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ヴァチカンと靖国・・・そして、キリスト教的な「愛し方」

Posted by 世羽 on 22.2014 つぶやき   1 comments   0 trackback
(つぶやき)
とある「特定の動物」の保護を叫ぶこと自体には、何も言えない。

でも・・・別の動物を際限なく食している人が
「食について」「命の奪い方」だけで正義をふりかざすとしたら、少し疑問が浮かぶ。

「罪のない者だけが石を投げよ」と言ったとき
そこに残った者は誰もいなかった・・・と言われるように
牛・馬・豚・ヤギ・ヒツジ・鳥・魚など・・・ときに犬までも
生きるためというより、「楽しみ」で遠慮なく腹に入れる人間。

はたして、誰に是非をふりかざす資格があるのだろう・・・
なんてことを、つい思ってしまう自分。


とある男月下を走るなimage


(注:本日はクソがつくほど長文です。ご了承ください)

ここ数日、なぜか、知る人ぞ知る“遠い昔”の話題が再浮上していました。
いずれも、ヴァチカンと靖国関連の話で、ネット上ではもう
たくさんの話が上げられています。
その要点は二つ
それをまず、改めてまとめてみると・・・。

事実その1 靖国神社の存続を助けたのはカトリック司祭たちだった

かつて、米軍が靖国神社の存続を滅する計画をたてていたときのこと。
それを押しとどめ、神社の存続を促したのが
当時の上智大学学長、ヴァチカン日本支部代表のブルーノ・ビッテル神父
およびメリノール宣教会のパトリック・バーン神父の両名だった。


両神父は、マッカーサーの靖国神社の焼却処分案に猛烈に反対し、
そのさいビッテル神父は、こんな言葉を残している


「いかなる国家も、その国家のために殉じた戦士に対して、
敬意を払う権利と義務があると言える。
それは、
戦勝国か、敗戦国かを問わず、
国家のために命を捧げた人に“敬意を払う”のは
自然の法、平等の真理でなければならない


「もし靖国神社を焼き払えば、それは連合国軍の占領政策と相容れない犯罪行為である。
米軍の歴史に不名誉な汚点を残すことになろう」


「靖国神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であるというなら、
排すべきは国家神道という制度であり、靖国神社ではない。

われわれは、信仰の自由が完全に認められ、
神道・仏教・キリスト教・ユダヤ教など、
いかなる宗教を信仰する者であろうと、

(日本の)国家のために殉じたものは、すべて、
靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言するものである」


事実その2 日本人殉難者のためのミサが、かつてヴァチカンで行われていた

「昭和の戦争記念館」第3巻、大東亜戦争の秘話のところに、
1980年5月21日、昭和の殉難者のために、荘厳なミサが
ヴァチカン・サンピエトロ寺院で行われた
・・・という事実として記載されている。


その内容について、「他の資料」と交えてまとめると、以下のようになります。

かつて、 
時のローマ法王・パウロ6世に、「日本人殉難者のためにミサを」と訴えたのは
仏教徒の仲田順和師であった。
彼は、昭和50(1975)年、ヴァチカンを訪れ、法王に謁見した。


大戦後、パウロ6世が宗教・宗派間の争いが絶えないことを憂いて、
世界を飛び回っていたこともあり、
順和師は、この法王なら判って貰える・・・そう思い、
謁見時に率直に質問してみたという。


「第2次大戦後、戦勝国は敗戦国日本に対して軍事裁判を行ない、
 1068人を死刑にしました。そのことを法王としてどう思われますか」


すると法王は
「それは恥ずかしいことです。
 私は処刑された人々のミサを行いたいと思います」
と答えたという。


仲田住職は感激したそうだ。
 「さすがカトリック教徒11億人のトップに立つ法王だ。
 宗教宗派の対立解消を念願しているばかりではない。
 戦争観や歴史認識においても、正邪善悪や敵味方を超えて、
 相互理解を図ろうとしている。

 これこそ宗教者としての本来のあり方であり、平和精神の体現者ではないか
と。


こうして、かねてより住職が心を痛めていた「戦犯とされた人々」
鎮魂と慰霊のために、宗教の違いを超えた願いが出された。



そのさい、
戦死した日本の13万人の学生たちの霊のため、
特別の恵み(祝福と加護)を依頼した・・・ともされている。


順和師の父、先代座主でもあった順海大僧正は、学徒兵や殉難者の法要を欠かさず、
「七戦犯の鐘」など、慰霊の鐘も護持していた。
この先代座主の遺志をついだ、真言宗醍醐寺派別格本山品川寺(ほんせんじ)
仲田順和師の願いを、パウロ6世は快く承諾したのだ。

しかし、喜んで帰国した順和師にその後届けられたのは、法王の訃報だった。
その後、ヨハネ・パウロ1世も急逝。
異教徒の願いは空しく閉ざされた・・・と思われた。


しかし、その5年後(昭和55年4月)。
順和師のもとに、ヨハネ・パウロ2世から親書が届けられた。
そこには、なんと「5年前の約束を果たしたい」とあった。

 
ローマ法王庁は、異教徒の願いを忘れてはいなかったのだ。

この日まで、過日のパウロ6世の真心に応えようと、
帰国直後から、
「戦犯」慰霊に共鳴していた栃木県大田原市の木工芸家である星野皓穂氏に
醍醐寺五重塔を精巧に模した塔作製が依頼されており
星野氏は、その後3年の歳月をかけ、その依頼を無料奉仕で完成させた。



バチカン奉納(仲田師と五重の塔)のimage


この五重塔に、殉難者1068柱の位牌が納められ、
ヴァチカンに奉納されている。



バチカン(教皇と僧侶と五重の塔)image_convert_20140122185915


こうして、1980年5月21日。
仲田・星野両氏が参列するなか、
法王ヨハネ・パウロ2世によって
昭和殉難者のための荘厳なミサがヴァチカンでとり行われた。



バチカン(日本人戦犯へのミサ)image_convert_20140122185632


そのさい、ヨハネ・パウロ2世教皇はこんなことを言っている。

「日本から来た仏教徒の訪問者たちを、特別に、あたたかく歓迎します。
 あなた方に平和の祝福を願います。
 わたしたち自身についての真実の受容と、
 わたしたちの生存の目的である、その内にある平和を・・・。
 神はすべての人に等しく恩恵を垂れるのですから
 すべての人間の尊厳に対して尊重しあう真実の平和を。
 神がその恩恵をあなた方にお示しになることを、祈ります」・・・・



ヴァチカンには、昭和の殉難者1068柱の霊が祀られている。
連合国の手で「戦犯」として裁かれた日本人「法務死」者の霊が、
世界のキリスト教カトリックの総本山ヴァチカンに、
ローマ法王によって祀られた・・・。



バチカン(ヨハネ・パウロ2世教皇と仲田師)image


蛇足ですが、ひとつ気になることがあって。
多くの記事のなかには、位牌が奉納された・・・というところで
依代がヴァチカンに預けられたことで、御霊はいまや靖国にはない・・・
かのように記述されているものがあったようです。
そこのところ、ちょっと“受け取り方(解釈)”が違うような?・・・。
宗教のことですし、間違うといけませんからやめておきますが。

(詳細は、とにかく色々な方が記事にしておられますので
 興味のある方は、検索にて諸々をご覧ください)


バチカンの情景image


で・・・

ヴァチカン、そして聖母の守護が特に強かったと言われるヨハネ・パウロ2世
これらの名を聞きおよび、書きたくなった内容はここからでして・・・。


ヨハネ・パウロ2世と聖母image


ときおり思うのですが
キリスト教の概念が引き合いに出されて批判されるとき
ちょくちょく誤解があるな・・・と。

細かい信教上の神学的な話は、ちょっと置いておき
すごく簡単に、別のことを言うと

ごくふつうの人が、細かいキリスト教諸派の枠組みをこえて、
漠然とキリスト教はどんなものかと問いかけたとして、
救いがどうのこうの・・・と言うよりも先に
比較的わかりやすく、それを“生きる概念”の根底として
このように言えるのではないでしょうか。

キリストのように考え
キリストのように話し
キリストのように行い
キリストのように愛する


でも、実際にキリストがどのように生き、
どのようなことを実践していたかを知らないと、
また、心で感じられないと
いくら信徒であっても、キリストに倣うことはできないでしょう。

そこで、キリストがどのような存在だったかを知る、
心の旅が始まるわけです。
その旅は、知識とか教義とかだけでなく、
いわゆる聖霊の助けを願いながら、
導かれていくことも意味しています。

仮にキリスト教を信じたとしても
キリストの姿を十分に知り、
心底から実践しようとしている人がどれほどいるか・・・となると
なかなかむずかしいのです。

かつてヨハネ・パウロ2世が来日したおり


バチカン(天皇陛下とヨハネ・パウロ2世教皇)image


日本の若者からの質問を受けて、「愛」について答えていました。
そのとき教皇は、こんなことを言っていたかと。

福音というのは、キリストの大切な教えで
そのなかでも、いちばん大切な掟として
「愛」について教えています。


「心を尽くし、義を尽くし、礼を尽くして神さまを愛しなさい」
「隣人をおのれのごとくに愛しなさい」


この2つはお互いに相関関係にあります。


ヨハネ・パウロ2世の祈り(メジュゴルイエ)image


キリスト自身の教えだけではなく、
彼が実際に行ったことを見ると


本当に、何物にもかえて「神を愛すること」をしなければなりませんし、
隣人をおのれのごとくに大切にしなければならないわけです。



ヨハネ・パウロ2世のキスimage


聖書のなかのヨハネの手紙に
「目に見える兄弟を愛さない人が、
       目に見えない神を愛することはできない」

という言葉があります。

ですから、神に対する愛というのは、
ある意味、隣人、人に対する愛と“非常に密接なつながり”があるわけです。



隣人というのは、まったく例外なく、
誰でも・・・を、さしています。
ですから当然、そのなかには敵も入っているわけです。


キリストは

あなた方の敵を愛しなさい。
あなたがたを憎んでいる人に、いいことをしてあげなさい。
あなたがたに悪口を言っている人に、いい言葉を与えなさい。
あなたがたをいじめている人のために祈りなさい・・・


と言っています。


ヨハネ・パウロ2世の祈りimage


ですから、愛するというときに、決して感情にまかせるのではなくて
むしろ、いいことをする・・・というようなことを
人のために何を・・・いいことをするか・・・ということを考えて下さい。


そして、

その理性によって、わたしたちの感情を導き、
それを、より善い方向に育てることができる・・・と思います。
そこには忍耐も必要です。


キリストはこんなことを言いました。

あなたがたが耐え忍ぶならば
あなたがたの魂を勝ち取るでしょう。


本当に“人を愛する”ということができるのは
自分自身を勝ち取る人だけが、できるのです。
自分自身を所有している・・・ということです。
自分自身を完全に支配できる人、
その人が
本当に“人のために自らを捧げる”という
最高の愛ができると思います。


このことは、キリストが、ただ言葉で教えたのではなくて
そのことを彼は、実際に実践したわけです。



バチカン(ヨハネ・パウロ2世)image


隣国の話題になるとフツフツと血が頭にのぼりがちな自分には
かなり、遠い次元の提言です・・・。
でも、究極、ほんとうにこのように人を愛せたなら
確かに、地上は明るくなるでしょう。


「愛」という言葉を使うと
とかく、批判を浴びるご時世で
その概念を口にすることにも、勇気がいるようになりました。

ちなみに、かつて、
こんな意見を残している文を見たことがあります。

日本人は“全能”という意識を笑い
「神が全能ならこうしてくれるはずだ」・・・といった発想をするが、
それは
「人間が“全能という召使い”を持っているような意識」だ。


「全能なる神」は、
「アラジンの不思議なランプを持った人」の意味ではない。


それが理解できないと、

「神は全能なのにこうしてくれなかった・・・」という不平にもなる。
「神は全能のくせに、ちっとも・・・・してくれない」と、人が不平を言うのは

神を、自分のために何でもしてくれる“全能の召使い”と見ている・・・
ということだ。



バチカン(ヨハネ・パウロ2世の大地へのキス)image
 (ヨハネ・パウロ2世は、行く先々の訪問地に降り立つと、
 その国の大地に口づけをしたことで知られています。
 もしかすると、それは・・・その地にいざなってくれた神への
 謙遜と感謝のしるしだった・・・かもしれません)




なにか・・・自分的には、わかる感が・・・。

宇宙意識でも、何でもいいのですが
みなさんが信じる「何か」が伝える愛・・・とは
どのようなものでしょう。

みなさんは、現実世界において
どう愛して・・・どう、実際に生きておられるでしょう。
すべての人を、どう愛しておられるでしょう。

きっと、色々なやり方があると思いますが
たとえ、神に教えて貰った言葉だとしても
それを誰かに伝えるにしても
それを、自らがどう実践しているかが、
信じるものの如何にかかわらず、やはり・・・
とても大切ではないでしょうか。


人類すべての方が
どのような旅の途上にあったとしても


そのなかで、たくさんの恵みとご加護がありますように。



とある灯台の月夜なimage




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ご連絡いただき、ありがとうございました。
本当に、どんな小さなお言葉がけでも、励みになります。
心から感謝します。

それと、文字色の件・・・ス・スミマセン!!!

黒板書きを想定して選んだバックが墨色で、そこに「神さま」系の言葉の雰囲気を出すときに、そんな色を使ってしまっています。

また、しばしば、そんな風になるかもしれませんがお許しください。
2014.06.24 01:22 | URL | 世羽 #/9hBKkrU [edit]


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Author:世羽
心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
すべての人が幸せに
喜びに満ちて生きることができますように祈っています

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