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あの物語のガリバーが訪れた長崎:「雲仙地獄での殉教」と「他国の聖戦」

Posted by 世羽 on 26.2013 歴史もの   0 comments   0 trackback
(独り言)
なんか、午後あたりから地下の動きがかなり凄くなってきた。この前の宮城・淡路が同時に起きた時に似た感覚がある。しかも遠方北方向との複合感も出てきた。三重・四重だ。自分の足下も動いている。少々、危惧。

*****

ボストンでの不幸な事件。
報道の推移を見ながら、あってはならないことだと思いながらも、
犯人の兄弟に何とも言えない、心を揺さぶる「哀愁」を感じてしまいます。
犯人の一人は19才・・・まだ少年です。兄も若い。
(憎悪は心に闇を誘う恰好の材料となってしまいますね・・・)

今現在も、世界のどこかで
「聖戦」という標語を盾にして他者を巻き込む自爆などが生じています。

これまでも、世界の長い歴史においては、
宗教をめぐる対立や戦争、弾圧が起きてきました。
近代ではチベットの事件もあります。

今ではめっきり取り上げられることがなくなりましたが
かつて、日本でも弾圧が確かにありました。

あの、キリシタン弾圧。

この事件は、古代ローマでのキリスト教殉教者たちの話と並び、
世界に比類ない・・・とされているものです。
日本での殉教者が出た場所は色々あり、歴史の教科書などにさらっと書かれているので、ご覧になったことがあると思います・・・。

有名な26聖人殉教者などについては、下のリンク先で概要が見られます。
リンク先にあるように
日本で最初の殉教者、日本二十六聖人は近世においては、日本よりもヨーロッパでよく知られていた・・・。
日本26聖人:ウィキペディア

この秀吉の政権下での事件の後
徳川政権下から250年におよぶ長きに渡り、弾圧が続きました。

そのなかの「雲仙地獄」でのキリシタンたちの話です・・・。

雲仙 pho003_1b

先の26人の殉教者が出たあと、
1613年には、雲仙のふもと、有馬川の中州で、アドリアノ高橋主水を含む3家族8人のキリシタンが、火あぶりにされます。
このとき、刑場の周囲には多くの信徒たちが集まり、聖母マリアへの祈りを唱え、殉教する者たちを力づけたと言われています。

殉教者 genna

時が進み、1627年の冬。
島原領主・松倉重政の治世のとき、長崎各地の牢屋にいたキリシタンらが雲仙に集められました(「山入り」と言います)。
そして
雲仙の熱湯泉や噴気口の傍でキリシタンらへの過酷な責め苦が行われたのです。

このとき受難にあったのが、パウロ内堀作右衛門を含む十数名。

内堀はかつて有馬藩に身を置く武士でしたが、有馬藩主の背教後、自ら録を捨てたとされています。
彼は、藩内で非常に慕われ、徳に優れた人物だったようです。
彼が捕縛されたとき、もちろん財産は没収。当然、拷問を受けることになります。
彼には5歳~18歳までの3人の子供がいましたが
どうしても転ばない親の眼前で、彼らは見せしめのように指を切断されます。
子供たちは、見事にそれを耐えてみせますが、やがて親の見守るなか有明の海に沈められてしまうのです。

内堀も、同様に足や手の指を切り落とされました。
彼はグループの最後に落命しますが、
裸にされ、何度も熱湯を浴びせられたのち、硫黄の煮えたぎる泉に放りこまれます。
彼はその直前まで「最も尊き聖体は賛美させられたまえ」という祈りを口ずさんでいたそうです。そして「転び」ませんでした。

同年には、内堀同様の責め苦を受ける、何人もの殉教者が出ます。
もちろん婦人や子供もいました。
彼らは、雲仙の煮えたぎる熱湯を何度も何度も浴びせられ、肉がそげ落ち、骨も顕わになるほどでした。

翌年になると、殺さずに転ばせよ・・・ということで、
責め苦がさらに長引くようになります。
肥後の中島という修道士などは、手足の関節をはずされ、日干し、水責めを受け、最後に雲仙に連れていかれて絶命します。しかし転びませんでした。

その後、さらに大量の捕縛者が出て、なかには拷問に耐えきれず、信仰を捨てる者も出てきます。

そうしたなか、平戸藩の武士を父にもつシメオン末武という「19才」の青年がいました。
あのボストンの犯人と同じ年齢です。

彼は、天正遺欧少年使節で有名なジュリアン中浦から受洗していますが、彼も他の者たちと同じように18日にも渡る色々な拷問を受けました。
命を落としそうになる直前、殉教者として崇められてしまうとマズイというので、家に戻されるのですが、それから2日後に息を引き取ります。
しかし彼の死は、単なる病気として言いふらされ、死体は焼かれたのち、海に捨てられてしまいます。
ですが、この話が、ヨーロッパに伝わり、前々からの殉教者の話とともに、海の彼方の国々で感動を呼ぶことになりました。
(ジュリアン中浦からの受洗のことも影響したかもしれません)

そして、踏み絵も激化していきます。

日本でのキリシタン弾圧の話は、交易商人たちからも、段々と異国に伝えられました。

そのせいもあってか
あのスイフトが『ガリバー旅行記』の話のなかで、主人公ガリバーを、難破の果てに日本にたどり着かせるのです。
そしてガリバーを、商人の船にのって母国に帰還できるよう、交易の港があった長崎(ナンガサク)に向かわせています。

物語のなかでガリバーは、当時オランダ人にも要請されていた「踏み絵」を避けられるよう画策します。途中、帰国のために乗るはずの船の船長にちくられて、あわや「踏む」のか・・・というところでしたが、それまでにしていた数々の機転が功を奏し、見事切り抜ける・・・という展開になっています。

こうした話にいたるほど、日本での弾圧や殉教の様子が伝えられていたのでしょう。
(そのなかには、宣教師として日本に渡り、信徒とともに殉教した、何人もの外国人神父がいたことも忘れられません)

その後、踏み絵はキリシタンの人々に哀しい歴史を創ります。

隠れキリシタンの人たちは、生き延びるために、定期的に行われる「踏み絵」を「踏む」のです。
そして一方で、そのことを神に詫び、許しを請い、そしてまた「踏む」・・・というような繰り返しが延々と続きました。これも精神的な拷問のようなものです。
同国の者が、同国の民へ責め苦をもたらす・・・。
何とも、哀しい歴史でありました。

とはいえ、生き延びた隠れキリシタンが、後の時代に姿を現した話は有名です。
喜びと驚きをもって迎えられたのは周知のとおりです。
「花」が咲きました。

長崎j殉教者images

これら諸々の史実のなかに、
どんな責め苦を加えられても、己れの信じるところを貫き通して殉じた日本人の強さ、
また「転んでも」なお、信仰を貫いていた純朴さ
そんな心の特性を垣間見ることができるかと思います。

他国の聖戦は、戦争状態にない一般の市民を巻き込んで殺傷し、自らの使命と信じて落命していきます。
かたや日本人の場合、ほとんどが受け身、つまり受難の形をとっています。
そこに別の誰かを殺傷してまで、という行動はありません。

これは、非常に大きな違いです。

そしてこの特性は、今の日本の国の対外姿勢にも、見事に現れています。

日本は、いつも受け身で、何を言われても、ほぼ耐えてしまいます。

けれども、それは受難を耐え忍ぶ、何事にも一途である・・・という特性ゆえのことでしょう。
これは、逆をかえせば日本の底力です。

日本で起きたキリシタンの殉教が、当時のヨーロッパ諸国の人々の心を打ったように
今の日本も、同じことができる。

今は、色々な面で、また精神的な憎悪を受けたりして、対外的に苦渋をなめている時期ですが
この国の人々は、それを昇化する底力を持っています。
ただ、多くの人がそうと気づいていないだけで・・・。

どんな場面においても
「憎悪」に「憎悪」をもって返すのではなく
それを溶かすぐらいの底力を見せたいものだ
・・・
そんなことを思ったりしています。

どうか「栄光の花」が咲きますように・・・と願いながら。


http://www.youtube.com/watch?v=N7XH-58eB8c




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Author:世羽
心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
すべての人が幸せに
喜びに満ちて生きることができますように祈っています

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