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「御嶽山とか」と「アフリカの無名の人たち」2本・・・

Posted by 世羽 on 29.2014 時事ネタ   0 comments   0 trackback
(つぶやき)
まったく、驚くことがありすぎる今日このごろだ。

無名の人たち(修飾用)image


おかしなもので
大きな事柄がつぎつぎ起きてくると
いままで「大変だ」と思っていたことが
とても小さく見えてきたりします。

隣国との言論のせめぎ合いなども
言うべきことは言う必要がありながら
また、感情的に煽られたとしても
ここのところの世界情勢を見ていると
そんなことも、凄くちっぽけなことに思えてくるわけで・・・。

これは、日々の生活でも同じかもしれません。


で・・・


御嶽山


報道がつづく御嶽山の噴火。

御嶽関連(噴煙2)image

御嶽関連(噴煙)image



浮かぶ想いを脇に置いて、門外漢ながら少し追ってみました。


場所的にも興味深いところです。

御岳山関連(大断層の構造)image

御嶽山関連(マップ)image_convert_20140928163718


該当地域に微震が多発していたことがわかっていますが
もの凄く酷い揺れでもなく・・・。

御嶽山関連(EQマップ)image
(上のプロットは確定震源ではなく、観測された振動を拾ったもの)


当日の直前、自分が気になった近傍「開田」の波形がこんな感じで
(波形を見慣れている方なら、それとなくおわかりと思います)

御嶽山(開田観測点防災科研)image


一方、温度の上昇も顕著ではなく
これを書いている時点で見ることのできた公の衛星画像などを追って見ると、
少なくとも23日までの急激な温度上昇を示すものが見あたりませんでした。


御嶽関連(温度20140923)image


気象庁の報告にもあったように
1979年に起きた水蒸気性の噴火と似ている・・・・という具体性が
それとなく伝わってきました。
(しかし、この時の噴火が“有史”以来初めての噴火だった)

1979年の御嶽山の噴火について海外の記録(Smithsonian Institution)を見てみたところ
以下のような図が載っていました。

噴煙方向

御嶽関連(1979年当時)image


噴煙の高さの推移

御嶽関連(1979年当時の噴煙推移)image
 (噴煙の減少に要するめやすになるのかも)


そのときの情景

御嶽関連(1979年T・Kobayashi撮影)image


そこにたくさんの人が居合わせた・・・ことは、公私ともに
非常に辛い結果となっていますが、
世界的な火山というカテゴリーのなかで、視野を拡げて見ると
それでも、御嶽山は優しい形でエネルギーを出してくれたように感じます。
これが溶岩を伴っていたら、事態はさらに深刻になったでしょう。

で、想います。富士山なんぞはどうでしょう・・・。
利益獲得の意味から、観光登山というのはやむを得ない面もあるのでしょうが、
今の時期、何が起きるかわかりません。

(ちなみに記事を書いている時点でも世界規模でけっこう危うい感あり)

御嶽関連(WorldIMap)image


人はあらかじめ、そんなことも真摯に受け止めておく必要があるぞ・・・と
自然が見せてくれているかもしれません。


資料:27日、28日をはるか上空から眺める・・・

M御嶽山関連(MODIS500RGB20140928)image_convert_20140928172625


御嶽関連(20140927)image_convert_20140928172352

御嶽関連(20140928)image_convert_20140928173040




御嶽関連(上空から)image



そして・・・つぎに


アフリカの無名の人たち


エボラ感染者数の増加がいまだつづくアフリカ。


そんななか・・・
報道もされませんが、医療関係者とはまた別に
尽力している人たちがいます。
(調べて見たところ、国際的な援助団体はやキリスト教関連の人たちが
目につくわけで、申し訳ないのですがそんな人たちの話になります)

無名の人々(sierraleonaで)image


感染が深刻になっている国の一つシエラレオネ・・・。
ここにはずいぶん昔から日本人の女性もいました。
根岸美智子さんと言う御聖体の宣教クララ修道会の修道女で、
昨年2013年に帰天されました。

2014年9月25日付けで
「ともに歩む会」(代表:菅野勝治郎さんと支援者たち)に寄せられた
シエラレオネからの報告があったのを見つけました。
現地のシスターが書いたものを宣教クララ修道会のシスター吉田富美子さんが訳したもののようです
(この会について詳しくは存じあげませんのでリンクは貼りませんが、
原文は上記「ともに歩む会」HPでご覧いただけます)

その内容を、僭越ながら読みやすくしてご紹介してみます・・・。
(なお、文中モスクとあるのは、イスラム教の人たちのモスク)


親愛なる菅野さま、そして支援者の皆さま

私は、シエラレオネ出身で、
宣教クララ修道会シエラレオネ地区の修練長をしております
シスター・ジョセフィン・カマラです。

菅野さま、この通信手段を使い、
あなたが送ってくださいました御支援に対し感謝をお送りするとともに、
この国の保健衛生(エボラ)状態についてお話ししたいと思います。

本当のことをお話すれば、これは困難な事でしたが、
神様のお恵みにより、私たちとほとんどの国民は、
少しずつではありますが、この困難な状態を乗り越えつつあります。


「カイラフォン(Kailahun)地区」からのニュースは御存じでしょう。
この地区は、カイラフォン市が地区の首都であり、
シエラレオネのエボラ“アウト・ブレイク”が始まった所です。

この場所は、ギニアとリベリアに一番近い場所で、
さらに、この2か国とは、往来自由の国境です。

興味深いことに
この3ヵ国の国境周辺に住むのは、同じ部族(Kissi族)なのです。

ですから感染するのは非常に容易なことですし、
ウィルス感染をコントロールするのは難しいことです。
なぜなら、同じ家族が、
ギニアのGuekedou/Masanta地区、
リベリアのFoya/Lofa、
そしてシエラレオネ・カイラフォンのKissi Bendu地区に(またがって)
住んでいるのですから。


今年の3月から
保健省はギニアでの、数週間後にはカイラフォン地区での
エボラ発症を発表したのです。

御存じの様に、このカイラフォン地区には、私たちの修練院があります。


(注:修練院とは、修道者になることを決意した人が、
所属する会の精神や生き方を学びながら修道者となるために身につけることを学ぶところ)

無名の人々(シエラレオネの修道女)image
(上画はイメージ)


この地区に住む人々全員にとって、
この事実は生易しいことではありませんでしたし、お互いに注意しながら過ごしました。スローガンは、「接触しない、触れない」
このスローガンのお蔭で、
カイラフォン地区では今日まで平穏に過ごすことができ、
神様に感謝しています。


教会でも、モスクでも
握手やお互いに触れ合って挨拶をすることは、禁止されています。
しかし、悲しいことに、
「どうして接触してはいけなのか、
それがなぜ“病気の家族”の助けになるのか」が、
皆がみな、十分に理解していません。
それで、ウィルスは多くの人の命を奪いましたし、
いまだに感染を続けているのです。



無名の人々(感染者の隔離を見送る人たち)image_convert_20140928164608


2014年6月12日。
状態をコントロールするために、政府は、カイラフォン地区の学校と教育施設の閉鎖措置をとり、
カイラフォン地区の閉鎖(外出禁止令)しましたが、
ウィルスはすでに隣のKenema地区まで拡がり、
(その後)国中に拡がっていったのです。

8月7日には、緊急事態宣言が出され、カイラフォンとKenema地区は、閉鎖されました。
今現在、この2地区は落ち着いてきていますが、国の他の地区では、まだ問題が続いています。

ちょうど今日、
日本の皆さまからカイラフォン地区の子供たちのために送ってくださいました“お米”を配りに行きましたので、その様子をお話したいと思います。

いただいた半分は、感染した家族の治療に当たっているドクター・マンジョ・ラミンにお願いして配っていただきましたが、
残りの半分は、私たちと、ここの教会の神父様と一緒に、一番感染の被害が大きかったKiondu村の教会とモスクへ配りに行ってきました。


本当に貴重な体験でありましたが、食糧不足は深刻です。
国からも、諸外国からも食糧の援助がありますが、
大半の人々の所には到達していません。

今日、Koindu –Kissi Kamaに着いたとき、
村にはほんの少しの人々しかおりませんでした。
なぜなら、村の人々は、
ここの人々が食料とする植物の根のイモ類を探しに、森に出かけていたからです。
このイモ類は、主に朝食としていただきます。

この様な状態ですので、予期していなかったお米を受け取って、
“教会とモスク”の代表者は、とても感謝していました。

村の深刻な様子がわかりましたので、
これからも様子を見ながらこの奉仕を続ける予定です。
どうぞご支援をよろしくお願い致します。


もう一つ分かち合いたいのは
カイラフォンへの帰り道の途中にある「エボラキャンプ」訪問の様子です。

このキャンプは、3ヵ月前から国境なき医師団によって運営されており、
カイラフォンの郊外にあります。
それで、道から見ることができないか、
一緒に行かれた神父様にたずねてみました。

神父様は
「それはできない、細い道を通らなければならないから。
しかし、車でキャンプを通り、シスター達がキャンプを知ることはよいことだから、
試してみよう」と答えました。
わたしがとっさに
「神父様、今日は止めておきましょう。次の機会に」と言うと、
神父さまは、
「車から降りる必要はないし、医師団も、そこで働いている人々も、
きちんとした規則のもとで働いているので、
キャンプの中では感染はゼロです」とのこと。


しばらくして、
神父さまが、キャンプの受付をしている友人と電話で話をしている声が聞こえました。
その方が
「シスターたち、いらして、患者さんのためにお祈りをしてください。患者さんたちは、
家族や宗教関係者の訪問をよろこびますので」と言っているとのことで
最終的に訪問することにしました。

車から降りると、一人の若い方がいらして、
手を消毒するために、私たちを塩素の消毒液の入ったバケツの方に連れて行きました(公共の場所に入る時は、必ず塩素の消毒液で手を洗う)。


カイラフォンの人々にとっては、塩素の消毒液で手を洗うことは、もう習慣になっております。受付で、どこのキャンプがより危険度が高く、どこが低いかなど、キャンプの説明を受ける前に、消毒液で手を洗わなければなりませんでした。

患者さんが収容されている場所は、普通の病院とは違い、
汚染地区に緊急に設置された“キャンプのテント”のようですが、
材質は非常に厚いものです。

訪問者や家族は、感染の危険度が低い地域の外にある通路で面会します。
患者さんたちはそれぞれが椅子を持ってきて、
面会者から“3メートル”ほど離れた場所に座ります。

面会場所に入る前に、もう一度手と靴の底を、塩素の消毒液と水で洗いました。


私たちがまだ遠くにいるときから、
患者さんたちは“何もなかったかのように”微笑んでいます・・・・
何と言ったらよいのか、すごいインパクトでしたので、
こう申し上げました。


「あなたがたは、もう私たちの心を捕らえました。
なぜなら、わたしが考えていたのは、エボラは“人を殺す”ということだけでしたが、
みなさんを見ていると、
エボラは、私たちを征服できない、神の愛がすべてに勝る」


無名の人々(シエラレオネでの研修)image


そこからわたしの「メッセージ」が始まり、
神父さまは、「あなたの話を続けなさい。私が最後のお祈りをしますから」と・・・。

本当に信じ難い体験でした。

看護婦のシスター・ポーリンは、
患者の方々に祝福の言葉を贈り、
「私は看護婦ですが、今日、みなさんは
エボラの“違う一面”を見せて下さいました」と言っていました。

死の恐怖に直面しながらも、微笑み、笑うことができるのです。


若い方たちは冗談を言い合い、食欲旺盛な仲間の名前を教えてくれました。
(エボラから助かるための第一の条件は、よく食べること、
水を十分摂取することと、ウイルスを排出させるための点滴です)。
このように、よく食べられて、体が食物を拒否しなければ、容易にエボラから助かります。


無名の人々(SierraLeonneの少年)image


どんなに困難な状況にあっても、神様の愛は私たちと共にあることなどを、
かなり長い時間話しました。
みなさん、「本当にそうだ」とうなずきながら聞いて下さいました。


ご夫婦の方がいたり、一家族全員だったりですが、多くは若い方たちでした。
7歳の坊やもいました。

彼は最後まで微笑んでいましたので、私は“冗談”で
「君もだれかの訪問に来たの」と言いますと、
「ちがう、ここに収容されている」
「でも健康に見えるよ・・・」
本当に健康に見えました。


もう目がエボラの症状の目(真っ赤な目)ではなく澄んだ目でしたので、
相当良く回復していました。


私たちの教会のジョージ神父さまは、ご自分の出身地、コノ地区の言葉でお話になりましたので、その地方出身の方々は、大変喜びました。
私も続いてティムニ語で話しますと、(最初はシエラレオネ人全員がわかるクリオ語で話しましたので)あるご婦人が、どうして最初からクリオで話さなかったのか、と聞いてきました。

マブラカからのお嬢さんは、マケニの家族を訪ねて行って、そこで感染しました。
国境なき医師団の先生方が今週、(シエラレオネの)北部から24名の患者さんを搬送して来ましたが、すでに重症であった患者さん4名は、到着するとすぐに亡くなりました。
しかし、あとの方は“回復しつつ”あり、神に感謝です。


もう一人は、20歳くらいのルンサ―からの青年です。
この青年は、“お皿3杯”と呼ばれています。
なぜなら、お皿3杯食べないと満腹しないからです。
「ルンサの本通りのポートロコ通りに家族が住んでいるので、よろしく伝えてほしい」と、住所を教えてくれました。

最後に、私たちを見送ってくれた看護師さんたちにお別れし、
感染を防ぐため、入った時と同じ儀式の手洗いと靴の底の消毒をし、
車に戻ってきました。


患者さんたちの苦痛と苦難の中にも、
“希望の光”を見ることのできた素晴らしい体験でした。


私の国の人々は、苦痛の中でも微笑み、
苦難の中に、父親として絶えず見守って下さる神の手を見出すことができることを確認しました。
地理的に遠く離れた兄弟たちへの関心を持ち続けて下さる寛大な皆さまのご支援に支えられて、
苦しむ人々に理解を示し、
希望と、そして食物を配る
、私たちの新しい奉仕を続けて参ります。



無名の人々(子供の笑顔)image


皆さまのために、そして自身の感染と言う危険を顧みることなく、私たちの兄弟のために働いて下さっている医療関係者の努力が実を結びますように、祈り続けます。
祈りのうちに皆さまのことを思い出しています。

                        感謝、 Sr. Josephine Kamara 



貧しい国と謳われながらも、そこで生まれた人がひたむきに奔走し
それを支えている人がいて・・・。

悪い事態だけを嘆くことなく、自国の素朴な一面に誇りをもって
感謝している気持ち・・・
それが、文面から
(自分には)伝わってきました。


無名の人々(嬉しい水sierraleone)image



自然の残酷な側面を見ても、
深刻な病の感染における酷い側面を見ても
けっして打ちひしがれることなくそれを受け止めて、
新たな輝きを生み出すこと・・・
そんなことを、改めて教えられた感です。






ときに冒険心も湧いたりする・・・それはまたそれでよし・・・。

無名の人々(修飾用岩の上で)image



そして・・・
どんなことがあっても・・・・めげそうになっても
諦めることなく、明るいほうへ・・・。



無名の人々(朝もやのなかで)image


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Author:世羽
心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
すべての人が幸せに
喜びに満ちて生きることができますように祈っています

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