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【つづき】ある日の「イエスとユダ」の情景

Posted by 世羽 on 18.2013 イエス関連   0 comments   0 trackback
(つぶやき)この世は幻想だと言う。
でも、幻想を生きるにも、けっこうルールがあったりして・・・。
幻想の終着点・・・人それぞれなのだろう。
自分の終着点がどこにあるのかわからない・・・。
でも、進まなければそこには辿り着けない。
誰かと支え合って、助け合って、愛して、たくさん許して・・・。
そんな道の先にある終着点なら、それがどこにあろうと
たぶん、そんなに悪いもんじゃないだろう・・・。

ひとりの旅路images

前回(ファンタジーな幻視『IL POEMA DELL’UOMO-DIO』から)
ある日の「イエスとユダ」の情景

の続きです・・・。
(以下、短縮上、削除をかけ、原文を繋いでいます。ご了承ください)

*****

前回からの流れで、イエズスとユダの対話がつづいています。


「黙れ!」

「・・・・お前は誰の前にいると思うのか。
お前はもう私のたとえ話しが理解できないと言った。
私の言葉がもう分からないと言った・・・不幸な男だ。
お前はもう、自分自身さえわからなくなっている。
誘惑の時、サタンの言いなりになったために、
サタンは色々な方法で、お前を愚かにしてしまった。

それでも以前は、私が何者であるか、“存在する者”であることを信じていた。
その記憶はお前の記憶から消えてしまったわけではない。
他人の行為とその考えを知るのに、
神が人間の証言を必要としないくらいのことは覚えているだろう。
お前は、私が神であることを信じないほど堕落しきってはいない。
そこに最大の罪がある。


私が神であることを信じているからこそ、
私の憤りをそれほどまでに恐れるのだ。

お前は、人間ではなく神と戦っているのだと知って、恐れおののいている。
新たなカインであるお前は、神が復讐する者だけであると思い
コラ、ダタン、アビラムとその従者の身の上に起こったことが、
自分の身にも起こるのではないかと恐れている。

私が何者であるかを知りながら、それでも私に刃向かう“呪われた者よ”と
片づけるべきであろうが、そうすれば、私は救い主ではなくなる。
お前は私から追い出されるのを望んでいるが、
そうならないように私はできるだけのことはした。

とは言っても、そのためにお前の行為が正当化されるとは思うな。
繰り返し言うが、お前の行為が正当化されるとは思うな。
繰り返し言うが、お前には選択の自由があった。


ユダの金images

ノーベの時から、繰り返しそう言ってきた。
あの晴れ渡った朝、
地獄から這いだしたように、豚の汚水にまみれてきた淫らなお前を、
私はサンダルの先で蹴飛ばして追い出すこともできた。
だが、そうしなかった。
全身に広がる吐き気を抑えて、
お前が私のもとに来る前にも何度か繰り返し言ったように
“ただ、お前のためにだけ”あのように話した。
しかし、お前は、どこまでも自分の滅びから引き返そうとしなかった。
のちに来るであろう多くの人々の、異端者の始祖であるお前は
私の最大の苦しみのもとなのだ。

私が苦しみを感じないなどと言うな。
いや、私は罪の呵責や引力は感じないし、それについて無知でもない。
前者は私が“神”だからであり、
後者は、原罪に汚されない霊魂には無知が存在しないからだ。

今ここで、
アダムの罪を贖う“贖い主”なる“人間”がどんなものであるかを見せよう。

かつて、アダムに与えられた様々な賜物の中に、傷のない理性があった
また、全能の御父が祝された御子に注がれた光によって、
神との一致による偉大な知識があった。
新しいアダムである私は、
私自身の意志によって、罪のないところに立っている。

ある日、もうだいぶ前のこと、
お前は、私が誘惑されたことに驚き、
それに負けたことはないのかと聞いた。

覚えているか・・・?

私は『ない』と答えた。
そうだ、その時にできる唯一の答えだった。

なぜなら、お前はもう、その時すでに堕落しており、
キリストの徳の、貴重な真珠を見せるに値しなかったからだ。
せっかくの貴重な真珠を見せても、その値打ちは分からず、
ただの石としか見なかっただろう。

もし、あの質問をしたのが、ヨハネか、あるいは熱心者のシモンであったら、
私は違う答え方をしただろう。
いずれにしろあの二人は、
私が誘惑に負けたことがあるかとは聞かなかったし、
もっともありふれた誘いにも乗ったことはないか・・・とも聞かなかった。
ヨハネの純潔には淫らな想いがないし、
瞑想に慣れているシモンの心は、
私の中に純潔が輝いているのを“見分ける光”を持っているからだ。

お前が尋ねたから・・・私は答えた。
“真実”を無視しない“賢明”さで答えた。
この真実と賢明は、神の目にとって聖なるものだ。

聞く人の理解力と、霊的な純潔さと、正義に応じて、言葉を用いるのが
“賢明”というものだ。

いかがわしい人々に真理を告げても、相手には分からず、
ただ、あざ笑うばかりだろう。

あの言葉をお前がまだ覚えているかどうか、ここで想い出させよう。
我々は今、深淵のふちに立っている、想い出す必要がある・・・
だが、改めて言ってみよう・・・
砂漠で、私の最初の話しに満足せず、
お前が問いかけてきた『なぜ?』に、私はこう答えた。

『“メシア”であっても、人間に勝ると感じたことはない。
むしろ、私は人間であると知って、罪を除いてすべてにおいて
“人間”であろうとした
』と。

教える側に立つには、その前に学ぶ側に立たねばならない。
私は神としてすべてを知っているから、
神の知恵によって、人間にある“戦い”を理解させることができた。

だが、単にそうしていたら、ある日、あわれな人間がこう言ったかも知れない。
『あなたには、人間としての感覚と情緒を持つことがどんなことか、
わからないだろう』
と。
あるいはそうだったかも知れない。

私がそこ(注:荒れ野のこと)に行ったのは、
自分の使命を準備するだけでなく、誘惑にも備えるためだった。
サタンの誘惑に・・・。

私に対して、何の力も持っていないサタンが私に近づいたのは、
神と私の孤独な一致が終わった時だった。
その時、私は、肉体の弱さを持つ“真の肉体”を持っていると感じた。
私は飢え、疲れ、乾き、寒さを感じ、肉体の欲望も知った。
私は自分の意志によって、頭をもたげるすべての欲望を抑え、
踏みつけ、聖なる欲求だけが成長するのを許した。

私がこう語ったのを覚えているか?・・・
私はお前だけにこう言った。

『命は聖なる賜物であるから、徳を持って愛さねばならない。
命は、永遠という目的に至る手段である』
と。

またこうも言った。

『だから、生命のために、また精神に仕えるために必要なものを与えよう。
それは、肉体とその欲望に対する抑制、理性の望みを節操をもって管理すること、
人間的な匂いのする欲望を抑えること、
天を望むために限りなく飛躍すること、である。
それはすなわち、神と隣人への愛神と隣人に仕える意志
神の声に従うこと善と徳とを英雄的に行うことである』
と。

するとその時、お前は言った。
『そんなことができるのは、あなたが聖なるものだからです。
私は生命力にあふれる若い男ですから、そんなことはできません』
と。
若くて血気に富んだ男、お前は悪を弁護するようにそう言った。

淫乱におぼれていたお前は、
年寄りや病人は無能力で弱いから、お前の考えているようなことは行えない・・・
と言うかのように、そう答えた。
それについても反論しようとしたが、
実のところお前は、それが理解出来るような状態になかった。

今ではどうか・・・。
健康な人間も清く身を守れること、
自分の方から悪魔と肉欲を受け入れないなら、血気盛んな人でも貞潔を守れる・・・
と私が言ったら、少なくとも今は、あの不信の冷笑を浮かべて答えることはできまい。

貞潔は霊的な愛情であって、
肉体全体に影響を与え、肉体を護り、高め、香りを与える。

清い人には汚れた欲望の刺激を受け入れる場所がない。
そこには腐敗の入り込む余地もない。

また腐敗は、外部から内部へと入り込む動きではなく、
内部から、心から、考えから肉体を包み込む。

“腐敗は、心から湧くもの”だ。

姦通も、淫乱も、その他の感覚的な罪も、
外部から始まるものではなく、むしろすでに考えが堕落している時、
目で見るものを、何でも魅惑的なものと捕らえてしまう。

人間には見るための目がある。
男が女を見る時、彼女が自分たちと同じ一人の被造物であり、
神の美しい創造の御業として受け止める10人の男もあれば、
11人目の男は心と考えがすでに腐敗しているので、彼女を邪欲の思いだけで見る。
10人は彼女を姉妹として見るのに、11人目の男は雌としてしか見ない。

ただ、前の時に、私はそれに触れなかった。
私は天使のためだけではなく、人間のために来たものだと言っただけだ。

私が来たのは、
人間に、神に倣って生きることを教え、
神の子らの王国を取り戻すためだ。


神には肉欲はない。
ユダ、だが私は
人間であっても、邪欲を忘れて生きられることを示したかった。
人間でも、私が教える通りに生きられるのだと教えたかった。


そのためには、誘惑をも感じる人間の肉体を取らねばならなかった。

『私のようにせよ』と教えるためだった。


神の光にimage

お前は、私が誘惑されて、罪に落ちたことはないのか・・・と聞いたが、
私がたとえ誘惑されても、それに負けることはない・・・と、
お前には理解できなかった。

“みことば”にとって誘惑はふさわしくないし、
“人間”ならば、罪を犯さずに生きることは不可能だ・・・と、
お前は思っていた。

しかし、人は誘惑されても、
その誘惑に負けたいと思う人だけが罪を犯すのだ。
お前はそれを聞いて、不信と驚きのあまり、さらにこう尋ねた。
『では、あなたは、罪を犯したことがないのですか?』と。
その時、お前は不信の者だった。

パレスティナには、数え切れないほどのラビがいて、
それぞれの生き方や教えが違うのを見てきていた。

だが、今のお前は違う。私が罪を犯さないことを知っている。
健康な男として人々の中に生き、
サタンの仕掛けてくる激しい誘惑に、
決して心をかき乱されたことがない・・・とも知っている。

どんな誘惑も跳ね返せば、二倍の力で押し返してくる。
相手はますます激しく私を罪に誘い込もうとしたが、
私はそれに対する最大の勝利を得た。
相手は渦のように私を取り巻いて攻めてきたが、
私の意志に傷一つ、つけることはできなかった。

淫乱のことだけを言うのではない。
誘惑を承知しなければ、そこに罪はない。
その行為の行き着くところまで行かないまでも、
誘惑に乗って楽しめば、それはもう罪である。
それだけでは、たいした罪ではないかも知れないが、
そのようにして心に大きな罪を育てていくのだ。

誘惑を受けて、それを払いのけず、
頭の中でその成り行きを追いかけることは、自分を誘惑にさらすことになる。
サタンはそれを知っているから、
誘惑の炎をますます強めて、
中に入り込もうとする・・・。
こうして・・・誘惑されて罪に嵌り込むのは、いともたやすいことになる。

以前のお前には、そのことが分からなかったが、今では分かるはずだ。
もはやそれを理解するに値しない人間になっているにしても、
私はもう一度、お前に繰り返そう。

追い返された誘惑が姿を消さなかったのは、
お前に責任があるのであって、私ではない。
お前はそれを徹底的追い返さなかったからだ。


お前はその行為をしなかったとしても、その考えを引きずっていた。
今日はこうだが、明日・・・明日は本当の罪に落ちる。
だからあの時、誘惑の試みに陥らないよう、“御父の助けを請え”と教えた

神の子である私はすでにサタンに打ち勝っていたが、
それでも御父の助けを請うた。
私はへりくだって神の助けを願ったが、お前はそうしなかった。
神に救いも、予防も願ったことがない傲慢な男だ。
ユダ、だからますます深みに沈む。


ユダのimages

外を見てごらん、もう夏ではない。
窓からは夕方の微風が入って来た。
それでも激しい労働のあとのように、私は汗を流している。

お前が私にとって、どれほど重く辛い存在であるかに気づいているか。
言え、お前は何者か。
私に追い出されたいのか。
いや、そうであっても、私は追い出したりしない。
おぼれそうになっている者を助けないのは、人殺しと同じだ。
お前は二つの力、“私”“サタン”のあいだに立っている。

私が離れたら、サタンだけがお前に残る。
そうすれば、どうしてお前を救えよう。


だが、それでもお前は私を見捨てるだろう・・・。
すでに、考えにおいて、私を見捨てているのだから・・・。
それでも私はお前をそばに置く。
“さなぎ”のようなお前を、私を愛する意志もないお前の体、
善に向かって身動きもしないお前を、そばに留めているのは、
たとえ、そんな空しい“さなぎ”であっても、
なお、お前の心を呼び戻し、罪を避けさせたいと思うからだ。

・・・ユダ、私に話すことはないのか、
先生である私に一言も言えないのか、
私に頼みたいことはないのか・・・。

今さら私に向かって『ゆるしてください』と言え、とは要求していない。
私は今まで何回となく、お前を許してきたが、効果はなかった。
“ゆるす”という言葉は、お前にとって、単に音に過ぎないのだと知っている。
痛悔する心の動きではない。

私が望むのは“心の動き”だけだ。
もうそれもできないほど死んでしまったのか。
私を恐れているのか? 
ああ、せめて私を恐れていてくれたら・・・
だが、お前は私を恐れていない。
もし恐れているなら、誘惑と罪について、あの日、言ったことを繰り返そう。

『特に重大な罪を犯したあとでも、人が本当の痛悔の念をもって、神の足下に走り寄り、
神を信頼して償いを約束し、ゆるしてくださいと請い願うなら、
神は彼をゆるし、償いを通して彼は自分の霊魂を救うことができる』
と。

ユダ、お前は私を愛してはいないが、私が望むのはその愛なのだ。
今、この時、限りない私の愛に向かって頼みたいことはないのか?」


このあと、ユダは・・・何もない・・・と言い、ふてくされながら床に散らばった金貨を集めます。
このとき、金貨を集めるユダの姿を見ながら、イエズスは声を殺して泣いています。

ユダは多少狼狽しながら、
「今、起こったことについて、誰にも言わないと約束してください! 
私の方は誓って、自分自身を贖います・・・」
と呻きながら言います。

「自分自身を贖うだと? それはできない。
お前を贖うのことができるのは、私だけだ。
先ほど、お前の口で語った“あの者”を抑えられるのは、私だけだ。
へりくだって『主よ、私をお救いください』と言いなさい。
そうすれば、私はお前を支配するその暴君から解放してやろう。
その一言を、私は母の接吻よりも切に待っているのだ・・・分からないのか」


ここで、ついにユダも泣きます。でも、とうとう最後まで、その言葉は言いませんでした。

この後、ユダは「好きなところへ行け・・・」と言われ、
何も答えずにその場を立ち去ってしまいます。

それと入れ替わるようにヨハネがやってきますが、ただならぬイエズスの様子に動揺します。
「すべて忘れてくれ・・・」と言うイエズス。
すべてを了解したヨハネは何とか先生を慰めようとします。でも・・・。

「ああ・・・彼は後悔しなかった・・・」・・・イエズスのつぶやき。
ヨハネは呆然としてイエズスを見ると・・・
イエズスの頬に、一筋の涙が流れます。

グリーンの波images

人となった神が何であるかなんぞ、凡人の自分にはわかりません。
でも、自分の場合、ここらをよく読むと、
いろんなことがわかったり、感じたりできたのです。

これはあくまでも、自分個人の心の旅路の糧でしょうが
もし、どこかに同じ旅路を進んでいる誰かがいるなら
何となく、この自分が、何を言いたいかが
多少なりとも、わかってもらえるか?・・・
そして、ほんの少しでも、
その誰かの理解の助けになるのか?・・・と、
淡い妄想を・・・。






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Author:世羽
心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
すべての人が幸せに
喜びに満ちて生きることができますように祈っています

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