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「この世の頭」が、どうしようもなく苦手とする者

Posted by 世羽 on 14.2013 不思議考   0 comments   0 trackback
これを書き始めているのは5月13日夜。
この日は、ポルトガルのファティマに初めて聖母マリアがご出現された日だ。
聖母にまつわる「ご出現の話」はたくさんあるが、自分・・・このファティマ
の話がかなり好きだ。
この出来事は、のちに数々の予言で名を知られることになり、
大衆向けに面白く書いた本が多々ある。
でも、それを受けた子供たちの霊性が語られることは、ほとんどない・・・。

FatimaPicture.jpg

あの出現からずいぶんと時が過ぎました。
2000年手前、終末思想に駆り立てられたのか、
聖母のメッセージと称する類を伝える人もたくさん出ました。
なかには、聖母の言わんとするところから外れ、
必要以上に危機感を煽り立てる話も出て、
真実の話とは別の「誤謬」も生み出していました。
たくさんの書籍となり世に出ましたから、
不思議好きの人なら一度は読んだことがあるかと。

この、ご出現を受けた3人の子供たち・・・。
彼らがどんな想いで、神を感じ、聖母を見ていたのかを
少し・・・。

ファティマの3人images

彼らは、当時のポルトガルの、ごく普通の従姉妹どうし。
のちにシスターになったルチア(当時10歳)
従姉妹のフランシスコ(当時9歳)、その妹ヤシンタ(当時7歳)
この3人です。

聖母の御出現の経緯や内容は、
関連図書やネットで詳細がありますし
それらをご覧いただくとして・・・。

3人の子供たちは、この日初めて聖母のご出現を受け、
彼らは毎月13日に聖母と逢うことになります。
10月には、彼らを含む不特定多数の人々が「太陽の奇跡」を目にした話は
あまりに有名です。
今では、当地に荘厳なバジリカも建てられ、
巡礼地として、また観光の場所として名を馳せています。

ファティマバジリカindex

そんな華々しい出来事に至る陰で
この、ごく普通であった少年少女たちは、
大人でさえ及ばないほどの「魂の成長」を遂げたことは
あまり知られていません。

フランシスコとヤシンタは御出現を受けた2年ほどの内に
病でこの世を去ります。
ヤシンタは自分の最期の時を聖母に伝えられていた・・・
後年、ルチアがそう告白しています。

3人が聖母にどんなことを伝えられていたか・・・。
ほとんどの場合、人が「仰天するような」部分しか伝えられませんが、
それは、
彼ら自身の、また彼らを通して多くの人々の心を
浄めることに繋がっていました。

彼らは、小さいながら
聖母に導かれ、神を愛するとはどういうことかを知っていくのです。

この過程で子供たちは、
自分たちのできる「犠牲」と呼ばれる献身的な行為をしていました。

それは、
いわゆる罪を犯した人や、神を冒涜する人、神を信じられない人
汚聖を行う人、不熱心な聖職者などの救いを願うこと・・・。

また何より、それは、心を痛めるイエスを慰めたいという想い
すなわち、「神への愛」ゆえの行いでした。

病に伏せたフランシスコもヤシンタも、病床で絶えず祈りました。

「罪人の改心のために・・・」と言って、
身体が苦しいときも、うめき声すらたてずに耐え忍びました。
本当は飲みたい水を、そっと我慢したり、
逆に、何も口に入れたくない体調のときに、
周囲を悲しませないようにと、勧められた食物をあえて口にしたり・・・。

これらを、祈る人たちのため、神に代償として捧げるわけです。
こうしたことは、のちにルチアが回想で述べてはじめてわかりました。

今のニューエイジ流の考えかたからすると
「苦しむのは無用」、それは間違っている・・・ということになるのでしょう。
けれども、彼らがしたのは
世界中のどこかで「苦しみに遭っている人」「何らかの悪に染まっている人」「悲しむ人」
「神を信じられない人」「堕落していく聖職者たち」・・・・そうした諸々の人のために救いを願う・・・そんなことでした。

そして、イエスと聖母が
そういう人たちを「とても愛している」から・・・だから、そのための代わりとして償いたい・・・と。

「聖母を見たなんて嘘だろ。おまえらは大嘘つきだ!!!」
こう罵倒する人々の罵詈雑言、誹謗中傷を浴びせられても
彼らはそれに怒るでもなく、甘んじて身に受け
自分たちが嘘を言っていないことを
神の神聖さを身に帯びることで、
起きたことが真実だ・・・と証ししたのです。

シスターになったルチアは、病気にはなりませんでしたが、
一番の理解者である従姉妹2人を相次いで失い、
すべてを一人で背負うことになります。

当初、彼女の家族ですら、彼女の言うことを信じられず
母親でさえ
「嘘をつくんじゃない! 世のなかを騒がせてしまって
これじゃ世間に申し訳がたたない」
といって責めました。

幼い心には、とてつもない試練です。

ですから
自分の気持ちの助けとなっていた従姉妹2人との永遠の別離に
とても悲しみます。
でもルチアは、この2人が永遠の命に至るまでのあいだ
ことあるごとに、励まし続けていたのです。

すべては神さまのもの、取り上げられてしまうものも神さまのもの
だからこの心の悲しみも、お捧げします
・・・・
こうした健気さをもって
彼女は孤独を堪え忍びます。

時代は違っても、子供は子供。
そうそう、普通ではできないことです。

これほどの心にさせる「何か」があった・・・
そう思えるのは、ごく自然なことだと思います。

よく、予言のところだけが取り上げられて
それは地球外生命体のしたことだ・・・そう片づけられたりしますが
本当の意味で、彼ら3人の生き様をたどるとき
それは、あまりにうわべだけしか見ていない・・・・そんな思いもします。

ルチアがシスターになってずいぶん経ったころ。
彼女は1枚の写真を目にすることになります。

ルチア500545865_5e782e133b

それは・・・
ヤシンタの遺体の写真・・・。
遺体の移動のために確認されたヤシンタの遺体は、ほとんど腐敗していませんでした。
ルチアは、大親友であった従姉妹の「幼いままの姿」を目にして
涙したそうです。

Jacinta 1 - BEST QUALITY

ヤシンタ永眠images
(注:上は永眠直後のもので、実際はミイラっぽくなってます)

ルチアは一人になると知ったとき、聖母から
「あなたの傍をけっして離れることはない。あなたをずっと助けます」
という旨のことを告げられたようです。
これを支えにして、ルチアはその後の人生を生き抜くことになります。

これら3人の前に姿を見せた聖母マリア・・・
一般には、メッセージが先行してしまい、
加えてあやしげなものも混入したため、実像がぼやけてしまうのですが・・・。

彼女は「天使と人類の元后」と呼ばれ
「この世の頭」(闇の存在)が非常に苦手とする存在です。
ちなみに、
エクソシストが下位の闇の者を相手にすると
闇の者は「聖母マリア」の名前を口にできません。
上位の闇の者は、名前を発することはできても、それ以上のことができません。
なので、闇の者たちが「聖母の出現」と同時に姿を消す実録が
多々残されています。

そんな聖母マリアがどれほどの女性で、
ナジルだったヨゼフとどう生きたかは、
誤解が多いようです。
これがどんなことであったかは、心で感じ、知ってこそで・・・。
ファティマの3人の子供たちが
魂をそれほど神に向け
心の清浄さを保とうとしたか、
はたまた、この世界のためにどう祈ろうとしたかは、
うまく伝わらないかもしれません。

そして、
悪はない・・・闇の者はいない・・・そう言われてしまうこの世において
いまだ厳然と続く、とある戦いが存在していることも
お伽話で片づけられてしまうかもしれません。

宗教の別を超えて、聖母の輝きは届けられます。
信じる・信じないも問題ありません。

それが「在る」・・・これがいわゆる「神秘のひとつ」かと。

maria-ss-di-fatima.jpg

今、人の心・魂は、
あの日からどれくらい美しくなったでしょう・・・。


http://www.youtube.com/watch?v=zzK9IwPnMT0





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Author:世羽
心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
すべての人が幸せに
喜びに満ちて生きることができますように祈っています

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