称号は、世界の基準からすると
多くの「国」を統率する者、
「国王」という呼び名の上に位置するものです。

そして、「皇帝」が治める国々「帝国」と呼びます。


かつてローマ帝国大日本帝国・・・と呼んだのも
頷けます。



皇室(昭和天皇とエリザベス女王)image



日本では、そんな天皇のおられる状態が
初代・神武天皇から「男系」数千年の長きにわたり存続されてきたわけで
そんなことが起きているのは、これまた日本のみです。

(よく、かつて女帝がいた・・・と息巻く人がいますが
それは、正当な血縁を有する男系天皇が新たに決まるまでの、
応急措置のようなものですし
歴代の女帝は独身を貫いて、自分の子供を天皇にしていません)

不謹慎な表現かもしれませんが、
世界文化遺産の登録に、このシステムが叶うというなら
ここまで脈々と続いてきた皇統
真っ先に登録されてもいいぐらいだ・・・と、思えるほどです。

時代によっては堕落して、
存亡の駆け引きを行っていた史実があったとしても
たとえ、時代のはざまで「天皇すり替え説」が浮上していたとしても

日本の皇室、天皇陛下には
世界が敬意を払うほどの歴然とした地位がある・・・という事実を
もっと誇りに思っていいだろう・・・と想うのです。


皇室(昭和天皇とヨハネパウロ2世)image
  (法王が上座を譲っている)



さらに、日本の天皇陛下は、ただ「皇帝」であるばかりでなく
神事を司る存在です。
その神事において禊ぎをしてまで
国民、国家の平和を祈ってくださる方でもあるわけで・・・。
そんな稀有な国家がどこにあるでしょう。


皇室(陛下の祭祀)image


その国の形は、
これまで日本に住む人たちみな
長い歴史の流れのなかで
知らず知らずのうちに「育んできたもの」でもあるのです。


皇室(昭和天皇行幸と人々)image


皇室(行幸のときの子供)image




皇室に多額の税金が投入されるのは・・・まったく無駄なことだ
と言う意見も耳にします。
でもそれは、
日本の皇室を「単なる一般の家庭」としか
見ていない現れではないでしょうか。

少なからず、日本に生まれたならば
眼には映らないけれども
非常に「不可思議な力」が、この国土に働いている
ことを
“感じる”必要があるだろうと・・・。

それは、信じる宗教の別とか、無神論者だとかには、
まったく関係ないことです。

また、この感覚が正しく捉えられないと
おそらく、世界における日本の立場や
役割の本質が霞んでしまうでしょうし

皇室典範への悪辣な改正が行われて、
最終的に“嘆く事態”に陥る可能性も高くなるでしょう。

同じ人間なのに・・・どうして皇室が必要なのか、
おかしいだろう

と、酷評する人もおられます。

ただそれも・・・・・

この「システム」
意味なく続いている“ひとつの家系でしかない”という
“人間的な視点”から捉えているからでしょう。



皇室(天皇皇后両陛下被災地へ)image


皇室(陛下と皇后さま)image



米国も、そうでしたが・・・

スターリンが存命のころ
彼は日本の共産党に「天皇家を消せ」と命じたことがありましたね。

それで、共産党員のなかには、その時初めて、“違和感”を覚えて
党を離脱した人たちがけっこういたようです。

幸い、もくろみは失敗したから良かったですが・・・。

今では、“別の方向”からそれをしようとしている人たちが
国内にいるわけで・・・。

その方たちは、隠密裏に、皇室を内側から潰していこう
画策しているようです。
(残念なことに、かなり成功しつつある)

それが完全に成功してしまうと

日本が無意識のうちに大事にする“心の拠り所”
また、護国の力を・・・
汚し、崩壊させていくことになりますが
この重大性に気づいている人は、いまだ少ないようです。



妙な話ですが、かなり前に、
かつて李氏朝鮮最後の皇太子・李垠(イ・ウン)殿下に降嫁した
元日本の皇族・梨本宮方子(まさこ)女王の生んだお子が
横田早紀江さんか?
・・・という「トンデモ話」が流れたことがありました。


で、北朝鮮が早紀江さんの娘である「めぐみさん」を拉致したのは
その血筋を知っていたからで
さらには金正恩氏は、めぐみさんの子供ではないか・・・と。

この方子妃は、いわゆる政治的な思惑のなかで李王朝に嫁がされ
そのさい、
お子の生まれぬお身体であることを確認したうえで嫁いだものの、
あにはからんや、二人もお子ができてしまい
当時の侍医は責任を感じて自殺してしまった・・・という話まで
ついていました。

つまり、北朝鮮は「皇室の血脈」がほしかったのだ・・・と
そんな話でした。


皇室(李皇太子殿下と方子妃)image


皇室(余談・方子さまと横田早紀江さん)image


仮に、そんなトンデモ話が本当にあったとしても
金正恩氏が皇室の「代」に連なることはできないし、あり得ない。
なので、そんな話が真実だったとしても、
日本人の血が北に入っただけ・・・になります。

しかし、このような話が出て来ること自体、
裏を返せば、それだけ皇室の血統は
権力者にとって非常に魅力的に映るものであり、
類い希な価値があるものと見なされている、ということになります。



皇室(新年一般参賀)image



昔、英国の新聞が
「日本は幾多の困難にあるが、
ただひとつ、揺るがない安定点がある。
それは天皇だ」

と評しました。

異国の評ながら、この視点は非常に重みがあります。


この神風の伊勢国は
  常世の浪の重浪(しきなみ)帰する国なり。
 傍国(かたくに)の可怜(うま)し国なり。
  この国に居らむと欲ふ。



神話の「上意」が文字に表されたこの想い
もしかすると、かなり消えかけていて・・・


でも、いまふたたび
日本の民心に、問いかけられていることかもしれません。




(即位の礼)
皇室(即位の礼)image


皇室(即位の礼のとき)image


皇室(即位の礼のご勅旨)image



で・・・

そんな「上意」が、まっすぐ響くといいな・・・と想う
今日この頃・・・です。




夕陽に飛ぶつがいimage




小さな道の霊性・・・「マッサビエルの洞窟から」終回

Posted by 世羽 on 12.2014 聖母マリア   0 comments   0 trackback
(つぶやき)
A新聞集団的自衛権について意見を述べた某女性ライターさん。
これまで何度、日本を馬鹿にする発言をしてきただろう。

何を語ろうが自由だし、とやかくは言えない・・・しかし・・・。

“祖国”を持ち上げて“今住む国”を貶めるほど嫌な日本に
どうして住んでいるのだろう。

ともかく・・・何を書いても仕方ないとはいえ

あの、仲間と3人
「靖国神社」境内で“全裸写真”を撮ったことだけは・・・

少なからず「日本護国の社のひとつ」として敬意を集める、その「地」
心から謝ってからにしてほしい・・・と、心が叫ぶ。


夕陽と飛行機雲とシルエットimage



「ルルドの物語」・・・
これまで、ほとんど一般に注目されないところをメモってきました。
終回ではさらに、もっと注目されない部分につっこんでみます・・・w。




小さな道の霊性


ベルナデッタの家庭が貧しかったことはすでに書きましたが
彼女は、病弱な身体をおして
当時の貧しい人なら誰でもしていたように
羊飼いや女中・・・実に色々な仕事をしていました。

思うように学校に行けなかったので
読み書きはほとんどできず、
初聖体前の準備を迎えたときには
学校の休み時間に5歳も年下の少女に教えてもらったりしています。

「何かを覚えるのはベルナデッタには難しいんです。
頭が固くてなかなか入らないみたいで」
・・・と、その少女。

またあるとき、ボ(ポ)ミアンという神父とベルナデッタの
こんなやりとりも・・・。

「あなたはどんなことを知っていますか?」

「天におられる(主の祈り)と、アヴェ・マリア(天使祝詞)と、
天地の創造主、全能の父である神を信じます・・・のお祈りです」


「ああ、それだけあれば“ロザリオの祈り”をするには十分ですね」

とにかく、ベルナデッタはこんな具合でした。

しかし、感性にはもともと鋭いものがあり

「ねえベルナデッタ、神さまをお迎え(聖体拝領)するのと、
洞窟でマリア様に会うのとどっちが幸せなの?」


と聞かれると

「さあ・・・わからない。この二つって一緒のことだもの。
比べるなんてできない。
私に言えるのは、どっちも幸せってこと」
と答えます。


うまく言えませんが、もの凄く単純なようで
感じていることが、さりげなく深いのです。

そんな貧しい無学な少女
とっておきの「不思議な出来事」が起きたわけです。

彼女には、欠点としての頑固な一面もありましたが、
それを覆い隠して余りある、生来の謙虚さがあり

「もし、この世で私より愚かな子がいたら、
マリア様はきっと
その子のところへ現れたでしょう」


・・・と、 自分の体験を誇ることが一切ありませんでした。

さらに、自分の体験をどれほど「インチキだ!」と罵倒されても、
見たものは見た・・・と言い切る「勇気」も持っていました。

そんな性質の持ち主だったからこそ出来たことかもしれませんが・・・

「罪人のために祈ってください」

(具体的には、改心[良心の回復]と回心[神に心を向ける])

という聖母からの頼みを、
純朴な意志を貫いて、この世を去るときまで実行しつづけます。


洞窟の出来事ののち
ベルナデッタは飛躍的な内的進歩をとげ
とりわけ、聖母の導きを通して「キリストへの愛」を深めます。

そして、その愛を生きる一つの方法・・・
修道者としての生活を心から望むようになります。

しかし、当時の女子修道院は
一生を過ごす一助として、ある程度まとまった持参金が必要で
極貧のベルナデッタには叶うはずもなく

加えて彼女は自分のことを
『もし修道院に行けたとしても、
学も才もない私には何もできないだろう』
と思い、諦めていました。

けれども、彼女の体験を聞き及んだ様々な修道会が
「うちに来てください」と申し出てくれるようになります。

「いくら何も出来ない・・・と言っても
ニンジンの皮くらいは剥けるでしょう?」


「なんだ、そんなのは簡単です!」

というように、自分なりにやれることがあるとわかり
とても喜んだりします。

で、そこらの裏話には紆余曲折ありますが

とにかく、多くの修道会が名乗りを上げてくれるなか
「いちばん私を引っ張らなかったから」という理由で
ヌヴェール愛徳修道会に入会することになりました。



ルルド(修道院入会へ)image



御出現を受けた稀有な人材として迎えられたベルナデッタでしたが
彼女はときに、非常に“愚鈍”に見えることもあり
「これがほんとうに、聖母に遭ったという少女なのか?」
周囲が困惑することも度々あったようです。

また、御出現を受けた者として特別扱いをしないように、
厳しく対応されすぎて
非常に辛い時期を過ごしたこともありました。

しかし何と言っても、彼女の類い希な特質は
単純で素朴、けれども非常に深い想い・・・
内に秘めた愛です。

その愛は、こうした日々の困難のすべてを
「ありがとう」という感謝の思いに昇華していったのです。



ルルド(修道女のベルナデッタ)image
    (修道者になると決めてからのベルナデッタの顔に、微笑みが浮かぶようになる)



彼女から湧き出る「愛」は、
病人の看護を通して働くときも、修友との語らいにおいても
周囲の人々に「超自然的な何か」を感じさせました。

とくに、祈るときの姿には、それが眼に見える形で
映し出されていました。

まるで・・・かつてベルナデッタがその眼で見た
あの「美しい方」の在り様をそのままなぞるような感じで。



聖母信仰のようなものは、どんなに素朴なものであっても
「偶像崇拝」と言われて、神学的な批判を受けることも多々あります。

考察は自由ですから
それはそれで仕方がないでしょう。

また、処女マリアキリストの母となったことについて
諸説もたくさん流れています。

ただ、それを覆すかのように
「汚れなき(無原罪の)御宿り」として
ベルナデッタに「姿を現した存在」がいた・・・ということだけは
本当のことだったろう・・・と思います。

さらに・・・ですが

不思議なことに
かつて聖母マリアを深く愛した人
キリストの愛を生きなかった聖人はいないのです。

つまり、みなが
聖母マリアを通してキリストへ至る道を見出した・・・。

ベルナデッタはそのなかでも
とくに貧しい人、無学な人、病める人など・・・
この世界ではあまり重要視されていなかった人たちに
その道を示してくれた人
・・・と言われています。

ルルドの泉は、ともすれば
病気の治癒だけが取り沙汰されてしまうのですが
そこに現れる奇跡的な現象の最大のものは、
むしろ「心への働き」である・・・と言われています。

また、この「泉」の意味するものとは
聖母マリアから溢れ出るキリストの福音の象徴であるとも。

なので、キリストを慕う人であれば「キリストへの愛」が一層深まり
そうでない人には、
何かしら「神聖な心」「愛の心」が発動するように働くと・・・。


ベルナデッタが辿った道は、非常に「小さな道」に見えるもの
しかしそれは、
キリストが告げた、「私は道である」(Ego sum via)へとつづく小径。

すなわち、
聖母マリアキリストとともに生きていたときに歩んだ
偉大な「愛の道」(via amoris)
と呼ばれるものです。

もし、本気でこの道を歩む人がいれば

ベルナデッタが言ったように

「イエズスよ、すべてを越えてあなたを愛します」

にいたるのでしょう。



1879年4月16日、ベルナデッタは35歳でこの世を去りました。

そして、「三日間」聖堂に安置され
聖母を視た彼女の遺骸を一目見ようと、多くの人たちが集まります。

記録によると
この三日のあいだ、遺骸には死後硬直が起こらず
手足は柔らかで、肌は自然な色を呈し
指先は血液が流れているかのようにバラ色
でした。


葬儀ののち、ベルナデッタは聖堂の中央に埋葬されます。


ルルド(聖女帰天直後画像)image


それから30年もたった1909年9月22日のこと。

ベルナデッタの列聖調査のために
ヌヴェール教区長の司教を筆頭に、数名の調査委員および2名の医師
会の修道女たちが立ち会って、彼女の墓が開かれます。

すると、葬られた当時のままの姿で彼女が現れました。

修道服はそのままで、
そこから出ている手や顔が、多少青白くツヤが失われていたものの
唇はほんのり赤味を帯びていました。

医師たちがベルナデッタの身体を丁寧に調べると
腕や股などに十分な弾力があり
医学的には死後数時間を経過した時の状態と同じだ
・・・
という結論になりました。

この遺骸について巷では
法医学でいうところの「特殊死体現象」(永久死体)のひとつ
屍蝋化(adipocere formation/死ろう化)だろう
・・・と、言われたりもしています。

屍蝋化:水中や浸潤で空気の流通の悪い土中等に置かれた場合、
  腐敗が進行せず、身体成分が“灰白色”の柔らかいチーズや
  ワックス様に硬化した状態。
  中性脂肪が脂肪酸とグリセリンに分解され、脂肪酸が土中・水中のCaイオンや
  Mgイオンと結合して石鹸化するため生じる。
 水中で1~2ヵ月、土中で数ヵ月で、皮下脂肪から始まり、
 筋肉・深部組織へと進んでいく。
 全身が屍蝋化するのは、水中で半年~1年、土中で数年。
 栄養不足の体は屍蝋にならず、脂肪の多い肥満体に起きることが多いとされる)


のちの所見では、墓から出された彼女の皮膚が時間とともに茶色を帯びて
現在のベルナデッタの身体には、薄いコーティングが施され
表情も微妙に異なります。

そんな見方もある・・・と、真摯に受け止めながらも

この時の遺骸が修道女たちの手によって、ていねいに洗われて
新しい修道服に着替えさせられ
それに十分耐えたベルナデッタの遺骸とは・・・
はたまた
医学的な見地でいう灰白色ではない
肌の色や唇の赤味はいったい何だったのか
・・・と、思ったりします。



ルルド(聖ベルナデッタ遺体)image


ルルド(ベルナデッタ遺体)image


ルルド(遺骸)



そして

1925年6月14日、ピオ11世によって列福。
1933年12月8日、同じくピオ11世によって列聖。


こうして、

「ロザリオの祈り」しか知らなかった貧しい無学な少女


ルルド(ベルナデッタ微笑)image



聖ベルナデッタとして知られるようになりました。


ルルド(修道女のベルナデッタ2)image



そして洞窟の聖母は「ルルドの聖母」として、知られるようになりました。


ルルド(とある聖母像)image



聖ベルナデッタの霊性は、聖母マリアのそれに倣うもの。
与えられた「恵みに対する素直さ」であり
それはとりもなおさず
あの受胎告知のときのフィアット(fiat)・・・と同じ

「お言葉どおり、この身になりますように」でした。



ルルド(PESELLINO+DIPTYCH)_convert_20140611213352



この辺で、そろそろ一連のメモをしめくくるとして。

文末にひとつ。

聖ベルナデッタには、とても“ささやかな想い”があって
どなたかが、もしルルドに行かれたとき
あるいは、ルルドの洞窟をふと思い出したとき
それが・・・伝わるかもしれない・・・ので
その言葉をお贈りしておきます。


「美しい聖母のことや、聖母との約束はもう忘れてしまった?」

「忘れたかですって? いいえ、決して忘れていません。
それは“ここ
(額を指さす)”にあります・・・」

「どうぞ、私のために祈ってください。
特に、あの懐かしい洞窟に行かれるときには・・・。


私は、あの大好きな洞窟にしっかり結ばれています。

ですから、

みなさんは“心の中”で、
そこに私を見出してくださることができるでしょう」



ルルド(ベルナデッタの修道女姿)image



ルルド(ステンドグラスの聖母)image





(つたない筆による「ルルドの物語」をお読みくださったみなさんに
改めて、心より御礼申しあげます・・・万感をこめて感謝!)









「誰か」の御名・・・「マッサビエルの洞窟から」つづき

Posted by 世羽 on 09.2014 聖母マリア   0 comments   0 trackback
(つぶやき)
中国の実際の軍事力・・・なかなか報道されない。

・総兵力・・・・・・日本 22万人  中国 230万人

・陸上兵力・・・・日本 14万人  中国 160万人

・艦艇・・・・・・・・日本 141隻(護衛艦48隻 潜水艦16隻)
          中国 970隻(駆逐艦80隻 潜水艦60隻)

・作戦機・・・・・・日本 410機(戦闘機350機)
          中国 2580機(戦闘機670機)


この中国へ、いまだ日本からの莫大な公費を投入し
軍備の差をどんどん広げられ、手玉にとられ
和平交渉はとにかく外交のみでしろ・・・と言うのは

なんか、拳銃を振り回す凶悪犯の前に
「話せばわかる・・・」と、無防備に出て行くのと同じような?


黄色の木洩れ日image



以下、これまでのつづきです。
(ため込んだので、少々長い・・・)



「誰か」の御名


1858年3月4日。
約束した“15日間”に渡る洞窟通いの最終日。

「誰か」は、特別何かを告げるということもなく
ふたたび現れるかどうかもわからないまま
スパッ・・・と姿を消してしまいます。

ベルナデッタはペーラマール神父から依頼された「誰か」への伝言も
しっかり伝えましたが
「あの方は、ただ微笑んでいただけでした・・・」とのことで。


一方このころ、洞窟あたりでは、

人々が(すでに)聖母像を安置し、花を飾り、
参詣する人が行列をなし
洞窟付近はちょっとした聖地の雰囲気になっていました。

心ある人たちが進んで
“湧き水”の場所に水が溜まるように手を入れ
小さな「泉」にし
その水を“容れ物”に汲んで持ち帰る人たちも・・・。

そんな情報は政府にまで達し、
「真実のところを報告せよ」
内務省から県知事へ書簡が届けられたりしています。


同年、3月25日。「お告げの聖母」の大祝日・・・
(ベルナデッタの信仰するカトリックでは
大天使・聖ガブリエルが聖母マリアに受胎告知をした日として祝う)

その前日の、24日夕刻
ベルナデッタは久々に
『明日、洞窟に来てください』という
内的なささやきを感じます。

ベルナデッタは
「とにかく嬉しくて、一睡もできなかった」・・・そうです。

そして、いよいよ25日の未明

ベルナデッタが“内的呼び声”に従って洞窟に出かけると、
典礼の大祝日をそこで過ごそうと
すでにたくさんの人たちが集まっていました。

ベルナデッタは、自分よりも先に
「誰か」が、光り輝くようにして
洞窟のところに来ているのを見つけます。

「私はその方の前に跪くと
遅れてしまって申し訳ありませんでした・・・と、
真っ先にお詫びしました。

そしたら
『心配することはありませんよ』とでもいうように
その方は頷くように頭で合図をしてくれました。

それで・・・私は
『今日、お逢いすることができて
もの凄く嬉しいです』と言いました。

いつものようにお祈りを始めると
なぜか、どうしても“あの方”の名前を聞きたくなりました。

でも・・・
これまで何度聞いても、答えてもらえなかったし
また尋ねたら失礼かと思ったので我慢していました。

それでも、どうしても我慢できなくなって
何度か
『あなたのお名前をお聞きしたいです・・・・』と
言ってしまいました。

それでも、あの方は
微笑むばかりで答えてくれません。

そうなると、もっともっと聞きたい気持ちが強くなって
『私のような卑しい者は、
お名前を教えてもらう恵みにふさわしくないかもしれません。
でもどうぞ、特別の憐れみで教えてください!』
そう、無理にお願いしました。


(このとき、ベルナデッタは小さく震えながら
涙ぐんで話している)

すると、あの方が洞窟のバラの上に立ちました。

それから胸のところで合掌していた手を
“不思議のメダイの聖母”のように
下のほうへ静かにのばし
もう一度胸のあたりで合わせました。

そして

とても厳かに、それでいて謙虚に、
感謝するように天を仰ぎながら
『ケ・ソイ・エラ・インマクラダ・カウンセプシウ』
と言いました」


「インマクラダ・カウンセプシウって、何のことですか?」

(注:彼女は正確に発音していない)


ルルド(資料として不思議のメダイの聖母)image


ベルナデッタがこの話をしたのは、
当時の税務管理局長だったエストラード氏と、その妹で、
この“素直な質問”を聞いたエストラードは
「“ベルナデッタは嘘を言っていない”と直感した」
と証言しています。

さらに、

このときの「誰か」の動作を真似ながら話したベルナデッタの姿が
「あまりに優美で、感動を覚えた・・・」とも。


ベルナデッタが言った、
「インマクラダ・カウンセプシウ」
「Immaculata Conceptio」(ラテン語)を示していると思われ・・・

日本語では「汚れなき(無原罪の)宿り」というものです。

つまり、「誰か」は自分のことを
「私は汚れなき(無原罪の)宿りです」と言った・・・。

これは、すなわち神学で言うところの
「聖母マリア」の最高最大の呼び名だったのです。

ここでようやく
洞窟の誰かは、やはり「聖母マリア」らしい!・・・となります。

(しかし、教会が調査をして公式に認めるまでは
 あくまで、「そう言った」という段階だった)

ベルナデッタは家庭の貧しさから、ろくに学校に行けず
話す言葉は“ルルドの方言”にときおりフランス語が混ざるぐらい
標準的なフランス語は話せず
識字についても、ほとんど文盲に近い状態でした。

教会の教えの理解にも乏しく
ラテン語の意味もほとんどわからずにいたことから
耳にした言葉をそのまま覚えた様子がわかります。

「誰か」は、そんなベルナデッタにもわかるように
ルルドの方言で話しかけてもいた・・・)

ベルナデッタは、エストラードさんに教えてもらって初めて
正しい言葉と意味を知り
自分がこれまで「誰に」会っていたかを悟りました。
(すごく喜んだようです)


少し時間を逆戻りさせますが

ベルナデッタがこの言葉(名前)の意味を知る前に
実はこんなことがありました。

ベルナデッタは「誰か」から名前を教えてもらうとすぐ
「この名前を伝えれば聖堂が建ててもらえるかもしれない」・・・と、
言葉を忘れないように
繰り返し・繰り返し、口のなかでつぶやきながら
ペーラマール神父のいる教会に向かいます。

途中、人に出遭っても、一切答えず
ひたすら名前をブツブツ連呼しつづけ
やっと神父を前にすると、

彼に向かっていきなり
「ケ・ソイ・エラ・インマクラダ・カウンセプシウ!」
と叫びました。

「・・・・・!?」
神父は唖然とします。


『ああ、あなたはなんと言うことを口にする!!
 そこまで傲慢なのですか?
あなたは、自分が汚れなき御宿りだとでも言うのですか!!!』
・・・と
言葉にしたかった神父さんですが、口から出て来ません。

(神父は、多少、間違って発音されていても
何を示しているかは直ぐわかった。
ベルナデッタが“自分のことを”そう言ったわけではないことも
わかった)

神父の頭の中で、理性がひたすら理屈をこねようとしていました。
彼はしばし考え、こう言います。

「あなたは間違っている・・・。
女性でこの名前を持つものはいません。
いったいあなたは、その意味をわかっているのですか?!」


ベルナデッタは黙って首を左右にふります。

そう・・・このときはまだ、
エストラードさんに会う前で
ほんとうに「意味」を知らなかったのです。

神父は、名前とやらを聞いた瞬間、
それを否定しようとしていましたが・・・。

それに反して・・・彼の「心」に訴えてくる何かがありました。

感動に胸がつまり、ともすれば、涙が出て
嗚咽しそうになるのを必死に抑えなければならないほどでした。

神父はさらに黙り込みます。

するとベルナデッタは言いました。
「あのお方は、まだ聖堂をお望みです!!」

神父はわけもなく流れ出る涙を、子供に見せまいと
わざと荒々しく言い放ちます。

「もういい!!! 家に帰れ!!!
そのうち、あなたに会うだろうから・・・」


この後ペーラマール神父は延々
自分の否定してかかる思考
心から生じる「何か」とのせめぎあいに置かれます。

「あの子はフランス語もラテン語もよくわからない。
だから、こんな言葉が自分でつくれるはずがない。
言い方も変だ。
ならば、この名前も意味をなさないのではないか。
それに、教会か、どこかで
“無原罪の聖母”という言葉を聞いていたかもしれない。
でも・でも・でも・・・」


巡る思考の中、

彼の心にふと、
遠い昔から聖母マリアに与えられていた伝説的御名のゆえん・・・
4年前(1854年12月8日)、教皇ピオ9世によって
正式に信仰箇条とされた言葉が響きます。

「幸いなる童貞は
 御宿りの瞬間から、
 原罪のあらゆる汚れから守られたことを宣言する」・・・



結局、これが神父の心にさし込んだ一条の光となりました。

どうやら神父は、
この信仰箇条を裏打ちするように洞窟の貴婦人が現れた・・・
ということを悟ったようで・・・。


当初から信じたいと思っていたにもかかわらず
「そんな馬鹿な」と否定したくなる思考が
起きていた出来事の真実を「心から」確信したことで
素直に受け入れることができたのです。




ルルドの聖母image




この「尊称」の件は、神父から司教へと伝えられます。
お達しは
「とにかく、熱狂はいけない。推移を見守るように」でした。

これと並行して、
一連の出現騒ぎを良く思わない県知事から圧力がかけられ
官憲による弾圧が起きます。

ベルナデッタには繰り返し
「厳しい尋問」、「病的精神異常の有無」を探る調査が行われ
県知事は、憲兵を投入し
騒ぎの張本人として「ベルナデッタを拘束してしまおう」
本気で検討していました。

これに、立ちはだかったのがペーラマール神父です。


「ベルナデッタは罪人でなければ、狂人でもありません!
それを不法に監禁しようとするなんて、許されることじゃない。

何人もの医者が精神鑑定をして
『入院すら必要ない』と言ったそうじゃありませんか。

もし、暴力で弱い者を圧迫するなら
私は牧者の任から、一命を投げ打ってでも彼女を救います。

もし、武力をもってスビルー家を襲うと言うなら
門前に立ちはだかって最後まで戦う者がいることを
忘れないでください!!」



かろうじて、ベルナデッタ拘束の事態は回避できたものの
こうした政治的な弾圧によって
崇敬を集め始めていた洞窟は柵で覆われ、
警官が見張りに立ち
誰もが、行くことも、通ることも、法的に禁じられる状態が
しばらくつづきます。

しかし住民たちは黙って従っていたわけではありませんでした。

あれこれと知恵をしぼって抵抗し、
命さえいとわず頑張っていましたので
憲兵と住民が一触即発・・・という
危機的な状況にまでなってしまうのです。

この危機を、またもやペーラマール神父が食い止めます。

行動を起こそうとしていきり立つ住民を前にして
神父が言いました。


「聖母マリアの洞窟を血で汚すなんて、
その名を崇めるどころか、辱めることじゃありませんか。

もしみなさんが、あくまで自分たちの意志を通そうとするなら・・・
いいでしょう・・・・。

私はみなさんに立ち向かいます。
私の屍を越えてから官憲に立ち向かいなさい!!!」




ルルド(近づけなかったとき)image



そんなこんな・・・があって、時は夏
すでに7月16日となりました。

実はこの日が、
ベルナデッタにとって
洞窟で聖母に会う最後となります。

ルルドの教会で、ベルナデッタが聖体訪問をしていると
心の中に『洞窟に来てください・・・』という促しを受け
彼女は早速、伯母の付き添いを得て、洞窟へと向かいます。

聖なる洞窟はこのとき
二重の柵に覆われて近寄れず
ベルナデッタは対岸から祈りを捧げます。

時間は、午後4時ごろから、その日の黄昏時あたりまで・・・。

会話はあまり伝わっていません。

ただ、今日が最後だということもあったのでしょうか
「聖母のご様子が非常に愛情深かった・・・」
ベルナデッタが言っています。

さらに、この日の聖母の様子を、彼女はこう表現しました。

「今日の聖母マリアさまの姿・・・
なんと美しかったことでしょう・・・。
今までさえも、まったく見たことのないものでした」



こうして、一連の洞窟での出現自体は
それほど華やかではない終わり方で幕を降ろします。


ルルド(水汲み)image


この最後の御出現までには
ヨーロッパ中の国々に話が広まり
さらに多くの人々がルルドを訪れるようになっていました。

本格的な泉の成分調査や、
教会側の“神学的な調査”も進み
日を追うごとに、泉の癒しの報告も増えていきました。


ルルド(運ばれていく病人)image


ここで、肝心の教会当局の調査が具体的にどんなであったかを
書いておこうと思います。

その一部はこうです。

本教区において、事件に関する調査委員会を設け、
ルルドの洞窟に起こった出来事、
あるいは今後起こり得る出来事
およびこれに関する一切の情報を収集・調査し、研究する。

よって、諸氏の協力を希望する。

決定事項は以下のごとく。

まず、ダルブ教区において、洞窟に関する調査委員を選定する。

調査すべき事項はつぎのとおり。

第1
・ルルドの洞窟の水を使用し、これを飲み、あるいは注いだことで
はたして病が治癒したかどうか、
またその治癒は自然的に説明し得るかどうか。

・ベルナデッタ・スピルーが洞窟で貴婦人のご出現を得たというが、
それが真実の申し出であるかどうか。

もしそうであるなら、それが自然的現象として説明可能なものか、
あるいは超自然的現象、すなわち神の御手によってなされたものと
認めるべきものなのかどうか。

・出現者はこの少女に何の意向を現し、何を求め、
少女はそれを、誰に伝えるべき任務を受けたか。
また、その意図と要求は、どのようなものか。

・現在、洞窟に湧いている泉は、
ベルナデッタ・スビルーが出現者に会う前からあったのかどうか。

第2
委員の調査すべきは、“確実な証拠”に基づく“事実に限る”。
かつこれに関する「詳細な報告」と、各自の意見を提出すること。

第3
本教区の司祭たちは、各々通信員となり
以下のことについて調査委員まで報告すること。

  各自の管轄内に起こった本事件に関する出来事
  事実の証人となるべき者の住所氏名
  調査委員の調査に、多少なりとも“参考となる知識”を有する者の住所氏名
  不思議な治癒を得た患者を診た医師の住所氏名。

第4
調査委委員は報告を得るごとに、即時調査に着手し、
証人には、事実の真実を立証するために必ず宣誓をさせ、
調査のために出張する時は、2名以上の委員を伴うこと。

第5
調査委員は医学、科学、地質学の学術に精通する人々の出席を求め
各自に関わる諸問題を論議させ、その意見を聞くことを切望する。
問題の如何を問わず
調査委員は偏見に捉われず、
光明を求めて真理に到達する道を忘れてはならない。

第6
調査委員は、本教会に属する9名の参議員と、
神学大学・学長、中神学校・校長、本教区司祭団の主席司祭、
ルルドの主任司祭、
神学大学の定理神学・道徳神学および物理学の教授をもって組織する。

第7
調査委員長にはノガロ神父、副委員長にタバリエス神父、スーレ神父を任命する。
なお、他に書記1名、副書記2名を委員の協議によって、選定する。

第8
調査委員はただちに調査に着手し、
必要に応じて随時、委員会を開催すべきこととする。
                                   1858年7月28日
            タルブにおいて 司教ベルトラン・セーベル/書記 フルカード


(これが発せられると
フランスを皮切りに周辺国の反教会思想の新聞各社が猛烈に叩き始める。
そんな情勢下で、調査が進められていた)


昔とはいえ、それなりにしっかり調べようとしていたようで
このときの調査で記録されたことが、書籍になったり
後世に伝わる結果になりました。

ベルナデッタ本人の聞き取りでは
彼女は教会に呼び出され、
出現当初からの詳細な話しが聴取され、あわせてさまざまな質疑応答、
その物言いや態度から、言質の真偽が調べられました。

ベルナデッタは、いつもと変わらない無邪気な態度でこれに応じ
「小さな出来事も質朴に話した・・・」とあります。

ときに、自分でよく言い表せないことがあると
身振り手振りで表現し、
調べの最後に、はっきりと、こう断言しました。


「私は、いままでお話したことが偽りでないことを
神さまの御前に誓います」




ルルド(洞窟と松葉杖)image



この・・・膨大な調査報告がまとめられたのは4年後で、
それをもとに、声明文が出されます。

第1(以下は、その中心部分・・・)

「我々は、神の御母、無原罪の御宿りなる聖マリアが
ルルドに近いマッサビエルの洞窟において、
キリスト降誕1858年2月11日から18回
(15回目の出現は定時でなかったので除く)出現したもうたこと、
およびその御出現が真実の証明を有すること、
ならびに
信者たちがこれを真実として信仰する正当性があると判定する。
ただし我々は、
全カトリック教会の最高統治権を託されたローマ教皇に、
最終的判定をゆだねる」


第2
我々は本教区内において、「ルルドの聖母」を崇敬することを許可する。

第3
聖母御出現の際、しばしば表示された御旨を戴して、
洞窟のかたわらに聖堂を建立することを提唱する。
                                  1862年1月18日
                    ローマにおける聖ペトロ聖座の祝日にあたり
                       タルブ司教館において司教の命により 秘書フルカード



これはもう、なかば「聖母の御出現」
ほぼ公認されたようなもので
各所から寄付金が集まるようになり
「洞窟に現れた聖母」が求めたように
出現地にバジリカが建立される運びとなります。

また、

『人々が行列をつくって、ここを参詣するように望みます』
という言葉どおり
ロウソク行列が今日にいたるまで、“日々”続けられています。


ルルド(行列の人)image


ルルド(ロウソク行列4)image_convert_20140608230555


ルルドはこうして、いまや世界的な巡礼の聖地となりました。


ルルド(バジリカ)image



そして・・・

ルルドの物語はたいてい、このあたりで
終わってしまうのですが・・・。

そのつぎに来る、物語の本当の「核心」と思しき部分
あと少しだけ、つづけてみます。


ルルド(バジリカ正面)image_convert_20140608225228


この手の「不思議な体験」をした人が
のちに必ず遭う心の試し・・・。

それは

自分が“特別な者”である・・・と思いこんでしまい
周囲に必要以上に誇ってしまったり
高慢になったり
自慢・吹聴したり・・・という心の動きで・・・。

人はときに、
そんな心の向きに屈服することがあります。

すると、

まこと特別な恩寵だったものが
いつしか自らの“権力の道具”に変わり
多くの人を、自らの傘下に押しとどめたくなったりします。

特に、

人のためになる「特別な賜物」を与えられた人ほど
この“試し”は大きいものになるでしょう。


だからこそ、
輝く“宝石”には、汚れがつかないように気をつけて
もし、ついてしまったら・・・綺麗に磨く・・・。
これはやっぱり、気持ちがいいものですよね。




満天の星image



湧き水、そして“誰か”の伝言・・・「マッサビエルの洞窟から」つづき

Posted by 世羽 on 05.2014 聖母マリア   0 comments   0 trackback
(つぶやき)
あの話題のパソナさん。
展開する事業の一端はすでに、
国防にかかわる「自衛隊の生活」に食い込み
「国家公務員採用試験」の面にも進出しているようだ。
パソナという企業さんが日本のために働いてくれるならいいが・・・。
かなり危ういような。

移民増加に歯止めをかけようとしているフランス
いま、その支持率第1位の政党、国民戦線の掲げる政策と言えば

生活保護はフランス人のみに適用
生活補助金はフランス人のみ適用
(外国人であれば片親がフランス人であること
・フランス国籍を持つ移民(移民2世・3世も)でも犯罪を行えば、 出身国へ強制送還
・移民はフランスの文化を尊重すること
極左に操られている団体に対する補助金廃止
・国籍については血統主義を採用する



これを見たら、日本なんてもう、
相当“優しい”・・・。


ルルドの近く(ピレネーあたりの川の一コマ)image



湧き水、そして“誰か”の伝言


かつて「不思議な“誰か”」が現れた“マッサビエルの洞窟”あたりは
当時、かなり薄汚れたところで、
食肉用の豚が連れていかれる場所でもありました。

その小汚い場所が、俄然注目を浴びるようになり
ベルナデッタが洞窟へ向かうたびに
大勢の人が集まるようになっていきます。


1858年2月25日朝。
ベルナデッタが洞窟に着くと、
すでに物見の群衆が待ちわびていました。

この日、
いつものように祈り始めた彼女でしたが
これまでとは異なる行動をします。

途中、彼女は立ち上がり、
群生する野バラをかき分けて洞窟の中に入ると
その大地に接吻します。

その後、戻ってしばらく祈ると、また立ち上がり、
洞窟の脇を流れるガーヴ川のほうへ足を進めます。

そして
群衆の中から発せられた
彼女を呼び戻そうとする声に一瞬反応して振り返るものの
いつも跪く場所からさらに8~9メートル離れた場所に進み
何かを探すような仕草を見せます。

しかし、“何も見あたらない”という素振りで
何事かを請うように洞窟を見上げ
やおら跪くと、地面を掘り始めました

しばらくすると、そこから水が溢れ始めます。
(これこそが、のちの「泉」の始まりでした)



ルルド(映画のワンシーン)image
(映画のワンシーンより)


それを見た彼女は、その水を飲もうとします。

しかし、かなり濁った泥水だったので
飲もうとしては、躊躇し
4度目でやっと、水を口にします。

さらには、その泥水で顔を洗い
あろうことか
近くの岩の影に生えていた草をむしって食べたのです。

彼女の顔は泥だらけで
見かねた一人の夫人がベルナデッタの顔をそっと拭いてやると
嬉しそうに微笑んでいましたが・・・。

この様子を目撃した誰もが
「ついにベルナデッタが発狂した!」・・・と、思ったようです。

日々を重ねるうちに、
ベルナデッタに好意と敬意を抱き始めていた人たちでさえ
「なんだあれは・・・?!」と、ふたたび疑念を起こしました。

その後、通常の状態に戻ったベルナデッタは
「どうして、あんな馬鹿げたことをしたのか」と尋ねられ、
こう答えています。


「お祈りをしていたらあの方が
『泉へ行って水を飲んで、顔を洗いなさい』
と言ったのです。

でも、探そうとしたって
この辺りに泉なんかないでしょう?
それで、ガーブ川のほうに行こうとしたんです。

するとあの方が、急に私を呼び止めて
洞窟の左を指さしました。

それで、そこを探してみましたけど、見つかりません。

どうしよう・・・と思って
ふと、土を掘ってみたら、水が湧いてきました。


ああ、これだ!!!・・・
そう思ったので、飲もうとしました。
でも、あまりの泥水だったので、すぐに飲めませんでした。


けれど、あの方のお言葉ですし
4度目に思い切って飲みました。
そして顔も洗いました」


「草を食べたのはどうして?」

「何のためかはわかりませんが・・・。
あの方がそうするようにおっしゃったから食べただけです」



ルルド(源泉)image



その翌日。26日の朝6時。
(この時間にもかかわらず、ギャラリーは300人を超えていた)

洞窟にやって来たベルナデッタ・・・。

いつもであれば、定位置に跪いて祈るところ
この日はまず
きのう掘った“湧き水”の場所に行きます。

そして大きく十字架の印をしてから
また、湧き水を飲み、顔を洗い
前掛けで手と顔を拭くと
いつもの場所、いつもの跪く格好で
いつものように祈り始めます。


(「ていねいな十字の印の仕方」を教えられていたことも、のちに明かされている)

ルルド(聖母が十字の仕草を教える)image


そののち、脱魂というか恍惚というか、そのような状態になり
ロザリオの珠を繰りながら、
何かを聞いて、それを慎んで受けるかのように
頭を下げたり
「いいえ」というように首を横に振ったりしていました。

最後のほうになると、思い切り深く頭を下げて涙ぐみ
地面に接吻した格好のまま、しばらく動きませんでした。


それから、

跪いたまま、何度か地面に唇をつける動作を繰り返しつつ
洞窟のほうへ“にじり寄って”いきます。

そして野バラの枝がある辺りに来ると立ち上がって
人々のほうに向き直り、

右手の人差し指を“自分の唇”にあて
左手の人差し指で“地面”を指して、
自分と同じように接吻するよう、人々を促します。


みなは最初、「なんだ?」と思い
ベルナデッタの伝えようとしていることがわかりませんでした。

しかし、一生懸命ベルナデッタが同じ動作を繰り返すのを見て
「ああ・・・そうか」
多くの人が、平伏して大地に接吻しました。

ベルナデッタがあとで説明したことによると
この「大地への接吻」
「償いの業のひとつ」とのことでした。

余談ですが・・・。
先日聖人となったヨハネ・パウロ2世は、
非常に聖母に愛された教皇として、
また、深く聖母を崇敬し、愛した人として知られています。
彼が、行く先々で“大地に接吻していた”のは、
その意味合いがあったのかな・・・と思ったりします。

さて、

人々に、“大地への接吻”を促したあと
ベルナデッタはまた、湧き水を飲み、
その水で顔を洗い、草を少し食べ
何度も何度も大地に接吻しながら、
見えざる存在が消え去るまで祈っていました。

この日、ベルナデッタはこう言っています。

「今日、あの方が悲しそうな声で

『罪人のために祈ってください。
彼らの罪を償う業をしてください』


・・・と、おっしゃいました。

頭を下げてそれをお受けしたら
『跪いたままで地面に接吻しながら洞窟へ進んでください』
と言われ
『そうするのは、疲れ過ぎますか?』
と、尋ねられたので

『いいえ』・・・と答えました」


また、とある夫人の
「あなたばかりを見ているその方は、
私たちのことを顧みてはくださらないの?」
との尋ねに
こう答えています。

「そんなことはありません。
あの方は、とても愛情のこもった眼差しでみなさんを見ています。

とくに、みなさんを見ているときは、
ずっと長いあいだ会っていなかったお友達に会うような
とっても懐かしそうな感じで見ています」



ルルド(増える人々)image



時間が移り

同年2月27日土曜日・・・。

この日、「誰か」とベルナデッタの語らいは
いつもより長くつづきました。

あとでわかったことですが
このとき、「誰か」は話の途中で急に言葉を止め
しばらく考え込んでから
「この地に聖堂を建てるように・・・と、神父さまに伝えてください」
とベルナデッタに告げていました。


ルルド(聖堂の建設を促す聖母)image


ベルナデッタは一抹の不安を抱きながら
けれども忠実に
ルルドの教会の主任司祭だったペーラマール神父
この言葉を伝えに行きます。

神父は常々、事の真相を見定める必要がある・・・と感じ
仮に超自然的なことが起きているとしても
出現者の正体がはっきり明かされるまでは
たとえみなが、どれほど熱中しようとも、
教会としては容易く容認できない・・・と思っていたので
自分を訪問したベルナデッタに
かなり辛辣に、突っ込みを入れます。

「よくわかりました。
あなたは、あくまでその“誰か”を信じて
このマッサビエルに聖堂を建てるように・・・という言葉を
伝えに来たわけですね。

しかし・・・。
仮に、あなたの言うことに“嘘や偽り”がなかったとしても
名前もわからない“誰か”の言葉を真に受けて聖堂を建てるなんて
容易くできるはずがありません。


もし、その誰かが、そう望むなら
自分が何者なのかを、はっきり示してもらわないと。

そうして、聖堂を建てるための確固たる理由が見つかったら、
無論、そうしないこともないでしょう。

あなたに伝言を頼んだ誰かが、まことに力のある方であれば
私の言うことをよくわかってくださるでしょう。

それがわからないようなお方なら
二度と遣いなど寄こさないでほしい・・・と伝えてください」



詳しい経過をすっ飛ばしていますが・・・。


このあいだにも、出現は起き続け、
群衆の数も2000人を超えるほどになっています。
しかも巷では、
出現者は「聖母マリアでは?」
密かに思われるようになっていました。

また、泉に願いを託した数件の治癒がすでに起き、
その現象は、あのドズー博士を唸らせてもいました。

加えて、様々な意地悪な想いをもってなされる取り調べも受けています。


ルルド(取り調べ)image



そして、

つぎにベルナデッタが伯母とともに
ペーラマール神父を訪ねたのは3月2日のこと。

ベルナデッタがこう言います。

「今日もお遣いで来ました。
あのお方が、
『洞窟に聖堂を建てることと
人々が行列をすることを望みます』
・・・とおっしゃいましたので」


すると、神父は不機嫌になり

「行列!?・・・愚かさにもほどがあります!!!
あなたはそれを、聖母マリアからの伝言だとでも言うのですか!?

あなたがいくら上手く説明したとしても
私は信じられない。

そんな行列をすることを望むなんて・・・。

それこそ無神論者たちの攻撃の的になります。
カトリックの威信にも傷がつきます。

その誰かとやらは、司祭の権限も知らないようです。
もし、知っていたら、
そんな望みを私ごときに伝えるはずがない。

聖母マリアだとしたら、
私にそんな力がないことをご存じでしょう。
タルブの司教のところへあなたを行かせるはずです。

あなたと、あなたに現れる何者かの計画は
曖昧で、要領を得ません。

聖堂を建てろ、行列をしろ・・・と言うなら、
なんの資格があってそれを求めているのか
ハッキリ示してもらいたい。

あなたの言葉の様子だと、
その何者かは聖母マリアにも思えますが
もしそうなら、“証拠”を見せてくれるように伝えてください。

もし、そのお方が、
みなの前で野バラに花でも咲かせようものなら
私も信じましょう。
そのお方の言うように、出来る限り手助けをするから・・・と
伝えてください」


で・・・後日、ベルナデッタは
またまた神父を訪ねます。

「今度は何だというのですか?」

「はい、神父様の言葉をお伝えしたら
あの方は、ただ微笑むだけで、何も言いませんでした。
ただ、『聖堂を建てることを望みます』・・・とだけ言って・・・」


「聖堂を建てろと言われたところで、
いったいその費用をどうしろというのですか?
私にはお金がありません。
だから・・・
神父にはお金がありませんから、あなたに出してもらいたい・・・と
私が言っていたとでも伝えてください!!!」


「・・・・・」


ルルド(ベルナデッタが神父を訪ねる)image_convert_20140604151439


そして・・・“その時”が近づいていきます。

そのあたりをつぎに・・・。


ルルド(ロウソク行列3)image



「見ないで信じる者は幸い」・・・と言われても
「見る」と、「見ない」とでは大違いな時があります。

実際に眼にしてさえ
信じられないこともあったりする・・・。

見ないで信じられる「何か」は
揺るがない確信をもって
心底「そうだ」と思えてこそ
・・・なのでしょう。

でもそれは、思うほど簡単ではなく・・・

ときに、人の“頭が判断すること”
心が「そうだ」と思うこと
食い違うことはざら・・・です。

そして、なにか

心が本当に「そうだ」と確信し
その判断が「最終的に正しかった」と知り得ることが
あったとき

そこには意外にも、
「上智の世界からの恩恵」による助けや導きという
視えざる働きがふんだんにあったりするのに
不覚にも、人は気づけないでいたりする・・・。


ゆえに、
すべてを自らの力で成し遂げている、とだけ感じ
「恩恵」に感謝できない場合も多々あるのでしょう。

そんな、儚くも未熟なこの世・・・かもしれませんが
それでも自分は、

この「人の世界」というものが
“そこはかとなく”愛おしい・・・です。




緑のピレネー

ルルドの近く(ピレネーの緑)image




母親が眼にした娘の姿・・・ 「マッサビエルの洞窟から」つづき

Posted by 世羽 on 03.2014 聖母マリア   0 comments   0 trackback
(つぶやき)
5月31日、都内某所の駅近くで
ブルーインパルスの描く航跡を真上に見あげていた。

「おおおおおっ・・・」と唸るギャラリーの歓声。
自分もつられて声が出た。

やっぱ・・・かなり、かっこ良かった。


さよなら国立競技場(ブルーインパルス)image


で、少し関連して・・・巷の記事にこんなことが・・・。

安倍首相 3月末空自に北朝鮮へのフライト準備の指示してた

スウェーデンのストックホルムで
5月26日から開催されていた日朝局長級協議終了後の29日、
安倍晋三首相は「北朝鮮政府との間で、
拉致被害者を含むすべての行方不明者の全面的な再調査で合意した」
と発表し、
経済制裁の一部解除に踏み切った。

官邸にとっては、今回の再調査合意も、
今年の3月から動き出した「首相の電撃訪朝シナリオ」の一幕に過ぎない。
実は、安倍首相はすでに3月末
政府専用機を運用する航空自衛隊に対して、
「北朝鮮へのフライト準備」を指示していた。

政府専用機はパイロットから客室乗務員まで全員、
空自の隊員で編成
される。
普段は北海道の千歳基地に待機し、
ひとたび命が下れば、ただちに羽田に向かう。

防衛省中枢筋が明かす。
「官邸からの指示は2つ。
第1は、平壌へのフライトシミュレーション。
北朝鮮の領空内は普段、日本の航空機は進入できないため、
東京から平壌までどんな航路で飛び、
その際、他の航空機とバッティングしないようにする調整だ。

第2は、2002年の小泉訪朝時のパイロットが手配できるか
という照会。
彼らのスケジュールを確保しておけという指示だった。
官邸は平壌までのフライト経験があるパイロットのほうが安心
と考えているのだろう」
   (週刊ポスト2014年6月13日号web)

へぇ・・・。本当だったら面白い。



赤っぽい夜空なimage



長いつぶやきのあとの本文(これまでのつづき)


母親が眼にした娘の姿


1858年2月19日。
「誰か」の4回目の出現でした。

この日、初めてベルナデッタの身内、
母ルイーズ伯母のベルナルド
ベルナデッタを連れて洞窟の出現現場に行きます。

内緒にして行くつもりだったのですが
気配を察知した人たちが
彼女の後を追っていきました。

洞窟に着くと、
ベルナデッタはいつものよう跪いて
十字の印を行います。

この時の仕草は、非常に荘厳な、気品溢れる感じで
とても無学な田舎娘の仕草に見えず

のちの出現でもそうですが
この様子が野次馬たちを驚かせ
周囲の人々が自然に跪いたり、
帽子を脱いだりするような
何かしら“畏敬の念”を抱かせる結果を生み出しています。

ルイーズは、
持参したロウソクに火を灯してベルナデッタに渡すと
伯母ベルナルドと共に跪き、天使祝詞を唱えます。

このあたりで、ベルナデッタの様子に変化が起こりました。

顔が照り輝くような、
言葉では表現しがたい美しさを帯びます。


ときに、何かを話しているかのように、かすかに唇を動かし、
ときに、微笑み
あるいはまた、納得したかのように頷いて、
とても幸せそうであったり・・・。

これを自分の眼で見た
母ルイーズと伯母ベルナルドは感嘆します。

「ああ、なんて美しいの!・・・」

この出現は、およそ30分ほどで終わりました。

この日の「誰か」との会話がどんなものだったか
帰る道すがら、
ベルナデッタは母と伯母に打ち明けました。

「私が約束を守ったことを誉めてくれた。
あとで知らせることがあるって・・・。

今日は、お話しているときに
地の底から怖ろしい声が聞こえたの。
何と言っていいか、とにかく大きな声だった。

何かがたくさん集まって、叫び合っているような・・・
ひどく争っているような・・・。

そしたら、何か誰かが大声で
『逃げろ、逃げろ!!』って叫んだ。

そしたら、“あの人”が眼を上げるようにして睨んで、
さっきまでの騒々しさがピタッと止まってしまって・・・。
大風が吹いたあとみたいだった・・・」



同年2月20日土曜日の5回目の出現時までには
噂がさらに広がり、
400~500名ほどの見物人たちが押し寄せます。


ルルド(集まる人たち)image


彼らのほとんどは、面白半分で、
何かおかしな素振りを見せたら、からかってやろう・・・
そんな感じでした。

なかには、
真相を暴いて迷信の類を払拭してみせる・・・
そう意気込んで出向いた“反宗教家”たちも混じっていました。

しかし、いざ出現が始まり、
ベルナデッタの顔に、光るような、
輝きを帯びる変容の様子が現れ、

彼女の喜びに溢れた様や、
出現者に対する“敬虔な態度”を眼にして
彼らの多くは非難も忘れ、むしろ感激するにいたりました。
(そうでない人たちもいた)


(追記:注/以下の画像はファティマの写真で・・・こうした感じ・・・というイメージとしてご覧ください)
ルルド(人々の様子)image_convert_20140602235235



このとき、母ルイーズが発した言葉・・・

「ああ、私は頭がおかしくなってしまったんだろうか?
 あれは本当に私の子なの?!」


いつも傍にいて
よく見慣れ、よく知っていた“我が娘”を見た母親・・・
この感想こそが、
ベルナデッタの変容を正確に表しているようです。


ルルド(ベルナッタのとある日の祈り)image


この日、ベルナデッタが母に話したのは
こんなことで。

「今日は、お祈りを一つ教えてもらった・・・」

「なら、そのお祈りを教えてちょうだい」

「それはダメなの。いまは許されていないから」

(こののちも、ベルナデッタは「誰か」との約束を必ず守ります)


マッサビエルでの出来事は、日を追うごとに周囲の村々に伝わり
地方新聞も取り上げたりと
いたるところで話題のネタになっていきました。

ですが、いずれの場合も

生活苦から出た金儲けの類だ、
精神病による錯乱だ
すべて狂言だ

そんな受け取り様でした。


2月21日
事件の真相を糾弾し、人心を乱す噂を一掃しようと
ルルドの医者で、
無神論者のドズー博士が出現の場に立ち合います。

彼の記録(の一部)はこのように伝えています。

「ベルナデッタは洞窟の前に来るとすぐ、
跪いてロザリオを取り出して祈り始めた。
ほどなくして彼女の顔が、辺りの人たちの注意を引くほど変化した。

出現者に会っていたようだ。

私は彼女の動きを注視していた。

脈拍には異常がなく、呼吸も平常。
全体の様子から見ても、
精神的な疾患症状は認められない。

彼女が立ち上がって洞穴の前に進んだとき
それまで喜びに満ちた顔が、突然憂いを帯びて、
両眼から涙が溢れた。
私は、この急激な変化に驚いた。

このあとで出現者は去ったらしい。

私はすぐと、どのようなことあったのか・・・・と
彼女に尋ねた。

彼女はこう答えた。


「あの方は、私を見ていましたが、
ふと、私の頭越しの彼方のほうを見ました。
それからまた私を見たのです。
でも、そのとき凄く悲しそうだった・・・。

そしたら、私も悲しくなってしまって
『なぜ、そんなに悲しいのですか? 
私はいったいどうすればいいですか?』とお尋ねしたんです。
すると

『罪人のために、よく祈ってください』とおっしゃいました。

そして、しばらくすると
穏やかな顔になったので、私はすごく安心しました」


私はまた、
誰かが杖で洞穴に触れようとしたのを
ベルナデッタが急いで止めたところを見た。

そのときのことを聞いてみると


「あれは、杖があの“お方”に触るんじゃないかと心配したからです」
と答えた。

さらに彼女の精神状態を調べるため
彼女とつぎのような話しもした。

「それが現れると、あたりの様子はどんなふうかね?」


「はじめに黄金色の輝く雲のようなものが出てきます。
それから美しい姿が現れます。
帰るときは、姿が先に洞穴のなかに消えて見えなくなって
そのあと、雲も消えます」


「姿とか態度とかは、どんな様子なのかい?」

「姿とご様子ですか!?
まあ!!・・・私のような頭の者の言葉ではうまく言えません。

でも、神々しくて、美しくて、威厳があって・・・
すごく深い愛があって・・・
一度その姿を見たら、何とも言えない良い気持ちがして・・・
自然に引き付けられてしまう感じになります。

ほかには、あまり想い浮かびません。

お歳のころ?・・・16~17ぐらいだと思います。

胸のところで手を合わせて、涼しげな空色の眼で私を見ます。
ときどき、天のほうを見上げているときもあります」



ルルド(ロザリオの聖母御影)image


「それと・・・話しをしていたようだけれど、
どんな話しだったのかね?
私たちにはそれを聞くことができなかったんだ・・・」


「いつも話しをするときと同じようにしていますが、
みなさんには聞こえないんですか?
そう言えば・・・
耳に響くというより、心に響くんです。
お言葉は、ていねいで、
私みたいな者にも『あなた』と言ってくれます」


「私が手を取って、脈を調べたのを覚えているかい?」

「いいえ、何も覚えていません」


こうしたやり取りのうちに、
ドズー博士はベルナデッタの受け答えが率直で
体験した事実を歪めていないことを直感し、
「これは簡単にすむ事件ではない」という想いを抱きます。

これが、いわゆる“識者”が介入した最初でした。

その後、出現に並行しながらそのほかの調査が進むにつれ
博士は「マッサビエルの事件は超自然の出来事だ」と公言し
最終的には無神論者だった彼が、
信仰を持つまでにいたります。

晩年、博士は、
ルルドの聖母についてまとめた自身の研究の結びに
「わたしの信仰は、この奇跡を目の当たりにして発心したものだ」
と書いています。

同時期、ベルナデッタは両親とともに、
警察やら、地方の権力者やら、学者やら
多くの人たちから、実にさまざまな取り調べや追求を受け
しばしば、
見たことを撤回するように諭されたり
ひどく罵倒されたりします。

けれども、
彼女自身が眼にしたことについての供述は
ゆるぎなく一貫しており
かまをかけられて、わざと違う返答に誘導されても
はっきりと「それは違います」と訂正しました。

そして、どれほど脅されても、
「私は見ていることは本当に起きていることです」と、引き下がることなく
子供の能力を超えるかのような“勇気”を示していた・・・と
記録は伝えています。

調べにあたっていた一人
ルルドの検事ジュツールは日記に、こうあります。

「あの少女は貧しい家の子だ。
だから衣類はすこぶる粗末で
かぶり物も色や模様の褪せた洗いざらしだ。
しかしそれらは清潔で、汚れていなかった。
彼女は貧しいが自重心がある。
話しぶりは極めて無邪気。
しかし、確信をもって話すことは微動だにしない。
人を十分納得させる力がある。

とくに、洞窟の出来事を話すときは
“心の潔さ”が顔に溢れている。
返答は淀みなく、非難すべきところがまったく見あたらなかった」



ルルド(ベルナデッタ正面近影)image


このさなか、いわゆる教会などはどう対応していたか・・・というと
洞窟で何かが起きているのはもちろん知っていましたが
ベルナデッタが「何と」会っているのか
はっきりしていないこともあって、
ある意味、傍観・中立の姿勢をとっていました。

途中、ベルナデッタの指導司祭が、
取り調べをしている人たちに意見を求められ
彼は、このとき
起きていることを超自然の出来事だと信じていなかったものの
「特に他の人々の信仰などを阻害しているわけではないし、
今のところ、このままにしておいてもいいのでは・・・」

と助言しています。

結局のところ、このあたりになると、

何が起きているかはわからないけれど
ベルナデッタが、人を騙そうとか
金銭的な利益を求める目的とかで
洞窟に行っているわけではなく
頭がおかしいかどうかを別にすれば
嘘や偽りなく、本当にそのまま話している「だけ」らしい・・・
と言う見方になってきます。

ですが、それでも世間一般の風は依然冷たく、
ことがあれば、ヤジを飛ばされたり
嘲笑される
・・・ということに
さほど変化はありませんでした。

少しすっ飛ばして・・・・

さらに出現が進んで9回目のとき
ついに、あの「泉」の水の湧出にいたります。
そして、どうしてこの地にバジリカが建ったのか・・・・。


ルルド(ロウソク行列2)image



(そこらを、次回につづけてみます)


*****

一時的に、巷の話題をさらったのち
忘れ去られ、消えていく不思議話というのは
けっこうあります。

自分、そこらに大事な本質があるような・・・と
個人的に想ったりします。

たとえ、どんなに“小さな不思議話”だったとしても
それが、どんなことを周囲にもたらしたか
あるいは、もたらし続けているか・・・というのは
けっこう大事かな・・・と想うわけです。

人の深層に影響を与え、
“「心」の記憶に残る”ものというのは・・・

話が、どれほどぶっとんで不思議であったか・・・
というだけでもなく
また、ジャンルにも関係なく

教養を高めたり、
お金をもうけたり、
名誉に変わったり、
地位を向上させたり

そうした類の要素にとどまることもなく

その辺りをすべてを凌駕して

ときに、心情を揺り動かす「力」を伴い
この世界を超えた美しい「何か」を伝え、
人の心にとどまっていく
・・・そんなふうに感じます。

なので、このあたり、
案外、大切な本質かな・・・と。


ルルド(花と聖母像)image



  

プロフィール

世羽

Author:世羽
心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
すべての人が幸せに
喜びに満ちて生きることができますように祈っています

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