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釈尊の「無常」・・・移り変わるもの

Posted by 世羽 on 14.2015 道草   0 comments   0 trackback
(つぶやき)
先日、エクアドルの大統領が自国の国旗の変更について発議した・・・と、
現地在住の人がつぶやいていた。
なんでも最大の恩恵国である中国の国旗に似せるらしい。
影響は周辺国にも及んでいるようだ。
日本人のあまり知らない世界が「赤色」に染まっていくけれど、

あとで気づいて「しまった・・・」とならなければいいが・・・。

と・・・。
思惑をはずれて、地下の動きが表出しない。
強弱を繰り返しつつ、いまだ続いている・・・それも長い
地球の勝手とは思うが、ほどほどのところで
いったん出してほしい。


釈尊(の未来の弟子)image



  (以下、門外漢による、たまの仏教探索・・・なので、
           理解が乏しい場合は、どうぞご容赦ください)



数千年も続いている教え・・・。

人を聖化する“何かしら”が含まれて、かつ継続しているものは、
存続してきただけの価値があって、
尊敬するところがある・・・と感じている自分。

なので、自身は「別の心の指針」を持ちながらも
まことに聖なる人たちを輩出してきた別の「教え」を紐解くときには、
尊崇の念をもってあたるようにしています。


基本的なことを知っている程度ですが
「釈尊」の教えなども、やはり凄い・・・と思っています。


ちなみに、釈尊の生まれる以前の情景が、
シャーキヤ(釈迦)の神話として
想像力をそそるような表現で描かれています(『律蔵』)。

(かいつまんでみると)

そのはじめ、世界は海水だけだった。
あるとき、ひとつの生命体が
光音天という世界から降ってきた。


この生命体は光り輝くもの。
空中を自由気ままに泳ぎまわり
「喜」と「楽」を食物とし、長寿だった。


このとき、この世界には
太陽も、月も、星もなく、昼と夜、貴賤の区別もなかった。


のちに、この生命体は“固形の食物”を摂るようになり、
やがてその食物は食べ尽くされてしまった。


そこでその生命体は「青色の苗」を食して命をつないでいたが、
そのうち「妙香稲」というものから収穫した実を摂るようになった。


のちに男の性と女の性が生じ、その結合から多くの生命も生じ、
やがて人間を生じ、
そこから人々を治めるクシャトリヤ(階級)の「王」が出た。


注:以下の名称は教典によって異なるが・・・たとえば)
「獅子頬」という名の王がいて、
「浄飯」「白飯」「斛(こく)飯」「甘露飯」という4人の男子、
「清浄」「純白」「純斛」「甘露」と呼ばれる4人の女子をもった。


その浄飯(シュッドーダナ)王の子として、
のちにブッダとなるガウタマ・シッダールタと
ナンダと呼ばれる2人の男子が産まれた。



釈尊(出家前の)image




とある仏教の先生がこの「飯」について
釈尊の生まれた北インドには稲作もあったが
主として麦を使う食材を主食としていたのだから、
「飯(オーダナ)」という稲米に関連する言葉が使われているのは、
釈尊の出た一族が稲作に関わっていたのかも・・・と言っていました。

米を主食としている身からすると、どことなく、親近感が湧いたりします。


釈尊(神話のなかのイメージ)image


釈尊の生涯は、色々な書籍になっていますし、
よくご存じと思います。

その教えも、
日本では「西欧の宗教」よりずっと深く根付いていますから、
それなりにご存じと思います。

そんななか、

自分はときおり、
釈尊の説いた「無常」というものを想い浮かべることがあります。

学生のころ、一度は試験で書く・・・かもしれない
「諸行無常」の無常・・・w。

無常と聞けば、
「はかなさ」「切なさ」を覚えたりするわけですが・・・。

それにしても、
このたった2文字の言葉の示す意味は深いなあ・・・と
そんなことを想うのです。


       釈尊(StandingBuddha)image


釈尊が説く無常は、
「常なるものは無い、すべてが変化していくもの・・・」
という意味を含んでいて・・・

人が自分の思いどおりの人生を歩んでいるようでも
つぎのどこかの瞬間、
瞬く間に変化して「苦」とも言える現実に遭遇したりする。

このとき人は「無常」(変化の局面)に出合っている・・・
というのです。

釈尊はそれを「真正面から受け止めよ」・・・と説くわけで。

このことは頭のなかの理解では受け止めがたいものだが、
それは、人生を生きる過程で起きる現実。
だから生きるとは「無常を観る」と言うことだ・・・。
出合った無常がどんなに辛くても
逃げずに生き抜け・・・。




とは言え、


そんな「無常」(とりわけ自身の好まない現実への変化)から逃避せずに
受け止めよ、と言われても、凡人にはけっこう難しい・・・。


できるかぎりのことをして踏ん張ったとしても
そこには「ああ、逃げたい。なんとかしたい」という思い、
葛藤が生まれます。

場合によっては、自分ではもう、何がなんだか、
どうしたらいいかわからなくなってしまうときも。

で、自己を超えた「何か」に帰依し、祈って、道を開く。

そんな「道」の歩き方を釈尊(今の仏教)は教えてくれているようで・・・。


釈尊(とある絵画)image


こうした道をゆく人は、その過程で
自己とは何か、という問いを抱えたりします。

すごく微妙ですが、釈尊の原初の教えでは
今風の「自己」の解釈、
たとえば“不滅の魂”を本当の自己として観ていないようで・・・

無常として変化しつづける存在こそが“本当の自己の姿”、
「無常を生きる」ところに真の自己実現がある
・・・と説いているかと。

そして釈尊は

自我の欲望を“思い通りに実現させようとする自分”という存在は
いずれ破綻するもの、それは本当の自己ではない
・・・とも言っている。

いずれにしても、現代風スピリチュアル的な「自己を知る」というものは、
釈尊が“当初に”説いたものとは微妙に違う・・・感なわけで。

    (余談:仏教の“根本思想”をよ~く眺めてみると、
    現代の「トレンド化した悟り」というものには、
    西洋圏から逆輸入されたがゆえの思想が混入していると捉えるとしっくりいく)


現代ではしばしば、
悟りを開くと、その先はただ喜ばしいことだけ・・・
完全に人生苦が滅せられる・・・と、解釈されている向きがあるかもしれません。

一方、悟りを開いた釈尊は、そののちにもいろいろと心を揺るがされた・・・と
記されているかと。


釈尊(インドの古い仏教寺院)image


また、過酷な修行を捨て去った釈尊でしたが、
弟子たちに、心の研鑽のための戒めを求めていました。

それゆえ、釈尊の入滅後に弟子らが悲しみに暮れるなか、
釈尊の死を“喜んだ”スバッダという僧もいたわけです。

そのスバッダはこう言っています。

「友よ、嘆くことはない。悲しむこともない。
私たちは偉大な修行者から解放されたのだから。

私たちはこれまで
“これはしてよい、これはするな”と、口うるさく束縛されていたじゃないか。

今日からはやりたいことをして、やりたくないことはしないようにしよう」


(色々な意味で考えさせられる・・・・w)


釈尊(座る)image



釈尊はけっこう頻繁に「この世は“無常”だ」と口にし、
「無常を“生きてこそ”自己実現がある」・・・と捉えたわけですが、

そんな釈尊は当初、
自身の深淵な経験から得たものを他者が理解するのは
非常に難しい
と感じ、布教を拒みました。

この心情は、それとなくわかる感です。


「現世で心の平安を求める涅槃の生き方」・・・これが
仏教の教えの本質にあるとされています。

そして釈尊は、
現世における「苦」や「不安」などの解決を模索し、
自身でそれを会得した方。

その会得したものから
「自我の欲望をほどよく抑制するところに“心の平和”があり、
それが前向きに生きる生活にも連なっていく・・・」
と、
繰り返し伝えている・・・。

さらに釈尊は言います。

「貪りと怒りに動かされている人に
この真実は容易に悟れるものではない。
それは“世間の流れに逆らうこと”・・・それは微妙で、観がたい・・・
欲望にふけって闇に覆われた人々は観ることができない」
(『相応部経典』)


なので、

釈尊が“無常”というものを持ち出して語っているひとつは、こんなこと・・・。

「人が無常の現実に出合ったとして、
無常はそのまま素直に受け入れるよりほかに方法はないが、
人間の自我の欲望はそれを否定する。
容易には受け入れない。
なぜなら、自我の欲望は
真実を真実として素直に観る叡智を奪っている。

欲望を制するというのは“この世間に逆らうこと”でもある」



釈尊の悟りから出たこの言葉は
別の宗教にも感じることができます。


釈尊(ご像)image



ということで・・・当たり前かもしれませんが


どんな宗教においても
名を残すほど偉大な「聖なる御仁」を“真”に理解するには
凡考しか浮かばない自分のような乏しい理智では、遠く及ばない・・・
そんなことを感じる次第ですw。


*****


それでも・・・世界には
釈尊の教えを真摯に追ってみたいと望む人々がいて・・・。
うまくは言えないが、それも素敵なことではないか・・・と想ったり。




釈尊(小さな僧侶)image



釈尊(タイのお弟子さんと犬)image



釈尊(像さんと小さな僧侶)image


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Author:世羽
心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
すべての人が幸せに
喜びに満ちて生きることができますように祈っています

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