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「星空」の下で・・・

Posted by 世羽 on 07.2014 道草   0 comments   0 trackback
(つぶやき)
ここのところ
敷島に“恥の弾道ミサイル”を打ち込まれたレベルにも似た
議員さんたちの話題。とにかくレベルが落ち過ぎだ。
どこの国でもそうだが
今の時代、政治をまかせて「良し」とできる人品
心底、民心を導ける人材というのは
それでなくとも、そうそういない・・・・。
だから、世界がどうも・・・なのだが、
そんな人材を送りこんで「なあなあにすましている」我々には・・・
もっと大きな責任がある。


夜空(英国にて)image


以前何度か取り上げた、
近代まで禁書の類に位置づけられていた
幻視の書『IL POEMA DELL’UOMO-DIO』

かつて書いたように、一時はかなり酷評されていたものの、
時が移るにつれて
記述のなかに科学者たちを驚かせる“歴史的な真実”がいくつも見つかったことで
知られています。
とはいえ、相変わらず今も「こんなもの」と、
キリスト教徒からでさえ、批判されたりする物でもありますが・・・。

それでも自分、この書を読んだとき
当時、その世界で人々がどう感じ、どんな葛藤があり、涙し、怒り
また、どう喜びに満たされていたか・・・など
聖書だけでは知ることのできない「情感」の部分を知らされて
唸りました。

そして、

書物(とくに優れた書物)というのは
文字のうえの解釈だけではなく
むしろ書かれていることを「心」で読むというのが
ほんとうに大切で・・・

とりわけ、霊感によって記された聖なる書を読むにおいては
人の理解のおよばない部分の真実を読み解くために
視えざる助けも必要だ・・・と知りました。

たぶんそれは、どんな宗教の教典においても、
その他、賢者と呼ばれる人の手によるものでも
同じかと思われます。

そんなことを教えられながら、この書のなかで
自分はとくに、
一人の少年(のちの使徒聖ヨハネ)の心の清さに圧倒されました。

あるときのヴィジョンは、実際のヨハネをこう書き表しています。

少年のままで初々しく、髭の翳(かげ)りも見えない。
すべすべしたバラ色の頬。
赤い唇。栗色がかったブロンドの髪。
ヨハネが走ると、そのブロンドが波打つ・・・。
ぱあっと輝く美しい微笑み。
眼差しは涼しく、濃いトルコ色の瞳。
しかし、その涼しげな眼差しは瞳のせいではなく、明るい心を映している。



(自分の心が映す少年ヨハネの面影に似たものはない。
まあまあ、そんなふうかも・・・と感じるのは
使徒ヨハネの画ではなく聖ギヨームアキテーヌの絵の容貌あたり)
星空(資料聖ギヨーム画)image


少年ヨハネがキリストと出遭った最初のころ、
「ヨハネ、私を愛していますか?」とキリストが問いかけたとき、
ヨハネがこんなことを言っています。

「先生・・。いつもあなたを愛していたという気がします。
あなたを知る前から、その前から、私の心はあなたを捜していました。
そしてあなたを見たとき、
『捜していたのはあの方です・・・』と“心が”私に告げました。
私の心があなたを感じていたから、あなたに出逢えたのだと思います」


そしてこんなことも。

「こう言って、傲慢でないなら・・・。
あなたの私への愛が、
父母や兄弟姉妹、女すらも超えて、私をいっぱいにすると思うのです・・・・」


「そうは言っても、私の愛が
おまえの苦しみと虐げのもとになったらどうしますか?」

と、キリストが問うと・・・。

「先生、あなたが私を愛してくださるならば何でもないことです」

もし、こんなヨハネの気持ちが、今の聖職者に完全に燃え立つなら
本来、世界のどこかで起きているふしだらな事件
教えの殿堂に「魔」が侵入するような事態
起きようはずもなかったと想うのです・・・。

このとき、
キリストも非常に興味深いことを言っています。

「絶対に私を恐れてはいけない!
私は善人のために、まして道を踏み外している人はなおさら、
その人たちのために来ました。
おまえは辛い点をつけてはいけない。
正直な人すべてに対して、私は“憐れみ”でありたい・・・」


他者に対する“辛い点”・・・ほんとうに耳の痛い言葉です。


夜空(薄緑の)image


ヨハネの“心の清さ”を語るヴィジョンは山ほどあるので
とてもご紹介しきれませんが

よく知られているところを改めて少し書き起こすと・・・。

ヨハネは、ゲッセマニでキリストが捕縛されたとき
いったんはその場から逃げます。

しかし、ご存じのように
のちにペトロと二人で、尋問を受けるキリストに
危険を承知で会いに行きます。

というか、この前に

ヨハネとペトロはキリストを引き連れた一行の先回りをして
町の城壁手前の広場でキリストが連れていかれるのを待っていた・・・と
ヴィジョンが語ります。

そして、早くも騒ぎとなり、キリストに石が投げらる群衆の傍らで
二人はマントを頭から被って、師が通り過ぎるのを見ています。

その際、ペトロは周囲に見とがめられないように、マントを脱ぎませんでしたが
ヨハネは少しでも自分がいる・・・と師に知らせたいかのように
勇敢にも、月の光のなかでマントを脱ぎ捨て、あえて自分の姿をさらしたようです。

これをキリストも見ていました。
そして、かぎりない慈愛をもって二人を見ます。

キリストを取り囲む群衆がみな通り過ぎると、
目頭を押さえてボロ布のようになってうずくまるペトロのそばにヨハネが近づき、
まるで盲目の父親の手を引く子供のように
ペトロの手を取って、さらに群衆のあとを追い、町に入って行きます。


あの有名な話・・・ペトロが見つかり、「あいつの仲間だろう」とばかりに言われ
3度否んで逃げ去ったあとも
ヨハネだけは、キリストを追って
キリストを憎む暴徒の群れから聖母マリアを護りながら
十字架の下で寄り添い、その最後を見届けるという
多くの大人の弟子たちが持てなかった最大の勇気を示します。

これは、勇気・・・というより、
超自然の愛を持てたからこそ、できた行いだったかもしれません。


         星空(使徒ヨハネと聖母)image_convert_20140707013606



非常に高名な方のとある書籍に
「すべての弟子たちが逃げて裏切った・・」と、
簡単に書いてあるのを拝見したことがあります。
ただ・・・ヴィジョンのみならず、
十字架の下にヨハネがいたことは聖書に記されています・・・。


星空(資料磔後の情景)image


今でこそ、使徒聖ヨハネと言えば
髭をたくわえ、小難しい顔をして
「黙示録」の幻視を書き留めているイメージが先行してしまうようですが


星空(資料老境の使徒ヨハネ)image


キリストと行動を共にしていたときのヨハネは
「幼子の純粋さと清らかさ」を残した利発な少年で・・・、
キリストが十字架にかけられたあたりでうっすら髭がみえるくらいの
若い青年だった・・・というのは、
個人的に、自分もそう感じるところです。

ヴィジョンでは、ヨハネがキリストの昇天後も、
キリストから託された聖母マリアの護り手として、ともに暮らし
聖母マリアの最後を看取った様子が書き記されています。


星空(資料聖母の最後の情景)image


さらにヨハネは、しばしば
キリストとともに満天の星空の下で
教えを受けたり、また一人で祈ったりしており・・・。


夜空(資料使徒ヨハネ)image


自分は、そんな使徒ヨハネ
人間らしさを備えたうえでの類い希な「清い心」と「生き様」
好きなわけで・・・。


時代こそ違えても
星空の美しさを眺める折々に、

「こうして星を眺めていたんだよな・・・きっと」
ヨハネの生きた当時を心に感じたりしています。


夜空(見上げて的な)image


・・・・巷では今日も「星空」の下、人生のひとときを楽しむ人がいて・・・


夜空(ニューアストロな)image



夜空(ナイトスケープ)image



しかし、そんな人生も、意外に短かったりもするようで
自分は、あと何度七夕を過ごせるでしょう・・・w。

みなさんの“善き願い”・・・叶うといいですね。



星空(その下で)image_convert_20140707002145



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世羽

Author:世羽
心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
すべての人が幸せに
喜びに満ちて生きることができますように祈っています

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