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内心に響く“神さまの声”に従う決意をした人々の「とある道」・・・

Posted by 世羽 on 18.2015 語り   0 comments   0 trackback
(独り言)
激動の時のなかでも、いま日本は
しばしの休憩を得ている感。ありがたい。


召命(巡礼者たち)image_convert_20150317011135



あまり語られることもない、
ひとつの「霊性の道」・・・の話をしてみます。



芽生え


ごくふつうに暮らしている人に・・・

召命(子供)image



いつの日か、こんなことが起きるかもしれません。

それは・・・

特定の何かを信じていようと、まったくの無宗教であろうと、
“ある不思議な感情”が芽生えるという「心の動き」です。

この芽生え・・・

「きっかけ」となる出来事は、まったくもって“人それぞれ”で、

たとえば、

とても辛い出来事や困難に遭遇して、
その現実を通り抜けるときに“何らかの超自然的な助け”を感じ、
それに“心の底から感謝した”・・・とか。

単に「理由はわからないけれど、言いしれぬ憧憬を感じる」
・・・とか。

心から信頼に値する、傑出した人物に巡り逢い、
その素晴らしさに感化され、
「同じように生きてみたい」と思う気持ちになった
・・・とか。

召命(もしかして志願者2015)image


はたまた、当初から「神聖な存在」などに
とても興味があって、積極的に近づきたくなった・・・とか。

とにかく、「きっかけ」は、ありとあらゆる形で起こり
千差万別です。

そして、この芽生えがさらに育つと・・・

こうした人たちのなかから、いつしか
「聖性の道を極めようとする道程」を“選ぶ”人が出てきます。

(これは、特定の宗教や信条の種別に関係なく起こりうる)


「聖性の道」を“選ぶ”と言っても、
そこには多少、語弊があって、
ほんとうは“導かれた、招かれた”と言えるものです。

また、“導かれた”と言っても、
導かれる人が「特別に素晴らしい」とか、「特殊だから」などが
必須の条件になっているわけではありません。

ですが、このような人たちは、
自身を導く“表現できない何か”の感覚を心に捉えます。

この感覚・・・

食べてみないと食物の味がわからないように
体験してみて、“それとなく”わかるような
非常に繊細な感覚です。

とはいえ、これもまた、けっして特別なことではなく、
「招き」はつねに、誰にでもあるもの。

とはいえ、

もたらされる「招き」に進んで応える人は
そう多くないでしょう。


召命(新しい待者ウクライナ)image_convert_20150317012739



最小限の聖性を培いながら生きるのは、
ふつうに過ごす日常の暮らしのなかでもできます。


召命(星の道の巡礼者)image


ただ・・・

先の“ごく僅少の人”たちがそれと異なるのは、
彼らが自分の“全存在”をかけて、
より一層の聖性を目指し、
その道を進むことに一生涯、没頭するところです。

自らの“全存在をかけて”まで進みたくなる「この道」
特殊な力を得ることを目的としたり
“物理世界を幸せに生きる”ためにといった理由づけでは
“足を向ける気”にはなりません。

(仮に、そうした現世的な目標が、いくばくかの起因となっても、
長続きしないでしょう)

「この道」を進む人は・・・

重しを身につけたまま泳ぐのが難しいように
自身を曇らせるさまざまな“人間的な重たいもの”
そのままにして生きることより、
それらを捨て去ることを望みます。

かつ「そうして生きるように・・・」
“内なる促し”を覚えるでしょう。


それはまるで、

こまごました内面での霊戦をくぐり抜けつつ、
「この物理世界で、高次の生活を試みている」と言えるものです。


さらに、
「この道」を行く人たちは、

自身を導く存在を心から愛することが大切で、
道を行くにあたっては
自身の力だけでは歩めない・・・と、
心の深いところで知っています。


召命(ノビス)image_convert_20150317010704




神との一致について

「神との一致って何?」

という、問いが発せられているのを見かけることがあります。

実のところ、この問いは、
一口で表現できない多面的な事象を含んでいます。

そのうち、一般的な話題とされるのはおそらく、

存在する霊魂の実体と、その能力を使って、
「どうしたら、人が神のようなものと一致した状態になるのか?」
「それはどのようなものなのか?」


・・・という問いかけではないでしょうか。

だとしたら、知っておくと役立つかもしれないことがあります。

まず・・・

意識的な現実で授かっている諸能力で
「“至高の御者と呼ばれる存在”に一致する」のは、

たとえ、霊妙な神的体験をして「できた!!!」と思えても、
それは一時的な状態に過ぎず、
「この世で“永続的な一致”を維持することはあり得ない」と言えるほど、
易しくないということ。

それが“人の能力のみ”で行うというなら、なおさらで・・・。

また・・・

もしこれが、
「短期間にできる」、「簡単なこと」・・・と説く
教師や霊的存在がいるとしたら、
(たとえ、文明の進んだ異星の民を名乗るソースなどでも)

教えや情報を信じるに足ると判断するまでには、
賢明さ、かつ極めて慎重さを要します。

    参考:ある非常に有名なチャネリング・ソースがいる。
    深遠かつ難解な教えと宇宙について語り、
    精神世界に興味がある人なら多くの人が知る存在だ。
    名前は伏せるが、その書籍を読むと、
    ソースの出現時、部屋の空気が冷えると記載されている。

    見えない存在との体験が多い人ほどおわかりと思うが、
    冷気を伴って登場する霊的な存在で、
    安心して心を許せる存在はまずいない・・・。

    そのような場合には、
    ソースの伝えている内容がどれほど不思議で、
    現代人の知らない事実を伝えていても、
    ほんのわずかなところ、しかも“非常に大切な部分”
    偽りが混じっている可能性を考える必要がある)


召命(星空を見上げて)image


聖なる存在(神)との一致についての一般論・・・


たとえ、この世の最低・最悪な罪人と思える人であっても、
(人としての霊を宿すという意味で)“人間である”なら・・・
どんな人にも、神なる存在は、その人の内に確かに在(ましま)す。

そして、認知されようがされまいが、
視えざる力となり、助けとなっているでしょう。

これは、

「神なる存在」と「人間」とのあいだをつなぐ“一致”にも喩えられ、
人の存在を可能にする“力(パワー)”になっています。

   (人が、太古にどのような遺伝子操作を受けて
    現在の肉体の姿をとっていようと、肉体と、そこに宿る霊魂とを同列にはできない)

したがって、
“巷”で言われる「神との一致」とは、

こうした人に力を与える「神性」
「常に自身の内に宿っている」という“神性の常住”の概念で示されるような、
本質的、あるいは実体的一致を指すというより、

人が、「神聖な至高の存在(神)」との
“愛(エネルギー)の相似性”を持つときにのみ生じる、
「ふだんとは異なる状態になった霊”と“神”との一致」を指し、

人の“霊魂の変容”状態を「神との一致」と捉えているでしょう。


・・・その場合・・・

人が自然に持つ神性が
「本質的な一致」、「実体的な一致」と言えるのに対し、

後者は「相似の一致」とも表現できます。

そして
前者は“自然的な”もの
後者は“超自然的な”ものです。

さらに、後者の「超自然な一致」は、
二つの意志・・・すわなち「人の意志」「神の意志」とが
ひとつになり
人の側で反発するものがまったく無くなるときに生じるもの・・・
と言ってさしつかえないでしょう。

言い換えれば・・・

人を存在せしめる神性に反したりそぐわないものを、
自ら取り除く作業を地道にしていくとき、
はっきりわからなくても、
人の霊魂は、愛によって“高次の状態に変容されていく”
ということです。


召命(神学生の祈り)image_convert_20150317011452



ちなみに、
「何も信じていない、神などいない・・・」と言っている人が
ふと「私は神ではないから・・・」と口にすることもあります。

そのような人は、外面上、
たとえ神の存在を信じておらず、否定していても、
自らの内に抱く“神性”の感覚自体が、
それがどのようなものかを教えているからこそ、
少なからず自覚しているからこそ、そう口にしたのかと・・・。


それはさておき、

この「神との一致」・・・

先に述べた「相似」が近づくほど
超自然的な“一致/変容”も完全になっていきます。

だからこそ、心の傾きを調整する行いなどが
「神との一致」に至る具体的な作業の“一つ”になる・・・
ということになります。


召命(いまどきのカルメリット)image


“真実の”神なる至高の存在が、
人を欺いたり、嘘をつくと思われますか?

そんな存在が
傲(おご)ったり、誰かを見下したり、
悪口を言ったりすると想像できますか?

(実のところ、こうした性質は「至高の存在」の神性に適合しない)


なので、この“物理的な世界”でのみ喩えるならば、
「至高の存在に相似して“一致”すること」・・・
それが「神との一致」と言えるでしょう。

で・・・こうしたことが多少、念頭にあると、

もし誰かが、ひとかどの人物と見なされ、他者を導いているとき、
その人物に、こうした至高の存在の性質にそぐわない性向が
あればあるほど・・・

たとえ多くの信者を抱えるほどのカリスマを持ち、
賛同する他者をたくさん抱えていても、
その人物が至高の存在に遠い人だと見抜けるでしょう。

そして重要な点があって・・・。

神なる存在の声(言葉のように耳に聞こえるという意味ではない)を内に聞いて
それが、まことに・まことに“真性のもの”なら、
その人は、やがて、
「神聖な存在」に似た“清さ”を自身に求めるようになるでしょう。

それは

この世にありながら“超自然的に在る”ための
重要な“霊的促し”のひとつです。

  (「あの人は天使のような人だ」と言われるような人は
   この状態に近いと言える)


召命(アンナと聖母と幼きイエズス)image_convert_20150317010156



先にも述べたように
「この道」を行く人は多くありません。

ですが、そのような人がいることも確かです。

  (繰り返しますが、どんな宗教でも、
   どんな信条を抱く人でも、それが人を善に導くかぎり、
   これは形を変えて起こり得ることです)


召命(神学生の祈り)image_convert_20150317011452


つけ加えると・・・

こうした人たちが順調に進んでいても、
いずれ必ず、
聖性の成長に応じた“幾たび”もの
「精神の暗夜」と呼ばれる状態を体験するでしょう。

神的体験をした人たちがみな、「呼び名」こそ違えど、
こうした“暗夜の体験”を通過していることを
覚えておきたいものです。

召命(道)image




まとめると・・・



人の霊魂は確かに、神の本質から出る神的光で包まれ、
そこには神なる光自身が宿ります。

それは自然なことで・・・
どんな人にも付与されているもの。
人に存在する力を与え、
人が存在することを可能にしているもの・・・。

だからと言って、
人がそのままで、まったく完全に機能しているかどうかは
またということ。

だからこそ、「この道」を行く人たちは
超自然的な力に促されて、
可能なかぎり“超自然的な完全性”に近づくことを望みます。

それは・・・

超自然的な「至高の存在」を知ったがゆえに
その導きに信頼して進もう・・・という勇気と決意、
そして何より、「至高の存在」への“愛”から始まっています。


召命(いまどきのカルメリット)image


これは、けっして我が身のためではなく
この世が創られたときから始まっている道・・・。


こうした道を行くみなさんの道程は、
画一的ではなく、
それぞれの個性をもった、ユニークなものになるでしょう。

「この道」の途上であるときは、
これしか前に進んでいない・・・と思えることもあるでしょうが・・・

恐れず突き進むとき、
時宜に応じて“愛と恩寵の助け”がもたらされ
飛躍の時も迎えるでしょう。

あとは、その波が寄せては引く繰り返し・・・。




「この道」の入り口にいるかもしれない人

召命(小さな奉仕)image



召命(十字架持ちの待者)image_convert_20150317010927


召命(待者たち)image_convert_20150317011717



歩む準備を始めたばかりの人

召命(ウクライナの神学生)image_convert_20150317010516


召命(神学生のひとこま)image




この日、その道へと歩むことを受け入れた人

召命(叙階)image



そして何より

そのほか、

みなさんそれぞれの立場で織りなす
「この世」でのご健闘が


世の一隅を照らす“光”となりますように。



召命(星の道の下で)image


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世羽

Author:世羽
心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
すべての人が幸せに
喜びに満ちて生きることができますように祈っています

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