Loading…

スポンサーサイト

Posted by 世羽 on --.-- スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

めぐり来る「桜花」の季節に・・・

Posted by 世羽 on 19.2015 季節ごとに   0 comments   0 trackback
(つぶやき)
世界の動きを見ていて想う。
やっていることの善し悪しは別にして、やはりプーチンは切れ者だw。


桜(宮坂雅博グリニッジ天文台コンテスト2012優勝)image_convert_20150218224930
                                         (宮坂雅博氏撮影)



桜花の雑談


気温が上下しつつも、だんだん春の足音が大きくなる時節となりました。

そしてまた、桜の季節もめぐってきます。


と言えば・・・。

恥ずかしながら自分、
この植物が「属名」こそ違えど、「バラ科」だと知ったのは
随分長じてからのことでした。

バラというと、園芸用のあでやかな「大輪の花」を思い浮かべます。
ですから、桜がそれと同じ「科」でくくられていると知ったとき、
花の在りようの違いに驚き、
一方で、なぜか嬉しくなったことを覚えています。

というのも、

1輪で栄華を誇るように咲き誇る“薔薇の花”
一方で、
何年もかけて成長し、1輪こそは小振りながら、
群れるように柔らかな色あいを醸し出す桜花・・・。

いかにも日本の風情にぴったりで、
日本の本質を表現しているじゃないか・・・と、改めて感じたのです。

現代で多くの人が観賞する桜花といえば、ソメイヨシノが真っ先に来るのでしょうが
本当は、多少“泥臭い感じ”の「山桜」
日本古来から愛でられてきた種ですよね。


敷島には、歴史ともに、そんな桜にまつわる伝承も溢れています。


たいてい、どなたもが真っ先に想い浮かべるのは、
「木花之佐久夜毘売」(木花開耶姫)のことでしょうか?

諸説のひとつに
「佐久夜」のサクヤは、「さくら」の語源というものがありますし・・・。


桜(コノハナサクヤビメ)image



この木花之佐久夜毘売
邇邇芸命(ににぎのみこと)がソデにした
醜い(女性になんと失礼な表現かといつも思うw)石長比売はよく知られていますが、
お父さんだった大山津見神(大山祇神)の娘には、
もうおひと方、木花知流毘売がおられ・・・。

“佐久夜”が桜の「栄華」を表すとすると、
“知流”は散るとなって、「死」を表現しているとされています。


お叱りを受けそうですが、
自分は「桜花」と言う文字を見ると
戦時中の特殊滑空機「桜花」(おうか)も浮かんでしまうわけで。

      (こちらの「桜花」の名称は、伊東裕満中佐によって命名された)


桜(桜花機)image


   (関連余談:いわゆる神風(しんぷう)特別攻撃隊の命名は、
    第一航空艦隊猪口力平主席参謀が、彼の故郷鳥取に古来伝わる
    「古剣術神風流」
に因んで命名したと言われる。

    かつて鳥取池田藩では、藩の武術の剣術として、
    武蔵円明流/新陰流/雖井蛙流/兌山流/今枝流/理方得心流/東軍流/岩流/
    富田信流/一刀流河田派/一貫流/神道無念流/神刀兌山流/神風流
    北辰一刀流などがあった・・・とされる)


特攻兵器として使用された「桜花」の名前と
桜にまつわる話を合わせて思い浮かべると、何かこう・・・
“命の儚さ”の表現として見事にかぶっているなあ・・・と。


桜(桜花と米軍)image_convert_20150218225504


桜(桜花MXY7)image




巷では、
桜の花の散り際の良さを、
先の大戦の特攻隊員や、戦地に赴いた兵隊さんたちになぞらえれば、
嫌な顔をする方がおられるのも知っています。

が・・・

たとえば、特攻隊員たちを見送った方々が、
ときに、桜の花のついた小枝を振った気持ちが何となくわかりますし、


桜(見送り)image_convert_20150218225257


自身の生命を「神木」にまでなった清い桜の生命になぞらえたくなる
当時の兵士の気持ちも、
日本人ならではのこと・・・と、わかる気がするのです。


       桜(たぶん横田あたりno天武の人たち)image


「戦争」は酷いものですし、けっして肯定できるものではありません。
今の過激派集団の広域に及ぶ殺戮なんぞは論外です。


でも・・・あえて脱線してみると・・・



戦争と平和、そして桜花



キリストのエルサレム入場後の月曜日。
「とある情景」が幻視されて、残されています。

それは、「受難」の前、
キリストが密かに母のところへ逢いに行くエピソードのなかにあります。

母に逢いに行くため、イエスがどうしても通らなければならない門があり、
そこではローマ兵たちが、通行人を見張るために門番をしていました。

   (この門は、当時の時刻割にしたがって、出入りが規制されていたらしい)

当然、キリストも停められて「誰だ!」と咎められます。


 (以下、はしょって短くまとめる)


「私はナザレのイエスです。町にいる母のもとに行くところです」

兵士は、それまでのイエスのことを知っていて、珍しいものでも見るように
キリストの周囲をグルグルと廻る。
優しい笑みをたたえつつ、キリストが言う。


「母の元に行ってもいいでしょうか・・・」

「私たちは誰も通すな・・・と言われています。
しかし・・・止めたところで、あなたなら通っていくでしょう。

  (この門番は、イエスが奇跡を行う人と知っていた)

冥途への門を開け閉めする力のあるお方に、
こんな門を開くぐらい、わけもないはずだ。
それに、あなたは騒動を起こす人でもないようだ。
あなたにしてみれば、ここの足止めなど“無い”も同じでしょう。

ただし、内側の巡邏兵に見とがめられないようにしてください。

マルコ・グラト、門を開けよ。

そう、あなたはそっと通ってください。
私たちは兵士ですから規則に服従するしかない・・・。

さあ、早く通りなさい。
私たちはあと少しで第2刻が過ぎて、交替になってしまう」


通過できるようになったイエスが言葉をかける。

「あなたたちに平和・・・」

「・・・・・・私たちは“戦い”をする人間ですよ?」

「私が与える平和は戦争のときにも残ります。心の平和ですから」

(こののち、通り抜けたナザレのイエスを見送った門番のうち
老若・兵士2人が面白いやり取りをします)

「ああ、もう見えないな。
あの言葉はどういう意味だったんだろう。知りたかった・・・」
と若い兵士。

すると老兵が言う。

「なんだ、聞けば良かったじゃないか。
あの人は我々を軽蔑しない、唯一のヘブライ人だ」


「勇気がなかったんだ・・・。
ベネベント
(古代南イタリアのカンパニア州の町)の農夫だった俺が、
神と呼ばれている人に話かけるなんて」


「ロバに乗る神か?
あっハッハッハハッ・・・バッカスのような酔っぱらいなら納得もいくが、
あの人は酔っていなかったな。
きっとムルスム
(当時のお金持ちが飲んだ蜂蜜入りの葡萄酒)も飲まないぞ。
見ただろうが、痩せて青白かったのを」


「だけど、ヘブライ人なら・・・」

「ああ、あいつらはよく飲むぞ!!人目のないときにな。
まあ、この土地の強い葡萄酒と、
自分たちのシチェラ
(酔わせるものの意)に酔って、
あいつらは、ただの人間を神と見間違えたんだろうさ。

俺様のいうことを信じろ。
神々なんて、お伽噺だ。
オリンポスは空っぽだし、この世にも神々の姿は見えない。

もし誰かが、今のお前の話を聞いたら・・・。
ああ、本当にお前はまだまだ小僧だ。

皇帝自身、神々を信じていないし、
司祭たち、鳥占いたちも、占い師たちも
アルヴァレスやヴェスタレスなんか信じていないと、知らないのか?」


アルヴァレス:司祭の名。
 ヴェスタレス:聖なる火を護るローマの女司祭)


「でも、だったらどうして・・」

「・・・儀式を行なうのか・・・って言いたいのか。
それは庶民が気に入っていることだし、司祭の利益になる。

それに、この世にいる神のように服従されるのは、
皇帝にとっても都合がいい。

誰よりも信じていないのは、
我々が“神々の使い”として尊敬している人たちだ。

俺は世界をあちこち歩きまわって、ごま塩頭になった。
ピロン派で、唯一の信仰はローマだけだ。
他のことは何も信じられない。

不滅の聖なる国家の他に、
我々を取り囲んでいるものすべてが錯覚だから、
何も信ずるべきではない。

自分自身についても疑うべきだ。
なぜなら、我々が生きているかどうかも疑わしいからさ。

感覚と理性とでは真理に到達することが出来ず、
生きることも死ぬことも、同じ値打ちのものだ。

実のところ我々は・・・
生きるとは何かも、死ぬとは何かも、両方とも知らないからな」


と、老兵が「哲学」の懐疑論をうつ。

若いほうの兵士はどこか納得していない様子。

「私は信じている。
さっき、ここを通ったあの人に色々尋ねたい。
あの人は、絶対本当のことを知っている。
身体全体から、何か微妙なものが発していたんだ。
心のなかまで入り込む光のようなものが・・・」


それを聞いて老兵が言う。

「お前は熱病にでも浮かされたんだ。
さあ来い、こんな時は香料の入った温かい葡萄酒でも飲むのがいちばんなのさ」

そして、若い兵士を衛兵所に押しやろうとする。
だが若い兵士は


「俺は病気なんかじゃない!!!」

そして、老兵が肩にかけた手を振り払う。

「俺は、そんな葡萄酒なんて飲みたくもない。
障壁の外で、
『イエスです・・・』と言った人を待つ」


「勝手にしろ!!!」

老兵は怒鳴りながら、そこを去った。

その後、イエスが戻ってくるまでの長いあいだ、
東の空が白みかかったころまで
若い兵士は本当にそこで待ち続けていた。


そしてやっと、兵士は戻って来るイエスを見つけた。
イエスを出迎えながら、その若者が言葉をかける。


「健康あれ・・・あなたをお待ちしていました」

するとイエスが言った。

「何でも話してください。何を望んでいるのですか?」

「知ることを・・・。
あなたは
『私が与える平和は戦争のときにも残ります』と言われた。
その平和とか、霊魂とか、それがどういうことかを知りたいのです。
戦っている者がどうして平和でいられますか?
この二つが、この世で並ぶわけがないではありませんか」


信仰を持たない人の心に“光の種子”を撒く喜びで、
イエスの声が光に溢れて響くような感じになる・・・。


「実際、この世において
平和と戦争は同時にはあり得ないが・・・
私の平和は戦争のときにもあり得ます。

なぜなら、私の平和は天から来るものだから。
戦争の残酷ささえも消せはしない・・・。

それは神的なもので、
人間のなかの霊魂と言われるもののなかにあるのです」


「神的? 私のなかに・・・ですか?
神的と言われるのは皇帝だけです。
私は農夫の倅で、何の位も持たない軍団兵です。
勇ましく戦えば百夫長ぐらいにはなれるかもしれませんが・・・。
神的とは・・・」


「あなたのなかに、神的なものがあります。
真の神から来る霊魂で、
信仰、平和、真理というような“神的なもので養われて生きるもの”です。

その平和は戦争によっても、虐待によっても傷つけられることはなく、
死によっても滅びません。

悪だけが・・・すなわち、厭うべき行いだけが、その霊魂を傷つけ、
“私の平和”を奪ってしまいます。
悪こそが、人間を神から隔てるものだからです」


「悪とは何ですか?」

「真の神がいると知ったうえで、人の創り出した神々を崇拝したり、
父、母、兄弟姉妹、隣人を愛さなかったり、
盗み、殺人、淫蕩、偽りなどが、それです」


「なら、私にはあなたの平和はあり得ない。
私は兵士だから、ときに人を殺すことを命じられます。
もし、そんなふうだったら、私たちには救いはないものですか?」


「戦争にあっても、平和にあっても、正しく生きなさい。
残酷でも貪欲でもなく、自分の義務を果たしなさい。

戦うとき、敵もあなたと同じ人間だと考えて、
獣のようにならず、勇敢でありなさい。
そうすれば、あなたは正義を失うことなく、私の平和があなたに残ります」



こののち、さらに会話は続くのですが・・・。

桜(戦争と平和星雲NGC6357辺り)image
 (「戦争と平和星雲」War and Peace Nebulaと呼ばれるNGC 6357
  ここでは新しい星が数多く形成されている)

桜(戦争と平和星雲NGC6357)image_convert_20150218225817
 (部分拡大)



自分・・・かつて、この話の行間に想いを馳せたことがあります。

上のエピソードは一部分なので、ここのみ目にしただけだと、
「なんだ、戦争を肯定しているんか?」
と思う方がおられるかも・・・ですが。

ナザレのイエスが残した言葉を詳細に知ると、
イエスはけっしてそんな真意は持っていなかった・・・。

もちろん、感じ方は人それぞれでしょうが、
自分の場合は、ここをこんなふうに受け取りました。


時の流れのなかで、国家などがやむを得ず戦いに陥り、
命じられて戦わねばならない人々があったとしても、
それは責められることではなく・・・

とはいえ、そんな環境にいれば
いつしか人の心にはさまざまな闇も、不安も生じるわけで、
その部分を取り払うために、
ここでは、当時の表現の範囲での
助け舟となる言葉を持ち出したのか・・・と。

そして・・・

生じた「時の定め」で戦わねばならなかったとしても、
非道をせず、精一杯、そこでより善く生を全うしたなら、
それはそれ・・・。

聖なる何かはけっして咎めないんだな・・・
自分はそのとき、そう感じたのです。


それは、

先の大戦で、敷島の人が「勇敢」に戦ったおり、
神宿るとされた桜の花に喩えて“自身の心を昇華しようとした「想い」”
それに似ているかのように感じられました。


桜(西澤広義飛曹長の笑顔)image
西澤広義飛曹長の笑顔:
彼は、米軍から「ラバウルの悪魔」と呼ばれ、恐れられるほどの、飛行技術の持ち主だった。
当時は稀な180cmの長身で、美男子だったことでも知られている)


現代では大量殺戮兵器が次々に開発されて、
一瞬のうちに人命を損なう戦いが起きます。

それは、敵と認知した相手を「人」と想わない行為だとわかります。

さらには、戦争と言うにも遠く及ばない、
人命を、残忍に、弄ぶように奪う世情もあるわけで・・・。

それらは、
桜の花の在り様に喩えられた「潔さ」とは
似て非なるものに感じるのです。


     桜(特攻兵と桜)image


“桜の花”の話がトンでもなくワープしてしまいましたw。


いずれにしても、

桜を“心の懐”に抱く敷島の人なら、
過去に逝った多くの戦没者の御霊を「犬死に」などと貶めて、
戦争の醜さだけを誇張して語るのではなく、

当時を「洗脳されていた」と“のみ”語るのではなく、

日本だけでなく、当時のすべての人が、
与えられた時代を一生懸命生きていた事実も認め、
そのうえで、彼らがみな神霊の満ちる「新たな世界」で
幸せに時を過ごしてもらえるよう
そっと願う心を持ちたい
・・・そんな気がします。


桜(とある1枚)image




そして

戦争に「反対」するというより
平和のみを願う“安らかな心”を持ち続けることが、
必要なんじゃないかな・・・と。



*****


気づいていないかもしれないが・・・

世界に不穏な動きがあっても、それに動じない心を保てる気質が、
不思議なことに、敷島の住人すべてに宿っている。

それは、まごうことなき天の恩寵

どんな環境で生きようとも、天に恥じることなく真摯でありたい。
古来から愛でられた桜花のように、純朴でありたい。

たった“それだけ”のことが、
目には見えなくとも
尊い一条の明るさをもたらす。




自然の生み出す本当の美、
本来の桜花の“美しさ”だけを堪能できるなら・・・


桜(子猫と桜)image



もうそれだけで、幸せ。


桜(リスさんと桜)image




本年もみなさんに、美しい桜花の到来がありますように。

桜(富士山と)image_convert_20150218230104


スポンサーサイト


  • password
  • 管理者にだけ表示を許可する

trackbackURL:http://tokitabiyohane.blog.fc2.com/tb.php/353-c7474fb7

プロフィール

世羽

Author:世羽
心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
すべての人が幸せに
喜びに満ちて生きることができますように祈っています

最新トラックバック

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。