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人が「人」であるときに・・・

Posted by 世羽 on 28.2014 つぶやき   0 comments   0 trackback
(つぶやき)
どうでもいいことだが・・・。
とあるところで、天使本でけっこう有名な海外の人が書いた書籍を
パラパラと見てみた。
「ガブリエル・・・の説明のところで、眼が宙を泳いだ。
エリザベト(洗礼者ヨハネの妻)と聖母マリアに受胎告知をしたことで有名」・・・と
書いてあった。


えっ2image


ごくふつうには、エリザベトは洗礼者ヨハネの“お母さん”
洗礼者ヨハネはエリザベトとザカリアのあいだの子供だ。妻ではない。
彼は厳しい禁慾生活をしてキリストの道の前準備をしたことで知られている。

原著を見たわけではないので、著者が間違えたのか、それともマジに本気で書いたのか
訳者が間違えて挿入したのか、その後訂正されたのか、わからない・・・。

結局、そのあたりで、そっと本を閉じた。



人として(ロシア農場の子供)image



今でこそ、それなりに幸せな日本ですが・・・。

過去には何度も、
荒ぶる自然を因とする“大飢饉”に見舞われたことはご存じのとおりで、
現存する幾多の古文書がそれを語っています。


ひとりの旅人、菅江真澄の『遊覧記』などにも、
まさに地獄絵図さながらの状況があったことが
ひっそりと記されています。

菅江真澄(肖像)image


天明5年(1785)8月。
菅江真澄は岩木山を眺めながらの道中で、
金井ヶ沢辺りにさしかかったとき、
出遭った村人からこんな話しを聞かされます。
いわゆる「天明の大飢饉」の一端です。

「ごらんなさい、これはみな餓死した者の屍です。
過ぐる天明三年の冬から四年までは
雪のなかに生き倒れた者のなかにも
まだ息のかよう者が数知れずありました。

その行き倒れ者がだんだん多くなり、
重なり伏して道をふさぎ、
往来の人は、それを“踏み越え・踏み越え”通りましたが、
夜道や夕暮れには、あやまって死骸の骨を踏み折ったり、
腐れただれた腹などに足を踏み入れたり、
その匂いをご想像なさい。

なおも助かろうとして、
生きている馬をとらえ、首に綱をつけて屋の梁にひき結び
脇差し、あるいは小刀を馬の腹に刺して裂き殺し、
したたる血をとって、あれこれの草の根を煮て食ったりしました。
(略)
そのようなものも食い尽くしますと、
自分の生んだ子、あるいは弱っている兄弟家族、
また疫病で死にそうなたくさんの人々を、
まだ息の絶えないのに脇差しで刺したり、
または胸のあたりを食い破って、飢えをしのぎました。

人を食った者は捕まって処刑されました。

人肉を食った者の眼は、狼などのようにぎらぎらと光り、
馬を食った人はすべて顔色が悪く、
いまも生き延びて、多く村にいます」

                         (菅江真澄『遊覧記』より)


空腹のあまり、まだ息ある人を喰らう・・・
しかも身内まで・・・。

なんというか
理性もへったくれもなく腹がすいて
ただ「生きるだけ」の動物的本能が全面に押し出されるほど
過酷な状態だった・・・・ようです。

「眼がギラギラ」・・・実にリアルな表現で
確かにそうなるだろうな・・・と、当時の情景が迫ってきます。
それはまるで、餓鬼と化したかのような人・・・です。


餓鬼の図image


「馬を喰った人の顔色が悪い」・・・
豚・牛・鳥を食べたらはどうなのか・・・ということにもなるので
現実的には栄養失調状態の様相だったかもしれません。

(当時人々は、犬も猫も口に入れ、野性と化した動物は人の骸を生きる糧とした)


天明の大飢饉image



幸い、いまの日本ではまったく実感が湧かないことで
ありがたい、のひと言につきますが

近隣・某国の極貧地域では、
いま、この時点でも
似た事態がしばしば起き、死刑になる人たちがいたり

また、別の隣国では
ただの楽しみ、滋養強壮として、嬰児の遺体をスープにして食する人の画像が
堂々とあったりします。


人として(北朝鮮の子供2)image


人として(北朝鮮の子供)image


(せめて、このくらいであれば・・・と想うばかり)
人として(北朝鮮の子供3)image



人の意識がだいぶ向上したと言われている一方で
正直、すべての面においては無理っぽい・・・と想いたくなる
ひとつの現実です。


地球的規模で破壊的な天候不順が続いているなか
過去にあったような大飢饉が
世界的規模で「絶対に起きない」とは言えない。

そのとき人類は、はたして
お互い助け合えるのか
自分だけが、自国だけが助かろうとしないか・・・
本能だけで生きる状態に陥らないか
・・・などと、
突っ込みたくなる部分でもあります。
(当の自分でさえ、どうなるかわかりません)


人として(ハゲワシと少女より)image



そんな危うい現実に付随して、胸に痛い
現在見えている、ある「生き方」・・・。

たとえば

折しもいま話題の、あの女性議員さんが、
その「生き方」を代表するかのように公言していたので
彼女の言葉を一部借りて書き表すと、

要するに

「複数・股かけて、性的に奔放に生きるのは当たり前」
「そんな人はいっぱいいる」


結局のところそれは、逆に自身を貶めていくだけ・・・、
自分自身を虐めている
ように映ります。


上記のような生き方を選んでいるとき、人は
それなりに楽しいとしても
心の底から“自他を好きになれない”でいる状態。

自らが神聖な器であることなど、ほとんど気にしていない状態。

一見、都合がいいようで、寂しい生き方です。

「本能」が必要以上に勝り、
動物的な感覚で、異性を「性の対象」とだけ見る人が
世界には、いまだたくさんいて
男女ともに、互いが互いを貶めている感じです。

そして、それをリッチなステイタスとして、歓迎する向きさえある。

でも、そんな生き方が良しとされて
たとえひととき、栄華を感じるほどの感覚を得られるものだったとしても、
最終的には必ず、心のどこかに「悲哀」が籠もるでしょう。


人として(春をひさぐ人)image


この状態は、人が「人」として生まれ、その本質を生きるうえで
むしろ先祖返りするようなものです。

確かに、そんな人たちが「いっぱいいる」かもしれない・・・。


性において慎み深く、真に肉体としても霊的にも「人」を生きている人は
醸し出す雰囲気が澄んできます。
それは、ただの感触だけでも感じ取れるはず。

なので、個人的な想いとしては、
どんなことが背景にあったとしても

「悲哀」が結末になることなんぞ
かなぐり捨てて、輝くように生きてほしい・・・



まあ所詮、単なる市井のしがないぼやきですが


どうして世界がこうなっているかも見極めながら

人として(インドあたりの子供たち)image


人として(インドの子供のゴミ拾い)image



世情の“おいしい浪”に流されず
“美しい輝きを身に帯びる人”がドンドン増えることを、
それとなく期待します。





人として(ネコと本と少年)image




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Author:世羽
心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
すべての人が幸せに
喜びに満ちて生きることができますように祈っています

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