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「聖霊降臨」の夜明けに・・・

Posted by 世羽 on 19.2013 季節ごとに   0 comments   0 trackback
(つぶやき)アセンションの本来の意味は、キリストが復活してのち40日目に身体を維持したまま天に昇った「昇天」だ。
これを、キリスト教圏から来たニューエイジ思想が「次元上昇」として用いたわけで。
そのほかのニューエイジ思想のあらゆるところに、キリスト教の根幹が浸透しているのがわかる。
結局のところ、否む・否まないにかかわらず、日本もキリスト教の片鱗を受け取っているのは事実だろう・・・。

と・・・。18日午後に方向違いのところ、福島沖で発震。
ここのところ自分の法則を打ち破る動きが続いているが、これは「二日前」のつぶやきの結果だと思う。
で・・・まだ動いてる

聖霊images

今日、5月19日は、今年2013年での「聖霊降臨」の主日です。

キリストの復活後50日たったとき、
聖霊が使徒たちの上に降(くだ)ったとされています。

この様子をカタリナ・エンメリックの幻視から辿ると、こんな感じです。

前日、真夜中過ぎたころ
自然界に不思議な動きが起き、集まっていた人々にもそれが伝わっていた。
あたりは、静けさに包まれ、音ひとつない静寂に包まれた。

朝方、私は白銀に輝く雲が天から降り、晩餐の家に近づいてくるのを見た。

はじめは遠くのように、光の球のように見え、
その動きとともに、心地よい、そよ風が吹いてきた。
それは、輝く霧の塊のように街の上にたなびき、輝きを増し、
晩餐の家の上に停まって、募りゆく風の息吹とともに、雷雲のように降りてきた。
大勢のユデア人たちが恐怖におののき神殿に急ぐのも見た。

近づくそれは、雷雲に似ていたが、暗さはなく、むしろ明るく、
雷鳴はなく嵐のように近づいてきた。
あたかも気分を引き立てる暖かい風のように・・・。

私は晩餐の家と周囲がますます明るくなり、
使徒や弟子、婦人たちの熱心が刻々と募りゆくのを見た。

するとこの光雲から、突然白い光線が降り、家の上に「7度」十字を描き、
次いで細い光線と滴に分かれた。
光線が「7度」交叉した場所には、広げた翼、
あるいは翼に似た光を持った姿が現れた。
その瞬間、この家とその周囲は隅々まで光で充たされた。

集まっていた者たちは、無意識のうちに渇くように顔を起こした。

すると、各自の口に、光線が燃える焔の舌のように注ぎこんだ。
それはあたかも、彼らがその火を吸い込み、渇くがごとく飲み込んだようで、
熱情がその焔に対して燃え上がるようであった。

輝く雲は次第に、光の雨のように分散し、
焔は各自の上にそれぞれ異なる形と色で降った。


こうして、異言を話し始めたくだりは、聖書などにあるとおりです。

この聖霊・・・は、三位一体の第三位格として知られています。
その名がズバリ、「」(Spirit)・・・です。

真理の霊」、「創造主なる霊」、「聖化者」とも言われたりします。

そして、「聖霊の賜物」と呼ばれる超自然的原動力として
上智、聡明、知識、剛毅、賢慮、考愛、敬畏の「7つ」の形があります。

カタリナが視た、「7度」の光の動きは、この「7つの賜物」かもしれません。。

また、「聖霊の結ぶ実」として
愛、喜び、平安、忍耐、寛容、親切、善意、柔和、信仰、節度、節制、純潔があり、
この実を結ぼうとする者は、
自らがその実を結ぶような「善行」をするなかで神の現存を知り、
また他の人々は、それらの行いを目にすることで、
神の現存を感じとる・・・とされているようです。

聖霊の内住(内在)とは、恩恵の状態にある人のなかに「聖霊」が住むことですが
2000年以上も前に生きた、聖パウロがこう言っています。

「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか」(1コリント3:16)

「わたしたちは生ける神の神殿なのです」(2コリント6:16)

これは、ニューエイジで最もよく使われる言葉ではありませんか?

キリストはこう告げています。

「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。
わたしは父にお願いしよう。
父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。
このかたは『真理の霊』である。
世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。
しかし、あなたがたはこの霊を知っている。
この霊があなたがたと共におり、これからもあなたがたの内にいるからである」

(ヨハネ14 15~17)

「私を愛する人は私の言葉を守るであろう。
私の父はその人を愛し、父とわたしはその人のところに行き、一緒に住む」

(ヨハネ14:23)

聖霊は、神としてはどこにもいると言われています。

教会に通い、それを信じている人はもちろんでしょうが
たとえ、キリストを知らないとしても
善人の霊魂のうちにも特別な方法をもって存在している・・・と。

ちなみに、聖霊の讃歌に付随する伝統的な歌に、このようなものもあります。



かつて、水の結晶が言葉によって美しくも醜くもなる・・・という結果が話題を集め、
その後「トンデモ話」だと叩かれていました。
容器に入れた水に「ありがとう」、「ばかやろう」と書いたラベルを貼って
しばらく放置したのちに凍らせると、その結晶が異なる形になり、前者は美しく、後者は汚く・・・。
そのラベルに書いた言葉のなかには
イエス・キリスト」や「聖母マリア」もあったかと記憶しています。
仮に、この結果自体がトンデモ話だったとしても、
水の記憶や情報転写については、すでにさまざまな研究がなされており、
すべてを否定すること自体は、自由な科学の歩みを止めるものでしょう。

ガイアに繋がる水です。
それが「聖なる存在」のことを記憶しているとしても、
むしろ自然なことではないでしょうか。
そして・・・・
「聖霊」については、特にキリスト教の信者でなくても
心で読むならば、何かしら、うなずけるところがあるのではないでしょうか。

ペンテコステpentecost-titian-sm


http://www.youtube.com/watch?v=gXC32f-P-jI




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Author:世羽
心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
すべての人が幸せに
喜びに満ちて生きることができますように祈っています

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