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アトス山から・・・

Posted by 世羽 on 30.2013 聖人からの学び   0 comments   0 trackback
(つぶやき)自分はどれくらい謙遜だろうか・・・。ふとそう思った。
ここで書き残していることも謙遜に記しているだろうか。
・・・まだまだ・・・だな。 改めて肝に銘じよう。

アトス山関連bh4f3f6c9b

少し真面目に、多くの人には「つまらない」ことを書いておきます。
今はつまらなくても、いつの日か、
誰かしらの「心」に想い出されることを願いながら・・・。

*****

日本語で言う「魂」と「心」、そして「霊」。
区別がよくわからないのではないでしょうか。
同じ意味を、異国の言葉で置き換えたとしても、よくわからないかもしれません。

たぶん、よくわからないまま本を書いたり、洋書などを訳すと
多くは「ハート」や「スピリット」で書き表して終わってしまうので
意味がぼけているかもしれません。

聖なる山アトスにいた聖なる人たちは次のように教えています。

人のもつ「身体」、「魂」、そこに聖なる息吹として「聖なる霊」が加わり
この統合点が「心」だ
・・・と。

アトス山image39

世界遺産にもなっている聖山アトス・・・。
観光で行かれた方もいるかもしれません。
この地は東方正教会の中心地として、数多の聖人を送り出した場所です。
概要は
アトス山(ウィキペディア)
などで・・・。

聖なる人というのは、本物であればあるほど、
宗教・宗派を超えて、何か通じるものを持っています。

「人間の霊は、『心のなかにくだり』、謙遜と感嘆をもって神を探究する。
人間の心は
『多くの道』(14世紀ドイツの神秘思想家の言葉)と、あわれみの体験を通して、
少しずつ変容していく肉体のなかで輝く」


そんな変容をめざしながら、このアトスに住んだ修道者たちは、
けっこうシビアな修道生活を送ったことで知られ、
その霊的な姿勢は、
(伝統的な)キリスト教の「道」を行く人々にも知られています。

アトス関連4saswxeg

この地を中心にして、周囲には多くの修道院があり、
かつては人々が、修院内の聖師に教えを請うために足を向けたりしていました。

アトス山holy community

その問答の記録のなか、
シモノス・ペトラ修道院でのやりとりを、ほんの少しあげてみると・・。

どのように神の意志を識別するのですか
もし、わたしたちの思いが聖なる神からきたものであるなら、
それは心のなかで光となります。
それはわたしたちを、もっと謙虚にさせて、愛のうちに進ませます。
反対に、
思いがわたしたち自身を満足させ、他人を裁かせるなら、それは敵からきたものです。

あなたのなかに大きな平和と、すべての人に対する愛があれば、
あなたのなかに聖霊が住んでおられるのです。

どのようにすべての人のために祈るのですか
すべての人のため、敵対する人のためにも祈ること、
それがわたしたちの心の中にある「神の愛」そのものなのです。
心が清められて謙虚になると、
そのとき、すべての人のために、
罪人のためにすら祈ることができます。
涙を流し、自分の血をも流し与える(注:キリストのことをさしていると思われる)ことができるのです。

どのように自分の敵を愛するのですか
まず、わたしたちの敵とは誰のことですか?
修道者には悪魔の他に敵はおりません。
悪魔のために祈る、それは不可能なことです。
わたしたちは彼らと戦わなければならないのです。
が、それは愛による戦いです。
・・・清い心、子供のような心だけが闇の力に勝つことができます。

心のなかには、もう憎しみも、偽りもあってはいけないのです。
心は、「光と愛の玉座」であるはずです。
わたしたちがそれです。

玉座、神の玉座、聖霊の神殿。わたしたちがそうだからこそ、
私たちは敵を愛するのです。

しかし、たびたび、わたしたちのなかには神以外のものがあります。
わたしたちは謙遜ではありません。
ですから、「愛」がわたしたちのうちに生きることができない場合があります。
そして、祈りの代わりに、他の人を裁き、自分の想いの餌食になります。

アトス関連monachos

今の「精神世界」の見方には、個人的に色々と首をかしげる部分があります。
波長が合わなくなった人は、住む世界を異にしてよい・・・そんな考え方も、
その一つです。

そうだろうか・・・。自分は思います。

仲の良い人、気の合う人、自分に良くしてくれる人、愛してくれる人、
そんな人たちを愛するのは、比較的簡単です。

でも、それを乗り越えて、
ほんとうは、すべてを包みこむ愛を抱いていくことこそ
「神性」の現れではないか・・・そんなことを感じます。

人それぞれ、思考は異なりますから、異論もあるでしょう。
でも究極、人は、そうなるためにこの世界にきて
色々体験していくのではないかな・・・と。

自分は未熟なので、色々思いあたることしきりです。


http://www.youtube.com/watch?v=p0fZNZvKU4Y



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Author:世羽
心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
すべての人が幸せに
喜びに満ちて生きることができますように祈っています

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