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番外:神の啓示(後)・・・「とある団体」を抜け出した男の話9

Posted by 世羽 on 28.2014 番外   0 comments   0 trackback
(つぶやき)
とある中国からの御仁にお目にかかった。
こういうときぐらいしか、日本のことを知らせる手だてもないので
心を込めて色々と対応した。
最後、手を振って別れたが・・・彼のとびきりの笑顔に救われた。


笑顔といえば・・・。



とある情景(両陛下と神器)image


両陛下のそこはかとない微笑。上品だ。もしかすると神器にも優る・・・
のかもしれない。


とある銀河(keller37b)image
      (地球と似た星がある可能性が高いと指摘されているkepler37b




キースさんの体験談のつづきです。


神の啓示(後)


私は土曜日の夜のあいだ、墓(注:霊的な墓)にいて、
夜明け間近、4人の天使が来たのに気づいた。
彼らは私を洗い、服を着せ、元気づけるために来たのだ。
そして彼らは、神に祈るために私を引き上げてくれた。


神は、私の魂を真理のうちに仕えさせ、
また、ほぼ永遠に失われてしまうところへ私を運ぶものから、
いつも遠ざかるよう、私を救ってくれた。


日曜日の朝、墓が開かれた。
天使の声が彼らの王を讃えると、非常にすばらしい光が降り注いだ。
暖かさと愛が、私を取り囲んだ。


私は新しい“いのち”に招かれた。
神に仕えるために肉体を持ったまま、生まれ変わったのだ。


この日、私の人生の再スタートを祝福されたことを知って
私は新鮮な空気を吸い込んだ。



だがまず、私は
神について、
また、どのように私が欺かれていたかについて
学び直す必要があった。


ビジョンは続いており
私は他の魂たちとともに、教室にいるのがわかった。


教師が両手で正義の物差しを持ち、入って来た。

彼は、聖白色同胞団の霊がどのようにやってきて、
人間と神から盗み取った光で、
彼らがどのようにして自分たちを装うかを教えるために
話しを進めた。


暗黒の天使たちは、光の天使たちのようにも現れ
彼らはこう信じ込ませることで魂たちを欺く。


つまり、自分たちが神から来ているもので、
もし、あなたたちがそれにうなずくなら
彼らは微笑んでこのように言う。


「私たちの道に来て、そこを行きなさい。遅れてはいけない。
 やることが、そこにたくさんあるのだから。
 いま、ここに招かれ、傷を負った者は、この団体に足を踏み入れ
 これまで語られることのなかった秘密の数々を受け取るのです」



ビジョンと教えが続いた・・・。

話の終わりに、大天使聖ミカエルと想える巨大な天使が、
まるで私が子供であるかのように手を取って、


「神があなたに命じる仕事を視なさい」と言い、
私たちは一緒に、ひとつの道を歩いた。


いま私は、神の法を知る前の罪の重荷から解放されていたので
足取りは軽やかだった。


その道に沿って、それぞれの側にいくつかの教会があった。
私はそれらの教会にさしかかると
『ここが私の奉仕する予定の場所に違いない』と想った。


だが違った。

私が
『これ以上、目的をそれないためにも、
私が奉仕するのはここに違いない』
と想うまで
天使は私の傍らにいて歩みを運んだ。


各々の教会を通り過ぎ、道が砂地になり、石ころだらけになって
不毛の土地(砂漠)となって、ついに道がなくなった。


砂漠の真ん中で、天使が立ち止まり、こう言った。

「ここが神が命じた仕事場です。
 この砂漠の砂のひと粒ひと粒が
 地球上の魂なのです。

 ここが、あなたの価値を証明する場所です。
 赦しが与えられる人々みなを、神のもとへ運んでください。

 しかしまず、あなたが信じたこと、
 神があなたに示したことを告げなさい。
 これが、いま、あなたがしなければならないことです」




そののち、天使と、ビジョンが消えた。
それは1968年6月のこと。
以後、天使もビジョンも二度とやって来なかった。
私は以前は信じてもいなかった、クリスチャンにふたたび生まれ変わった。



この再生は、聖書を読むことではなく、
説教などによるものでもなく、
直接、神の啓示によってなされたものだ。


しかし、私はそのとき気づいていなかった。
神の小さな閃きは、闇の中のサーチライトのようなもので、
悪魔的な力が、それを消すために集結していることを。


騙されやすい魂は、洗われ、元気づけられて立ち上がるが、
欺く人々によってあらかじめ準備されている罠によって、離れ
そこに落ち込んでいく。


神は私の魂に巻きついた蛇を殺したが、
蛇が死滅していく痛みがおさまり、
それが腐敗して地面にズリ墜ちて二度と戻らなくなるまで
何年も費やさねばならなかった。



とある神の手(NASA)image


たぶん、ある人たちはこう言うだろう。

まことの回心とは瞬時になされるものであり、
神が、自身を表わしている聖書の話からかけ離れているし、
そんな、神によるオカルトからの救出など
いま、この時代に、ほとんど異常なことだと。



それは読者が決めることだ。


私が言えるとしたら
私がどうして、非常に年老いた男性のように“神を視た”のか
わからないということだけだ。


私は、彼が人間ではないということがわかったし、
誰も神を見ることができないのだから、
彼は神の代理人だったのかもしれない。


私の心が、自分の経験したことを、
理解可能な”目に見えるイメージとして
翻訳したのかもしれない。



神の存在は
人間の思考や記述、説明を超越している。
確かにそれは私を超えるものだ。


それは、その完全な現実性と愛において、
どんな人間の感情をもはるかに超えた感じのものなのだ。


ある者が、ほんのわずかのあいだ神聖さに触れるとき、
神以外のものはすべて、無意味の中に消えてしまう。
ある者は、ただ永遠に、そこに留まりたいと願う。
悲しいことに、それは不可能だ。


神の新しい奉仕者が仕えるのは、この地上だ。
しかも、福音を広めるために、この地上に戻って来るのは
かなりシンドイことだ。



これまでの日々のなかで
私は、審判の日に救われる魂が非常に少ない
ということなど、信じられなかった。


だが、いまは
自分の犯したことを反省し、他の人の恐ろしい罪を比べ
私は聖書が述べていることの真実を受け入れる。
神は教師で、私たちは神の生徒だ。


私たちが神の教えに従わないなら、私たちは救われないし
救われ得ない。


私たちの生命の小道は
私たちを神に向けるか
神から離れるかの方向をもたらす。


私たちは、自分で選ぶという自由意志を持っている。
これらの言葉は、魂たちに“自身が決断をする”・・・ということの
助けになるだろう。


人類のさまざまな法律は、
大目に見て、私たちに自分の行動に対しての責任を問わないかもしれない。


だが、神は庭師であり、純粋な果実だけを刈り取るだろう。
神がふたたび、地上に天国を創造するときは、
純粋でないものすべてを、火の中に投じる。


あるクリスチャンたちは、
神がビジョンに現れることができる・・・と、信じていないし


また他の人々は、
悪魔の存在やサタン的な力、
その外的な影響
を信じていない。


もちろん、

もし、そうした人たちが
天使たちを畏怖する道を歩んだことがないなら、
彼らが“超自然の悪の力”を
直接経験することはないだろう。


彼らはこう言い訳をするだけだ。
「神は不思議な方法で働く」
「私たちは、ただ神の大いなる意志を受け入れなければならない」


このことは、悪の源泉の体験が何もない者たちが
より劣る弟子となった一方で、
かつてクリスチャンを告訴していた聖パウロ
神の啓示のあと、
最も偉大なキリスト教の推進者であり教師となったことを
説明するものだろう。


そうだ、私自身、数年間サタン的な力から攻撃を受けてきた。
今は、社会の“信じていない中心的な人たち”への対抗手段として
こうした言葉を書くよう、促されている。


その人々たちのうちには、神の衣を着て、
先だった多くの信じるクリスチャンたちより
優れた知識があると考えることを選択した者たちがいる。


彼らと、その見解に同意している人たちは、
自分たちの言い分の真実性を、まず最初に受け入れるに違いない。


それはつまり、

彼らの信念が、
彼らの“内部のみ”から来ているということだ。


彼らは聖書を脇に追いやり、
私や、私のような他の人たちは、
聖書を研究することによってではなく、
盲信によってではなく、
純粋に、神が一人ひとりにとって個人的な存在だ・・・
ということによって
聖なる創造者を体験した。


もし、神を知り、理解したいと強く願うなら、
すべての人が、彼を見出すことができる。


私の「イエスの物語」における不信全体が、
いまは・・・
彼は“昔も今も”存在しており、
神の聖なる御子であり、
私たちの贖いと救いが彼を通してもたらされるという
唯一の希望に変えられた。


私は、魂に対するサタンの影響を打ち消す“神への祈り”・・・
それが答えられるものであると確信している。


この点において私は
私の妻、牧師さん、そして会衆派教会のみなさんが、
聖白色同胞団にいた私のために祈ってくれていたことに、
心から感謝を申し上げたい。




キースさんは団体にいる友人たちに、体験した内容を伝え
救い出そうとしますが
彼の声はほとんど届きませんでした。

そして、キースさんの想いとか、
さまざまな説明などが、つぎに語られていきます。
そんな話を、追々。



とある干し物image



心の底から湧き出ずる暖かい気持ち・・・
それは、ときに自分に向かい
ときに誰かへと向かい。
ときに、周囲に存在するすべてに向かう。

そして、すべてを優しく包む。


とあるハグimage


常にそうできないとしても
自分は、
限りなく、そうでありたい・・・と、願っている。




とある春の蝶々image



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世羽

Author:世羽
心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
すべての人が幸せに
喜びに満ちて生きることができますように祈っています

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