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地球の「とあるディフェンス・システム」と「火星の闘争」話・・・

Posted by 世羽 on 28.2015 宇宙と星がらみ   0 comments   0 trackback
(独り言)
やっときた・・・川崎少年殺人・犯人確保・・・。
この事件前日に起きた野毛山リンチ事件は?

家庭環境に問題を抱えていたとしても、
自らの意志で「万引き」を拒否“できた”少年が残したものは大きい。

いつものことだが、少年犯罪には、
加害者側に必要以上の擁護をする人たちが出てくる。

“若いからなんでも許される”というかのようだ。
悪事に年齢なんて関係ない。

少年法を盾にして非を認めず
犯したことに呵責も覚えず、
のちに、若さゆえの過ちとしてだけ生きられる社会を残すなら
そんなおためごかしの法律なんぞ、即刻止めてしまえ!・・・とさえ思う。

ふつふつと湧き上がる感情を
“あえて”押しとどめる気持ちには、いまはなれない。


プロジェクトP(ロシアの漁る人々)image



米国が有人宇宙船計画を中断したとき、
「なんで?」と思った人はおられるでしょうか?

火星にいたるためのシフトととか、財政難とか言われていますが、
科学技術の進歩は日々の研究の積み重ねで成っているわけですから
仮にターゲットが火星に変わったからといって、
これまでしてきたことを中止するのも妙な感です。

むしろ、そんなことをする必要も無くなった・・・とか?

そんなさなか、
あの「モントーク・プロジェクト」「オペレーション・ムーンシャドウ」を含む、
「プロジェクト・ベガサス」
“さらなる”暴露話が、一時世間を騒がせました。


      プロジェクトP(修飾画像)image
      (ひとつのイメージ)


世界でも、日本でも、不思議好きのみなさんがけっこう記事にしていました。
なので、詳細はそちらに譲って、別の側面から追ってみます。


ロシアの「超・古代文明」構造群と、かつての「日本人抑留者」

ツングースカの話題は、過去にメモったのですが、ちょっとそこに戻ります。

ご存じのとおり、ロシアのヤクート地方には
「禁断の場所」がいまだに点在しています。

そこは、

ツングースカでの大爆発が起きる直前、
地中から3本の巨大な火柱が昇ったとされる周辺。
例の“地上に出たりひっこんだりする特異な構造物”が目撃されている地域です。


   プロジェクトP(ロシアの死の谷)image

   プロジェクトP(ロシア死の谷の構造物)image


昔からヤクート地方に住んでいた人々(ヤクート族)、とりわけシャーマンたちは
ビリュイ川(レナ川の支流。ロシア・シベリア北東部のクラスノヤルスク地方およびサハ共和国を流れる川)流域一帯を「聖域」とし、
そこの地下には“異人類(龍王)の住む世界”があると伝えてきました。


     プロジェクトP(Vilyuyrivermap)image

プロジェクトP(ロシアのビリュイ川)image
(ビリュイ川画像引用元:eng.alrosa.ruさんから)


20世後半(1992年)。
ウラル山脈北部で先史時代の遺跡発掘を行っていたロシアの研究チームが、
その付近で思わぬものを発見します。

それは“300万年前”の地層から出てきたオーパーツ(スプリング状をした金属)で、
ロシアはその後、この一帯を「立ち入り禁止区域」に指定しました。

で・・・

先の、ビリュイ地区に点在する特異構造物については・・・。
上記のオーパーツが発見される以前の1980年代初頭、
旧ソ連・科学アカデミーの委託を受けた
モスクワ大学のアレクサンドル・グテノフ教授が調査をしています。

調査報告は少なくとも、1982年および1983年に提出され、
主立った主張は以下のようなものでした。

「確かに、ビリュイ地区には古代遺跡の存在を示すものがあるが、
遺跡は岩盤の下にある。発掘調査は困難だ・・・」

「・・・ピリュイ地区は“特別保護区”の指定を要する。
 一般人の立ち入りを禁止すべきだ」

「あわせて、エジプトのピラミッドの詳細な調査を必要とする」



のちに、この報告書は国家機密となり、漏れ出る内容を知る以外、
闇に包まれてしまい、調査は密かに続けられているという話だけが伝わっています。

さらに、アレクサンドル・グテノフ教授らの調査から漏れ出た調査結果の一部が以下です。

・未知の金属で出来ている「特異構造物」は、必要に応じて
地表に出たり、また地下に潜ったりようで、常に目撃できるものではない。


・“死の谷”(と呼ばれる地域)に点在する構造物は、
確認されたものが21基ある。


・この構造物の推定建造年代は、およそ“100万年前”と推測する。

・構造物は剛性を有し、数層の“透明な皮膜”でコーティングされている。
この皮膜が、環境からの金属の腐食や劣化を防いでいると推測される。


・構造物はある種の機械とも見なされ、エネルギーの転換を行う装置のようでもあり、
非常に強いエネルギースポットを形成している徴候がある。
それは、エジプト(ギザ)のピラミッドのエネルギーの収束と類似性をみる。

    (エジプトのピラミッドは、古く見積もって数万年前の石造り。
     ロシアのほうは100万年前あたり、スケールが大きく異なる)

この特異な構造物は、地球のエネルギーと連動している可能性がある。
というのも、1年のうち「春分、夏至、秋分、冬至」の“4日間”は
エネルギーが停止する。



    プロジェクトP(ロシア死の谷のドームイラスト)image
   

そして・・・ご存じのように

ロシアで度重なる、何らかの未知の物体が地上に墜ちてきそうになると
どうも、そのあたりから正体不明の防御システムが働いているようだ・・・
と言うのが、ロシアの研究者たちの一部が伝えている話です。


プロジェクトP(ロシア死の谷のドーム)image
 (画像引用元:www.neonnettle.comさんから)



かつて、この当該地域の近傍・・・シベリアに抑留されていた日本人
数十万(60万人)にのぼり、うち6万5000人ほどの日本人が、
この地で亡くなったとされています。(ロシア側の公表人数は3万ほど)

彼ら日本人抑留者の大半については、
主に“炭鉱や建築などの重労働に駆り出された”事実がわかっています。
ですがときおり、収容所からどこかに連行された人たちがいたようで、
彼らがどこに連れていかれたかは不明のままです。

そして、例の「禁断地区」へと連れ出されて
未知の遺跡発掘や、正体不明の何者かとの戦闘に従事させられたのでは?
という話もあるわけで・・・。

というのも、この禁断地区には、これまた非常に特異な場所があって、
そこでは死体が腐敗しない・・・。
で、近傍に足を向けた原住民たちが、
腐敗せずに残された日本人の骸が散在する光景を目撃している・・・と。

冷戦が終結したと思しきころのロシアは、
ミサイル実験と称して大量の長距離射程ミサイルを発射していましたが、
その発射ターゲットの多くが、ヤクートの禁断地区のタイガ周辺でした。

世間にはけっして知らされないことがあるかも・・・と
考えてみたくなるのが、わかる気がしますw。

で・・・そんな「何者かとの戦闘?」が火星でも起きている・・・というのが
かつてオペレーション・ムーンシャドウ要員だった人の暴露話で。

   (いずれも“異人類/異星人”絡みの話だが、
    ロシアの場合はかなり現実的で、しかも起源が圧倒的に古い。
    一方火星のものは、関連をうかがわせつつも、質を異にしている)



オペレーション・ムーンシャドウ


これまでNASAが火星の写真を発表するたびに、
「ミステリアスなものが映り込んでいる!」と、衆人の眼が追ってきました。
それらはかなり、NASAの「わざと」感さえ漂うものです。
つまり、少しずつ、暴露を重ねているとも思えるもので・・・。

最近では、当初は着色していた火星の風景の「色」も堂々とそのまま流しているので
画像の情景を見ると、
変ちくりんなものもそうですが、火星には空気があるな・・・と、思わせてくれますw。


     プロジェクトP(火星の上で2)image

(拡大バージョン)
プロジェクトP(火星の上で3)image



近年、ランディ・クラマー(クレイマー):キャプテン・Kという人物が
「火星防衛軍」の話を展開し、内容があまりにぶっ飛んでいたので、
眉を顰める人もいましたが、
米国をはじめ、「さもありなん」と受け止めた人も多かったようです。


プロジェクトP(K)image


クラマーによると、
「USMCのSS」(アメリカ海兵隊の特別なセクション)で司令官だった准将ジュリアン・スマイスが、この物語を共有するための完全なアクセス許可を与えてくれている・・・とのことで、
もしそれが本当なら(真の思惑はどうあれ)、
米国政府や軍が、婉曲的に火星の情報開示を容認していることになります。

少しだけまとめると・・・。

そもそも、話の背景には、
「フィラデルフィア・エクスペリメント」「モントーク・プロジェクト」を経由した
「プロジェクト・ペガサス」があるとされます。

そこには、異星人との密約から科学技術を取得して形成した
超・時空間ワープによる人や物体の遠距離移送と・・・

同じく異星人の技術を用いて建造したスペース・シップを得て行われている
地球外コロニー建設(火星だけではない)の話・・・

また火星では「超・古代文明」の探索や、火星にいる異星人との戦闘のために、
すでに人間が多数送り込まれている・・・という話などが横たわっています。

この一連のプロジェクトは
アメリカCIA(中央情報局)とDARPA(国防高等研究計画局)による
極秘プロジェクト・・・ということになっており、
初期にかかわったアンドルー・バシアゴを始め、
関係者たちの暴露がもとになって、話が展開されています。


クレマーが話したことの主立った内容を簡単にまとめてみます。


* キャプテン・Kなるランディ・クラマーは1970年生まれ。
3歳を過ぎたころからすでに、
過去から続けられていたグローバルな軍事プロジェクトのスーパーソルジャー要員として訓練を施されはじめていた。
長じてからは、プロジェクト・ムーンシャドウ(300 supersoldiers)に参加。
クレマーによると、1960年より後になされたマインドコントロールは
MKウルトラ計画よりも、もっと協力的なムーン・シャドウのプロジェクトに移動した。

    MKウルトラ計画:Project MK-ULTRA、MKウルトラ作戦:
    アメリカ中央情報局(CIA)科学技術本部が極秘裏に実施していた洗脳実験の
    コードネーム。
    米国とカナダ両国の国民を被験者として、
    1950年代初頭から1960年代末ごろまでに実施されていたとされる。
    1973年、当時のCIA長官リチャード・ヘルムスが関連機密文書の破棄を命じたが、
    わずかに残されたものがあって1975年の米国連邦議会で公開され、
    実在が明らかになった。



* クラマーは主に火星上で17年を過ごした。
またそれのみならず、惑星間旅行が可能なスペース・シップに搭乗し、
義務任務として長期間のツアーも行っていた。
彼はEDF(地球防衛軍)の一員として、短期間ではあったが
月面(月の裏側の)基地にもいたことがある。


* クラマーは、宇宙における大半を、MCC(火星コロニー)で過ごし、
MDF(火星防衛軍)の一員として働いていた。
MCCは、火星での採掘やその他の操作をしている政府、銀行、技術的な会社等のコンソーシアムである。

コンソーシアム・・・参加者がそれぞれ法的身分をもち、メンバーへの統制は一般に共同作業、特に利益分配に関する活動に制限される。契約によって結成され、契約書では各メンバーの権利と義務が記述される。多くは非営利団体とされる)


    プロジェクトP(コロニーの想像図)image
    (地表の場合のイメージ)

* クレマーは、まず火星のAries Primeと呼ばれる場所に着いたのち、
前衛地点であるゼブラ・ステーションで働いた。
火星の施設のほとんどは地下にある。
ゼブラ・ステーションは防衛拠点の最前方かつ最北端の駐屯地だった。
火星でのクラマーの任務は、主にセキュリティとパトロールを含むものだった。


クレイマーによると、火星には空気があって呼吸できるが、
多少の困難があり、通常はパワード環境スーツのようなものを使用していた。
地域によってはスーツなしで表面上を歩いても、呼吸ができる・・・と言及している。
「それは高山の薄い空気のようなものだ」と。
彼は、火星に降る雪についても語っているが、火星上の雪は地球上よりもゆっくりと落ちて来る。


* 彼は、ネイティブな火星の在来2種、(ネイティブ)レプトイドとインセクトイド(昆虫系)との遭遇を語っている。南の部族は、北部の部族よりも活動的だったと言う。


    プロジェクトP(火星のスカル)image

    プロジェクトP(火星の上の頭のようなもの)image



* 火星ではいくつかの地元の小競り合いと小規模な戦闘が起きていた。
当然、人間のコロニーも彼らとの関わりをもつ。
途中からドラコニアン爬虫類とのかかわりとのあいだで、非常に厳しい戦闘が起きた。


表面上のリークでは・・・。

火星の在来2種は高度な知性を持った生命体で、
それぞれのテリトリーを守って生活しており、
両者はテリトリー拡大の意図はなく、人間にむやみな攻撃をすることはなかった。
よって、人間の火星防衛隊、地球人のコロニー側が彼らの土地を侵害しない限り、
火星在来種との関係は比較的安定的な状態が維持されていた。



プロジェクトP(火星の上で4)image


プロジェクトP(火星の像とか)image_convert_20150227220850

プロジェクトP(火星の上の倒れた像か)image


しかし、あるときになって、
火星生物が聖地とあがめていた洞窟から彼らが崇拝する遺物を奪取することを人間の火星防衛隊が試み、その結果紛争が起きた。
そして約1000人の人間の軍人が死亡する。生き残ったのはクラマーを含むわずか28名だけだった・・・という話。


さらに裏側では・・・

火星2種のほかに、もう1種ドラコ爬虫類の関与が伝えられていて、
この戦闘の様子はもう少し複雑な様相を呈している。

こちらの話だと、最終的に、ネイティブ・レプトイド種がドラコ爬虫類を軍事的にを制圧している。
この戦いでクラマーの駐屯地全域とその関連する駐屯地を一掃するほどの壊滅的な出来事にいたった。
人間のコロニー基地には、それぞれには約260人の軍隊人員が配置されていて、
(少なくとも)約520人以上の人々の死をもたらした・・・という話。



プロジェクトP(火星の戦闘)image_convert_20150227220640



* クラマーは、現代の宇宙飛行士の領域をはるかに超えたパイロットになるよう飛行学校に送られ、のちにEDF SS(地球防衛軍)のスペース・シップ・ノーチラスに乗船していた。

* 彼が地球に帰還したとき、そのままの身体ごと、記憶ごと戻ったわけではない。
彼は退行し、若くクローニングされた身体に戻って地球の生活に戻っている。
そのため、地球上での、自身の人生に戻って、それらを統合するために
非常に大きな努力と内面での心理的な作業を行った。



「この火星の情報を開示する意味は何なんですか?」と問われて
クラマーは、こう答えている。

世界中の政府、特に、米国政府は、大規模かつ巨大な規模で人々に嘘をついている。
人々はエボラやISISのような恐怖の宣伝に騙されて、卑しい平凡な出来事を気にかけて悩んだり、急くように日々を過ごしているが、
一方で、非常に高度なテクノロジーを持つコントロールされたエリート部分の人類たちは、すでに宇宙を活動的に植民地化している。それを暴露した。



こうしてクラマーは、エリートたちが月や火星にコロニーを持っているだけでなく、
太陽系全体にその影響を及ぼしている
・・・という独自の見解を述べています。


プロジェクトP(火星とガニメデ)image



2つのトンデモ話から見えること


クレマーの話には、アイゼンハワー大統領の孫娘であるローラ・マグダラ・アイゼンハワーも関与していたり、バラク・オバマが火星で、地球植民地維持のための折衝役の任務をこなしていた・・などの話が絡んできています。


   プロジェクトP(アイゼンハワーの孫娘)image


(この画像はたぶん、ジョーク)
プロジェクトP(オバマの頭と呼ばれる岩)image



ただ、忘れてはならない事実として、バシアゴにしてもクレマーにしても
マインド・コントロールを受けた形跡があることです。

クレマー自身も「なんらかのオカルトや黒魔術的なことに関与したことは?」と問われて
「ないと思うが、そんなものが残留している感もある」と述べるなど、
どこまでが“真実の記憶”なのかが明白ではありません。

で・・・

たとえば「プロジェクト・ペガサス」の一件を調査していた
マイケル・サーラ博士の弁によると、
  マイケル・サーラ:オーストラリア生まれ。メルボルン大学で哲学の修士号取得。
   クィーンズランド大学で政治学の博士号を取得。
   2004年までアメリカン大学で教鞭を執った。
   のちにハワイでUFO/ET問題専門の宇宙政治学研究所を設立。
   以後、世界的な活動を展開している)


「彼らは、自身がそれと気づかないうちに、マインド・コントロールの餌食となり、
さらに何らかの陰謀計画に加担させられているのかもしれない。
彼らは、火星の秘密プロジェクトについて
多少の真実を暴露する。しかし、発表の仕方の軽薄さに、その主張を真剣に研究したいと思っている人々に、そっぽを向かせる結果を起こす結果も引き起こしている」


「彼らの主張に真実があるとしても、純粋な内部告発者というより、
ある種、見せかけの内部告発者になってしまっているのかもしれない」




個人的には、モントークのタイム・ワープ実験話には興味があって、
その後の、火星探索の逸話にも、ある種、真実味を覚える箇所が多々あります。


プロジェクトP(キュリオシティの奇妙なもの)image_convert_20150227215853


ただその一方で、ここは違う・・・と、明らかに感じている部分もあります。

で・・・ついでに、非常にくだらん、どうでもいい話ですが

いずれ、ロシア米国“立ち位置”を鮮明にするような、
先にあげたロシアの謎の構造物がつくられた経緯や、
太陽系全体と地球、そして火星に施された古代のエネルギー・ディフェンス・システムの実体が関係性をもって、この先、色々とわかってくるかもな・・・と。

そのときに、副産物として、
現在当たり前のように信じられている「とあること」についての
“偽りの部分”が判明したりして・・・(書けない謎)。


*****


仮に、どれほど秘匿された科学技術があって、
一部の人間がすでに宇宙の彼方に行っていたとしても
所詮、大衆には遠い話。



なので・・・

火星の「木?」とされていながら、
まるで指輪物語の戦闘シーンのような画像があっても



プロジェクトP(火星の変なもの)image_convert_20150227221047



これは?・・・と言いたくなる火星の写真がNASAから流れても

   プロジェクトP(火星の上で)image



プロジェクトP(火星の上の人)image_convert_20150227220224



ほとんど、「なんのこと?」状態・・・だったり?w。


プロジェクトP(修飾画像都会の鳩さん)image


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ブエノスアイレスで起きた「とある不思議な出来事」・・・

Posted by 世羽 on 23.2015 イエス関連   0 comments   0 trackback
(独り言)
与那国の出した結論。まっとうだと感じる。それだけ危機感があるということだし。

と、気にしていた地下の動きが、
先日の三陸沖・発震で一端、解放されたかのようでもあった。
だが、2日もたたないうちに、ぶりかえしてきている。
この場合は、気になりだしてから発震までに1ヵ月以上かかった。

今後さらに、どれくらい続くのか・・・気になる



エウカリスト(修飾画像ブエノスアイレスの情景)image



1年も前のこと。
「この話、日本じゃあまり知られていないよね?」
“とある資料”をもらいました。

自分としては感じることが多かった・・・。
かと言って、これを話題にして理解してもらえるだろうか・・・と、しまいこんでいたのですが。
今回・・・それを少し。



前ふり・・・


キリスト教のなかの“いくつか”は、
キリストが「最後の晩餐」の時に告げた言葉
「これは、あなたがたのためのわたしの体である。
わたしの記念としてこれを行いなさい」
(ルカ22章19、ほかマルコ・マタイなど)
を継承し、

エウカリスト(最後の晩餐の)image


ミサの時、
聖職者が種なしパン(ウエハース)と葡萄酒聖変化させ、
キリストの「現存」としています。


その聖体(パンのほう)は、
常に聖堂の決められた場所(聖櫃)に安置され、
信徒は特別な崇敬をもって、ミサ以外のときも“聖体訪問”という形で
「現存」するキリストに会いに行ったり、その前で祈ったりします。

一方、大半のプロテスタントの教義では
これを認めていませんが、シンボルとして捉えている派もあるでしょう。

で・・・その、聖体の話なんですが・・・。


ホスチアに起きた不可思議な出来事


1996年、アルゼンチン・・・。

     エウカリスト(ブエノスアイレスmap)image


そのブエノスアイレス大司教区で、
現在の教皇フランシスコ(ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ)が、
まだクアラッチーノ枢機卿のもとで補佐司教をしていたときに、
それは起きました。


エウカリスト(ホームレスを訪問していたときのフランシスコ)image


この出来事は“ベルゴリオ司教”(現教皇フランシスコ)自身が目にし、写真に記録させ、
調査を行っています。


1996年8月18日、夜7時。
ブエノスアイレスの商業地区にあるカトリック教会で
アレハンドロ・ペセット神父がミサを捧げていました。

聖体拝領のための聖体を信者たちに配り終えるころ、
1人の女性がやって来て、
「教会の後方のロウソク立ての上にご聖体が放置されています」と、
神父に伝えました。

神父が行ってみると、そこには“冒涜を受けた”と見られるご聖体がありました。
司式直後だったアレハンドロ神父は、すでに司式中にご聖体を受けていました。
すぐに、ふたたびそれをいただくこともできません。

そこで、そのご聖体を水の入った容器に入れて、
教会の聖櫃(聖体の安置場所)に納めたのです。

8月26日、月曜日。
聖櫃を開けた神父はぶっ飛びました。

なんと、聖体が“血の滲む固体”になっていたのです。

驚いた神父はベルゴリオ司教(これを記している現在の“教皇フランシスコ”)に連絡し、
司教からは「専門家に依頼して写真に記録するように」という指示を受けます。

正式な写真は9月6日、9枚が撮られています。
そのころには、血の滲む肉片に変化した聖体が、“大きく”なっていました。

だからといって、こんなことはすぐには公表されません。
この不可思議な「聖体」は教会の聖櫃にしまわれ、
あったこと自体が厳しく伏せられました。

ところが、その後・数年間、この聖体はまったく腐敗しなかったのです。
そのために、科学的調査が行われることになりました。


エウカリスト(修飾画像)image



1999年10月5日。

ベルゴリオ“枢機卿”(この時点で、つぎの役職についていた)の代理人が立ち合うなか、
リカルド・カスタノン・ゴメス博士が、肉片からサンプルを採取して、
サンプルは分析のためにニューヨークに送られました。

調査にあたっては、先入観を防ぐ目的で、
分析にあたる科学者チームにはわざと
サンプルの起源が「何か」について情報が伏せられました。
  (サンプルが何か、科学者たちは知らなかった)

この科学者チームの1人、著名な“心臓専門医”であり、
“法医学者”でもあったフレデリック・ズギバ博士は、
分析の結果をこう証言しました。

「分析にかけられた固体は人間のDNAを持った真性の肉と血液である」

さらに、

「分析された物質は、左心室の弁の近くの壁に見出される“心筋の断片”である。
この筋肉は、心臓の収縮を司るものである。

左心室は、身体全体に血液を送り出す働きをすることを忘れてはならない。
この心筋は炎症を起こしており、白血球の数が非常に多い。

このことは、
このサンプルが採取された時点で、心臓が生きていたことを示す。

生体外では白血球は死んでしまうので、
私の結論は、そのとき、この心臓は“生きていた”ということである。

白血球が維持されるには、生きた組織がなければならない。
よって、白血球の存在は、“サンプル採取の時点”で心臓が生きていたことを示す。

さらに、白血球は細胞組織に入り込んでおり、
このことから、心臓に“激しい負荷”がかかっていたことがわかる。

あたかも、この心臓の持ち主が“胸部をひどく殴打された”かのようである」



この分析調査には、2人のオーストラリア人、
ジャーナリストのマイク・ウィレシーと弁護士ロン・テソリエロが立ち合いました。
サンプルがどこから取られたかを知っていた両名は、
ズギバ博士の証言に言葉を失います。

そこで、マイク・ウィレシーはズギバ博士に尋ねました。

「人の身体の組織から採取したものを水の中に入れておいたとしたら、
白血球はどれくらい生存しているんでしょうか」


博士はこう答えました。

「数分もたたないうちに、白血球は消えてしまうでしょう」
(通常の状況下であれば、15分後ぐらいには「血液細胞」が死ぬ)


それで、ウィレシーは博士に伝えたのです。

「サンプルが採取された肉片は、
最初ごくふつうの水のなかに1ヵ月保存され、
その後、蒸留水を入れた容器に3年間保存されたものです」


そんな経緯をへて、はじめて分析のためにサンプルが取られたのだと・・・。

これを聞いたズギバ博士は
何をどう説明すればよいかわかりませんでした。

「科学的に説明することは不可能だ・・・」

そしてズギバ博士は熱のこもった調子で尋ねました。

「もう一つ説明してください。
このサンプルが死んだ人から採取したものなら、これを観察しているときに、
どうして・・・サンプルの細胞が動き、脈打っていたんでしょうか?

この心臓が、1996年に亡くなった人のものなら、
なぜ細胞は生きているのでしょう?
なぜ死んだ人の心臓から取り出したものが、
私のニューヨークの研究室で生きているんでしょうか?」


そこではじめて、マイク・ウィレシーはズギバ博士に伝えたのです。

「分析されたサンプルは、奉納されたホスチア(白い、種なしパン)から取った物で、
それが血に覆われた人の肉片に神秘的に変化したものです」



これを聞いたズギバ博士は驚き、こう言い残しています。

「奉納されたホスチアがどのようにして、なぜ、その本質を変え、
生きた人の肉と血になるのか・・・・。
それは科学では説明できない神秘として残るでしょう。
私たちの力をまったく超えた神秘として・・・」



エウカリスト(ブエノスアイレスの奇跡)image


さらにこののち、

リカルド・カスタノン・ゴメス博士が、
「ブエノスアイレスの聖体の奇跡」の分析報告を、「ランチャーノの奇跡」の分析報告と比較する調査を依頼しました。


   【ランチャーノの奇跡】
   時を遡ること8世紀、イタリアのランチャーノ(ラン・チアーノ)。
   ミサ中の聖変化(ただの物質が主イエス・キリストの体そのものに変わること)を
   疑いつづけていた司祭がいた。
   だが、ある日のミサ中、この司祭の司式で聖変化の業がなされたおり、
   それが実際の血肉に、また、カリスの中のワインが本物の血に変わってしまった。
   仰天した司祭は、その場に跪いてしまったとされている。
   その変化した御血と御体は、すぐに保管され、
   その後も、大事に護られ続けていた。

       エウカリスト(lancino2)image


   そして、1200年もたった20世紀。
   大学の医学チームによる科学的な分析がなされた。
   それによると、
   顕微鏡による目視では、聖体の周囲がパンのままで、
   中心部だけが人間の心臓組織になっており、血管や神経組織が見られた。
   血液は人間のもので、血液型はAB型であることが判明した。



エウカリスト(lanciano3)image




エウカリスト(lanciano)image_convert_20150223011841



リカルド博士が依頼した調査の際にも、それぞれのサンプルの出所は伏せられたまま
専門家たちによって両サンプルの比較が行われました。

そして、二つのサンプルの分析報告がつぎのように、結論づけられたのです。

「それぞれ採取したサンプルは、“両者とも同一人物のもの”である」

「さらに、どちらのサンプルからも、
この人物がAB+の血液型で、
中東地域に生まれて生活した人の特徴をよく表しているサンプルだ」



こうして、「ブエノスアイレスでの聖体に起きた出来事」は、
「ランチャーノの奇跡」をも科学によって裏付けするという
不思議な結果をもたらしたのです。

   (ちなみに・・・
    当時、無神論者だったリカルド・カスタノン・ゴメス博士
    この調査に携わったことで信仰者となった。
    2008年、彼はブエノスアイレスの科学会議において、
    自らの稀有な体験のスピーチも行っている)



この出来事は、科学の眼が捉えた出来事・・・
“実際にあったこと”でした。


  注:世界では“似たような”ことが、起きているケースがあって
    ほかにも噂にのぼっているものがある。
    しかし、それらがどれほど奇跡的に見えたとしても、
    上記のケースのように、しっかりした調査・検証も必要だ。
    もし、それがなされていない段階で、安直に信じ込んでしまうのは、
    お勧めできない。



エウカリスト(Lanciano4)image
(ランチャーノの聖体)



これまで、キリストを仰いで聖なる称号を付与された人たちがいます。
彼らは総じて、聖体に何かを感じ、
常人が眼にすることの出来ない何かを視たりしました。

だとすると、たとえば・・・
巷で霊を視たり、余人には聞こえない声を聞いたりした人の言辞から、
真実だ・・・と受け入れる場合があるのと同じに、

上記の出来事の奧に何かがある・・・と捉えるのは
ごく自然な受け止め方だと感じます。

そして、こうした出来事が世に知られたときには、
単に“不思議話の一つ”として捉える人もいるでしょうし・・・

一方で、
「主よ、あなたは神の子キリスト、永遠のいのちの糧、
あなたを置いて誰のところへ行きましょう」
・・・
と宣言する人々であれば、
いま以上に、聖体に現存するキリストに尊崇の念を抱いて
信じるものを“大事にする勇気”を強めるきっかけになるでしょう。


それでいいのだ・・・と、自分は想います。


そして・・・・・・

「聖なる御者のすることは、
       とにかく、人智を遙かに超える。

 それは、人間の“傲慢な気持ち”などでは消せないものだ」


・・・・・・と。


    エウカリスト(ホスチアとキリスト)image



*****

ブエノスアイレス近傍の情景・・・


エウカリスト(修飾画像2)image



やることが大胆だったりする・・・

エウカリスト(修飾画像馬に乗って)image_convert_20150223012533



人知れず、こんな寂しい景色もある。

エウカリスト(修飾画像ブエノスアイレスのとある情景)image_convert_20150223012057



とはいえ、ごくふつうの情景もあって・・・

エウカリスト(修飾画像白いライオンさんと)image



ましてや、こうだったら、こちらも顔がほころぶ。

エウカリスト(修飾画像子供たち)image



そしてどこの国の天にも、たくさんの光る聖体が・・・。


エウカリスト(修飾画像空の聖体みたいなw)image_convert_20150223012347


めぐり来る「桜花」の季節に・・・

Posted by 世羽 on 19.2015 季節ごとに   0 comments   0 trackback
(つぶやき)
世界の動きを見ていて想う。
やっていることの善し悪しは別にして、やはりプーチンは切れ者だw。


桜(宮坂雅博グリニッジ天文台コンテスト2012優勝)image_convert_20150218224930
                                         (宮坂雅博氏撮影)



桜花の雑談


気温が上下しつつも、だんだん春の足音が大きくなる時節となりました。

そしてまた、桜の季節もめぐってきます。


と言えば・・・。

恥ずかしながら自分、
この植物が「属名」こそ違えど、「バラ科」だと知ったのは
随分長じてからのことでした。

バラというと、園芸用のあでやかな「大輪の花」を思い浮かべます。
ですから、桜がそれと同じ「科」でくくられていると知ったとき、
花の在りようの違いに驚き、
一方で、なぜか嬉しくなったことを覚えています。

というのも、

1輪で栄華を誇るように咲き誇る“薔薇の花”
一方で、
何年もかけて成長し、1輪こそは小振りながら、
群れるように柔らかな色あいを醸し出す桜花・・・。

いかにも日本の風情にぴったりで、
日本の本質を表現しているじゃないか・・・と、改めて感じたのです。

現代で多くの人が観賞する桜花といえば、ソメイヨシノが真っ先に来るのでしょうが
本当は、多少“泥臭い感じ”の「山桜」
日本古来から愛でられてきた種ですよね。


敷島には、歴史ともに、そんな桜にまつわる伝承も溢れています。


たいてい、どなたもが真っ先に想い浮かべるのは、
「木花之佐久夜毘売」(木花開耶姫)のことでしょうか?

諸説のひとつに
「佐久夜」のサクヤは、「さくら」の語源というものがありますし・・・。


桜(コノハナサクヤビメ)image



この木花之佐久夜毘売
邇邇芸命(ににぎのみこと)がソデにした
醜い(女性になんと失礼な表現かといつも思うw)石長比売はよく知られていますが、
お父さんだった大山津見神(大山祇神)の娘には、
もうおひと方、木花知流毘売がおられ・・・。

“佐久夜”が桜の「栄華」を表すとすると、
“知流”は散るとなって、「死」を表現しているとされています。


お叱りを受けそうですが、
自分は「桜花」と言う文字を見ると
戦時中の特殊滑空機「桜花」(おうか)も浮かんでしまうわけで。

      (こちらの「桜花」の名称は、伊東裕満中佐によって命名された)


桜(桜花機)image


   (関連余談:いわゆる神風(しんぷう)特別攻撃隊の命名は、
    第一航空艦隊猪口力平主席参謀が、彼の故郷鳥取に古来伝わる
    「古剣術神風流」
に因んで命名したと言われる。

    かつて鳥取池田藩では、藩の武術の剣術として、
    武蔵円明流/新陰流/雖井蛙流/兌山流/今枝流/理方得心流/東軍流/岩流/
    富田信流/一刀流河田派/一貫流/神道無念流/神刀兌山流/神風流
    北辰一刀流などがあった・・・とされる)


特攻兵器として使用された「桜花」の名前と
桜にまつわる話を合わせて思い浮かべると、何かこう・・・
“命の儚さ”の表現として見事にかぶっているなあ・・・と。


桜(桜花と米軍)image_convert_20150218225504


桜(桜花MXY7)image




巷では、
桜の花の散り際の良さを、
先の大戦の特攻隊員や、戦地に赴いた兵隊さんたちになぞらえれば、
嫌な顔をする方がおられるのも知っています。

が・・・

たとえば、特攻隊員たちを見送った方々が、
ときに、桜の花のついた小枝を振った気持ちが何となくわかりますし、


桜(見送り)image_convert_20150218225257


自身の生命を「神木」にまでなった清い桜の生命になぞらえたくなる
当時の兵士の気持ちも、
日本人ならではのこと・・・と、わかる気がするのです。


       桜(たぶん横田あたりno天武の人たち)image


「戦争」は酷いものですし、けっして肯定できるものではありません。
今の過激派集団の広域に及ぶ殺戮なんぞは論外です。


でも・・・あえて脱線してみると・・・



戦争と平和、そして桜花



キリストのエルサレム入場後の月曜日。
「とある情景」が幻視されて、残されています。

それは、「受難」の前、
キリストが密かに母のところへ逢いに行くエピソードのなかにあります。

母に逢いに行くため、イエスがどうしても通らなければならない門があり、
そこではローマ兵たちが、通行人を見張るために門番をしていました。

   (この門は、当時の時刻割にしたがって、出入りが規制されていたらしい)

当然、キリストも停められて「誰だ!」と咎められます。


 (以下、はしょって短くまとめる)


「私はナザレのイエスです。町にいる母のもとに行くところです」

兵士は、それまでのイエスのことを知っていて、珍しいものでも見るように
キリストの周囲をグルグルと廻る。
優しい笑みをたたえつつ、キリストが言う。


「母の元に行ってもいいでしょうか・・・」

「私たちは誰も通すな・・・と言われています。
しかし・・・止めたところで、あなたなら通っていくでしょう。

  (この門番は、イエスが奇跡を行う人と知っていた)

冥途への門を開け閉めする力のあるお方に、
こんな門を開くぐらい、わけもないはずだ。
それに、あなたは騒動を起こす人でもないようだ。
あなたにしてみれば、ここの足止めなど“無い”も同じでしょう。

ただし、内側の巡邏兵に見とがめられないようにしてください。

マルコ・グラト、門を開けよ。

そう、あなたはそっと通ってください。
私たちは兵士ですから規則に服従するしかない・・・。

さあ、早く通りなさい。
私たちはあと少しで第2刻が過ぎて、交替になってしまう」


通過できるようになったイエスが言葉をかける。

「あなたたちに平和・・・」

「・・・・・・私たちは“戦い”をする人間ですよ?」

「私が与える平和は戦争のときにも残ります。心の平和ですから」

(こののち、通り抜けたナザレのイエスを見送った門番のうち
老若・兵士2人が面白いやり取りをします)

「ああ、もう見えないな。
あの言葉はどういう意味だったんだろう。知りたかった・・・」
と若い兵士。

すると老兵が言う。

「なんだ、聞けば良かったじゃないか。
あの人は我々を軽蔑しない、唯一のヘブライ人だ」


「勇気がなかったんだ・・・。
ベネベント
(古代南イタリアのカンパニア州の町)の農夫だった俺が、
神と呼ばれている人に話かけるなんて」


「ロバに乗る神か?
あっハッハッハハッ・・・バッカスのような酔っぱらいなら納得もいくが、
あの人は酔っていなかったな。
きっとムルスム
(当時のお金持ちが飲んだ蜂蜜入りの葡萄酒)も飲まないぞ。
見ただろうが、痩せて青白かったのを」


「だけど、ヘブライ人なら・・・」

「ああ、あいつらはよく飲むぞ!!人目のないときにな。
まあ、この土地の強い葡萄酒と、
自分たちのシチェラ
(酔わせるものの意)に酔って、
あいつらは、ただの人間を神と見間違えたんだろうさ。

俺様のいうことを信じろ。
神々なんて、お伽噺だ。
オリンポスは空っぽだし、この世にも神々の姿は見えない。

もし誰かが、今のお前の話を聞いたら・・・。
ああ、本当にお前はまだまだ小僧だ。

皇帝自身、神々を信じていないし、
司祭たち、鳥占いたちも、占い師たちも
アルヴァレスやヴェスタレスなんか信じていないと、知らないのか?」


アルヴァレス:司祭の名。
 ヴェスタレス:聖なる火を護るローマの女司祭)


「でも、だったらどうして・・」

「・・・儀式を行なうのか・・・って言いたいのか。
それは庶民が気に入っていることだし、司祭の利益になる。

それに、この世にいる神のように服従されるのは、
皇帝にとっても都合がいい。

誰よりも信じていないのは、
我々が“神々の使い”として尊敬している人たちだ。

俺は世界をあちこち歩きまわって、ごま塩頭になった。
ピロン派で、唯一の信仰はローマだけだ。
他のことは何も信じられない。

不滅の聖なる国家の他に、
我々を取り囲んでいるものすべてが錯覚だから、
何も信ずるべきではない。

自分自身についても疑うべきだ。
なぜなら、我々が生きているかどうかも疑わしいからさ。

感覚と理性とでは真理に到達することが出来ず、
生きることも死ぬことも、同じ値打ちのものだ。

実のところ我々は・・・
生きるとは何かも、死ぬとは何かも、両方とも知らないからな」


と、老兵が「哲学」の懐疑論をうつ。

若いほうの兵士はどこか納得していない様子。

「私は信じている。
さっき、ここを通ったあの人に色々尋ねたい。
あの人は、絶対本当のことを知っている。
身体全体から、何か微妙なものが発していたんだ。
心のなかまで入り込む光のようなものが・・・」


それを聞いて老兵が言う。

「お前は熱病にでも浮かされたんだ。
さあ来い、こんな時は香料の入った温かい葡萄酒でも飲むのがいちばんなのさ」

そして、若い兵士を衛兵所に押しやろうとする。
だが若い兵士は


「俺は病気なんかじゃない!!!」

そして、老兵が肩にかけた手を振り払う。

「俺は、そんな葡萄酒なんて飲みたくもない。
障壁の外で、
『イエスです・・・』と言った人を待つ」


「勝手にしろ!!!」

老兵は怒鳴りながら、そこを去った。

その後、イエスが戻ってくるまでの長いあいだ、
東の空が白みかかったころまで
若い兵士は本当にそこで待ち続けていた。


そしてやっと、兵士は戻って来るイエスを見つけた。
イエスを出迎えながら、その若者が言葉をかける。


「健康あれ・・・あなたをお待ちしていました」

するとイエスが言った。

「何でも話してください。何を望んでいるのですか?」

「知ることを・・・。
あなたは
『私が与える平和は戦争のときにも残ります』と言われた。
その平和とか、霊魂とか、それがどういうことかを知りたいのです。
戦っている者がどうして平和でいられますか?
この二つが、この世で並ぶわけがないではありませんか」


信仰を持たない人の心に“光の種子”を撒く喜びで、
イエスの声が光に溢れて響くような感じになる・・・。


「実際、この世において
平和と戦争は同時にはあり得ないが・・・
私の平和は戦争のときにもあり得ます。

なぜなら、私の平和は天から来るものだから。
戦争の残酷ささえも消せはしない・・・。

それは神的なもので、
人間のなかの霊魂と言われるもののなかにあるのです」


「神的? 私のなかに・・・ですか?
神的と言われるのは皇帝だけです。
私は農夫の倅で、何の位も持たない軍団兵です。
勇ましく戦えば百夫長ぐらいにはなれるかもしれませんが・・・。
神的とは・・・」


「あなたのなかに、神的なものがあります。
真の神から来る霊魂で、
信仰、平和、真理というような“神的なもので養われて生きるもの”です。

その平和は戦争によっても、虐待によっても傷つけられることはなく、
死によっても滅びません。

悪だけが・・・すなわち、厭うべき行いだけが、その霊魂を傷つけ、
“私の平和”を奪ってしまいます。
悪こそが、人間を神から隔てるものだからです」


「悪とは何ですか?」

「真の神がいると知ったうえで、人の創り出した神々を崇拝したり、
父、母、兄弟姉妹、隣人を愛さなかったり、
盗み、殺人、淫蕩、偽りなどが、それです」


「なら、私にはあなたの平和はあり得ない。
私は兵士だから、ときに人を殺すことを命じられます。
もし、そんなふうだったら、私たちには救いはないものですか?」


「戦争にあっても、平和にあっても、正しく生きなさい。
残酷でも貪欲でもなく、自分の義務を果たしなさい。

戦うとき、敵もあなたと同じ人間だと考えて、
獣のようにならず、勇敢でありなさい。
そうすれば、あなたは正義を失うことなく、私の平和があなたに残ります」



こののち、さらに会話は続くのですが・・・。

桜(戦争と平和星雲NGC6357辺り)image
 (「戦争と平和星雲」War and Peace Nebulaと呼ばれるNGC 6357
  ここでは新しい星が数多く形成されている)

桜(戦争と平和星雲NGC6357)image_convert_20150218225817
 (部分拡大)



自分・・・かつて、この話の行間に想いを馳せたことがあります。

上のエピソードは一部分なので、ここのみ目にしただけだと、
「なんだ、戦争を肯定しているんか?」
と思う方がおられるかも・・・ですが。

ナザレのイエスが残した言葉を詳細に知ると、
イエスはけっしてそんな真意は持っていなかった・・・。

もちろん、感じ方は人それぞれでしょうが、
自分の場合は、ここをこんなふうに受け取りました。


時の流れのなかで、国家などがやむを得ず戦いに陥り、
命じられて戦わねばならない人々があったとしても、
それは責められることではなく・・・

とはいえ、そんな環境にいれば
いつしか人の心にはさまざまな闇も、不安も生じるわけで、
その部分を取り払うために、
ここでは、当時の表現の範囲での
助け舟となる言葉を持ち出したのか・・・と。

そして・・・

生じた「時の定め」で戦わねばならなかったとしても、
非道をせず、精一杯、そこでより善く生を全うしたなら、
それはそれ・・・。

聖なる何かはけっして咎めないんだな・・・
自分はそのとき、そう感じたのです。


それは、

先の大戦で、敷島の人が「勇敢」に戦ったおり、
神宿るとされた桜の花に喩えて“自身の心を昇華しようとした「想い」”
それに似ているかのように感じられました。


桜(西澤広義飛曹長の笑顔)image
西澤広義飛曹長の笑顔:
彼は、米軍から「ラバウルの悪魔」と呼ばれ、恐れられるほどの、飛行技術の持ち主だった。
当時は稀な180cmの長身で、美男子だったことでも知られている)


現代では大量殺戮兵器が次々に開発されて、
一瞬のうちに人命を損なう戦いが起きます。

それは、敵と認知した相手を「人」と想わない行為だとわかります。

さらには、戦争と言うにも遠く及ばない、
人命を、残忍に、弄ぶように奪う世情もあるわけで・・・。

それらは、
桜の花の在り様に喩えられた「潔さ」とは
似て非なるものに感じるのです。


     桜(特攻兵と桜)image


“桜の花”の話がトンでもなくワープしてしまいましたw。


いずれにしても、

桜を“心の懐”に抱く敷島の人なら、
過去に逝った多くの戦没者の御霊を「犬死に」などと貶めて、
戦争の醜さだけを誇張して語るのではなく、

当時を「洗脳されていた」と“のみ”語るのではなく、

日本だけでなく、当時のすべての人が、
与えられた時代を一生懸命生きていた事実も認め、
そのうえで、彼らがみな神霊の満ちる「新たな世界」で
幸せに時を過ごしてもらえるよう
そっと願う心を持ちたい
・・・そんな気がします。


桜(とある1枚)image




そして

戦争に「反対」するというより
平和のみを願う“安らかな心”を持ち続けることが、
必要なんじゃないかな・・・と。



*****


気づいていないかもしれないが・・・

世界に不穏な動きがあっても、それに動じない心を保てる気質が、
不思議なことに、敷島の住人すべてに宿っている。

それは、まごうことなき天の恩寵

どんな環境で生きようとも、天に恥じることなく真摯でありたい。
古来から愛でられた桜花のように、純朴でありたい。

たった“それだけ”のことが、
目には見えなくとも
尊い一条の明るさをもたらす。




自然の生み出す本当の美、
本来の桜花の“美しさ”だけを堪能できるなら・・・


桜(子猫と桜)image



もうそれだけで、幸せ。


桜(リスさんと桜)image




本年もみなさんに、美しい桜花の到来がありますように。

桜(富士山と)image_convert_20150218230104


もうひとつの「2025年」と「謎の暦」・・・

Posted by 世羽 on 14.2015 対立の構図   0 comments   0 trackback
(つぶやき)
まことに心優しい人の内には「支配」という言葉も、
「隷属」という言葉もない。
他者の心の喜びも、痛みも、きっと我がことのように捉える。

他者と共に、喜びを喜んで、誰かが負った痛みを和らげようとするだろう。


アンノルキス(修飾画像planetclock)image


どうでもいいかもしれない「謎の暦」の話とかを、
世界の“テロや紛争”などを絡めて眺めてみます。



豆な話から見た、もうひとつの「2025年」

19世紀、米国のフリーメーソン・スコッチ儀礼南部管区の指導者で、
KKK団最高幹部でもあったアルバート・パイクという人物がいます。

彼はマダム・ブラヴァッキーを始めとする
「神智学協会」創立メンバー16名のうちの1人です。

彼は米国の大統領顧問を務め、
彼が著した『倫理と教理』は、
当時からフリーメーソンの重要な教書にされているかと思います。

1870年代(たぶん1871年)のこと。
このパイクは、
イタリア・カルポナリ党の党首ジュゼッペ・マッチーニと書簡を交わし、
そのなかで、
「今後、“3度の戦争”で世界支配を実現する」
との計画を明らかにしたことでも知られています。

・1度目の世界戦争・・・帝政ロシアを崩壊させて、
             ロシアを次の世界支配の道具にする。

・2度目の世界戦争・・・シオニズムを実現させて、
             「中東」を次の戦争の“導火線”にしていく。


   (注:シオニズムとは、イスラエルの地(パレスチナ)に故郷の再建を試みたり、
   ユダヤ教、ユダヤ・イディッシュ・イスラエル文化の復興運動を興そうと試みる
   ユダヤ人たちの近代的運動)

近年までのイスラエルをめぐる周辺諸国との紛争は、史実が物語るとおりです。

そして

・3度目の世界戦争・・・この最後の大戦で、
             “シオニズムとアラブ諸国との衝突”を起こし、
              世界を混乱に落とす。


      (3度目はまだ起きていないが、
       現時点での「中東」「アラブ諸国」の動向は注目に値する)


パイクはまた、こんなことも言っていました。

「我々は、“ニヒリスト(注)と無神論者”を解放する。

その戦慄のなかで、
残忍さの根源たる“絶対無神論”と、
もっとも恐るべき“動乱の効果”を諸国家に明示するような、
凄まじい“社会的大変動(カタストロフィー)”を引き起こそう。


そのとき、“革命を起こすマイノリティー”から防衛を強いられる民衆らは、
世界の各所で、これら“文明の破壊者”を殺戮し、
キリスト教にも幻滅して方向を見失い、
理想をあがき求めながらも、それをどこに求めるべきかわからないまま、
最終的に提示される“ルシファーの純粋教理”の世界的台頭を通して
真の光を掴むのだ。


キリスト教と無神論の“同時征服”と
壊滅によって起こる広範囲な反動によって、これが現実化する」


   (注:ニヒリスト・・・虚無主義者とも言われるが、
    この言葉がパイクの生きた19世紀に使用されたことや、
    ロシアを道具としている点を鑑みれば、
    ここでの「ニヒリスト」の意味は、当時ロシアで用いられていた
   “過激な唯物論者、革命家、無政府主義者、テロリスト”を指す意味が
    隠れている)

アンノルキス(アルバートパイクとその言葉)image



一方、

パイクと共に
神智学教会創立に携わったマダム・ブラヴァッキーの思想的流れをくむ人物に、
アリス・ベイリー(過去記事「ルキス・トラスト」関連で説明済み)がいます。
彼女は『Externalization of Hierarchy』のなかで
こんなことを言っていました。

「核爆弾は2度しか使われていない。

しかし、それが“邪悪な勢力”の抵抗を終結させたのだ。
それがたとえ、攻撃してくるのが特定の国家であろうが、
ローマ・カトリックのような強大な宗教政治集団であろうが・・・」



核を使われた国は日本しかありません。
ですから、ここでの“邪悪な勢力”とは、“日本”を指しているに等しい。
しかも、わざわざ
“キリスト教”の1派、ローマ・カトリックの名前まで出しているか・・・
つまり、対極の一面が見えてきます。


   アンノルキス(blavatskyとbailey)image


さらに、

このアリス・ベイリーと“同系列”に属する
マンリー・P・ホール(彼についても過去記事に書いた)は、
1925年にこんなことを言っています。

「庶民が自身を治められるほど、強く、賢明な時代は来ていない。

『支配』に値するのは“エキスパート”だけだ。

100年前に
『人類は200年以内にプラトンとアリストテレスの神々にかしずく』
との預言がなされている。
哲学の神々がふたたび世界を支配するのだ」



ホールの言葉から推察してみるとわかりますが、
この“預言”とやらが、1925年の100年前だとすると、
それは1825年を示します。
そこに200年を足すと、「2025年」という年が現れます。
  (注:こちらの2025年はいいものを示していない)

またホールは、『Secret Destiny of America』のなかで
こんなことも言います。

「アトランティスの破壊はあまりに完璧だった。
だから人は、そこにより良い生き方があることを忘却し、
悪徳による天罰と捉えた。

古きアトランティスは消滅し、人類の猜疑心の海に崩れ落ちた。
だが、『哲学の帝国』は
“賢人の民主主義”となってふたたび浮上する。

“10王国連合”は人類共同の『共通善/共同体』、
自然で、かつ適切な人類の政府形態だ。
アトランティスは、古代に存在した“世界政府の原型”なのだ」


注:アトランティスには10の国があったとされている)


この発言は、聖書にも繋がっていて
使徒ヨハネの見せられたヴィジョンは以下のように語られています。

「・・・あなたが見た10本の角は、10人の王である。

彼らはまだ国を治めていないが、
ひとときの間、“獣と共に”王の権威を受けるであろう。

この者どもは、心を一つにしており、
自分たちの力と権威を“獣にゆだねる”だろう。

この者どもは小羊と戦うが、
小羊は主の主、王の王だから、彼らに打ち勝つ。

小羊と共にいる者、召された者、選ばれた者、忠実な者もまた、
勝利を収める」
  (共同訳・ヨハネの黙示録:17章12-14)


ホールは、
黙示録で言う「獣に力と権威をゆだねる10人の王たち」が統治する帝国を
適切な・・・としているわけで、
聖書のくだりの“逆”を促していることになります。


     アンノルキス(若いときのmanly)


さらに、

上記のアリス・ベイリーがチャネリングした霊的存在、
“ジュアル・クル”(チベット系)と呼ばれるソースは、
こんな「計画」を彼女に伝えました。

「1990年の終わりに起きる頽廃した人類組織の崩壊につづいて、
次世紀初頭(21世紀)は、人類生活の再構築、思想構造の再編、
資源の再分配、政治組織の再構築に費やされ、

最終的に、“2025年”に世界諸国家連邦の創造を実現する。
そのとき、
ヒエラルキー
(結社の別称)の教えを遂行する
1人のイニシエートが出現するだろう」
  (『Treatise of Seven Rays』)

いずれにしても、
上に登場する著名人たちの弁には不穏さが漂っていて、
なぜか「2025年」も浮上しており、
意図的に何かを起こそうとしていたことさえうかがえます。


フリーメイソンと神智学協会の重鎮だったパイクが物騒なことを口にした頃
(1870年代)から時を遡ると・・・。

1846年、フランスのラ・サレットに出現した聖母マリア
「時の終わり」について述べています。
その一部をかいつまんでみると、

(未来の)大戦ののち、しばらく『偽りの平和の時代』が来ます・・・。

それが過ぎると、反キリストの前任者が現れて、
さらに戦争、疫病、飢餓が起こるでしょう。
そしてそののち、
“10人の王”を従える反キリストの世界支配の時代が到来するでしょう・・・」

(これは、ホールが“10人の王”について論じる以前に告げられていた)

さらに聖母は告げます。

「悪魔の頭ルシフェル(ルシファー)は、
多くの悪霊と共に、この世を荒らし回って多くの人に信仰を失わせ、
なかでも、聖職者や修道者の堕落に全力をつくすでしょう。

血まみれの戦争と
多くの災難(飢饉、伝染病、地震、集中豪雨など)が
重なって起きるでしょう」


(のちに第1次・第2次世界大戦が起きた)


これに関連して、
ファティマで聖母の出現(1917年)を受けた3人の牧童の1人、
ルチアはこう告げられます。

「ラ・サレットでメラニーとマクシムという2人の子供に知らせましたが、
今日あなたに繰り返します。
サタンは“人類の上層部”を支配し、世界の動きを決定するでしょう。
教会の重要ポストに潜入するのにも成功します。
彼は、学者たちの精神を惑わすのにも成功します」


(聖母は、それを防ぐために、「各々が心を聖なるものに向け、祈りなさい」
と諭し、20世紀の終わりまでに大きな何かが来る旨を伝えていたが、
現実が変わったのか、幸いそれは来なかった

そしてつぎに、

先のアルバート・パイクが所属していたフリーメーソンで使用されている
「とある暦」を持ち出してみるわけですが・・・。



謎の暦「AL」


米国では、けっこう色んなところに、
「AL」暦というものが、西暦と一緒に刻みつけられています。


アンノルキス(とあるcornerstone)image



アメリカ連邦議会議事堂の「礎石」にも、
西暦AD1793と併記して、AL5793が刻まれているとかw。


この「AL」(光の暦年:アンノ・ルキス/Anno Lucis)は、
西暦より“4000年”も先行して始まっています。

(日本で「皇紀○○○○年」と表記するのに似ている)

「AL」が、なぜ4000年先行しているかについては、
表向き、聖書の解釈によるひとつの起点とか、
ピラミッドの内部に刻まれた“予言の起点”だとか、
いくつもの推論や論説がありますが、真意は公になっていません。

で・・・「AL」暦は、
フリーメーソンのすべてが使っているわけでもなく、
主として(日本でもっとも知られているフリーメーソン)Craft Freemasonry
使用していることがわかります。

   (ちなみに、詳細は略するが・・・参考まで。
   ・Craft Freemasonry の別派・・・ Anno Inventioni(AI)を使用。西暦に530年を足す。
   ・Cryptic Freemasonry・・・Anno Depositionisを使用。西暦に1000年を足す。
   ・Templar Freemasonry・・・ Anno Ordinisを使用。
               AD1118の形成時を起点とし、西暦から1118年を差し引く。
   ・Scottish Rite ・・・ Anno Mundiを使用。西暦に3760年を足す)


で、「AL」暦には別の意味もあって・・・。

たとえば・・・

アリス・ベイリーが興した団体で、
国連に影響を与えた「ルキス・トラスト」(過去記事で書いた)があり、
この名前はもともと「ルシファー・トラスト」でした。
つまり、「Lucis」「ルシファー」をさし、
この暦の別呼称は「ルシファーの暦」となります。


   (余談:日本の巷では、
    ときおりルシファーが弥勒〔ミロク〕と同一視されているのを見受ける。
    だが、1977年、神智学が救世主として
    マイトレーヤを推す「救世主マイトレーヤ運動」
    〔仏教で言うところの弥勒菩薩と本質は異なる〕を開始し、

    さらに、神智学の教えの広がりとともに、

    たとえば

    「ルシファーは“秘密の霊の同胞団”の長で、
    同胞団の名付け親こそがルシファー。
    彼は偉大なる大天使(神)。
    ルシファーこそが、人類が霊的進化への道を開始できるように
    エデンという楽園を終わらせて人類を救出してくれた存在だ」


    などの教えが流布されていき、
    それを信奉する“諸派”が入り乱れながら
    世界へと意図的に拡散されてきた背景がある)



米国で、「AL」暦を刻んだ場所が、何気に見出されるように、
民衆の多くが知る知らざるにかかわらず、
この暦を使う人たちと米国が
切っても切れない事情があるのは確かでしょう。


    アンノルキス(2011)image


    (画像の説明:「AL」暦がヘブライ暦と混同されたりするが、
    たとえば画像のAD1897は、ヘブライ暦では5657年となり、
    「AL」がそれと異なるものであることがわかる)



そんな米国がらみで、面白いことが見えたりします。

まず、

マダム・ブラバッキーらが神智学協会を創設し、
そこでチャネリングのできるミディアムの養成が始められ、
養成されたミディアムが受けた「高次元のマスターたちからの託宣」
世界政策の一助となるよう“公に”試み始めたのが「1875年」です。

そして、その1875年あたりから「6の倍数」を加算した年に、
米国が第1次・第2次の世界大戦へ“参戦”する年が来ています。
1917年=1875年+42、1941年=1875年+66)

上記の2つの大戦のあいだに来る1935年
(1917+18あるいは1875年+60)などは、
ヒトラー率いるナチス・ドイツが第2次世界大戦の布石を始めた年で、
米国の「1ドル紙幣」に“獣の刻印”が印刷されました。


アンノルキス(US1ドル紙幣666)image_convert_20150213235330



     アンノルキス(US1ドル紙幣2)image

     アンノルキス(US1ドル紙幣4)image


     アンノルキス(US1ドル紙幣3)image




近年、米国を恐怖に陥れ、世界に多大な影響を与えた
「2001年」の“米国・同時多発テロ”も、
同じく「6の倍数」の加算年に起きています。


ちなみに、ここで時間を「1904年」まで巻き戻すと・・・

かつてエレン・G・ホワイトという女性がこんなヴィジョンを視た・・・と
言われています。

「私は、夜・・・天使に呼ばれ、
空高く、階を重ねる建造物の数々を見せられました。

これらの高層ビルは、耐火性を保証され、
所有者や建造者の名誉のために建てられていました。

ビルはますます高くなり、資材もより高価なものが使われていきました。

でも、ビルの所有者たちは、
『どうしたら神をもっとも信仰できるか』という問いを
自分に放ってはいなかった・・・。

それら高層ビルが立ったとき、所有者らは傲りを感じて狂喜しました。

つぎに、私の前を通過したのは、火災警報の現場です。

人々は高層ビルを見て、『あれは絶対に安全だ』・・・と言っていましたが、
そのビルは、まるで松ヤニでできているかのように焼け落ちたのです。

消防車は、この破壊を食い止めるために、何ひとつできなかった・・・。
消防士はポンプの操作さえできなかった。

ここで天使が言いました。
『“神の時”が到来してもなお、
傲慢で野心的な人間の心に“変化が起こっていなければ、
神の救いの手は、滅ぼすためにも強く働くのだ』

破壊の天使たちが仕事についていました。
彼らの指が1本触れただけで、
どんな危険にも耐えると保証されていた建造物が、
ことごとく塵と化してしまったのです」



これは、9・11テロの情景の予知・・・とも言われ
事件が起きる100年も前に、エレンが視たヴィジョンです。


  (注:エレンは、とあるキリスト系団体にとって
  非常に大事な存在だろう。それを貶めるつもりはないが、
  あえて記述すると、彼女の名前の数字変換によるコードは
  とある“意味深な数字”になる。
  これを合わせて上記のヴィジョンの示す裏側を考えてみるのも、
  研究としては興味深い)

      アンノルキス(エレンGホワイト)image
 


さらに・・・

何度も出て来た「2025年」
これは、“同時多発テロ”の2001年から24年先になり、
これもまた、「6の倍数」の年数を経た年です。

先日書いた「2025年」は、
この時点に至るまでの「民衆の心を磨く生き方」が“唯一の防御”となり
うまく行けば、起こされるかも知れない負の出来事を消せる・・・という別の観点による)

こうした「6」の倍数年を加算していった年に起きた
“喜ばしくない重要な出来事”は、
とりわけ、ピラミッド予言のタイム・スケールが小刻みに変わる
「大転換年」のあたりから生じているふしがある・・・
とも言われていて、
「偶然なのか? それとも仕組まれているのか?」と、
探求者たちが問うています。

(ピラミッドを「警告の書」ととらえれば、善いほうにも使える)


アンノ・ルキス(ピラミッドとの関連)image_convert_20150213235021


さらに「AL」暦は、
「6」の倍数、「666」にも関連している・・・とも
見られています。

たとえば、「4000」
「666×6=3996」「4」を足したもの。

それはすなわち、紀元前4年あたりをさし、
重要な変化の一時期であって
「光の子」の誕生、表面的にはキリストの誕生とも言われています。

しかし実際には、歴史上の“ナザレのイエス”の誕生は
時間的にもう少し前と見なされているので、
この“光の子”は、別の存在を指しているかも・・・との見方があります。

で、ここで言う「光の子」は誰かというと、
神智学が公言してはばからない
まことのキリスト、前世をアトランティスの皇帝とする
“イエス大師”(のちのティアナのアポロニウス)ではないか・・・と。


神智学では、
ティアナのアポロニウスが非常に重要な位置を占めています。
彼の思想は、
「ピタゴラスの思想に“プラトンやデモクリトス”の思想を魔術的に結合させようとする
『新ピタゴラス主義の一派』だ」

というのが学術的な見解でしょう。

(哲学者でもあったピタゴラスの所属した結社が何を信奉していたかは、過去に書いた)

そして、ティアナのアポロニウスの目的は
自身の推す“神聖な啓蒙”を背景にして、
当時、民間の間で行われていた呪術を、より高位な教義に引き上げて、
昇華させることにあった・・・とされています。

こうして見ると、前段に書いたマンリー・P・ホール
なぜ“哲学”の帝国の復活を口にし、
「アトランティス」への賛辞を言葉にしたかが
見えてくるのではないでしょうか。

   (注:神智学でも諸派あって、
   ティアナのアポロニウスを「復活したナザレのイエスの生まれ変わり」
   と言っていた一派もある。
   しかし、ティアナのアポロニウスは一応、
   “紀元97年近辺にエフェソスで没した”とされていたりして、
   ナザレのイエスの推察死亡時期とはズレる)


     アンノルキス(修飾用画像)image


現在、日本でトレンド化して頻用される
アデプト、アバター、アセンデッド・マスター、宇宙のイエスなどを始めとする
多くの言葉
は、元を辿れば、
神智学「系」、あるいは古代からつづく特定の結社の思想に行き着くと言っても
過言ではありません。

それらに名を連ねる著名人の残した文言には、
確かに、常人には及ばぬ奥深い叡智も垣間見ることができます。
なので、人の心の啓発に訴える部分もたくさんあるでしょう。

ただ・・・

ルキス・・・を使う彼らの過去の発言主旨を詳細に見ていくかぎり、
彼らの精神的中心を占める「ルキス=ルシファー」
ほんとうに健全で、人類を導く「霊的な存在/神」なのか・・・と問うなら、
個人的には、「そうは思えない」というのが正直な感です。

(叡智を携えてこの世に残る“聖なる霊的な集団”があるにしても、
上記の人たちの属する集団が“真の光”を運んでいるとは感じない)


マンリー・P・ホールは、
古代アトランティス10王国を現代に蘇らせ
そこから“グローバルな単一政府”の創造を目指していたようです。

しかし当のアトランティスは、
時を経るにつれて“とある勢力”が侵入を開始し、
聖なる神官たちが腐敗して機能しなくなり、
ときにその勢力は、人間をのっとることもやらかした・・・
よって、のっとられた者が“誰なのか”を識別するために、
侵入された者がけっして口にできない言葉を言わせて
正体を確かめねばならないほど、深刻な状況に陥っていった・・・。

さらにその帝国では、
多々の叡智を私利私欲のために“闇の力”として悪用する者がはびこり、
いつしか “内側から”も崩壊していった・・・。

果たして“その勢力”とは何だったのか、と想いを馳せます。

そしてまた、たとえアトランティス復興の大義を掲げられても、
民衆への愛情が感じられない数々の本音の言葉を読むと、
何かが違う・・・と感じるわけです。


アンノルキス(US1ドル紙幣)image



現在の中東情勢、その他、米国やロシアがらみの紛争などを
詳細に見ていても、同じ感覚をおぼえます。

ISISの出現に関しても
裏ではCIAMI6一部のシオニストたちが絡んでいるらしきことは
海外情報通の方なら、すでにご存じでしょう。
が、さらに奥深いところで、
人知れず、それらを操る勢力がいるとしたら・・・。


歴史は繰り返すとも言いますが、
「負」の繰り返しは、つつしんで辞退したいw。

そしてもし、

妙なタイム・テーブルに沿うように人為的な計画が
今日にいたっても引き起こされているなら、
異なる方向へ変えたいものです。


「キリスト教絡みだし、日本には関係ないだろう」
と思われるでしょうが、
(少しずつ、これまでも書いてきたように)
日本もすでに、見事に巻き込まれているようです。




愚生が記しても詮ないことでしたが・・・
つい、メモってしまいましたw。



*****

一見、綺麗な星々も、汚い霞がかかれば寂し気に映る。
ましてやそれが偽の光なら、空しい。


アンノルキス(修飾画像NGC3576)image_convert_20150214000328

たとえ小さくとも、目立たなくとも、
凛として輝く、清々しい光を保持するほうがずっといい。



アンノルキス(修飾画像NGC346)image


かつての「中東」での出来事・・・湾岸戦争の前あたり

Posted by 世羽 on 08.2015 歴史もの   0 comments   0 trackback
(つぶやき)
かつて「春が来て~きみは~綺麗になった~」・・・という歌があった。
多くの人の「心」にこそ、美しい“春色”の彩りが迎えられて
さらに“暖かいもの”が生まれると嬉しい・・・などと勝手に想うw。


湾岸戦争(挿画サウジアラビアrashaida族の少年)image


人は多くの場合、命の危うさに直面する事態に遭遇して“初めて”
世界で起きていることを知ったりします。


中東地域は、日本のエネルギー供給においても重要なわけですが、
そこにどんな国があって、どのような歴史を辿り、
日本がどんなふうに関わってきたか、
知られていないことも多々あって・・・。
忘れるには“まだ早い”事象もまた、たくさんあるように思えます。


で・ふと、
過去と現在に繋がる「中東」で起きた日本がらみの史実が浮かんだので少し・・・。


イラクの「クウェート侵攻」と人質

1990年8月2日午前2時(現地時間)。
戦車350輌を中心とするイラク共和国・防衛隊の機甲師団10万人が
クウェートに侵攻を開始しました。

 (これは、いわゆる湾岸戦争:Gulf Warの前のできごと。
  湾岸戦争そのものは、この侵攻を機に、国際連合による多国籍軍の派遣が決定され、
  1991年1月17日のイラク空爆から始まっている)


     湾岸戦争(の前のクウェ-ト侵攻報道)image



クウェートに侵攻したイラクは、国際法に違反して
クウェートとイラクに在留していた外国人の一部に対して出国を禁止します。

湾岸戦争(イラクとクウェ-ト)image

      湾岸戦争(の前のイラク侵攻)image



このとき日本は、
クウェート在留日本人の安全の確保のために
日本人261人をクウェート大使館に保護しました。

さらに、

外務省と現地大使館は、秘密作戦として、
クウェート大使館で保護した者を含む245人を、
バグダッド(イラクの首都)に向けて移動させることにします。

 (よりによって侵攻する国になぜ・・・と想えるが、
  当時はそうするしか打つ手がないと考えたらしい)


湾岸戦争(の前のひとつの情景)image


同時期には、
イラク在留の日本人のうち
8月14日までに出国できなかった214人
その後の出国を認められずに、イラク国内にとり残された形になっていました。

当時、バグダッド日本大使館には片倉邦雄・大使が着任しており、
さらなる日本人出国のための陣頭指揮にあたります。

大使館側は、クウェートから移動してくる日本人のためにと
ホテルを予約するなどして、出来る限りの受け入れ準備をしました。

クウェートからバグダッドへは、何便かに分かれて日本人がやってきます。

ところが、

このクウェートからの緊急避難組の人たちは
飛行機から降りるとすぐ、
イラク政府によってバスに押し込められるなどして、
「マンスール・メリア・ホテル」に拘束されてしまったのです。

 (上記・日本人の一部と、他国の人もあわせて
  拘束された人々の多数はその後、
  戦略上重要な施設に“分散して”収容されることになる)


     湾岸戦争(の前のmansourmeliahotel)image



こうして、クウェートから避難してきて拘束されたうちの213人
イラクから出国できない214人
そのほか合わせて、“507人にものぼる日本人”
軍靴の足音が響く中東の地に釘付け状態になり、
「戦後最大の事件」に直面することになりました。


イラク側は世界に向け、拘束した各国の人たちについて
「彼らは人質ではなくゲストだ」と言いました。

でもそれは事実上、
国際諸国の包囲網に対する「人間の盾」でした。

片倉大使を始めとする大使館職員は、
“拘束された”日本人たちと接触を試みますが
事態はきわめて難航します。

 (拘束された半数は女性で、乳幼児もいた。
  また、イラクのクウェ-ト侵攻直前に勤務交替で降り立った
  日航のCAも9人いた)


このころ、バグダッドでは
ラジオ・ジャパンの日本語放送がアフリカ経由で流れており、
バグダッドの現地時間“午後8時”になると、
日々、拘束された人たちに向けての言葉が流されました。

「日本人のみなさん。
みなさんの出国のために、私たちはあらゆる働きかけと、
連絡手段の確保をはかっています」


 (似たことを人質を抱える米国や英国もやっていた)

日本の大使館員たちは、不眠不休で人質との接触工作を続けます。

ホテル内の日本人にメッセージを送ろうとしたり、
大使自らホテルに出向いたり・・・と。

ですが、ホテル近くで公用車を停めることも叶わない状態でした。

それでも大使館職員たちは食い下がります。

ときには車の屋根に“日の丸”をつけてホテル傍を通るなどを試み、
「なんとか頑張ってください」という気持ちを伝えようとします。
ホテルの中からは
それに応じて、手やハンカチを振る人たちの姿を確認することができました。

片倉大使は、封鎖されたホテルの正面ゲートの前で
「立ち退け!」というイラク側の要求をはねのけ、
灼熱の日差しの下、交渉のために2時間も待ち続けたりもしました。

  (このとき、報道陣は宣伝のためか、
   ホテルに入ることを許可されたりしたが・・・)

地道な努力は少しずつ功を奏し、
ようやく内部から外部へと、1日1回の連絡が取れるようになります。
ですが、外部から中への連絡は依然、まったく遮断されたままでした。

8月25日あたりになると、
拘束されていたうちの男性だけが別の場所に移されてしまいます。
しかもその時点ではどこに移送されたかも不明でした。

一方、この事態を受けた当時の日本政府は・・・

“中東の平和に対する貢献策”として
「クウェ-トに侵攻したイラクに対しては“断固たる態度”で望み、
いわゆる人道支援(医療、通信、輸送面など)で
“周辺諸国への援助強化”を行う」

としていました。

そのスタンスは
「人質をとられた国々とは痛みを分かち合い、
妥協をしてイラクに対決する気持ちを損なうな」

というものです。

当然、イラクはこれに反発します。


 (相手が1国家とカルト「IS」という違いがあって状況も大きく異なるが、
  どうも現在と似ている)


ちなみに、

このとき旧ソ連などは、
イラクが侵攻するとともに出した“クウェ-ト大使館閉鎖”命令(各国に出ていた)に
「断固反対!」の立場を誇示しつつも、
“水面下”ではイラクのこの要請を受け入れて、職員は即・全員退去。
旧ソ連国民で拘束された人は誰もいませんでした。

そのほか、
豪州やスイスなども“臨機応変な打開策”をイラクにかけ合い、
国民の退去に尽力していました。

で、日本国内ではこのとき、
官にも民にも、目立った動きがほとんど見えませんでした。

そのため、バグダッド在留の日本人のあいだでは

「変化球も投げてくれないと・・・。
欧米との関係を第一にするだけに徹しなくてもいいじゃないか。
“汚れた天使”でもいいんだ。もっと実のある対応をしてくれ」


というつぶやきが流れていたようです。

そのようななか、イラク側は、
8月24日を期限として各国大使館の明け渡しを要求していたわけで。
これを受けて、58の大使館のうち、32の大使館が閉鎖を決断。
各クウェ-ト大使館から退去しました。

一方、米国は、この退去要請を断固拒否。
大使以下の少数で死守する構えを示します。
また、英国大使館も職員のほとんどが退去しますが、4名を残します。

日本は、臨時大使・城田安紀夫氏と2党書記官・内藤浩二氏2名
残留することになりました。

けれども、実際のところ
24日の期限が切れる前の22日には
日本のクウェ-ト大使館はすでにイラク軍に包囲されており、
バグダッドとクウェートの大使館間で使える無線だけ
交信手段として残されただけの状態でした。


     湾岸戦争(前のイラクの侵攻)image


こののち、残留者のいる大使館の水や電気はすべて遮断されます。

「ついに水も電気も切られた。トイレも流れない。
冷蔵庫内の物も腐り始めた。日中の室内は50℃にもなる。
あと4~5日持つだろうか・・・」


こんなつぶやきを発しながら、日本の2名は7日間籠城するのですが・・・
その後、ついに大使館を退去します。

一方、拘束された日本人(ホテル組)がどうなっていたかというと・・。

ねばり強い交渉が次第に実を結び、時宜に応じた差し入れが可能となります。
どういう風の吹き回しなのか
ときにはホテルのプールで泳ぐことまで可能になったようで・・・。

後日わかったのは、
先のホテルにいた日本人は実際にはもっと少数で、
多くは密かに別の場所に連れ去られ、分散して隔離されていたことでした。
意外にも、待遇は良好で、
わざわざクーラーも備えてくれていたようです。

 (どこかのカルトの人質とは雲泥の差w)

イラクが、こうした人道的な配慮への申し入れに対して
聞く耳を失っていなかったのは喜ぶべきことで
のちには、拘束されていた「各国の女性や子供たちを
まずは出国させる」
という、喜ばしい動きをとります。

先に婦女子が解放されるに際して、とある日本人女性の夫は、
送り出す妻にこう言っています。

「冷静に行動しなさい。子供たちのことを“よろしく”頼む

この時点では、男性たちにどのような運命が待っているかが
見えていなかった証でしょう。

でも結局、何がどうなったのか、
この女性たちの解放から3ヵ月ほどたった12月6日。
「イラクの“善意”を表明するため」と称して、
幸いにも、人質すべてが解放されたのです。

そして・・・

後に湾岸戦争が勃発、この戦火がほぼ終息したころ
クウェートが自国を助けてくれた「感謝国リスト」を発表します。
ですが、巨額の援助金を出していた日本国の名前は
そこにありませんでした。

 (これは当時、日本が抱えた課題として議論になったはずですが
  のど元過ぎれば・・・で、いまはすっかり忘れ去られたらしいw)


     湾岸戦争(当時の反応)image



ここで、ちょっと余談を・・・。

かつて十字軍の時代のこと。
イスラムの英雄として知られる
サラディン(サラ・エッディーン/サラー・フッディーン)という人物がいました。

彼は公的な「聖戦」(ジハード)を戦います。
ですが、この人物は宗教的な対立を政争の愚に用いることのない、
人間を信じることができて、穏健かつ教養ある御仁だったようです。


1187年の聖地エルサレム解放のとき、
彼は「キリスト教徒には指1本触れてはならない」と厳命し、
実際に、イスラム側による殺人も略奪もありませんでした。

貧しい捕虜は身代金なしで釈放しましたし、
十字軍騎士の未亡人や孤児にも身代金を全額免除。
しかも、贈り物まで渡して立ち退かせたことが伝わっています。

周囲は「これではあまりに寛大過ぎる・・・」と愚痴をこぼしますが、
それに対してサラディンは

「われわれは書名した合意文書を厳格に適用しなければならない。
そうすれば、協定違反ということで後ろ指をさされることもない。
それどころかキリスト教徒は
われらが与えた親切をいつまでも思い起こすだろう」


と言った・・・。

そして、このサラディンと、
人質をとったサダム・フセインは、なんと同郷だったわけで・・・。


片倉大使は、この歴史話を持ち出して
「サラディンの規範をぜひ継承してほしい」とイラクに訴えたそうです。


湾岸戦争(の前の余談挿画saladin)



こうしてみると、

時々刻々と変転する事象のなかで
何らかの交渉を有利に進めるのは
周囲があれこれ考えるより遙かにシンドイものだとわかります。
(考え抜いて行ったことが、213人の拘束者を出したように、裏目に出ることもある)

現在もそうですが・・・
過ぎたことへの力不足をただ叩くだけなら
けっこう誰にでもできて、
でもそれは、あまり建設的でなかったりする。

なので要は、過去を検証しながら
同じ過ちを繰り返さないように
類似のことが起きたら「どう対処するか」の方策を備えておくことでしょう。

でも、どうでしょう・・・
過去の教訓が生かされているとは言えない・・・のが実情かもで。



「トルコがしてくれたこと」から見える教訓


時が前後しますが・・・。

先の「イラクの人質事件」より少し前、
イラン・イラク戦争
(イランとイラクが国境をめぐって行った戦争で“第一次湾岸戦争”とも呼ばれる)
のとき、
イラク軍はイランの首都テヘランにも空爆を始め、
テヘランの在留外国人は空爆を避けるために国外避難を準備し始めました。

1985年3月3月17日。
イラクのサダム・フセインは
「3月19日20時半以降、
イランの上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とす」

との声明を発表。


       湾岸戦争(の前のイランイラク戦争のとき)image


この宣言後、イラン在留の外国人はそれぞれ、
自分たちが国籍を置く国の「軍隊や民間航空会社」を使って脱出を始めました。

しかし日本は、自衛隊の海外での活動は禁止されていました。

自衛隊が出せないなら、民間機に頼るしかありません。

このとき、「日本航空」はテヘランへの寄港を停止していたため、
日本政府は現地との調整に手間取ります。

そして・・・日本航空チャーター機の派遣について
“会社と労働組合”は、搭乗員の安全が保障されないことを理由に
この要請を“拒絶”しました。

  (ただし、
  日本航空123便墜落事故で亡くなった“海上自衛隊”出身の高濱雅巳機長は、
  真っ先に、救援便の運行乗務員に志願していたと伝わっている)



      湾岸戦争(の前のイランイラク戦争のとき2)image


こうして、期日までの脱出は困難・・となって
国独自としての救出がなされなかった・・・。

そのため、200名を超す在留イラン日本人
脱出方法を見つけられないまま、空爆の危険と生命の危機に瀕したのです。


あのとき、テヘラン在留の日本人は
「どうして自衛隊が助けに来てくれないんだ!!!」と言い、
国は「法律でそれは出来ません」と言ったのです。

 (日本は救援機を派遣した各国との交渉も試みていたが、
  諸国はいずれも、自国民救出で手一杯だった)


結局のところ、戦火のなか、
トルコの航空会社が生命の危険を顧みずに航空機を飛ばしてくれて
邦人が救われたわけで・・・。

トルコにしても、
旅客機を飛ばすには複数の乗務員が必要だったでしょう。
“他国の人々”のために
トルコの航空会社の社員が、危険を冒してくれたことになります。

 (頭が下がる、ありがたいことです)

この話は現在、トルコと日本の「友好秘話」として有名になり
“美談だけ”が伝えられています。


   湾岸戦争(の前のイランイラク戦争のとき3)image


でも、「どうして日本人を救出に行けなかったか・・・」のほうは
詳しく伝えられることはありません。

今後、同様のケースが“起きない”とも限らず、
さて、そのとき日本はどうするのでしょう・・・w。


時々刻々と急転する緊急的事象のなかで
何かの交渉や危機回避をするのは
難しいものだと言うことがわかります。
(また、考え抜いてしたことが、
クウェートからの移動組213人の人質を出したように裏目に出ることもある)


湾岸戦争(前の2Aug1990IraqKuwaitWar)image_convert_20150207030917



現在もそうですが・・・
過ぎたことへの力不足を叩くだけなら、誰にでもできます。

でも本当は、こうした過去の出来事を無駄にしないように、
同じ轍は踏まないように、
万一にでも類似のことが起きたら、「今度こそ、どうするか」
備えてこそ・・・・ではないかなと、今も想っている次第です。



*****


清い意図は、物事を善き方向に変える。
それは、国家ぐるみの場合でも同じ。

ただ、どんな場合でも、やはり・・・

「どのように“善い方向”に変えたいか」という
人の明確な意図と賢慮が・・・必要だ。




殺伐とした情景が何処かにあっても

(湾岸戦争のときの情景)
湾岸戦争(砂漠の上の戦闘機)image


湾岸戦争image



希望は持っていたい。


湾岸戦争(らくださんと)image


     湾岸戦争(こんなこともあった)image



人類みなが“互いの幸せを本気で想う”なら

シャローム(平和)のうちにある美しい情景は必ず蘇る。
それを生むためにこそ
与えられた理知を使う人類でありたい・・・。



湾岸戦争(挿画ドバイの駱駝さん)image_convert_20150207031638


宙を飛んだ人・・・

Posted by 世羽 on 02.2015 不思議考   0 comments   0 trackback
(つぶやき)
人の思惑を超えたところで
善きにつけ、悪しきにつけ
したことの見返りは、最終的に戻る。
ISの人たちも同じだ・・・。

だが、結果が出る前に、闇の形が地中海を越えるとしたら、
世界の進む方向が一挙に暗転する可能性がある。

押しとどめるには、それなりの覚悟もいる。


コペルィーノの聖ヨセフ(修飾画像)image




かつて、何かしらの神聖なものを求めた人たちが
もの凄く裕福だったり、成功した人生を捨て去ってまで
至高の存在への道を歩もうとした歴史があって・・・。

古今東西、多くの人々の幸せを願って尽力し、
後世に名を残した人たちは
決して楽のみの人生ではなく、苦難を歩んだ形跡があったりして・・・。

現代では、
幸せになるには富や成功を手にいれて、
少しでも善い結婚をしたりして・・・
何不自由なく生活できることがいちばん素敵とされるようになり
そのためなら、どんな方策でも身につけよう・・・とされたりします。

確かに、

この世界を安寧に、物質的に生きていくだけなら
後者の生き方で充分通じるでしょうし、
それなりの充実感も湧くでしょう。

ただ、自分は想います。

人は本当にそれだけのために
この星に生まれて来ているのだろうか・・・と。

“思考の好み”によるところも大きいと思いますし、
多くのみなさんに当てはまることでもない・・・と感じていても、
自分の心の奥底ではやはり、
人が霊を主体として生きる生命体であるなら、
霊としての生き様を探る必要がある・・・と
強く訴えてくるものがあります。

・そんな話はどうでもいいですね。


本題に戻すと・・・。


先日、ある人がコペルティーノの聖ヨセフの「絵はがき」
数枚くれたのです。

コペルティーノの聖ヨセフ(御絵)image


ご存じの方も多いと思いますが、
この人物のことを一寸書き記してみたくなりましたw。



コペルティーノの聖ヨセフは、昔のイタリア、
1603年~1663年を生きた修道者で、
しばしば体が浮いてしまったことで知られています。

「昔のことだし、どうせお伽話だろう」・・・と思われるでしょうが
彼が浮揚した状態を多くの人が眼にしたので、
それが稀有な出来事として記録されています。

のちにコペルティーノの聖ヨセフと呼ばれるようになったこの人は、
旧ナポリ王国内のプーリア半島コペルティーノ村にいた両親の元に生まれました。
父は大工業を営んでいたようで
地元では善人として知られており、隣人らの借金保証人を引き受けては、
しばしばその肩代わりをするなどしていたようです。
ヨセフの母は信仰深い人で、幼少のヨセフに神さまのことを教えたのは、
多くは彼女だったようです。

ヨセフは幼いころ、
教会で美しい賛美歌などを聴くたびに目を天に上げ、
何かに見とれているかのように
ポカーンと口を大きく開いているような様子を見せました。
そのために友達たちからは「開いた口」を意味するBocca aperta
呼ばれていました。

これは、のちに起きることの前ぶれであったわけですが・・・。

子供時代は病気がちで、
背中にでき物を発症したさいには、5年ほど寝たきりになります。

そんな病床にあるヨセフにとって、
母親が色々と読み聞かせてくれた物語、それも聖人の話、
とりわけアシジの聖フランシスコの話がお気に入りだったようで、
彼の心に「神さまに仕える道を選びたい」という想いが育っていきます。

とはいえ、物事はそう簡単にいかず、病気が治ってからの一時期、
ヨセフは野菜を売ったり靴職人の仕事をしたりと、
さまざまな職につくことになります。

その後、すでに司祭だった叔父のつてを経て
何とか修道者の道を歩もうとしますが
叔父はヨセフの教育不足を指摘し、賛成してくれませんでした。
ヨセフはどうも、愚鈍な者と思われていたようです。

それでもヨセフは、
何とかカプチン会のレイ・ブラザー(当時は多くが文盲の農民がなった)になるまでに
こぎ着け、
いわゆる炊事係りとして働くようになります。

ところが、いざ仕事にいそしむようになってみると、問題が起き始めました。

彼は、仕事の最中に神さまのことを考えるだけで
たびたびトランス状態になり、
皿を割ったり、鍋をひっくり返したりしてしまうのです。

長上は、ヨセフがきわめて注意散漫で、しかも過度の夢想家だと見なし、
「ここには置いておけない」と、故郷に戻るように言い渡しました。

失意のうちにコペルティーノに戻ったヨセフは、母親にも叱られましたし、
叔父にも叱責されるという“痛い体験”をします。
特に、叔父のフランシス・デサ神父「お前は何の役にもたたない」と、
彼を嘲笑したばかりか、「私はお前とは何の関係もない」・・・と突き放します。

そんなヨセフに、さらに試練が襲います。
かつて父が返せないでいた借金の件から、刑務所に送られかけたりしてしまうのです。
でも、幸いなことに天の配剤もあって、どうにかその危機を切り抜けます。

そして、半ば身を隠すように教会の屋根裏部屋で
6ヵ月ほど匿われるように過ごしているあいだに、
ヨセフはコツコツと、自分に足りない勉学を身につけようと
一生懸命に勉強します。

そんなヨセフの姿を知ったとき、
あの悪態をついたフランシス・デサ神父の心が変わります。

そして、彼はヨセフにコンベンツァル聖フランシスコ修道会で聖職の道につくことを提案し、
実際にその道が開けることになります。

修道会でのヨセフは
とりわけ貧困と祈りの生活を通して、
神聖と彼の会への召命の恵みで霊性の成長を続け、
諸事においては
清掃や動物の世話、園芸など、修道院での卑しい仕事を引き受けたり、
台所仕事でも頑張っていました。

ヨセフはまた、深い瞑想の時間を持ちましたが、
その多くの場合で、
自分がどうしてそこに着いたかがわからない場所で
ボーッとさまよっていることもありました。

1630年10月4日のこと。
コペルティーノでは聖フランシスコの祭日の行列が催されていました。
そのとき突然、ヨセフは空に上昇し、
集まっていた群集が唖然とするなか、彼らの頭上で漂いつづけてしまったのです。


ヨセフが下に降りて、自分に何が起きたか気づいたとき、
彼は騒然とする群衆から身を隠そうとして
咄嗟に実家に逃げ込んでしまいました。
のちの彼の言葉によると、
そんな自分のとった行動が「恥ずかしかった」そうです。

しかし、これがヨセフを 「空飛ぶ聖人」と知らしめた大きな出来事になりました。


コペルティーノの聖ヨセフ(祭日に)image


その後、彼の「フライト」はつづき、むしろ頻繁に起きるようになってしまいます。
修道院の仲間はそれを止めようとしたようで、
ときには「降りてこい!!!」と叫ぶこともあったらしいのですが、
肝心の、ヨセフ自身の自覚がなく起きることがほとんどだったこともあって、
どうしようもありませんでした。


      コペルティーノの聖ヨセフ(飛ぶ)image


この現象は、
イエスや聖母マリアの御名を聞いたときに恍惚状態になってしまう場合に
よく見受けられ、
また、聖体の前で祈っていたときや、
幼い頃の時のように甘美な聖歌の歌声を聞いているときにも、
突然起きたりしました。


コペルティーノの聖ヨセフ(ミサ中に浮く)image


最も有名な話では、教皇ウルバヌス8世の前に出たヨセフが
感動のあまり体が浮いてしまったことで、
それは、“当時の知識人”たちが見まもるなかで起きた出来事として
記録されました。


       コペルティーノの聖ヨセフ(教皇の前で)image


ヨセフはこれのみならず、癒しの賜物も携えていたようで
病気の人を治しましたし、
干ばつで苦しむ人々に雨が降るように祈ってほしいと頼まれれば
それに応えて祈りを捧げ、実際に雨を降らせたりと、
色々な現象を引き起こしたようです。

もちろんこうしたことが「神聖な力」で起きるときは
それを嫌がる「霊的な力」が邪魔をしにくることは
多々あるものです。

ヨセフも例外ではなく、
あの聖ピオ神父が体験したような
物理的に体ごとひっくり返されたりするような
霊的な攻撃も受けていたことが記されています。

ヨセフはときおり、エクソシストのような感じで闇の存在に対峙していたようですが、
ある時には、
悪魔の接近に対してアシジの聖フランシスコに助けを求めて祈ったことがあって、
聖フランシスコの出現とともに、悪魔が消えたのを眼にするという体験もしています。
もともと、フランシスカンとしての霊性の道にいたヨセフですが
それ以来、より一層、
会の師父であるアシジの聖フランシスコに絶大な信頼を寄せたと
伝えられています。

そしてこの当時の悪魔に言わせると、
「修道士ヨセフは、我々が持っている“最悪”の敵」だったそうです。


コペルティーノの聖ヨセフ(osimoの大聖堂)image


しかしながら・・・・

こうしたあまりに奇抜過ぎることや、
その現象によって衆人が熱狂的になることについては
それがどんな力から出ているかが明確になるまでは
そのまま教会が認めることはありません。

ヨセフの場合も同じで
異端審問の場に引きずり出されることになりますが、その危機も乗り越えて
彼には何の罪状もない・・・とされるに至ります。

とはいえ、彼はその後、公の行事に出ることは許されず、
仲間の修道士たちが祭りで町中に出る時でさえ、1人で居残りを命じられるようになります。

しかし人々は、優しい性質のヨセフを慕って集まり、
日々その名が知られるにつれて、
ヨセフのもとには、彼のアドバイスを求めて
ヨーロッパ各地から訪れる人でいっぱいになりました。

彼らのなかには、大臣や将軍、管区長、司教、枢機卿、
騎士や世俗諸侯などもいましたので、
これがまた問題視されるようになってしまいます。

結局のところヨセフは、インノケンティウス10世の命により
留め置かれていたアシジから秘密裡のうちに身を移されて
軟禁状態になります。

このときは
手紙を書いたり受け取ったりすることすら禁止されました。
その状態はインノケンティウス10世没後、解かれるやに思われましたが
つぎの教皇の代に至っても、そんな状態が維持されて、
必要な場合、また医師を除いては
誰とも話しをしないように命じられたのです。

こんな試練を、ヨセフは並はずれた忍耐で忍びました。
あるときなど、手違いで2日ほど食事が運ばれなかったこともありましたが
不平一つ言わなかったと記されています。

1663年8月10日。
ヨセフは発熱を伴う病気になり、ベッドから立ち上がることができなくなり、
その後、15日に見せた「フライト」が、彼の最後のものとなります。
(記録では、70にのぼる特異な現象が奇跡としてあげられている)

臨終にあたっては、終油の秘蹟、教皇の祝福を受け、
聖母の連祷を暗唱した後、コペルティーノのヨセフ・デサは、
9月18日の夜に帰天・・・。
この2日後、群衆の見まもるなか、
無原罪の御宿りの礼拝堂に埋葬されました。
(クレメンス13世によって1767年7月16日に列聖)


コペルティーノの聖ヨセフ(ご遺体2)image



      コペルティーノの聖ヨセフ(ご遺体)image



現在、コペルティーノの聖ヨセフは、
「空を旅する人たちの守護聖人」であると同時に、
NATO諸国の「パイロットの守護聖人」となっています。


       コペルティーノの聖ヨセフ(聖堂)image



コペルティーノの聖ヨセフ(おメダイ)image



「何もできない馬鹿なやつ」とされていたヨセフは、
こうして、まったく別の姿を見せることとなりました


コペルティーノの聖ヨセフ(雰囲気)image



(映画のワンシーンから)





*****


“まことの意味”で神を想うとき、
勉学の不足も、仕事の不出来も関係なく
聖霊の恩寵は“暖かい形”で必ずやってくる。

いま、たとえ誰かに馬鹿にされていようと
自分に価値がない・・・と想えていたとしても
神さまにはそんなことまったく問題がなく・・・。

それを、
“体験として”心から実感したとき
人は、よりいっそう神の存在を知ることになるだろう。



どれほど恐怖を生み出す闇の力が迫るかに思えたとしても・・・

それを打ち消す
この世を超えた「本物の聖なる力」が、
引き続き、多くの人の護りとなりますように。



(ウンブリア辺りの風景)
コペルティーノの聖ヨセフ(修飾ウンブリア辺り)image


  

プロフィール

世羽

Author:世羽
心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
すべての人が幸せに
喜びに満ちて生きることができますように祈っています

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