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とある皆さんの「近影」・・・

Posted by 世羽 on 25.2013 そこはかとなく   0 comments   0 trackback
(つぶやき)様子を見ていた地下の動き。
地面が爆発しそうなボコボコ音まで。 なんだこの展開は。
地球全体の表面がズレてるのか? 真下からも強烈に響いてくるので疲弊する。
国内のけっこう大きめ?(全方位から迫られていて現時点で場所が混乱
もしかして、世界のどこかで震災級の地震か火山か?・・・妄想に終わればいいが。

と・・・。
韓国が、ロイドばかりか、大手保険会社から総スカン状態を喰らっている。
保険のかかっていない船舶は余所の国の港に寄港できない。
海運組合インタータンコも韓国行き航海をボイコット。
やはり、嘘裁判をして「罪人」を仕立てあげ、保険の支払いを強要したのが間違いだ。

さらに・・・靖国放火の件。
・トルエンは購入に身分証と個人情報の記載が必要
・外国人には入手困難なトルエンをたった1日で入手
・所持していた量も2リットルとかなり多い
・一般の外国人犯罪ではまず動かない外事2課の受け持ち

確かに、何かおかしい・・・。

秋の青い空とimage


今では時代遅れとされて
人生をよりよく生きるには修行は要らない・・・という標語のもと
伝統的な宗教生活はアホ扱いされるまでになりました。

それでも、“信じるもの”の別を問わず
心に、声なき声の呼び声を聞いて、
いわゆる「出家」の形で信仰生活を選ぶ人が、今もいます。

若い修道者image

そんな人たちを見たとき、

顔が綺麗とか、ハンサムとか、美人とか・・・ではない
品の良さ・・・
精神生活のありようが滲み出ているのを感じる・・・かもしれません。

若い修道者2(ドミニカン)image

幼きイエズスの聖テレジアimage

幼きイエズスの聖テレジア2image


ああ・・すみません。確かに「ダメな人」もいます。
ときにはとんでもない輩さえ・・・。
それは今、ちょっと忘れて・・・。

修道者道を行くimage


人が宿す霊性に「神聖な衝動」が与えられると
その衝動がどこから来て、それは何なのか・・・探りたくなります。

もちろん、衝動の度合いは人それぞれです・・・。

とりわけ、その衝動が非常に強く、
心が全面的に、その衝動を追うようになると

人は常時、「衝動の源」に寄り添うことを望むようになります。

これは、自己の利得のために願ってなる・・・のとは違う
一つの「強烈な招き」です。

仏教でも、キリスト教諸派でも・・・他の「何か」でも
似たようなことは起きるでしょう。

カルメル会修道女image

特定の宗教に関わらなくても、こうした神聖な「招き」は
ある日、突然やってきたりします。


この神聖な招きをどう受け止めていくかは
とても重要で
受け止め方によっては、霊性の進歩を早めたり遅くしたりするでしょう。

特別な修行や祈りをしなくても
人はみな、神の断片であって、ワクワク楽しんでいれば
神に通じることができる・・・

そう伝えられているかもしれません。

そこには、真実もあり
一定の霊的な進歩の達成が期待できます。

でもそれは
人の解釈できる範囲内の進歩にとどまるので
この世的な「心地良さ」だけに囚われる・・・こともあります。

生かされていることへの感謝ひとつとっても
人の次元に縛られたものになりがちです。

一方、そのあたりを突破し
「神聖な招き」に応え、
神聖な存在に近づくように促す恩寵を感じた心を信じ、
さらにその先にいたる道をめざすことを望む人たちもいて・・・。

たとえば、キリスト教に例をとると
いわゆる聖職者修道者のみなさん・・・ということですが・・・。

ピオ神父の祈り2image

彼らのような人たちが行く道は、本来すべての人に開かれていますが
それなりの厳しさもありますから
「招き」に応じる人は少なく

たとえ自ら選んだとしても
さまざまな誘いにのり

一般人以下の“所業”をなしたり、
いわゆる「教えの本質」を穢す人もたくさん出てきます。
そして、他者につまずきさえ与えます。

とはいえ、彼らは当初より、
日々「祈り」を友として、
限りなく・・・師であるイエス・キリストに倣って生きようとしています。

ときに、こうした「特殊な環境」に身をおく人々をボロクソに言う人もいますが
その場合のほとんどは、彼らの生き方の本質を知らないまま
叩いているのではないでしょうか。

しかも、活動修道会もそうですが、観想修道会にいたっては、
中がどんなものかさえ、世間の人には実態がほとんどわからないのですから。

どちらの場合にしても彼らは
「自らの霊的修行や完徳の追求」もさることながら
ことあるごとに
世界のためにも、多くの見知らぬ人たちのためにも、祈っています。

人によっては、我が身にかえても・・・と祈る人さえいます。

ピオ神父の祈り3image

この祈りの本質
あまり理解されておらず
誤解や誤認されることもしばしばです。

もし、人が「究極のサバイバルな出来事」
たとえば、救命艇の空席があとひとつだけしかなく
でも、助かりたい人は二人いる・・・
そのうち助かるのが、自分もしくは誰かまったくの他人のとちらかであったとき
その救命艇の席を、まったくの見ず知らずの人に譲れるか・・・・となると
即座にできる人は、そうそういない・・・。
しかも、そのもう一人が、もの凄く嫌な人だったら・・・。

稀代の聖なる人たちなら、どうしたでしょう。

修養の「目的・真髄」は、そうした心持ちをつくることではありませんが
人のために“命を投げ出す”ことさえ出来うる人に育まれていくでしょう。

ピオ神父の祈りimage

神の霊性を追う道というのは
不思議なことを追ったり、
何かの成功手法を面白おかしく解説するものではありません。


それは、
宇宙を、地球を、この世界を、人を生み出した
「神聖な何か」を追う道です。
それが導くところに向かって、愛を携えて歩む道です。


人への招きは様々ですから
パターンはそれぞれ、微妙に違ってくるでしょう。

それでも・・・
出家の道を歩まないまでも・・・たとえ市井に生きていても

真を希求する人、資質に目覚めた人はいずれ

「神聖な意志」に沿うための、何らかの「私的な招き」を心に聞くでしょう。

私服になった修道者image

修道者の食事準備image

修道院のとある食事風景image

修道者の食器洗いimage


そのとき人は、遊びや安楽、喜びのみをもたらすだけの「大いなる力」ではなく
「神聖な何か」の本質を知るように・・・と促されるでしょう。

そして・・・

「神聖な衝動」「私的な招き」を進んで受け入れ
それのみに「生涯を捧げることを選んだ人たち」のいる場所が
世界にはたくさん散らばっています。


カルメル会の修道女image

その場所からは

たとえ日々の労働のときであっても


修道女の仕事風景image

世間の人たちに知られないとしても
今日も明日も、いつも・・・
祈りの輝きが発せられていることは確かです。

カルメル会の修道女2image

聖務日課2image

聖体礼拝image

聖努日課image


きっと、たいていの人には、どうでもいい話しですね。
でも、なぜか・・・
ちょっとだけ書いておきたくなりました。




秋の枯葉image




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世羽

Author:世羽
心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
すべての人が幸せに
喜びに満ちて生きることができますように祈っています

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