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小さな道の霊性・・・「マッサビエルの洞窟から」終回

Posted by 世羽 on 12.2014 聖母マリア   0 comments   0 trackback
(つぶやき)
A新聞集団的自衛権について意見を述べた某女性ライターさん。
これまで何度、日本を馬鹿にする発言をしてきただろう。

何を語ろうが自由だし、とやかくは言えない・・・しかし・・・。

“祖国”を持ち上げて“今住む国”を貶めるほど嫌な日本に
どうして住んでいるのだろう。

ともかく・・・何を書いても仕方ないとはいえ

あの、仲間と3人
「靖国神社」境内で“全裸写真”を撮ったことだけは・・・

少なからず「日本護国の社のひとつ」として敬意を集める、その「地」
心から謝ってからにしてほしい・・・と、心が叫ぶ。


夕陽と飛行機雲とシルエットimage



「ルルドの物語」・・・
これまで、ほとんど一般に注目されないところをメモってきました。
終回ではさらに、もっと注目されない部分につっこんでみます・・・w。




小さな道の霊性


ベルナデッタの家庭が貧しかったことはすでに書きましたが
彼女は、病弱な身体をおして
当時の貧しい人なら誰でもしていたように
羊飼いや女中・・・実に色々な仕事をしていました。

思うように学校に行けなかったので
読み書きはほとんどできず、
初聖体前の準備を迎えたときには
学校の休み時間に5歳も年下の少女に教えてもらったりしています。

「何かを覚えるのはベルナデッタには難しいんです。
頭が固くてなかなか入らないみたいで」
・・・と、その少女。

またあるとき、ボ(ポ)ミアンという神父とベルナデッタの
こんなやりとりも・・・。

「あなたはどんなことを知っていますか?」

「天におられる(主の祈り)と、アヴェ・マリア(天使祝詞)と、
天地の創造主、全能の父である神を信じます・・・のお祈りです」


「ああ、それだけあれば“ロザリオの祈り”をするには十分ですね」

とにかく、ベルナデッタはこんな具合でした。

しかし、感性にはもともと鋭いものがあり

「ねえベルナデッタ、神さまをお迎え(聖体拝領)するのと、
洞窟でマリア様に会うのとどっちが幸せなの?」


と聞かれると

「さあ・・・わからない。この二つって一緒のことだもの。
比べるなんてできない。
私に言えるのは、どっちも幸せってこと」
と答えます。


うまく言えませんが、もの凄く単純なようで
感じていることが、さりげなく深いのです。

そんな貧しい無学な少女
とっておきの「不思議な出来事」が起きたわけです。

彼女には、欠点としての頑固な一面もありましたが、
それを覆い隠して余りある、生来の謙虚さがあり

「もし、この世で私より愚かな子がいたら、
マリア様はきっと
その子のところへ現れたでしょう」


・・・と、 自分の体験を誇ることが一切ありませんでした。

さらに、自分の体験をどれほど「インチキだ!」と罵倒されても、
見たものは見た・・・と言い切る「勇気」も持っていました。

そんな性質の持ち主だったからこそ出来たことかもしれませんが・・・

「罪人のために祈ってください」

(具体的には、改心[良心の回復]と回心[神に心を向ける])

という聖母からの頼みを、
純朴な意志を貫いて、この世を去るときまで実行しつづけます。


洞窟の出来事ののち
ベルナデッタは飛躍的な内的進歩をとげ
とりわけ、聖母の導きを通して「キリストへの愛」を深めます。

そして、その愛を生きる一つの方法・・・
修道者としての生活を心から望むようになります。

しかし、当時の女子修道院は
一生を過ごす一助として、ある程度まとまった持参金が必要で
極貧のベルナデッタには叶うはずもなく

加えて彼女は自分のことを
『もし修道院に行けたとしても、
学も才もない私には何もできないだろう』
と思い、諦めていました。

けれども、彼女の体験を聞き及んだ様々な修道会が
「うちに来てください」と申し出てくれるようになります。

「いくら何も出来ない・・・と言っても
ニンジンの皮くらいは剥けるでしょう?」


「なんだ、そんなのは簡単です!」

というように、自分なりにやれることがあるとわかり
とても喜んだりします。

で、そこらの裏話には紆余曲折ありますが

とにかく、多くの修道会が名乗りを上げてくれるなか
「いちばん私を引っ張らなかったから」という理由で
ヌヴェール愛徳修道会に入会することになりました。



ルルド(修道院入会へ)image



御出現を受けた稀有な人材として迎えられたベルナデッタでしたが
彼女はときに、非常に“愚鈍”に見えることもあり
「これがほんとうに、聖母に遭ったという少女なのか?」
周囲が困惑することも度々あったようです。

また、御出現を受けた者として特別扱いをしないように、
厳しく対応されすぎて
非常に辛い時期を過ごしたこともありました。

しかし何と言っても、彼女の類い希な特質は
単純で素朴、けれども非常に深い想い・・・
内に秘めた愛です。

その愛は、こうした日々の困難のすべてを
「ありがとう」という感謝の思いに昇華していったのです。



ルルド(修道女のベルナデッタ)image
    (修道者になると決めてからのベルナデッタの顔に、微笑みが浮かぶようになる)



彼女から湧き出る「愛」は、
病人の看護を通して働くときも、修友との語らいにおいても
周囲の人々に「超自然的な何か」を感じさせました。

とくに、祈るときの姿には、それが眼に見える形で
映し出されていました。

まるで・・・かつてベルナデッタがその眼で見た
あの「美しい方」の在り様をそのままなぞるような感じで。



聖母信仰のようなものは、どんなに素朴なものであっても
「偶像崇拝」と言われて、神学的な批判を受けることも多々あります。

考察は自由ですから
それはそれで仕方がないでしょう。

また、処女マリアキリストの母となったことについて
諸説もたくさん流れています。

ただ、それを覆すかのように
「汚れなき(無原罪の)御宿り」として
ベルナデッタに「姿を現した存在」がいた・・・ということだけは
本当のことだったろう・・・と思います。

さらに・・・ですが

不思議なことに
かつて聖母マリアを深く愛した人
キリストの愛を生きなかった聖人はいないのです。

つまり、みなが
聖母マリアを通してキリストへ至る道を見出した・・・。

ベルナデッタはそのなかでも
とくに貧しい人、無学な人、病める人など・・・
この世界ではあまり重要視されていなかった人たちに
その道を示してくれた人
・・・と言われています。

ルルドの泉は、ともすれば
病気の治癒だけが取り沙汰されてしまうのですが
そこに現れる奇跡的な現象の最大のものは、
むしろ「心への働き」である・・・と言われています。

また、この「泉」の意味するものとは
聖母マリアから溢れ出るキリストの福音の象徴であるとも。

なので、キリストを慕う人であれば「キリストへの愛」が一層深まり
そうでない人には、
何かしら「神聖な心」「愛の心」が発動するように働くと・・・。


ベルナデッタが辿った道は、非常に「小さな道」に見えるもの
しかしそれは、
キリストが告げた、「私は道である」(Ego sum via)へとつづく小径。

すなわち、
聖母マリアキリストとともに生きていたときに歩んだ
偉大な「愛の道」(via amoris)
と呼ばれるものです。

もし、本気でこの道を歩む人がいれば

ベルナデッタが言ったように

「イエズスよ、すべてを越えてあなたを愛します」

にいたるのでしょう。



1879年4月16日、ベルナデッタは35歳でこの世を去りました。

そして、「三日間」聖堂に安置され
聖母を視た彼女の遺骸を一目見ようと、多くの人たちが集まります。

記録によると
この三日のあいだ、遺骸には死後硬直が起こらず
手足は柔らかで、肌は自然な色を呈し
指先は血液が流れているかのようにバラ色
でした。


葬儀ののち、ベルナデッタは聖堂の中央に埋葬されます。


ルルド(聖女帰天直後画像)image


それから30年もたった1909年9月22日のこと。

ベルナデッタの列聖調査のために
ヌヴェール教区長の司教を筆頭に、数名の調査委員および2名の医師
会の修道女たちが立ち会って、彼女の墓が開かれます。

すると、葬られた当時のままの姿で彼女が現れました。

修道服はそのままで、
そこから出ている手や顔が、多少青白くツヤが失われていたものの
唇はほんのり赤味を帯びていました。

医師たちがベルナデッタの身体を丁寧に調べると
腕や股などに十分な弾力があり
医学的には死後数時間を経過した時の状態と同じだ
・・・
という結論になりました。

この遺骸について巷では
法医学でいうところの「特殊死体現象」(永久死体)のひとつ
屍蝋化(adipocere formation/死ろう化)だろう
・・・と、言われたりもしています。

屍蝋化:水中や浸潤で空気の流通の悪い土中等に置かれた場合、
  腐敗が進行せず、身体成分が“灰白色”の柔らかいチーズや
  ワックス様に硬化した状態。
  中性脂肪が脂肪酸とグリセリンに分解され、脂肪酸が土中・水中のCaイオンや
  Mgイオンと結合して石鹸化するため生じる。
 水中で1~2ヵ月、土中で数ヵ月で、皮下脂肪から始まり、
 筋肉・深部組織へと進んでいく。
 全身が屍蝋化するのは、水中で半年~1年、土中で数年。
 栄養不足の体は屍蝋にならず、脂肪の多い肥満体に起きることが多いとされる)


のちの所見では、墓から出された彼女の皮膚が時間とともに茶色を帯びて
現在のベルナデッタの身体には、薄いコーティングが施され
表情も微妙に異なります。

そんな見方もある・・・と、真摯に受け止めながらも

この時の遺骸が修道女たちの手によって、ていねいに洗われて
新しい修道服に着替えさせられ
それに十分耐えたベルナデッタの遺骸とは・・・
はたまた
医学的な見地でいう灰白色ではない
肌の色や唇の赤味はいったい何だったのか
・・・と、思ったりします。



ルルド(聖ベルナデッタ遺体)image


ルルド(ベルナデッタ遺体)image


ルルド(遺骸)



そして

1925年6月14日、ピオ11世によって列福。
1933年12月8日、同じくピオ11世によって列聖。


こうして、

「ロザリオの祈り」しか知らなかった貧しい無学な少女


ルルド(ベルナデッタ微笑)image



聖ベルナデッタとして知られるようになりました。


ルルド(修道女のベルナデッタ2)image



そして洞窟の聖母は「ルルドの聖母」として、知られるようになりました。


ルルド(とある聖母像)image



聖ベルナデッタの霊性は、聖母マリアのそれに倣うもの。
与えられた「恵みに対する素直さ」であり
それはとりもなおさず
あの受胎告知のときのフィアット(fiat)・・・と同じ

「お言葉どおり、この身になりますように」でした。



ルルド(PESELLINO+DIPTYCH)_convert_20140611213352



この辺で、そろそろ一連のメモをしめくくるとして。

文末にひとつ。

聖ベルナデッタには、とても“ささやかな想い”があって
どなたかが、もしルルドに行かれたとき
あるいは、ルルドの洞窟をふと思い出したとき
それが・・・伝わるかもしれない・・・ので
その言葉をお贈りしておきます。


「美しい聖母のことや、聖母との約束はもう忘れてしまった?」

「忘れたかですって? いいえ、決して忘れていません。
それは“ここ
(額を指さす)”にあります・・・」

「どうぞ、私のために祈ってください。
特に、あの懐かしい洞窟に行かれるときには・・・。


私は、あの大好きな洞窟にしっかり結ばれています。

ですから、

みなさんは“心の中”で、
そこに私を見出してくださることができるでしょう」



ルルド(ベルナデッタの修道女姿)image



ルルド(ステンドグラスの聖母)image





(つたない筆による「ルルドの物語」をお読みくださったみなさんに
改めて、心より御礼申しあげます・・・万感をこめて感謝!)









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Author:世羽
心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
すべての人が幸せに
喜びに満ちて生きることができますように祈っています

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