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ラザロが「初めてキリストに逢ったとき」に・・・

Posted by 世羽 on 18.2014 イエス関連   0 comments   0 trackback
(つぶやき)
スコットランドもさることながら、
沖縄でもまた、独立を謳う人が息巻いているようだ。

思えば、みなが日本人とみなしている“とある有名な作家”さん
沖縄の人たちに集団自決を促したのは日本軍だ・・・と発言していたことがある。
調べてみればわかることだが、そこにはかなり誤謬が入っている。
最近ではパラオについても沖縄についても、歪曲された放送がされていた。
真実が知られている途上とはいえ、「時遅し」にならないといいが・・・。


群れ追い人(パキスタン)image



本日はまた、アレが書きたくなって・・・w。


キリストが生きたころの幻視
『IL POEMA DELL’UOMO-DIO』の一場面から・・・。


それは
キリストがはじめてラザロ
(病気で亡くなったのち、キリストによって蘇ったことで知られる)
に出逢った情景です。


ラザロと(ベタニアmap)image
  (ベタニアのあたりでのこと)



夏のころ・・・。
太陽が地平線から顔を出してのぼっていく時刻。

ラザロの知り合いでもあったシモン(12使徒のペトロ)に連れられて
キリストがラザロの家に行くあたりから始まります。


ラザロと(bethany)image


はじめてキリストに逢ったラザロは
尊敬と好奇心のまざった目で彼をまじまじと見つめます。

というのも、

それまでのキリストの噂を聞いていたラザロは
居ても立ってもいられないような心持ちで
今日逢えるか明日逢えるか・・・と密かに思っていたようです。


そんなラザロの心境を察して、キリストが問います。

「どうしてそんなにも、心を患わせて私を待っていたのですか?」

「なぜ・・・ですって?!
イスラエル人の私たちが、あなた以外に誰か待つべき人がいるでしょうか」

と、ラザロ。


「あなたは、私が“期待されている者”だと信じているのですか?」
ふたたびキリストが問います。


するとラザロは、
友人シモンへの信頼を滲ませながら答えます。


「シモンは嘘を言ったことがありません。
偽りを見抜けないような男でもありません。

年齢と苦しみが、彼を知恵者に熟させたのです。

彼があなたの本当の人格を知らなかったとしても、
あなたのみ業(わざ)を語ってくれましたし、
あなたはおん自ら“聖なる者”であることを顕現されたではありませんか。

神のみ業を行うのは神の人であり、あなたはそれを行っておられます。

この、私の友達は・・・奇跡の噂を聞いて、あなたに近づき、
奇跡をいただきましたよ。

(シモンが癩病を癒されたこと)

それに、あなたがその通り道に、不思議を撒いておられることを
私は知っています。

そうしたら、
あなたこそ“期待されている者”と、信じないでいられましょうか。

良いことを信じるのは、なんと心に甘美なことでしょう。

私たちはともすれば、
平和のために仕方なく、実際には良いと言えない多くのことを
良いことのように信じるフリをしなければなりません。

へつらい、褒め言葉、情けと見える多くの曖昧な言葉は、
実のところ、皮肉や咎め、蜂蜜で覆われた毒でもありますが、
それを知りながら、信じるフリをしなくてはならないのです。

ということは、私たちは強い世間に対して弱く
この世間に対して孤独の戦いを強いられているようなものです。

だとしたら、なぜ、
私がほんとうに良いことを信じるのに困難を感じる必要があるでしょうか。
時が熟しているというしるしが、すでに現れているのです・・・。
“期待の時”が終わり、贖い主(メシア)が来られたと知って、
それ以上の安らぎがあるでしょうか」



そんなことを話してから
キリストとシモンはラザロの家のなかへと招かれます。

そこでラザロは冷たい牛乳を手ずから給仕して
キリストにすすめます。


ラザロ(ミルク)image



シモンが少々、自分とラザロの関係を話します。
はしょって書くと・・・。


「私には年をとった忠実な僕がいます。
彼は、私が癩病にかかったあとに残ってくれた唯一の者で、
私が隔離されているとき
ラザロの助けを借りて私の財産を守ってくれました。
その財産で、私を絶えず助けてくれていました。


(キリストについていくために自分の財産を処分するにあたって・・・)
歳をとった彼から住まいも奪ってしまうことになるのは、あまりに残酷です。
ねえ先生、老人とは木蔦のようなもので、
長く同じ所に生きてきたのでそこから追われるのは大きな苦痛になります。

でもラザロが、彼を引き取ろうと言ってくれたのです」



「あなたも良い人ですね、シモン・・・。
もし、みながあなたのように思いやり深かったら
私の使命もどんなにやりやすかったことか・・・」
とキリストがつぶやく。


すると、ラザロが
「先生、今の世間があなたに敵対しているとお感じになるのですか?」

「世間?・・・いいえ。

世間の力であるサタンが人間の心の主人で、
人の心を自分の手につかんでいなかったら
私はこれほどの抵抗には遭わないはずです。

私は人間の中にある悪に打ち勝って
そこに善を置くために働いていますが、
皆がみな、それを望んでいるわけではないのです」



ラザロがここで、キリストに
人を回心(神に心を向かわせること)に導いて、
善い方向ヘ向けるのにどんな言葉を使うのか
・・・と聞きます。


「私は、愛と憐れみの言葉で語ります。

ラザロ、これだけは信じてもらいたい。
倒れた人に対しては、呪いの言葉よりも
一つの愛のまなざしのほうが、もっとききめがあるということを・・・」


「でも、その愛がかえって、からかわれているならば・・・?」

「それでも愛しつづけるのです。
極限まで愛することです。
ラザロ、あなたはうかつな者を飲み込んでしまう“底なし沼”のことを
知っていますか?」



「はい。読んだことがあります。
その沼地はシリアとエジプト、カルデア人のいる地方にあるとか・・・。
そういう土地は何かをつかむと、吸盤のようにそれを吸い込んでしまうのだとか。
あるローマ人の作家が、それは異教徒の住んでいる地獄の口だとか言っていますが
それは本当なんでしょうか?」



「いいえ、そうではない。
それはただ、土地の成り立ちであって、神の世界とは関係がありません。

いつかオリンポスが信じられなくなる時代が来るでしょうが、
そのような土地はなくなりません。
(地学的なことを教えている)

人間の知識が進歩するにしたがって、その現象の正しい説明が得られるでしょうが
その
(底なしという現象の)事実は残るでしょう。
あなたはそのような土地について読んだのであれば、
そこに落ちた人がどのように救われるかも読んだでしょう?」



「はい。ロープや長い棒、木の枝を投げるのです。
ときには、沈みつつある人を救うのに、その人が平静を失わないように
ちょっとした小さいことだけでも足りることもあります。
そして、それらを掴めば、もう藻掻かないで、
もっと安全な助けを待てるでしょう」


「罪を犯した人は、
表面は花で覆われているのに下が泥沼といった
“見せかけの土地”に吸い込まれた人のようなものです。


人が、
自分のほんの一部分でもサタンの所有物にすることがどういう事であるかを知れば、
そうする人はいないでしょう。
しかし人は知らない。


あとで気づいた時には
悪の毒がすでにまわって、その人を麻痺させてしまう。

そして・・・
自分が滅びるという呵責を逃れるためにもがき、
他の泥をつかみ、その無理な、無駄な動きによって
別の重い泥の波を起こし、
その波がその人の滅びをますます早める結果になります。



ラザロの(底なし沼)image


あなたの話しているロープ、棒、枝とは、です。


その愛がつかまえられるまで、愛し続けること・・・。


ひと言の赦し、罪よりも大きな赦し、
それは人が沈むのを止め、神の救いを待たせます。

ラザロ、あなたは“赦し”にどんな力があるか知っていますか?


哀れな人を助けようとする人を、
神自身が、助けに来られるようにと動かすのです。


あなたは、いろいろな本をたくさん読んでいますか?」


「はい。
でもそれが、良いことか悪いことかわかりません。
ただ、私の病気や他のことがあって
人間を楽しませる多くのことに対する興味を失わせ、
いまは、花と読書の楽しみしかないのです。
木々や馬もそうですけれど・・・。


そのために、私がいろいろ非難されているのも知っています。

でも、こんな状態では(包帯をした非常に腫れあがった足をちょっと見せる)
歩くとか、ラバに乗るとかしても、所有地を見回ることもできません。


どうしても車で、それもできるだけ早い車を使うほかないので
良い馬を買いました。
しかしもし、あなたが『それは良くない』とおっしゃるなら、
すぐに売らせます」



「いやいやラザロ、人間を腐敗させるのはそのようなことではありません。
心を乱し、神から遠ざけるもの、それが腐敗の元です」


「では先生、ちょっと教えていただきたいことがあります。
私は多くの本を読んで慰めを得ています。
私は知るということが好きで、
他のことをするより本を読むほうがいいと思っています。

しかし私は、
私たちユダヤ人の本だけを読むのではなく
他の世界、たとえばローマとかアテネなどについても知りたいのです。

私は、アッスル人とエジプト人と交際した結果、
イスラエルにどれほどの災いが起こったかとか、
ギリシア文化
(当時では唯神論を脅かしていた時代背景がある)を受け入れようとした私たちの過去の政府が、どれほどの悪を引き入れたかを知っています。




資料(2009パレスチナでの一場面)image
  (2009年パレスチナとイスラルのあいだの壁の建設の情景。
   パレスチナの子供とイスラエルの兵士)



私のような一介の人間は、
イスラエルが自分と自分の子らにもたらしたような、そんな同じ過ちを
自分に対しても行っているかどうかわかりませんが、
あなたはどのようにお考えですか?
教えてください。
あなたは、律法学者ではなく、神の智慧の“み言葉”ですから・・・」



これを聞いたキリストはしばらくラザロをじっと見つめます。


心の中を見通し、同時に遠くを見るようなまなざしで
ラザロの心を探り、そしてまた、これをも超えて、
誰にもわからない何かをみるかのように見つめます。


しばらくたって・・・


「あなたは本を読むことで心が乱れることがありますか?
神とその律法から遠ざけられているという感じがありますか?」


「いいえ、先生」

(長い返答があるが、そこらは略す)

「それなら読み続けてよろしい。
これは信仰を持っていない他の世界を知るのに役立つでしょう。
続けてよいです。

あなたには悪と壊疽の素因がないから
それならば、恐れなくいろいろ読んでよろしい。

あなたの、神に抱いているまことの愛は、
あなたのなかに撒きうる世俗的な種を実らないものにします。

人間のすべてのわざには、“どのようにするか”で常に
善と悪との可能性があります。

愛することは罪ではない、清く愛するならば。
働くことも罪ではない、正しい時に働くならば。
金をもうけることは罪ではない、正しい儲けで満足するならば。
勉強して知識を得ることも罪ではない、
それによって、私たちの内なる神の概念を殺さないならば。

その代わり・・・

祭壇に仕えることが罪になりうることがある。
それを、自分の利益のためにするならば・・・。

あなたはこれらのことを信じますか?」




ラザロと(修飾用jesus)image



こんなようなことが、
はじめてキリストに逢ったラザロが受けた言葉であることを幻視は伝え・・・

さらに

こののちラザロは、キリストの教えの信徒として
さまざまな場面で“助け人”となり、
キリストが磔刑になったあと、使徒たちのまとめ役を担い、
彼の元に残る数少ない真の理解者の一人になっていく様子が描かれていきます。



ときおり想います。


世には、名前の知られた聖なる人がいるにもかかわらず、
とりわけキリスト、イエスという人物が
誤解されたり曲解されて
ときには嘲笑やからかいの的になることは確かにあって・・・。
これもある意味、かなり特殊な現象だろうな・・・と。

だから、どうと言うわけではありませんが。

なんかこう、“気の毒な”気がしてしまうのは・・・
やはり自分にとって
この存在の残した言葉に、感じることがあるからなんでしょうw。


ときに砂漠での潤いがあり、それを得て・・・

ラザロの(修飾用SaharaDesert)image



ときに人生の乾いた地で一人想いを馳せ

ラザロの(修飾用ナミビア)image



そして・・・「何か」と歩く・・・。



ラザロの(修飾用・砂漠の足跡)image



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Author:世羽
心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
すべての人が幸せに
喜びに満ちて生きることができますように祈っています

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