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「聖母マリア」の幼少時の姿

Posted by 世羽 on 06.2013 聖母マリア   0 comments   0 trackback
(つぶやき)神道の舞姫さん、墜ちた天使・・・ときて、次はこの人のことだ。
チャネリング系諸氏の皆さんがこの方を表現するイメージと、自分の視るイメージは少々違う。
ならば、そんな姿のほうも記しておいていいだろう。

(・・・と。なんか、久々に地下が動き加減です)

ファティマの聖母


日本人の場合
たとえば、キリスト教にかかわる人、よほど物好きな人・・・でなければ
一部を引用することはあっても
「聖書」を丸ごと読むことは、ほとんどないでしょう。

どんなことが書いてあるか、まったく知らない人もいると思います。
多くは、誰かがちょっと書いた批評、
もしくは推測したことで知るのみでしょう。

加えて、
聖書に出てくる「聖母マリア」(以下マリアと記載する箇所あり)の記述箇所は
非常に少ない・・・。
ですから
聖母マリアがどのような人であったかは、ほとんど知るすべがありません。

で、昔からの伝承と幻視の記録から少し。


マリアのお父さんはヨアキム。お母さんはアンナ・・・です。
ヨアキムはダヴィド王家の子孫、アンナはアロン家の血筋です。
(ヨアキムはブロンド、アンナはどちらかというと背が高い。
これらの要素は、後に、聖母とイエスに部分的に受け継がれていったようです)

ヨアキムとアンナimage

二人は信仰深く、傑出した美しい霊魂を有した人たちでした。
神に対する信仰のもと、互いを認めあい、
二人の愛は、いくつになっても変わることがありませんでした。
しかしながら、髪に白髪が交じるころになっても子供が授からなかった・・・。

そのため、アンナはとても辛い想いをします。
が、ヨアキムの支えもあって
彼らはずいぶん長いこと、子供をお授けください・・・と願い続けます。
そして、アンナは高齢に達したにもかかわらず、ついに身ごもったのです。
二人はほんとうに喜びました。

そして・・・いよいよ。

アンナは出産の時を迎えます。
ちょうど、その最中のことです。
突然、嵐のような空模様になり、周囲の人が「どうなっているのだ」と危惧することになります。
聖なる子供の出生を感知した「闇」の勢力が、それに怒り狂って押し寄せたようでした。
ですが、
まさにその子の誕生の時、嵐が静まり、
虹がかかるとともに、空に一つ、大きく輝く星が出ていました。
生まれた子は、アンナが予め感じていたとおり、「女の子」でした。

聖母マリアの誕生image

そしてこの子が、「イスラエルの最初の大いなる女の名前」・・・とされる
「マリア」と名付けられたのです。
(ちなみに、マリアという名前には70近い意味があるとされています)

マリアは両親の愛に育まれながら成長します。
とても利発で、神さまを愛する子供でした。
わずか3歳で、「神さま談議」のようなものをして、母アンナを驚かせます。

そのような具合でしたから・・・。
ヨアキムもアンナも、「この子は特別な子だ」・・・と、
確信するにいたりました。

二人は、アンナが身ごもったときすでに、
「枯れた幹から生まれた我が娘、それは私たちの、というよりも神の子供、
まことの父である神の実」
・・・と感じ、
「3年間子供を育てる喜びを味わったら、神のもとへお捧げしよう」
と決めていました。

しかも、それ以上にマリア自身が
本当に切ないほどの愛をもって、そうなることを望んでいたのです。

ある日、母アンナとマリアがこんな会話をします。

「私はこのため(注:メシアの到来を早めるため)に祈り、処女を捧げます」

「でもお前、それがどんな意味かわかっているの?」

「神さま以外に男の人の愛を知らない、という意味でしょう?
体は子供のようで、心は天使のようで、
目は神さまを見るためにだけ、耳は神さまの声を聞くためにだけ、
手はいけにえとして自分を捧げるためだけに使うということでしょう?」

「私はすっかり神さまのものになって、神殿で祈りましょう。
そしていつか、エンマヌエルを見るかもしれない。
大予言者が言っているとおり、
その“お母さま”となるはずの処女が、もう神殿にいらっしゃるかもしれないでしょう。
私は彼女の仲間と・・・女中になりたいの。
その幸せな人を知って、お仕えしたい!
彼女が私を御子に導いてくださったら、私は、その御子にも仕えられる!
母さま、
メシア(キリスト)に仕えられるなら、なんて幸せなことでしょう・・・」

幼い子供が、こんなことを言うはずがない・・・と論議をかもす部分です。

別のとき、イエスがこのようなことを伝えています。
「神の上智の発露を人の次元に引き下げるな・・・」と。

幼い聖母マリアCHLDMARY

マリアがいよいよ神に仕える日が来ます。

別れの朝、特別に愛情深いこの親子の交わした涙には、幾重にも深い意味がありました。
なぜなら、両親はすでに高齢でしたから、
マリアが神殿から戻るとき、またマリアが嫁に行くとき
両親はこの世にいないだろう・・・そう悟っていたからです。
つまり、それがこの世での「さようなら」になるだろう・・・そのことも
含んでいたからです。

聖母マリアの奉献image

その後、マリアの、たとえるなら日本で言うところの「巫女」のような、
修道女のような生活が、15歳の手前あたりまで続きます。

たぶん、奉献生活の「霊的なやりとり」に興味を持つ方は少ないでしょう。
もちろん、すべてを書き表せませんが
その生活の日々に語られる「マリアの言葉」の数々は
類い希な、深い叡智に満ちながら
ほんとうに、限りなく「純朴で、清い」・・・という感につきます。

やがてマリアは、そんな神に仕える場所から離れ、ヨゼフと出会い
受胎告知を受ける展開になっていきます。

そして、聖母マリアが最終的に置かれた霊的な位置は・・・
圧倒的な輝きをもった
「闇を踏み砕く者」でした。

今はいったん、ここでとどめます。

文末に・・・。

イエスが聖母のことを、こう言っています。

「泣いても、わらっていても、いつも愛をもって神を見る目、
神に対しての愛のためにすべてを耐え忍び、すべてを愛撫するような、
悪の攻撃にも負けない目である。

清い人々、聖なる人々、神の愛に燃える人々にあるような、
清い、安らぎと祝福を与える目である。

私(イエス)が言ったとおり、
『体の灯火は目である。目が澄んでいれば全身が明るいが、
濁っていれば、全身が暗い。
だから、あなたの中にある光が消えれば、
その暗さはどれほどであろう』(マテオ6・22~23)
聖人たちは、心の光、肉体の救いでもあるこの目をもった。

なぜなら、
彼らは一生涯にわたってマリアのように、神しか見なかったからである。
そればかりか、彼らは『絶えず、神を思いだしている者であった』」


ファティマの聖母fatima

アクエリアスの時代に突入した!・・・そう言って、
クロウリーらのような存在が属する「勢力」は、
真っ先に「処女懐胎」を否定し、マグダラのマリアをキリストの恋人にしたて、
聖なる存在を地に落とすことを始めました。
そしてたぶん、多くの人はそれを本当だと思っているでしょう。

もし、そうした話しに出くわしたなら・・・感じてみてください。

そのような話しを読んだとき、神聖な「何か」を感じるか・・・。

たぶん、そのときの感じ・・・「感覚」は、
もしそれが偽りの何かであるとき、多くの場合
「ざわざわ感」として感じられるでしょう。
そしてこの感覚は
他のどのような審神をするときも使えるはず・・・と思います。


皆さんの旅路を照らす光が、さらに輝きを増しますように・・・。






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Author:世羽
心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
すべての人が幸せに
喜びに満ちて生きることができますように祈っています

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