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「マグダラのマリア」・・・

Posted by 世羽 on 10.2014 イエス関連   0 comments   0 trackback
(つぶやき)
「中国漁民に最も人道的な対応をしているのは日本だ」・・・と
中国メディアが報道している。喜ぶべきか、憂うるべきか・・・微妙w。

小笠原辺りの状況への心境を語る「巷」の弁・・・。

391 :名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/11/07(金) 23:15:51.90 ID:xeAWxtll0
撃沈?拿捕? やれるものならやってみろ的な空気感じる
なんなんだこの虚しさ


492 :名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/11/07(金) 23:54:12.74 ID:+ioCW2/H0
もはや神風も見放した。
いくら神風を吹かそうと日本人が「逃げて逃げて」ではな


493 :名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/11/07(金) 23:54:48.03 ID:DVcERBrq0
元寇の時に神風が吹いたのは
祖先たちが一丸となって立ち向かったから吹いたのだ
何もしないでパニック起こしてるだけの今の我々に
神様が奇跡をお示しになられるはずがなかろう


こっちも・・・わかるw。

マグダラの(資料galilee boat)image



ここのところ、ちょっと想っていることがありました。
それは、世間の春をひさいだりする人々のことで。

そうなったのには、いくつもの異なる理由があってのことでしょう。

しかし、ときにはそこから
悲しい事件も多々起きたりしています。

さらに最近、巷では
世の既婚女性が、家庭に不満はないけれどアヴァンチュールをしたい・・・と
仲間とアリバイ工作をしてまで
余所の殿方に身をまかす現実も起きているとか。


で、「マグダラのマリア」の話しを持ち出してみたくなり、
ときおりご紹介する『IL POEMA DELL’ UOMO-DIO』から
“かいつまんで”独自に書き起こしてみます。

で、その前に・・・。

(これまでも、同様のことをお伝えしてありますが、一応、念のため)

ここで、お伝えする幻視にも、さまざまな論評・批評があります。
一時期は禁書扱いでしたし・・・。

ただ、その一方で、並行して研究が進み
聖書学の第1人者として知られるアウグスチノ・ベア
「聖書解釈の面からしても、これは注目に値し、誤謬をみつけたことがない」
と言わしめたことで知られています。

また、イスラエル(ユダヤ教)の学者たち
聖書の時代の地理的な地図を作製するおり
過去の数多の文献や歴史資料を調べても不確定だった場所が、
現代になってからの新たな調査で、
この幻視に基づく通りだった事実が
少なくとも5箇所のケースでみつかったことが知られています。

そんな幻視が物語るのは、
この世に現れたとされる「キリストの生涯」にまつわるもので
現在の福音書を補完するような隠れた話、
当時の人々と、キリストとの知られざるエピソードです。

それはつまり

「イエスが行われたことは、このほかにも多いが、
一つひとつ記したなら
全世界さえも、その書かれた本を入れることができないと
わたしは思う」
(ヨハネ21・25)

・・・とあるように・・・

その「記載されていない部分」のいくばくかを、
この幻視は伝えている・・・と言わしめるゆえんです。

そして、幻視のなかでキリストがこんなことを言っています。

「現在も、20世紀前と同じように、
私が相手にして話す人々のうちには反対する者たちがいるだろう。
そして、私はふたたび逆らいの印となる。
・・・善意の人々は、
ベトレヘムの羊飼いたちと素朴な人々の反応を感じるだろうが
ある人たちは、
あの時代の律法学士、ファイサイ人、サドカイ人、
司祭たちと同じ悪意を表すだろう・・・」


そんなことを踏まえたうえで・・・。

ここでは、信じるとか、信じないとかの意味ではなく
「こんな話しもある」・・・程度でお読みいただければと思います。



「マグダラのマリア」


およその人物像

マグダラのマリア・・・
この名前を、クリスチャンでなくとも
どこかで聞いたことがある方はけっこうおられると思います。

近年では、この女性がキリストの妻だった・・・と紹介されたりして
『ダヴィンチ・コード』をはじめ、類似の内容を示唆する書籍が出ています。
さらに、『マグダラの書』などをはじめ、
内容の異なるニューエイジ系の関連本があるのも、ご存じと思います。

一方、この幻視では
それらとはまったく「別の姿」が浮かんできます。

彼女は一時、ローマやギリシアで見られたような高級娼婦のような存在でした。


マグダラの(資料ギリシアあたりの高級娼婦)image


美の追究と、放蕩と淫欲に身をまかせた彼女が
キリストとどこで、どのように出合い、
どのようにその生き方が変わっていったか・・・
また、著しい心の変化を遂げた彼女が
「キリストの磔」から「復活の栄光の身体」に遭遇するまでの
12使徒たちでさえ心が揺らいでいた“その時期”に、
聖母マリアとともに英雄的な心情で踏みとどまった様子が
リアルに描かれています。


マグダラのマリアがキリストを初めて見たとき


それはガリラヤティベリア湖(=ガリラヤ湖)・・・。

キリストが宣教の途上、このティベリア湖で
弟子たちと一緒に二隻の小舟に乗っていたときのことでした。

その小舟の周囲には他にも
遊興のために湖に舟を出しているローマ人やギリシア人たち一行の舟が
いくつも通り過ぎていました。


マグダラの(ローマ人の船遊び)image


そのうちの一艘が、戯れのためか否か、
ペトロの操る舟へと、超接近し、危うくぶつかりそうになります。

「命が惜しいなら気をつけろ!!!」ペトロが叫びます。

「ヘブライ人の犬め、道をあけろ!!!」別の舟からはローマ人。

その舟上、ローマ人の膝に金髪の頭を乗せ、
クッションに身をまかせて横になっている“マグダラのマリア”がいました。

互いの舟からの怒声が飛ぶなか、
キリストは何事もないかのように黙って座っています。

その舟のなかへ、なまめかしい笑いとともに一輪の花が投げ込まれました。
ローマの舟に乗っていた女たちのうちの誰かが
そうしたようです。

そして・・・

小舟どうしが離れていくとき、
その舳先にマグダラのマリアが立ち、
他の女たちが指差す方向へ眼をやりました。

その指さす方向にキリストがいたのです。

このとき、ケリオットのユダが彼女をみとめます。

「おい、シモン(熱心者と呼ばれたシモンのこと)。
ローマ人が抱いていたあの美しいブロンドの女、
あの舳先に立った女・・・あれはベタニアのラザロの妹じゃないのか?」


「わたしは知らん」

「ベタニアのラザロを知らないとでも?
彼はあんたの友人だし、先生と一緒に彼の家に行ったのを
わたしは知っているぞ」


「だったら?」

「それなら、ラザロの妹の(注:下記に)、
あの罪の女も、あんたは知っているだろう。
・・・彼女があんな“ふしだら”に生きるようになってから、
人の噂にのぼり、それから10年もたつ。


たとえ4年前にあんたが“死者の谷”(シモンは当時、癩病だった)に居たって、
その噂を知らないはずがない。
エルサレム中が、彼女の噂でもちきりだったんだ。


だから、ラザロはベタニアに引っ込んだのに・・・。

まあ、そうして良かったんだ。
・・・
彼女はいま“マグダラ”にいるんだろ?
誰か新しい恋人と一緒にさ。
おい、答えないのか? 私の言うことが嘘だと言えるか?」


「いや・・・。ただ話したくない」

「だとしたら、あれはやはり“彼女”なんだな。
あんたも彼女だってわかったんだろ?」


「かつて彼女を清らかな少女として見たことがあった。
さっき、久々に眼にしたが、そうだ・・・と思ったのは、
聖女のようだった“彼女の母親”に生き写しだったからだ。
だがいまは、清らかさを失っている」


「それなら、あんたの友人ラザロの妹だって、
どうして言わなかったんだ?」


「わたしたちの傷、愛する人の傷は
できるだけ隠すものだ。
とくに正しい人だったら・・・」


 (注:マグダラのマリアについての聖書の登場箇所および人物の特定
    いまだ確定していない。
    が、この幻視では、それをラザロの妹、
    マリアとマルタのうちのマリアと同一人物である・・・と告げている)


マグダラの(周辺マップ)image


そんなやりとりのあとで、
キリストは舟を岸辺にとめさせて、長い話しをします。

そのなかには、こんなことがひと言ふたこと・・・。


「世間は、それ(世間)を好きな人にとって広く、
美しく、彩りで心を満たすかのように見える。
世間は、腹と感覚にふさわしいすべての花と、すべての実をささげる。


それに対して
私は一つのことしか与えない。聖徳を・・・。
これは、この世で最も狭い、貧しい、険しい、とげだらけの
虐げられるものだ。


この世で聖であることは英雄の苦労である。
そして私は、これしか約束しない」


「わたしはあなたたちに模範を与えよう。
わたしがするようにせよ。
謙遜、柔和、忍耐強くあれ・・・・」


「・・・神は人の心を見る・・・
名前としては神のものでありながら、不信仰者であるな。
神と見られたいがために、黄金と権勢を望む者は神のものではない。
聖であれ! 
そして、永遠において、神に似たものであるように」



一見、これは
マグダラのマリアとまったく関係ない説教中の言葉と思えるかもしれませんが、
おそらく、花・実・・・これは女性のことも表すでしょう。

そしてこれらの言葉は、
彼女に贈られる新しい「生き方」の前触れであるかのようです。


のちにわかりますが、
キリストのすべてを見通す眼はすでに、マグダラのマリアを認知しています。
そして、こののち、兄ラザロや姉マルタの「なんとか、彼女の魂を救ってください」という
心からの願いを聞き入れて、彼女の心を浄めるために少しずつ、
いろいろな場面で彼女を癒し、諭していきます。

それは、強制的なものであったり、一瞬の出来事ではなく、
彼女の心が本当に美しいものとはどういうことか・・・を
彼女自らが知り得るように進んでいきます。


    (つづく・・・)


マグダラの(ステンドグラス肖像)image



*****

遠い昔、知人が又聞いて、それをさらに又聞いた話(w)が
今でも記憶に残っている。

それは、とあるキリスト教圏の国、その路上のことで。
そこに、少なからずの娼婦(売春婦)たちが立っていた・・・と。


マグダラの(現代の春をひさぐ人)image


マグダラの(現代の春をひさぐ人2)image



そしてまた、彼女たちのなかには、そんな生活を送る一方で、
人知れず聖堂で祈っている人もいた・・・と。


知人いわく・・・。

「彼女たちは、自分のしていることを肯定しているわけじゃない。
たとえ、どんな理由から、そうしているとしても
そこには、たとえようのない寂しさと自戒が混在しているんだ。
そこをくんであげたいよ。
彼女たちだって、マグダラのマリアのようになれるんだから・・・」


そんな彼女たちの心の奧には
けっして声としては聞こえなくても、内なる「諭し」が響いていたのかもしれない。


「あなたがたは、自分が神の神殿であり、
 神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか?」

                               (1コリント:3・16)


マグダラの(とある祈り)image

     マグダラの(装飾用)image


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Author:世羽
心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
すべての人が幸せに
喜びに満ちて生きることができますように祈っています

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