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素朴な生き方

Posted by 世羽 on 25.2013 つぶやき   0 comments   0 trackback

(完全独り言)
22日の夕方から断続的に大地の騒がしさが始まっている。「まだだ」と思ったのと
24日に地震が来るという話がネットで流れているのを見て、混同されてはたまらん・・・と、沈黙を決め込んだ。方角を探るが、色々混ざる。西の遠方方向。南方海洋・・・三宅島よりもう少し先かもしれない。でも、比較的深いところだ。雨が幸いしている。土曜日までのあいだには当地も揺れるかもしれない。(あくまで個人的な感覚だが)つぶやいている今の時点では、国内なら人命にかかわるものとは感じていない。東の「本丸」はまだ動かない。海外なら微妙だ。地球さん・・・あなたの頑張りに感謝します。

*****

自分・・・本当は、
誰かを幸せにできるなら、そんな話なども書き残しておきたい・・・
いつもそう想うのです。

でも、
ここを起ち上げた動機が、
自分の視た、一部のネット上の情報への密かなレジスタンス・・・という想いだったので、
どうもそちらが先にたち、なかなかできず・・・。
(実を言うと、細切れになっていますが、これまで記載したことの要所・要所をつなぐと、 一つ、見えてくるものがあるように、書き連ねたりしています・・・あくまで今のところ・・・ですが)

レジスタンスな想い・・・対象は様々ですが、
たとえば
(正直に言って、ほんとうに申し訳ないのですが)
個人の方々が自分の創った護符などを販売していたりするのを見かけ
視た範囲のものでは、自分がそこから感じるものは何もなく、
何でこれでお金をとれるのか?・・・と考え込んでしまったこともあります。
「プラシーボ効果で善い方向に心が動くならそれもいいか」などと思い直してみたりしましたが、それでも「こんなのを売って良心が咎めないのだろうか・・・」と、
心を痛めたりしました。

自分的にいえば、「周りに円を描くほうがよっぼどいいのに」
などと心でつぶやいたり・・・。
ちなみに、
身の回りに円を描くと、身を護る力が発するのを、経験で知りました。
想いで描いても、実際に指などで描いても同じです。
それを、自分の信じる尊い存在に祈りながらするのですが、
あまり好ましくない雰囲気の場所に行くときは、そんなことをします。
と同時に、身体のまわりに繭のような光をまとうこともします。

護符といっても、お金のためや、成功のためのものもあったようなので、
すべてをひとくくりにはできませんが。
それでも「何だかなあ」と、思うことしきりです。

そう、本題を忘れていました。

pray3jpg.jpeg

人が祈るときに手を合わせる姿を見ると、「美しいなあ・・・」と、
いつも素直にそう思います。

たとえ、その祈りの内容が単なる願掛けであったとしても
手を合わせる行為ができる・・・その心の姿勢を美しく思うのです。

最近では、食事をする前や後に、
手を合わせ、感謝を表す姿をほとんど見かけなくなりました。
ひょっとすると、一日のうちに、一回もないかもしれません。

最近は、瞑想などがブームですし、静かに座ることはあっても
手を合わせて祈ることなど、ないのかもしれません。

あくまで個人的な感覚ですが、
瞑想と、祈ることに、少なからず違いを感じるのです。

瞑想は「聞く」こと。
祈りは「話をする」こと。
といった感覚です。

自分も静かに座ることがありますが、その時は何も考えません。
もっぱら、心を開いて受け取る感覚になります。
もし、思考が浮かんだら、流してしまいます。

一方、祈るとき(それなりの時間をとって、心を落ち着けてする場合)は、
心は意外に活発に、高次の上智と話をする感じです。

他の方に通用するかどうかはわかりませんが

たとえば
手を合わせて、少々頭を下に向けて
指先を鼻面近くのあたりに持っていくような格好をしたとします。

このとき、胸の下あたりの内部に「白光」が燦然と輝くのを感じながら
その光が指先にいたるのをイメージします。

すると、
蝋燭の先に火が灯ったような感じで、指先に「淡い光」を感じます。
さらに、その指先と眉間を結ぶように光を通します。
そして、
その意識の光を上位の存在に向けます。
(たぶん、これは意識的に祈りを強めているだけで、こんなことをせずとも
手を合わせるとき、似たようなことが、どんな人にも起きているように思います)

そうしてから、自分の思っていること、迷っていること、苦しいこと、悲しいこと
こうしたいんだ、ああしたいんだ・・・などと
想いのたけを、自分の信ずる至高の存在に「心」で話します。

時には、対象が天使のような存在の時もあります。
それは、親しい人と会話するのと同じです。
ときおり、文句を言ったりすることも。
愚痴もこぼしたりします。
(もちろん、指を組んだり、好きな姿勢で祈ることは多々あります。
祈りの途中で、沈黙に浸ることもあります。
また、何かしながら、射祷のような感じの祈りを心でしていることも。
そして道を歩いているときも、仕事をしているときも
誰かと談笑するときも、心のなかには、それぞれに素朴な祈りがあります)

話したからといって、祈ったからといって
すぐに、見えるような結果が起きたり、
思い通りの答えがやってくるわけではありません。
ですが、それでも
話がちゃんと「通じる」のを何度も体験してきました。

それは、思考がすべての現実を創る・・・という論の感覚と
ほんの少しだけ、「最後のあたり」が異なるものです。

人は確かに、自分の周りの事柄は左右できると思います。
でも、この世界は共同の創造の場、
そしてそれらを包括して創造する、
もっと大きな創造者のような意識が
さらに・さらに
段階をへて、「いる」と感じます。

自分は
たとえ「全能の力の一端」を抱いていると教えられて
納得はしていても
この世が「幻想」だと理解していても
あの太陽は創れません。
星々も創れません。
地球も創れません。
それらを運行するシステムも創れません。
原子を操ることも、そうそうできません。
愛する人たちの身体さえも創れません。

そのなかで自由に遊ぶぐらいです。

論の異なりは
末端から上を見上げたときの
各々の感覚のズレだけかもしれませんが・・・。


なので、自分はたんたんと素朴に祈ります。
以前、残した「祈りの言葉」のように・・・。

自分に変えられることを「勇気」をもって変更し
変更できないことは
「心の静けさ」を抱きながら受け入れられますように
・・・と。

心の「内」で手を合わせ、色々なことがあっても、絶えず感謝しながら祈る・・・
自分は、そんな「素朴な生き方」が好きなのかもしれません。



歌詞の「君」のところ色々置き換えられます・・・
好きな言葉をあてはめてみてもいいかも・・・です。

http://www.youtube.com/watch?v=xtQYRq3PF3o




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世羽

Author:世羽
心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
すべての人が幸せに
喜びに満ちて生きることができますように祈っています

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