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せめて気持ちは「ほのぼの」と・・・

Posted by 世羽 on 31.2014 語り   0 comments   0 trackback
(つぶやき)
たとえ、少し早めに書いたとしても
伝えたい人に伝えられるはずもなく(意味不明なぼやきとは想うが)。


ほのぼの(太陽の奇跡)image




世間が“あまり心に痛い報道”に限度を超えて集中し過ぎると
境界線を彷徨っているつぎの“連鎖を呼ぶ”ことになりかねない
・・・と想うので。
少しでも「ほのぼの」感を織り交ぜつつ・・・。


ほのぼの(MonkeyOrchid)image




世間ではときおり、
巷を騒然とさせる“何とも言い難い”ことが起きます。


ほのぼの(怖ろしげなようでそうでもない)image



出来事が起きるたびに
人それぞれが、色んなことを想い、気づきます。


そんななか、
人が “忘れていないようで”忘れ去っていることがあって。


どれほど“重篤な心の病”を持つ人がいても、
“霊的におかしくなっている人”を抱えようとも
家族というのは大切・・・ということです。


でも、

他の生き物にくらべ、飛び抜けて知恵も高い人なのに
どうして、こうも
他の生き物のほうが立派に見えるときがあるのでしょう。


ほのぼの(象さんの子育て)image



人は、たとえ親であっても
知らずしらずのうちに子供に「見返り」を求め、
「今までこれだけしてやったのに・・・」と言ったりします。
ときには、度を超えて無関心になったりも。


それは、愛し合って結婚した男女にも言えて
甘い季節を過ぎるといつしか、心のバトルが生じ始め
些細なことで大喧嘩に発展していきます。

ときに、“必要な”忍耐を疎んじ
あまりに自分の好き勝手にしたことが招いたことなど
これっぽちも振り返ることなく・・・。


そういうとき、傍らでこんなことを言われていても、
ほとんど耳に入りません。


ほのぼの(そろそろご飯を)image



自分が最優先で、周囲などどうでもよくなってしまう・・・。


しかも・・・近頃では、
「すべてが許される」という精神世界的な意味
“何をしてもいい”と曲解されるあまり・・・

人が人として生きるのに“最低限必要な”倫理や道理さえも、
「自由」の名を盾に、軽んじる傾向があります。

「ならぬことはならぬ」ということを、早い段階で
“愛情と勇気”双方の心を持って進言できる人も少なくなりました。
何かしらの前兆に、気づける人も少ない。


(今回の悲惨な事件で命を奪われた被害者の少女は、別の一部の人たちからの
密かな虐めもあったのではないでしょうか。
でも、そんなこと、まるでなかったかのようです。
学校は事件について“信じられない”・・・と言うだけで)


生き物の世界では
生きるための捕食行為が、一見、残酷に見えます。
けれどもそれは、「楽しみ」のためにしているわけではありません。
生命を奪うのは“必要不可欠ゆえ”のことです。

たまに、餌になりそうなものをいたぶるように見えるとしても
それは、狩猟のための「練習」に代わるものです。

なので、生命を満たす必要がなければ
別の風景が生まれます。


ほのぼの(異種間停戦)image




他の生き物“同士”が暖かく寄り添えるなら


ほのぼの(優しい友達)image





他の生き物が「無償の愛情」で人に寄り添えるなら


ほのぼの(みさおとふくまるより)image




人が「人」に寄り添うことも
人が「他の生き物」に寄り添うことも、
本当は、もっと出来るはず・・・。



ほのぼの(救助されたコアラ)image


ほのぼの(救助されたワンコ)image



でも、その気持ちは、書物や知識だけでは生まれません。
体感がどうしても必要です。
いまは、その場が不足しています。



ごくふつうの人が何か素敵な光景を見て
「うわあ」と、“心からの感動”を覚えるとしたら

結局のところそれは、
心の深い部分からの招きであり、教えでもあって
それは人の向かうべき“高み”でもあるでしょう。


どうせなら、その高みに至る心を培う生き方へと
みなで進んで行きたいものです。


ほのぼの(みさおお婆ちゃんと福丸)image



ほのぼの(象さんと少女)image



とは言え、日常ではこれからも
幾度となく「あらら」という場面には出くわすでしょう。



ほのぼの(無理矢理か)image



ほのぼの(ボケて馬鹿にする猫)image



ほのぼの(ネコのひとこと)image



けれども、

心の促しを感じて、少しずつでも情感などを育む日々を送っていると、
同じ類に見える光景であっても、
以前とはどこか違う、
さらに“温かな光景”が現れ始めるでしょう。
そして心には、より深い、優しい気持ちが生まれていきます。


ついでに、ちょっとつぶやくと・・・
こんな御仁が世間にいるかもしれません。


ほのぼの(実は)image



ただ、「実は自分は・・・だ」と言うとき
人は自分でも気づかぬうちに、
ちょっぴり他の人を下に見ているかもしれません。


どんなに優れた能力や才能があって、
大成功したり、人を魅了する業が行えたとしても、
どこか冷えた印象を持つ人もいます。

それはつまり、

知識や能力の突出が
必ずしも、人の意識の高さを定めるものではなく
むしろ、それだけでは足りず

そこに「愛の情感」が織り込まれてこそ、人として完成を見る・・・
ということのでしょう。



で、とある聖人がこんなことを言っていました。

  「大切なのは、どれだけ多くのことをしたかではなく
   どれだけ心をこめたかです」



これは、あまりに“小さなこと”に映るので、忘れ去られがちですが・・・

恋人や連れ合い、またお子さんと生きるとき、
同僚・友人たちと共にすごすとき
顧客に接するとき・・・そのほかありとあらゆる場面で
頻繁にそれが可能になれば

荒んだものが大きく変化するでしょう。



ほのぼの(ウサギの傍で掃除)image



かくいう自分ももちろんのこと・・・

多くの人に、
さらなる“優しくも涼やかな潤い”
心に満ち溢れるといいですね。



ほのぼの(緑の滝)image



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世羽

Author:世羽
心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
すべての人が幸せに
喜びに満ちて生きることができますように祈っています

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