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「沈黙の世界」に・・・現代スピリチュアルを重ねてみる

Posted by 世羽 on 29.2013 語り   0 comments   0 trackback


少し、小難しい話かもしれません。
学校で、外部からの課外授業でも受けたと思ってくだされば・・・。


思い切ってマックス・ピカートの書いた古典哲学の名著
『沈黙の世界』から抜粋してみます。
言葉が妙なところがありますが、抜粋そのままで)

よほどのことがないと
現代スピリチュアルの方々は読まないと思います。
文中のところどころに
勝手な書き込みを少しつけました。
引用のあとに、またお話しします。


【古代の言葉】

黄金時代についてのいくつかの物語のなかに、
人間はあらゆる動物や、樹木や、花や草の言葉を理解したと語られている。


(今・・それが再び来た感じです)

それは、沈黙の充溢から生まれ出たばかりの最初の言葉のなかには、
まだ一切を包んでみずからあたりに充満する力が存在していたことへの
追憶のようなのである。

(生まれたての言葉には、源の力が強く残り、それを理解することができた。
日本人的には言霊の力、その意味を理解した・・・みたいな)

昔の言葉のなかには、内気さと力強さとが入り混じっている。

内気・・・それは、
言葉が、やっと沈黙から歩み出たばかりであったからだ。
そして力強さ・・・
それは、言葉がふたたび拭い去られて消失してしまわないためには、
自己を堅固に保たねばならなかったからである。

(絶対的な至高の沈黙から言葉が出てきた様子が見てとれます)

(古代において)まるで巨大な壁の一部のように、
言葉はほとんど変化することなく立っている。

あたかも、言葉は
沈黙から送り出されたように、
ふたたび沈黙のなかへ呼び返されることができるのを待ち受けているかのようなのだ。

言葉は沈黙によって監督されていることを感じ、
つねに沈黙のほうをふりかえっているかのようなのである。
実際、沈黙からは別種の言葉、
いわば一種の訂正が生じ得ることも、常に可能だったのである。

(沈黙を至高の存在、言葉を魂と考えてみても通じます)


昔の言葉は静的であった。
言葉は打ち込まれた杭のようであった。
おのおのの杭は、
まるで独立して立っている。
一つの言葉から他の言葉へ通ずる道は、ほとんど皆無である。
このように言葉の建築術は垂直的なのだ。
文章のなかで、言葉は一語一語が垂直に、柱のように立てられている。

ところが現代の言葉においては、
揺るぎなく存在しているもの、静的なものに対して、もはや価値が認められない。

文章は動的になってしまった。
そして一つの言葉は急速に他の言葉へと移行し、
急速に一つの文章は他の文章へと動いてゆく。

(確かに言い得ています)

言葉の建築術が変化したのである。
文章はかくして液体のような流動的なものになる。

文章は激しく前へ前へと突き進む。

事実、現代の言葉は棘々しく攻撃的である。
たいていの場合、より多くの攻撃性がその言葉のなかに、
すでにその言葉のかたちのなかにある。

言葉は不眠におちいり休む暇がない。

一つの言葉は沈黙よりもむしろ、それに先立つ他の言葉から生じ、
沈黙へ赴くよりも、
むしろ次の言葉へと急ぐのである。


マックス・ピカート(Max Picard, 1888年6月15日 - 1963年10月3日)
ドイツのショップフハイムで生まれスイスのルガーノに没す。医師、哲学者



よく読むと、言葉を「人」や「魂」に置き換えて読めたりします。
何となくおわかりになりますか?

哲学者の視点からすると、論外かと思いますが
置き換えて読み込んでみると面白い。
「なるほど」と感じる方もおられるかもしれません。

時代は変化しますから、言葉の変化は止められないでしょう。
時代の流れというものです。

ただ、変化するものは変化できるものであって
進化しつつも、依然として変わらない本質もあります。

重きを置く言葉、非常に重大な何かを伝える言葉が上智から降るとき
「沈黙の世界/至高の世界」から降す存在は、言葉を慎重に選びます。

軽々には伝えません。
あまりに饒舌に話すこともないでしょう。

遊びではないからです。

受ける器も選びます。
たとえ無学であっても
その心や魂の状態、そして人柄などが、受ける器の対象となります。

本当の意味で、これら器になる人というのは
いつの世でも、そう多くはありません。
(人を神聖に導くと言う意味で、厳密にシャーマンのようなものとは異なる)

自らの内に声を聞いて問答するのと
はっきり「感覚でわかる」ほどの言葉を聞き、
人を導くために使うのは
似ているようで
異なる・・・。

実際には
自我の混じった声を、何かの存在と捉えて
聞いている方が多いかもしれません。

どんな役割を選んでも自由です。
それが誰かを助けることになるなら
とても嬉しいことです。

でも、そうするとき
知らず知らずに忍び寄る
名誉欲や羨望を集めたいという感情だけには
どうぞとらわれませんように。
創作した言葉、内容だけは伝えませんように。

そんなことを、誰に言うともなく、願ったりしています。


(・・・脈絡なく、何度読んでも訳のわからん歌詞の、こんなのを貼り付けたくなり・・。
  でも旋律が好きなわけで・・)

http://www.youtube.com/watch?v=thXKwGEXyQo




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心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
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喜びに満ちて生きることができますように祈っています

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