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とある「あの世」・・・のつづき:「天国」の手前で

Posted by 世羽 on 10.2013 道草   0 comments   0 trackback
前回(下のリンク先)
とある「あの世」・・・
のつづきです。


子供のシルエットなimage


補足:煉獄・・・義人の霊魂が死後、天国に至る前に清めを受ける場所
もしくは状態とされている。
ここに向かった霊魂は、
たとえば、この世において何か反省や痛悔を想起させるような行いをし、
それらが生存中に浄化し切れず残っていた場合、死後にそれを、完全に浄化しようとする。
しかしながら、そこでは肉体をもった人にはわからない、魂のみが知る“特殊な苦痛”を伴う・・・と、
霊魂たちが伝えている。

*****

シンマさんへの質問はつぎつぎと行われていきます。

マリア(シンマさんのこと)さん、人が死ぬ時点で、永遠の世界に入る前に
神に立ち戻るためのチャンスは与えられるものですか?
たとえば、その人が罪に染まった人生を送っていたとしても?


はい、もちろん。
神さまは、一人ひとりに数分間を与えます。
霊魂たちが、それについて証言しています。
それは、罪を後悔するためと、神に逢いたいか・・・を決断するためです。
そのとき、自分の生涯が映画を見るように映ります。


マリアさん、人が死を迎えたとき、神さまは同じような明確さで、
すべての霊魂にご自身を明かされるのでしょうか?


人はみな、それぞれ自分の生涯のことを示されて、これから受ける苦しみ(注:煉獄に行く場合)を示されます。
でも、みなが同じではありません。
神が見える明るさというのは、各自の人生によります。


死んでから、煉獄のようなところに行かないために、
この世にいるときから「清め」のようなものを先に頼むことはできますか?


はい。
結核にかかった、ある若い女性と司祭を知っているのですが、
この女性が
「まっすぐに天国に行くのに必要だというなら、ありったけの(病の)苦しみを賜るようにお願いしているんですよ」と、その司祭に言ったのです。
司祭のほうは、
「いや、わたしはそこまでする勇気はありませんよ」と言いました。
たまたま、その様子を別の修道女が耳にしていました。
その後、二人とも亡くなりましたが、
ある日、その修道女のところへ、この亡くなった司祭が現れてこう言ったのです。
「もし、あの女性と同じくらい信頼感があったなら、
私はまっすぐ天国に行ったでしょうに・・・」



天国への脱出なimage


自殺した人はどんなですか? そんな霊魂がやってきたことはありますか?

今まで、そうした人が永遠に滅びた例に遭ったことは一度もありません。
でも、だからといって、
そういうケースが存在しないということではありません。
そして霊魂たちはたびたび言います。
(注:自殺する人に対して)怠慢であったり、
中傷を拡げたりする周りの人の罪のほうが大きい・・・と。


自殺した人は後悔しているのですか?

はい。・・・でも、しばしばこれは、病気の結果です。
自殺した人が神の光のなかですべてを見たとき、
その先ずっと生きるために残してあった時間のなかに、
自分のために用意されていたはずの“すべての恵み”を一瞬で理解します。
ですから、彼らの心にもっとも堪えるのは、
命を縮めてしまったために、ほんとうは出来たはずのこと、
他の人たちを助けられたこと・・・などを見せられ、後悔します。


そして、原因が病気のときは、これを神さまは考慮に入れてくださいます。

お尋ねしたいのですが、
他宗教・・・たとえばユダヤ教とか・・・の霊魂が尋ねてきたことはありますか?


はい、あります。彼らは幸せです。信仰を良く生きた人は誰でも幸せです。

では、霊魂にとって悪い宗教はあるのでしょうか?

いいえ。
でも、地上にはとてもたくさんの宗教がありますからね。
宗教的なセクトはとても有害です。
宗教的なセクトから人々を引っ張り出すために
あらゆる方法を使う必要があるでしょう。


最終的に、魂を失うように導く心の在り方、
その、つまり・・・地獄のようなところへ行く原因となるのは何ですか?


それは、魂が『神のほうへ行きたくない』・・・と思うときで、
霊魂が実際に「私は行きたくない」と言うときです。


注:メジュゴルイエでの聖母出現に立ち会った少女ヴィッカ・・・彼女は地獄と呼ばれる場所を見せてもらったことで知られています。
彼女によれば、
地獄に行く人は、「地獄に行く」と単独で決心した人たちだけで、
誰かを地獄に送るのは神ではない、
とのことで。
むしろ神は、そのような霊魂たちに
“神の慈悲”を喜んで受け入れるように懇願さえする
そうで、
よく言われる聖なる霊(聖霊)に対する最大の罪とは、
この慈悲に対する絶対的な拒否でした。
それも、本心ではその慈悲があることを完全に知りながら、
完全に認識しながら・・・の拒否
が、これにあたります。

そして、この永遠の滅びにいたる危険性のある魂のために人が祈るとき、
それらの魂を大いに助けることができる
・・・と言っています。


でもマリアさん、信じがたいことですよね。死の瞬間に神を見たとして、
どうして神さまに「NO!」と言えるんでしょう。


答えの実例・・・長くなるのでカットしますが、上記の質問は
ごくふつうの人が口にする感覚
かもしれません。


天国と地獄の標識なimage


マリアさんが亡くなった霊魂とかかわっていることと、
降霊術との違いはどのようなものですか?


私は霊魂に来てほしいと呼びかけてはいません。
降(交)霊術では、人が彼らを呼び寄せます。
この区別ははっきりしています。


霊魂たちを呼び出してはいけないのです。
私たちは、それを非常に重大なことと考える必要があります。


もし、みなさんがたった一つだけでも、私が言ったことを信じてくれるなら
それは、つぎのことであってほしいのです。


降霊術(注:たとえば集団で霊を呼び出すことなど)をする人たちは、
自分たちが死者を呼び出していると思っているのですが、
実際にもし彼らの呼びかけに応答するものがあれば、
それはいつでも、ほぼ例外なくサタンとその天使たちです。
彼らが返事をしています。
降霊術者は、自分自身にとっても、助言を求めてくる人たちにとっても
きわめて危険なことをしています。彼らは嘘にはまり込みます。
私は、そんなこと一度もしたことがありません。
今でも、これからも絶対にしません。
何かが私に現れるときには、神だけが許してくださいます。


サタンは、神から出るあらゆることを真似ることができ、実際にそうします。
死者の声も風采も真似ます。
病を治すように見えることさえも。しかし、その癒しは長くは続きません。
というのも、その場合は、サタン自身が起こしている病気なので、
何かの理由で“それ”が去れば、病気も消えます。


ところでマリアさん、あなたは、このカリスマを喜んでいますか?
それとも、霊魂からの願い事を煩わしかったり重荷に感じますか?


重荷には感じません。
私は、霊魂たちをたくさん助けることができるとわかっていますから。
難しいことには注意を払っていません。
私は多くの霊魂を助けることができるのです。
ですから、ほんとうに喜んで助けています。



天国からの光のimage


とある「あの世」の世界観のひとつ・・・煉獄と呼ばれるところ。
書き表せたのは、ほんの少しだけです。

ここでの霊魂は、地上にいたときのように
反省したり、悔いたりして自分を取り戻すことができません。
自分で自分を清めることが叶わないのです。
受動的に浄化されるのが終わるのを待っている感じです。
それは、一種の苦痛に似たものがあって、それがかなりシンドイようです。
しかも時間概念がないために、清めを感じる長さも
こちらの世界よりずっと長くきつく感じられる・・・。

しかし、そこでの霊魂はすべて、強烈な神の愛への郷愁をもち
神と共に生きる確信と喜びを失うことはない・・・霊魂たちです。

マリア・シンマさんは、煉獄にいる霊魂が少しでも早く、
上へと昇って行けるように
祈りや、善行をそれら霊魂のために捧げることで助け
浄化の期間を縮めることができる
・・・と話し、実行していました。

一方、こうして助けられた霊魂たちは、
たとえ、どんなに小さくとも、
自分たちに向けられた「助けとなる業」を知っているそうで、
煉獄から抜け出た霊魂は、
自分たちを助けてくれた「こちらの世界の人」を
助けてくれるようになる
そうです。

シンマさんと同じ信仰を持っていても
こうした場所に囚われた霊魂たちのために祈ったり、
些細な苦痛や困難にあったとき、それを彼らのような魂のために・・・と
捧げる人は、そうはいません。


煉獄のための祈りなimage


過失がまったくない人などいないと思いますが
それを綺麗にするのは、犯した何かを消すというより
それで倒れて終わってしまうのではなく、
何度も起きあがって、
自分自身や、過失を与えた何か、誰かに
心から赦しを謙遜に願えるかどうか・・・が大事で・・・。

さらに、自分たちの困難や苦しみといったものが
ただ、今生の「負」とだけ捉えるのではなく
こうして、何かに使えるものになるなら
無駄なことなど何もない・・・とも思えて、
新たな勇気も出たりします。
そのあたり、微妙ではありますが・・・けっこう大切かもしれません。

そして、文末にひとつ。

子供が祈るとき、
その祈りには人の予想を遙かに超えた「偉大な力」がある
そうです。


この世知辛い・・・とも言える世のなかにあっても
単純に心から願い、祈る子供たちを大事に見守ること・・・
大人の大事な役割かもしれません。


子供の祈りのimage




これまでに伝えられている「あの世」の姿は、
他にも色々ありますし
天にはそんな「国」がたくさんあるようで
実際、行ってみるまでは
どんなところに行くことになるか、わかりません。



天国のようなところのimage


でも

もし、望みを言ってそうしてもらえるなら
やはり、暗いほうではなく、
より明るく美しい世界、そんなところへ向かいたいな
・・・と。



天国行きのimage





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Author:世羽
心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
すべての人が幸せに
喜びに満ちて生きることができますように祈っています

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