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宙を飛んだ人・・・

Posted by 世羽 on 02.2015 不思議考   0 comments   0 trackback
(つぶやき)
人の思惑を超えたところで
善きにつけ、悪しきにつけ
したことの見返りは、最終的に戻る。
ISの人たちも同じだ・・・。

だが、結果が出る前に、闇の形が地中海を越えるとしたら、
世界の進む方向が一挙に暗転する可能性がある。

押しとどめるには、それなりの覚悟もいる。


コペルィーノの聖ヨセフ(修飾画像)image




かつて、何かしらの神聖なものを求めた人たちが
もの凄く裕福だったり、成功した人生を捨て去ってまで
至高の存在への道を歩もうとした歴史があって・・・。

古今東西、多くの人々の幸せを願って尽力し、
後世に名を残した人たちは
決して楽のみの人生ではなく、苦難を歩んだ形跡があったりして・・・。

現代では、
幸せになるには富や成功を手にいれて、
少しでも善い結婚をしたりして・・・
何不自由なく生活できることがいちばん素敵とされるようになり
そのためなら、どんな方策でも身につけよう・・・とされたりします。

確かに、

この世界を安寧に、物質的に生きていくだけなら
後者の生き方で充分通じるでしょうし、
それなりの充実感も湧くでしょう。

ただ、自分は想います。

人は本当にそれだけのために
この星に生まれて来ているのだろうか・・・と。

“思考の好み”によるところも大きいと思いますし、
多くのみなさんに当てはまることでもない・・・と感じていても、
自分の心の奥底ではやはり、
人が霊を主体として生きる生命体であるなら、
霊としての生き様を探る必要がある・・・と
強く訴えてくるものがあります。

・そんな話はどうでもいいですね。


本題に戻すと・・・。


先日、ある人がコペルティーノの聖ヨセフの「絵はがき」
数枚くれたのです。

コペルティーノの聖ヨセフ(御絵)image


ご存じの方も多いと思いますが、
この人物のことを一寸書き記してみたくなりましたw。



コペルティーノの聖ヨセフは、昔のイタリア、
1603年~1663年を生きた修道者で、
しばしば体が浮いてしまったことで知られています。

「昔のことだし、どうせお伽話だろう」・・・と思われるでしょうが
彼が浮揚した状態を多くの人が眼にしたので、
それが稀有な出来事として記録されています。

のちにコペルティーノの聖ヨセフと呼ばれるようになったこの人は、
旧ナポリ王国内のプーリア半島コペルティーノ村にいた両親の元に生まれました。
父は大工業を営んでいたようで
地元では善人として知られており、隣人らの借金保証人を引き受けては、
しばしばその肩代わりをするなどしていたようです。
ヨセフの母は信仰深い人で、幼少のヨセフに神さまのことを教えたのは、
多くは彼女だったようです。

ヨセフは幼いころ、
教会で美しい賛美歌などを聴くたびに目を天に上げ、
何かに見とれているかのように
ポカーンと口を大きく開いているような様子を見せました。
そのために友達たちからは「開いた口」を意味するBocca aperta
呼ばれていました。

これは、のちに起きることの前ぶれであったわけですが・・・。

子供時代は病気がちで、
背中にでき物を発症したさいには、5年ほど寝たきりになります。

そんな病床にあるヨセフにとって、
母親が色々と読み聞かせてくれた物語、それも聖人の話、
とりわけアシジの聖フランシスコの話がお気に入りだったようで、
彼の心に「神さまに仕える道を選びたい」という想いが育っていきます。

とはいえ、物事はそう簡単にいかず、病気が治ってからの一時期、
ヨセフは野菜を売ったり靴職人の仕事をしたりと、
さまざまな職につくことになります。

その後、すでに司祭だった叔父のつてを経て
何とか修道者の道を歩もうとしますが
叔父はヨセフの教育不足を指摘し、賛成してくれませんでした。
ヨセフはどうも、愚鈍な者と思われていたようです。

それでもヨセフは、
何とかカプチン会のレイ・ブラザー(当時は多くが文盲の農民がなった)になるまでに
こぎ着け、
いわゆる炊事係りとして働くようになります。

ところが、いざ仕事にいそしむようになってみると、問題が起き始めました。

彼は、仕事の最中に神さまのことを考えるだけで
たびたびトランス状態になり、
皿を割ったり、鍋をひっくり返したりしてしまうのです。

長上は、ヨセフがきわめて注意散漫で、しかも過度の夢想家だと見なし、
「ここには置いておけない」と、故郷に戻るように言い渡しました。

失意のうちにコペルティーノに戻ったヨセフは、母親にも叱られましたし、
叔父にも叱責されるという“痛い体験”をします。
特に、叔父のフランシス・デサ神父「お前は何の役にもたたない」と、
彼を嘲笑したばかりか、「私はお前とは何の関係もない」・・・と突き放します。

そんなヨセフに、さらに試練が襲います。
かつて父が返せないでいた借金の件から、刑務所に送られかけたりしてしまうのです。
でも、幸いなことに天の配剤もあって、どうにかその危機を切り抜けます。

そして、半ば身を隠すように教会の屋根裏部屋で
6ヵ月ほど匿われるように過ごしているあいだに、
ヨセフはコツコツと、自分に足りない勉学を身につけようと
一生懸命に勉強します。

そんなヨセフの姿を知ったとき、
あの悪態をついたフランシス・デサ神父の心が変わります。

そして、彼はヨセフにコンベンツァル聖フランシスコ修道会で聖職の道につくことを提案し、
実際にその道が開けることになります。

修道会でのヨセフは
とりわけ貧困と祈りの生活を通して、
神聖と彼の会への召命の恵みで霊性の成長を続け、
諸事においては
清掃や動物の世話、園芸など、修道院での卑しい仕事を引き受けたり、
台所仕事でも頑張っていました。

ヨセフはまた、深い瞑想の時間を持ちましたが、
その多くの場合で、
自分がどうしてそこに着いたかがわからない場所で
ボーッとさまよっていることもありました。

1630年10月4日のこと。
コペルティーノでは聖フランシスコの祭日の行列が催されていました。
そのとき突然、ヨセフは空に上昇し、
集まっていた群集が唖然とするなか、彼らの頭上で漂いつづけてしまったのです。


ヨセフが下に降りて、自分に何が起きたか気づいたとき、
彼は騒然とする群衆から身を隠そうとして
咄嗟に実家に逃げ込んでしまいました。
のちの彼の言葉によると、
そんな自分のとった行動が「恥ずかしかった」そうです。

しかし、これがヨセフを 「空飛ぶ聖人」と知らしめた大きな出来事になりました。


コペルティーノの聖ヨセフ(祭日に)image


その後、彼の「フライト」はつづき、むしろ頻繁に起きるようになってしまいます。
修道院の仲間はそれを止めようとしたようで、
ときには「降りてこい!!!」と叫ぶこともあったらしいのですが、
肝心の、ヨセフ自身の自覚がなく起きることがほとんどだったこともあって、
どうしようもありませんでした。


      コペルティーノの聖ヨセフ(飛ぶ)image


この現象は、
イエスや聖母マリアの御名を聞いたときに恍惚状態になってしまう場合に
よく見受けられ、
また、聖体の前で祈っていたときや、
幼い頃の時のように甘美な聖歌の歌声を聞いているときにも、
突然起きたりしました。


コペルティーノの聖ヨセフ(ミサ中に浮く)image


最も有名な話では、教皇ウルバヌス8世の前に出たヨセフが
感動のあまり体が浮いてしまったことで、
それは、“当時の知識人”たちが見まもるなかで起きた出来事として
記録されました。


       コペルティーノの聖ヨセフ(教皇の前で)image


ヨセフはこれのみならず、癒しの賜物も携えていたようで
病気の人を治しましたし、
干ばつで苦しむ人々に雨が降るように祈ってほしいと頼まれれば
それに応えて祈りを捧げ、実際に雨を降らせたりと、
色々な現象を引き起こしたようです。

もちろんこうしたことが「神聖な力」で起きるときは
それを嫌がる「霊的な力」が邪魔をしにくることは
多々あるものです。

ヨセフも例外ではなく、
あの聖ピオ神父が体験したような
物理的に体ごとひっくり返されたりするような
霊的な攻撃も受けていたことが記されています。

ヨセフはときおり、エクソシストのような感じで闇の存在に対峙していたようですが、
ある時には、
悪魔の接近に対してアシジの聖フランシスコに助けを求めて祈ったことがあって、
聖フランシスコの出現とともに、悪魔が消えたのを眼にするという体験もしています。
もともと、フランシスカンとしての霊性の道にいたヨセフですが
それ以来、より一層、
会の師父であるアシジの聖フランシスコに絶大な信頼を寄せたと
伝えられています。

そしてこの当時の悪魔に言わせると、
「修道士ヨセフは、我々が持っている“最悪”の敵」だったそうです。


コペルティーノの聖ヨセフ(osimoの大聖堂)image


しかしながら・・・・

こうしたあまりに奇抜過ぎることや、
その現象によって衆人が熱狂的になることについては
それがどんな力から出ているかが明確になるまでは
そのまま教会が認めることはありません。

ヨセフの場合も同じで
異端審問の場に引きずり出されることになりますが、その危機も乗り越えて
彼には何の罪状もない・・・とされるに至ります。

とはいえ、彼はその後、公の行事に出ることは許されず、
仲間の修道士たちが祭りで町中に出る時でさえ、1人で居残りを命じられるようになります。

しかし人々は、優しい性質のヨセフを慕って集まり、
日々その名が知られるにつれて、
ヨセフのもとには、彼のアドバイスを求めて
ヨーロッパ各地から訪れる人でいっぱいになりました。

彼らのなかには、大臣や将軍、管区長、司教、枢機卿、
騎士や世俗諸侯などもいましたので、
これがまた問題視されるようになってしまいます。

結局のところヨセフは、インノケンティウス10世の命により
留め置かれていたアシジから秘密裡のうちに身を移されて
軟禁状態になります。

このときは
手紙を書いたり受け取ったりすることすら禁止されました。
その状態はインノケンティウス10世没後、解かれるやに思われましたが
つぎの教皇の代に至っても、そんな状態が維持されて、
必要な場合、また医師を除いては
誰とも話しをしないように命じられたのです。

こんな試練を、ヨセフは並はずれた忍耐で忍びました。
あるときなど、手違いで2日ほど食事が運ばれなかったこともありましたが
不平一つ言わなかったと記されています。

1663年8月10日。
ヨセフは発熱を伴う病気になり、ベッドから立ち上がることができなくなり、
その後、15日に見せた「フライト」が、彼の最後のものとなります。
(記録では、70にのぼる特異な現象が奇跡としてあげられている)

臨終にあたっては、終油の秘蹟、教皇の祝福を受け、
聖母の連祷を暗唱した後、コペルティーノのヨセフ・デサは、
9月18日の夜に帰天・・・。
この2日後、群衆の見まもるなか、
無原罪の御宿りの礼拝堂に埋葬されました。
(クレメンス13世によって1767年7月16日に列聖)


コペルティーノの聖ヨセフ(ご遺体2)image



      コペルティーノの聖ヨセフ(ご遺体)image



現在、コペルティーノの聖ヨセフは、
「空を旅する人たちの守護聖人」であると同時に、
NATO諸国の「パイロットの守護聖人」となっています。


       コペルティーノの聖ヨセフ(聖堂)image



コペルティーノの聖ヨセフ(おメダイ)image



「何もできない馬鹿なやつ」とされていたヨセフは、
こうして、まったく別の姿を見せることとなりました


コペルティーノの聖ヨセフ(雰囲気)image



(映画のワンシーンから)





*****


“まことの意味”で神を想うとき、
勉学の不足も、仕事の不出来も関係なく
聖霊の恩寵は“暖かい形”で必ずやってくる。

いま、たとえ誰かに馬鹿にされていようと
自分に価値がない・・・と想えていたとしても
神さまにはそんなことまったく問題がなく・・・。

それを、
“体験として”心から実感したとき
人は、よりいっそう神の存在を知ることになるだろう。



どれほど恐怖を生み出す闇の力が迫るかに思えたとしても・・・

それを打ち消す
この世を超えた「本物の聖なる力」が、
引き続き、多くの人の護りとなりますように。



(ウンブリア辺りの風景)
コペルティーノの聖ヨセフ(修飾ウンブリア辺り)image


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Author:世羽
心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
すべての人が幸せに
喜びに満ちて生きることができますように祈っています

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