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夏日が全国442箇所・・・「442」と言えばあの「歩兵部隊」・・・

Posted by 世羽 on 10.2013 歴史もの   0 comments   0 trackback
というか、
最初「442連隊」の話が頭に浮かんでいて、でもあまり続けて
こんな話題書かなくても、と自我がつぶやき、
そしたらニュースで「全国で夏日を観測したのが442箇所になりました・・・」と。
442?!」・・・
これは、書いてよ・・・というサイン?いいのか?・・・となり。
信じてみることに。

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日本人も、かつて侮蔑をこめて「ジャップ」と呼ばれた時期がありました。
今でも時折ありますが、半ば笑ってやり過ごせるまでになりました。
これは、世界の人たちの心の変化もさることながら、
当時の日本人の皆さんが一生懸命生きて、
世界にその姿を見せてくれたからだと思います。
そして、この「第442連隊戦闘団」も。

442部隊20121218213451f8b

概要はこちらでも・・・
第442連隊戦闘団(ウィキペディアより)

かいつまんで言うと

真珠湾攻撃があったころ、
ハワイやアメリカ本土には、すでに日本からの移民がたくさん暮らし、
米国で生まれた2世も誕生していました。
この真珠湾攻撃で、米国と日本は開戦となります。

当然ながら、米国内にいる日本人は、
たとえ帰化していたとしても敵国の血筋をひく者。
大事になっては困ると、多くが収容所に収監され、自由を奪われることになります。
米国の軍務についていた日本人もいましたが、皆、解雇されました。

収容所index

いざ戦争となると、米国で・その国民として暮らしていた日本人はもの凄く苦慮します。
心の片隅では、日本という国を決して忘れたわけではありませんでしたし、
それでも今過ごしているアメリカという国も愛していたからです。
板挟みです。

米国は、日本人に
「我が国に忠誠を誓い、求められれば、たとえ天皇の軍隊といえども、
彼らと戦えるか?」といった、アンケートに答えさせ、
回答によっては、危険分子として、さらに特別な収容所へと送りました。

米国籍の日本人それぞれが、色々な決断を下すことを迫られたのです。

当時の、日本人の多くがとった行動は、
自分たちの国をアメリカと定めた以上、恩義を尽くす、
アメリカを祖国とし、これを護るために戦う・・・というものでした。
この裏には、「そうしなければ生きていけない」現実もありましたが、
それ以上に、日本人の心の特徴があったのです。

恩義を感じて忠誠を誓う。裏切らない。

武士が、仕える主人に忠誠を誓い、とことん尽くして護る、あの精神です。
たとえ武士でなくても、
過去の時代を生き抜いてきた日本の精神が、脈々と息づいていたと言えます。

また、
A級戦犯として、何かにつけてやり玉にあげられてしまう、当時の総理・東条英機

彼は日本語学校の生徒にあてた手紙でこんなことを伝えたようです。

「武人として祖国に忠誠を誓うのが道である」
「日系人は祖国アメリカに尽くせ」
「日系二世は、アメリカ人である。
だから、あくまでも自国に忠誠を尽くして当然である」


これが、日本人の矜持・・・。

そのころ、日米両国のいずれに忠誠心を尽くすべきか・・・は大問題で、
収容所内では血を見る対立まで起こすほどでした。

こうした選択に苦慮していた日系人社会に、
東条の言葉は、進むべき指針を与え、
ためらいをもたず、誇りをもって志願する・・・
そんな大きなきっかけをつくったようです。

こうした背景のなか、日系2世の3万に及ぶ人数の日系部隊が誕生します。
そのなかのひとつが442連隊(ここに第100歩兵大隊が加わるなどして、のちの功名をはせることになります)。

親族を強制収容所に囚われたまま、
志願した日系兵士たちは、
ヨーロッパの戦場で犠牲をモノともせず、想像を絶する戦いぶりをみせます。

詳細は、さまざまなところで記されているので省きますが
フランス東部アルザス地方の山岳地帯や、
フランス北部ブリエラ地域のボージュの森での激戦は、
歴史に名を残しました。

特に、米国のテキサス大隊と呼ばれる隊がドイツに包囲され、
それを救出すべく2万人を投入しても助けられず、1ヵ月も膠着していたおり
ここに442連隊が投入されていきます。
それはある意味、捨て駒に等しく、
救出の期待をかけてというより、死んで当たり前、
一か八かやらせてみるさ・・・そんな感じでした。
でも、442連隊は、それを3日でやりとげてしまった・・・。

個々の人でいえば
第二次世界大戦末期、セラヴェッツァの「ジョージア高地」山頂への進撃中、
手榴弾が塹壕に転がり落ちるのを見て、咄嗟にそれに覆い被さり、
自らを犠牲にして、2人の仲間の命を救った旨森貞雄・上等兵もいます。

Nisei-05.jpg
(写真はイメージで旨森さんではありません)

こうした勇猛果敢、実直さ、その一念には、
何があった・・・というより、
もれ伝わる戦いぶりを探ると、それはもう
日本本土の兵士たちが見せた戦い方にそっくりなのです。

その血に流れる民族の系譜が現れたことは間違いありません。

こうして、442連隊は、米軍のなかで確固たる信頼を得、
祖国アメリカに対する忠誠を目に見える形で証しすることになりました。
これは、人種における偏見に立ち向かうことでもあった・・・。

戦争が終結し、彼らが復員しても、苦難は続きます。
日系兵士たちには、いまだ敵国の血をひく者としての
激しい偏見が待っていました。
多くの場合で
仕事につくこともできず、
財産や家も失われたままの状態が続いたのです。
それでも、彼らはめげません。
生き抜きました。
そして、1955年(昭和30年)ごろになってやっと、
改善の兆しが見えることとなります。

そして、現在、彼らはその誉れをたたえられるまでになった・・・。

ちなみにその後、時は過ぎ
442連隊の後続は、ベトナムへも、イラクへもその足を運んでいます。

もちろん、対国家間の戦闘はゴメンこうむりたいですが、
とはいえ、
住む国を愛し、護ることについて、人種は関係ない・・・
そんなことを、この442連隊から教えられます。

かつての日本軍にも、
多くの異なる人種の人が助けとなって、命を捧げてくれた事実もあります。

どんな小さな偏見も、それをもつことは「愛の道」から外れます。
でも大なり小なり、この世界には依然それは続いています。

だからといって、たとえそんな状況下でも、
けっして負けてはいけない

そんな勇気と誇りを証しする物語を、この史実は教えてくれる・・・
そう思います。



少し長いです。要所ごとに飛ばしながらでも・・・。
http://www.youtube.com/watch?v=IpjaQ8lJqmY




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Author:世羽
心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
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喜びに満ちて生きることができますように祈っています

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