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古文献の『上記』とか・・・

Posted by 世羽 on 05.2015 道草   0 comments   0 trackback
(独り言)
最近の日本外務省さんとかTBSさんとかの動きを見ていると、
日本人らしい心をもつ勢力が多少は戻ってきている気が・・・。
さらに気概を見せてほしい・・・と言ってみたくなる。

と・・・「流石にウソだろう」と言われているデイリーメールのトンデモない記事。
ISISに捕まった息子を助けに行ったクルド人の母親が
お疲れでしょうからと、料理をふるまわれた。
「息子はどこにいますか?」と問うたとき、ISIS兵士が冷笑しながら言った。
「あなたが食べたのが探している息子さんだよ」
・・・ゲッ~っ
こんな話が飛び交うほど、あそこはおかしい。

さらに・・・何か地下が大きく動いている感覚がある。
関東から北の太平洋側もしくは、海外のかなり大きめ?


上記(修飾画像とある国立公園)image


近年は、カタカムナについて話す人がいても
『上記(紀)』(うえつふみ)が話題にされることはあまり無い感じなので、
メモってみようかと・・・。

この『上記』・・・他の古史古伝と同じく
“偽書”とされて久しいです。

最近では“宗像版”“大友版”との比較研究もされたりして、
やはり「偽書」だろう・・・という見方が出たりしています。

まずは、それらを念頭に置いていただいて・・・。


『上記』が世に知られるようになった経緯の“一部”


時は1831年(天保2年)のころ・・・豊後の国
その大分郡にいた幸松葉枝尺(さきまつはえさか)という御仁が、
とある従姉妹(国女という人)から、薄汚れた“古文書の束”を見せられました。

そのおりに彼女が言ったことを現代風にして書くと
こんな感じで・・・。

「これは私が嫁いだ宗像家に代々伝わるもので、家宝とされてきたものです。
けれども十数年ほど前、
城下を訪れた神道の師に鑑定を依頼したところ
『まったくのくだらない偽書』と言われ、
それ以来、見向きもされていませんでした。

夫・(宗像)良蔵の亡き後、私が持っていましたが、
もはや何の役にも立ちません。
もし売れるのであれば、そうしたいのですが・・・」


で、その書の中身はというと・・・

冒頭の“はしがき”あたりが、いわゆる当時の和文で、
あとは奇妙な異体文字で埋め尽くされていました。

その“はしがき”などを、これまた現代風に簡単に言うと

「この書は、
平清盛が偽書と断じて焼き捨てさせた常陸の国・新治郡の富田家に伝わる
神代文書『新治の記』の断簡、
また神代文字で記された『高千穂の宮司の伝書』、『日向国主元雄の伝書』
をもとにし、
他にも各地の古文書(注:15種類以上とも言われる)を統合して
1223年(貞応2年)に完成したものである」


編纂者は、鎌倉幕府を開いた征夷大将軍・源頼朝のご落胤・・・
と囁かれたこともある大友能直(よしなお)で、
豊後の国守となり、大友家の初代となった人物です。

   (先の宗像家大友家の末流と言われている)


     上記(大友能直)image


国女から「売ってほしい」と頼まれて、ならば自分が買おう・・・と
幸松葉枝尺は思ったのでしょうか、安価でこの書を買い取り、
解読を始めました。

するとそこには、
「記紀」の歴史以前に“ウガヤ朝”なるものが存在し、

神武天皇はその73代目に当たる・・・とか、

出雲には7代にわたる王朝が存在した・・・とか、

いっときは出雲王朝の天皇が日本を統治していた時期もあった・・・等々、

これまでの史書に語られていないことが、たくさん記してあったわけです。

そんな内容に一抹の恐れを感じたのか、
幸松はその後十数年以上も、この書に手をつけませんでした。

が・・・彼はのちに、原本の写しをとり、写本全41冊をつくります。
そしてこの写本は明治7年
政府に献上する意図をもって、
まずは大分県令の森下景端に渡されました。

で、つぎに

地元の士族だった吉良義風がその解読の任を命じられ、
根本真苗『上記直訳』を完成させ、
それが明治10年『上記鈔譯』として発刊されます。

しかしこれは、ダイジェスト版のようなもので、
しかも内容が内容だけに評判も悪く、
結局のところ吉良は「偽書をつくったヤツ」との、ありがたくない汚名を着せられます。

のちに吉良は、『上記徴証』などを新たに発刊しますが、
結局、受けた汚名も拭われないまま、
謎の死〈書面には縊死とある〉を遂げてしまうのです。


     上記(大友本と宗像本の写本)image
      (臼杵市 陶瓷美術館さん。平成18年の春藤倚松・里帰り史料展から)


『上記』で使用された異体文字


上記で用いられている文字は“「豊国文字」の変形と思しきもの”とされ、
類似の文字が九州でいくつか見られるなどしたため、関係性が模索されました。

また一方で、
古代から日本の山々を流れ歩くようにして生活していた
“山人族”が使用した文字ではないか・・・とも言われたりしました。

   (ここでの山人は、一般にサンカと認識されてるようですが、
    まずこの呼称は、かつての官憲の差別用語に相当することもあって、
    当メモでは“山人族”を使用しました。
    また、“山人族”サンカと呼称された人々
    まったく同一視できるかというと・・・
    そこには、いまだ謎があることも、あらかじめお知らせしておきます)


    上記(サンカ文字)image


この山人族たちは、表社会の法に属さずに生き、
自分たちの社会だけで通用する特殊な文字を持っていたとされています。

  (あるとき、山人族の「紙」が官憲の手に渡ったおり、
   紙面に焙り出し文字がかくされていて、
   浮き上がった文字が豊国文字だったという話もある)


   上記(豊国文字古体象字)image
   (参考:豊国文字古体象字)


また、出所不明の話として、こんなものもあって・・・。


『上記』を編纂した大友能直が、
あるとき1000人以上〈1600人とも言われる〉の山人族たちの生命を奪った・・・。
そのとき能直は、
山人族が使っていたコトノカタと呼ばれる山人族文字で書かれた
古文書を奪った・・・というのです。
そして、この非道な殺戮に怒った山人族たちは、
のちに薩摩と内通し、大友を亡ぼす手助けをした・・・と。


こうした奇妙な逸話はさらにあって・・・。

大友能直が『上記』編纂のために各地の古文書を集めていたとき、
奇しくも領地内で“平一郎”という翁に出逢った・・・。

この翁は齢138歳
高齢にもかかわらず、1日に15里を歩いても疲れを見せず、
4斗の米俵を軽く担ぐという健老でした。
そして「いろは」すらわからないのに、神代文字のほうはいとも容易く読み、
失われた“超古代の出来事”に精通していたそうで・・・。

あの“カタカムナ”楢崎皐月に与えたのが“平十字”という人物でしたから、
一部の研究者が同じ「平」姓に偶然以上のものを見る・・・というのも
このへんから来るのでしょう。

さて・・・・
この翁にいたく興味を持った能直は、
「なぜそんな色々なことを知っているのか」と尋ねました。
すると、こんな答えが戻ります。
「私が100歳の齢になったとき、
山幽神(やまかくり神)を名乗る亡き父の導きで神仙界への出入りを許され、
以来数々の教えを受けたからです・・・」


こうして、何だかんだあって・・・この『上記』・・・
「記紀」やそのほかの古史古伝と合体されたと推測されてはいるものの、
出所の大元は、山人族が伝えていた彼ら独自の神話伝承だったのでは?・・・と
噂されることにもなります。

ちなみにこの山人族は、
自分たちの社会のみで伝えて秘匿するべきことは
“決して外部に漏らしてはいけない”。
もし禁を破る者があれば
“死”をもって制す
・・・という生き方をしていたふしがあります。

ゆえに、先に名前を出した吉良が
『上記』の完訳を遂げたのちに謎の死を遂げたのも、
もしや、そのせいだったのか!?・・・などという、ミステリアスな見方も出たほどです。

(この山人族は“謎な人々”の集団だったことが知られている。
彼らについて“ほのか”ではあるが、
聖書時代に中東地域に住んでいた“とある人々”との繋がりが示唆されている)


上記(修飾用春花)image



『上記』と星


『上記』は、「記紀」以前の出来事の伝書と言われ、
ぶっとんだ“神話部分”の伝承が、とかく話題にあげられがちです。

しかし実際はそれのみならず、内容は非常に多岐に渡っています。
(民俗、習俗、度量衞、地理、言語、暦制、天文、教育、医薬、医学など)

また「記紀」にはほとんど見受けられない星神のことも
数百にのぼって示唆されてもいます。
(『上記』の最重要「星神」は“北極星”とされる)


そんな、星絡みの話のなかでも興味深いのは、扱われている暦です。

たとえば日本は、一昔前まで中国の太陰暦を使用していましたが、
『上記』では使用している暦を「太陽暦」としています。

この太陽暦は、東西南北をさらに18のアラカと呼ばれる宮殿で区分けし、
どのアラカのところに太陽が昇るかで月を定めるという、
どこかのストーン・サークルでお馴染みのやり方に似たことをしています。

また、1年を360日1ヵ月を30日とし、
12月末と1月の始めに不足分の日数の帳尻合わせをするという、
古代エジプト“初期の”暦と似てもいます。
(歴史上では紀元前2000~3000年以上も前のエジプトあたりに似ている)


これらについて、
かつて『上記』の研究家・田中勝也氏の依頼を受けた天文学者・金井三郎氏が
天文学的見地から『上記』の記述に所見を出したことがありました。

それによると、

* 本書に記された星神は、
  実際の惑星や後世の天体観測をもとにしたのではないか・・・
  と思われる。


* 示された星神の数などは、
  神話に見られるような作為的な数合わせではない・・・と思われる。


* 主だった古代文明における古代天文学は、
  “星座の形”で星を認識す傾向がある。
  しかし、『上記』の星神にはそうした星座の観念が見られない。



偽書と言われていても、実に面白い展開です。


     上記(昭和10年神代文化研究会刊)image
     (昭和10年神代文化研究会刊の『上記』)


古史古伝の残すもの

これまで、名を残した日本稀代の霊能者のなかには
偽書とされた『上記』を重要視した人たちもいました。

荒深道斉川面凡児などは、
この書が「非常に古い伝承や知識を伝えている」と信じ、
“霊学的に”読み解こうとしたことで知られています。

  (・荒深道斉は「かつて日本には高度な文明が存在した」と主張し、
    そのうえで、いわゆる出雲系の神々の国譲りは
   “謹んで行われたこと”としている。
    現在語られているような神道における神々の闘争は語っていない。


     上記(荒深道斉)image


   ・川面凡児は知る人ぞ知る、強い霊能力の持ち主で、神道家。
   自身の霊的な繋がりが「すばる」にある・・・と
   述べていたことでも知られている)



   上記(川面凡児)image



彼らの見方は、彼らを取り巻く人々を通じて、後世に伝えられ、
大なり小なり、現代の霊的思想にも影響を与えているでしょう。


近年になって『上記』は、宗像版と大友版の比較が進み、
創作や改作と思しき部分が明確になっているようです。
そこらは、ひとつの事実として認める見識を持っていたいものです。

またその一方で、
偽書とされたにせよ、このような文書が創出されるにあたって
どこかに真の原本があったゆえのことだとしたら、
「それは単に人の想像だけで創り出されたものなのか」
などと問えるだけの、心の余地も残しておきたい・・・。


現行の歴史的見解では、古代日本は独自の文字も持たず、
古伝古史に出て来る神代文字のほとんどが
漢字や仮名の成立以後の偽作とされています。

また、日本文化は大陸伝来とされ、
中国や韓国からは「文明を教えてやった」と言われもします。

ですが、以前から書いているように、自分は
それはどうかな?・・・という感じを強く抱いています。

それは、日本が“世界を統治する最高の国”だとか、
そんな意味づけから出るものではなく
言葉にできない感覚から生じる「?」です。


人づてに聞いたことだけを真実として認めたり、
うわ面の文字を読むだけでは、
古史古伝のどこまでが真実で、どこからが虚偽かは掴めないでしょう。

それは、文書が記された時の感覚にリンクできて初めて
真意をくみ取れる書とも言えます。

たかが「偽書」・・・と言われても、
されど、それなりに意味深い「偽書」
・・・というところでしょうか。



*****


『上記』に登場する神々は山々に深い関連を持つ。


そう言えば、チリの活火山Villarrica・・・。

上記(1995年ビジャリカ)image
 (1995年)


久々の噴火となって、大地の騒々しさが増した。


上記(修飾画像2015Vilarrica)image



そんな地球のどこかでは、
きっと安らかな時を過ごしている人もいて


上記(修飾用トナカイと子供)image



ましてや、そこに平和な心持ちが一緒にあれば、
小さなまどろみさえも「極上の幸せ」に変わっていく。


上記(修飾用平和な眠り)image



たったそれだけの、たわいない時間にも・・・感謝したい


上記(修飾用ねずさんと花と蝶さん)image


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Author:世羽
心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
すべての人が幸せに
喜びに満ちて生きることができますように祈っています

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