Loading…

スポンサーサイト

Posted by 世羽 on --.-- スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「イミタチオ・クリスティ」・・・

Posted by 世羽 on 30.2014 つぶやき   0 comments   0 trackback
(つぶやき)
それぞれの時代には、それぞれのいいところがある。
そんななか
うまく言えないが
昭和という時には、独特のノスタルジーを感じる。

もしかすると、
日本人の本当の良さが、適切に出ていたからかもしれない。
海外と交わりながらも、またそこから学びながらも、
日本人として生きるにあたって、
尊い気概、品のようなものがあった感じがする。

今は・・・どうだろう。


サントリーニimage



先日、しばらく書くことを休んでいたとき
色々なことを心に想いめぐらしていました。


そんなおり、いくつかの愛読書とともに
たびたび手にしていたのは
『イミタチオ・クリスティ』(キリストに倣う:De Imitatione Christi)でした。

知る人ぞ知るであろう名著、
中世における「最高の信心書」と称される書です。

現代では、
キリスト教に属する方々でも
読む方は、そう多くないかもしれません。


イミタチオ・クリスティimage



どんなものかというと・・・。

霊魂の“密やかな旅路”の友となる書・・・。

それは

「完徳の道」に至るための教訓から書き始められ
読み手を、人間の究極目的である「神」へと導くものです。

その書を読み取る者を、
神の恵みに希望を置くようにさせ
各々がもつ「欠点」の矯正と修徳とを勧め促しています。

そしてこの書は

人が、神の光明のうちに生活を営むように
また、観想と神秘の奥地である“神と一致する”ように
招いています。

これを、誰が書いたのかわかりません。
過去には、幾たびも調査が行われていますが
いくつかの説があって
いまだ、明確に確定されていません。

この書は、特に、
当時の(今も)聖職者修道者たちに愛読されてきました。

内容の一部には
今で言うなら、中世のチャネリング・・・と言えるような部分もあります。
ソース・・・もちろんイエス・キリストです。

これを、誰が書いたにしても・・・

紡ぎ出されている言葉の数々は、非常に美しく
崇高な霊感なくしては書けない・・・とされているのは
本当だな・・・と実感します。

その内容については、また別の機会にまわすとして・・・。


神の光にも似てimage



巷ではよく、
「キリスト教は、
それを信じなければ救われない・・・という考え方を押しつける」

などと評されます。
(しかも、そうした見方を勧誘に悪用する団体もあるようです)

でも自分は、その見方は少し・・・・・なのです。

もし、意識しようがしまいが
「キリストに倣う」“ような”生き方をし
究極の目的として神に向かうことを目指す人なら
その人はすでに、神の“善き霊感”を受けているわけで・・・。

つまり、

究極の目的である「神」という存在を知るために
多くの人がいろいろと努力するように
キリストを通して、その目的を達成しようとする人の道・・・と表現したほうが
わかりやすいような感です。

ですから、とりわけ

何かしらのに入り
キリストの教えを生きることを決意した人であるなら
どんなにささやかであっても
日々、「キリストに倣って生きる」ことを実行してこそ・・・なのです。


そういうことから言えば、
先日の
隣国で起きた“悲しい事故”に絡んでしまった人たちが受けた教えは
まったく異なるものであり
「キリストに倣う」生き方とはほど遠い生き方をしていたことが
よくわかります。

しかし、悲しいことに、
この世界には
そんな類がたくさんあって・・・。

だからこそ、「キリストに倣う」生き方をしているかどうかは、ある意味
世に数多ある、キリストを冠した教えやメッセージが発せられたとき、
内容はもちろん、発信者の姿勢が
本当に神のみ旨に叶っているものかどうかを
見抜く指針になる
ことでしょう。


そして、ちょうどいい具合に
こんな話が流れていました。


「泣ける系のコピぺ張ってけスレ」から引用
(ほんの少し、読みやすいように書き直します)。

あるベトナムの村に、
宣教師たちの運営する孤児院がありましたが、
爆撃を受けてしまいました。

宣教師たちと2人の子供が即死し、その他の者も重傷を負いました。
重傷になった者たちの中でも
8才の女の子は、最も危ない状態でした。

無線で助けを求めると、しばらくして
アメリカ海軍の医者と看護婦が到着しました。

少女は、大量に出血したことにより危ない状態にあり、
早く手当をしないと命を落とすことになります。

輸血が必要でした。

しかしどうやってそれを行うことができるというのでしょうか。

言葉が通じないため、
ジェスチャーを使って子供たちを集め、
何が起きていたのかを説明し、
誰かが、血液を提供する必要があると伝えようとしました。

沈黙の時間がしばらく続いた後、
一本の細い腕が、恐る恐るあがりました。

ヘングという名の少年でした。

急いで少年の準備をすると、
苦しむ少女の隣に寝かせ、
輸血用の管をとりつけました。

少年は黙ったまま、天井をじっと見つめていました。

しばらくすると、
少年は自由になっている手で顔を覆い、
しゃくりあげるように泣いているのでした。

医師が「どこか痛いのか」と尋ねると、そうではないようでした。

しかし、しばらくすると
また、しゃくりあげ、
今度は大粒の涙をこぼしていました。

医師は気になり、ふたたび尋ねましたが、
またもや彼は、否定しました。

ときどきしゃくりあげていたのが、
やがて静かに泣き出しました。

明らかに、何かが間違っているようでした。

すると別の村から、ベトナム人の看護婦が現れました。
医師はその看護婦に、
ヘングに何が起きたのか尋ねてくれるよう、頼みました。

すると、少年の苦しそうな表情がゆるみ、
しばらくすると、彼の顔はふたたび平静を取り戻しました。

看護婦は、アメリカ人医師たちに説明しました。

「彼は、もう自分が死ぬのか・・・と思っていたんです。
あなたたちが説明したことを理解しておらず、
少女を助けるために、全ての血液を提供しなければいけない・・・
と思ったようです」


医師は、ベトナム人看護婦の助けを借り、少年にきいてみました。

「そうであれば、
どうしてあなたは血液を提供しようと決心したんですか?」


すると少年は単純に答えました。

「あの子は、ぼくの友達なんです」




この少年は、ごく自然にこのような行動をとった・・・。

でももし、自分がこの少年の立場だったら
はたして同じことができただろうか・・・と思ってしまいます。

咄嗟の事態に際したときなど
思わず出る行為が、その人の聖性のほどを示す・・・。


言葉にもまさり、行いにこそ
すべてが現れる
・・・というのも、納得できる感です。


少女の祈りimages


自分、『イミタチオ・クリスティ』に書かれていることを
けっこう、抵抗なく受け取るような人間で・・・。


しばしば、こんな感じで祈ることも好んでします。



跪く祈りimage



祈りというのは、自分にとって
「息」をするのと同じ。


ときにそれは、神聖な御者との、親しい、心の会話です。

嬉しいときも、悲しいときも、辛いときも、苦しいときも
すべて、「感謝」になるような・・・。



みなさんが、たとえどんな「何か」を奉じていたとしても
そんな、似たような業の真髄には、
どこか通じるものがあるのではないでしょうか。

そして、その各々の業を通じて
人は、ゆっくりと、聖性への階段をのぼっていく・・・。



陽光と少年image


この世の生あるうちに
どこまで、のぼれるかわかりませんが

自分も、自身のできるペースで
歩を進めて行きたいと思っています。






書いてるときに、歌詞の内容は別にして
なぜかこのメロディーが湧きました・・・w。







スポンサーサイト


  • password
  • 管理者にだけ表示を許可する

trackbackURL:http://tokitabiyohane.blog.fc2.com/tb.php/261-940f25e7

プロフィール

世羽

Author:世羽
心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
すべての人が幸せに
喜びに満ちて生きることができますように祈っています

最新トラックバック

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。