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そろそろ「本気」出したい・・・いや「本音」か

Posted by 世羽 on 16.2013 聖人からの学び   0 comments   0 trackback
(つぶやき)頂き物の紅しょうが味のかっぱエビせん・・・夜食にしながらネットニュースの中に、「ゴリ押し」で名高い剛力某さんの記事をみつけ
●●ちゃんのデビューシングルがなんたらかんたら・・・の記事

「何だかなあ~」と横目で流した(あ・お好きな方には申し訳ありません)・・・
この「自分の姿勢」の・どこが・・・神様の心・愛に近づきたい?・・・という姿なのか・・・。

でも、けっこう、生臭くなくて、修行にはげむまともな聖職者や僧侶の方でないかぎり
普通の人は皆そんな感じだったり?
(とはいえ、本文を「真面目」に書くときはいつも、祈りながら自分なりの真剣モードに切り替えます

世の光image


つねづね残念だ・・・と想っていることがあります。

それは、自分の心で視る「神人」の真の姿が、意外に知られていないことです。

そして、その姿を通り越して、
さまざまな罵詈雑言が重ねて浴びせられているのを目にするとき、
まるで身内に「それ」がなされている感もあります。

わずかながらも・・・自らの力を使いつつ
さまざまな陰謀論や酷評、トンデモ本を読み、ある程度さまざまな聖人を探り、
ニューエイジにもかなり足を突っ込み、地球外生命体の情報も知ったうえで、
自分の心に最後に輝きを残したのは、キリストでした。

ちなみに、その存在に導かれてきた日々のなかで
それに反旗を翻す「霊的な存在」が本当にいる・・・と、「実際に」知りました。
こればかりは、まったく・・・
本を読んだり、人の話を聞いたりするような知識では、わかりません。

そして・・・

カタリナ・エンメリックが視たビジョンにこんなものがあります。
かいつまんでお伝えすると・・・。

最後の晩餐images

食事の終わりにパンをわけ、一つの杯から飲み合うことはすでに、
昔から送り迎えの際、親愛や兄弟のちぎりを結ぶ証しとして行われてきたことだった。
しかしイエズスは今日、これを最高の秘跡にまで高めた。

わたしは主が使徒たちに、晩餐とすべての儀式を説明しておられるのを視た。
それは、司祭が聖なる犠牲の祭式について、誰かを教えているようだった。

主は全く愛そのものになられたかのようだった。
わたしは主がすっかり透き通って
光り輝く影のようになっておられるのを視た。

次に主は、パンを細かく割いて、盤上に積み重ねた。
そして、祈り、かつ教えられた。
主の御言葉はすべて、炎と、光のように、口から出て、使徒たちの中に入っていったが、
ユダだけには入らなかった。

「取って食べよ、これはおまえたちのために渡される私の体である」と言われ、
祝されるように、御手をそのうえで動かされた。

この時、光が主の御体から流れ出て、パンは輝きを放った。
それはまるで、主ご自身をその中に注ぎ込まれたかのようだった。

(ちなみに、ブラック・ミサでは、聖体をこっそり盗みとったりして
それに対して、ありとあらゆる汚聖を繰り広げます)

イエズスとパンindex

・・・それからイエズスは杯(カリス)の両方の取っ手を持ち、
顔の高さまで上げ、ご制定の言葉を言い込められた。
このとき、主はまったく変容され、
お授けになる者の中に、ご自身入って行かれたのだ。


イエズスと葡萄酒eucharist

・・・主はさらに、聖なる種々の奥義について教えられ、
使徒たちが主の記念として、
世の終わりまでこの聖なる秘跡を続けていくよう仰せられた。
さらに儀式と授与の要点を語り、
この秘跡を次々と他の者に伝えていくようにとお話になった。
・・・聖霊が降臨したならば、彼らが自分で聖餐を聖別するように仰せられた。


(このあと、使徒たちに「塗油」し、キリストの祭司が生まれることに)

主はこの印(塗油のこと)は世の終わりまで彼らにとどまるだろうと仰せられた。
わたしは・・・とても言い表すことが出来ないが・・・イエズスがこの塗油によって何か重大なもの、超自然的なものを与えられるのを視た。

主が聖なる晩餐の御制定の際に行われたことは
すべてきわめて秘密のうちに実施され、また秘事として伝えられ、
今日まで教会に存続している。


(キリスト教でも、これらの祭司の在り方の一部を認めていないもの、また聖体を排除した宗派、数多くの、まったくの亜流・新興宗教も生まれていきます)

・・・・で。

キリストはこの後、受難の前、ゲッセマネの園で祈っているとき、
こうしたことがはるか未来にどう伝わり、自分の教えがどのように壊されていくかについて、
時を超え、その全貌を視ることになります。

さまざまな聖職者の離反、汚聖、誤謬、亜種の教えの乱立、数限りない犯罪、
「霊的な悪の存在」の教会への侵入・・・など、ありとあらゆるものを視たのです。

もちろん、今現在、キリストに向けられている色々な評価も当然入っているでしょう。

これは、ゲッセマネで、キリストが血のような汗をながすほどに苦悶した原因のひとつです。
このとき、キリストの神性は一時的に剥奪されたような状態で
ただの「人間」として、
つまり、まったく普通の人として、これら未来の状態を甘受しなければならなかったのです。

自分を殺そうとする人、唾をはく人、あざけり罵る人、そのような人を愛し赦すために・・・。
だからといって「普通の人間」が、進んで命を差し出せるでしょうか。

でも、キリストがこのとき、そうすることで霊的な「解放の扉」の一角が開いたのだとしたら・・・。


近代になってキリストは、カタリナと双璧をなすマリア・ワルトルタ
今、ビジョンを見せるのは、何のためか・・・という理由をいくつか伝えています。

そのうちの一つについて、キリストがこう言います・・・。

この啓示によって、もう一度新たに、教義の超自然性を知らせ、
神聖を有すると同時に、完全な人間であるキリストについての福音書、
使徒行録、使徒たちの手紙が伝えることを確認することである。

私がすべての人間のために与えた福音の普遍性を、世の終わりまで伝えるべく、
新たに想い出させるため
である。


聖書の巻物images

以前書きましたが
キリストも言ったように
こうしたことは、「愛」をもって知るしかない。

これらのことはまた
「心」で知ること・・・。
けれども、知ったからといって、どうこうしろ・・・と、強制されるものではありません。
信じる信じないは、まったく自由な選択なのです。

ですが、ここに流れている「何か」に、自分は高貴なものを感じています。

キリストが何であるか・・・
けっきょくのところ、共に生きた使徒たちにさえわからなかった。
ですから、今の世に生きる人類が、そのすべてを理解できるはずもなく・・・。


そして、それを朧気にでも知って、受け入れたなら
如何に「キリストに倣った生き方」でありつづけるか・・・
が問われる
ことになります。

たとえ、紅しょうが味のかっぱエビせんを食べていても
どうでもいいネットのニュースに眼が動いたとしても

どれほど多くの愛をもって、人に、すべてに、接することができるか・・・が
問題なわけです。

たぶん、本物の能力者なら、聖変化した聖体を視たとき
何かを感じるでしょう。

そして、「本物の愛」をもつ人なら、たとえ宗教が違っても無神論者でも
実際に眼にしてみれば、何かを感じるのではないでしょうか。

これが何よりの、キリストの証しになるかもしれません。

イエズスの羊naturelight04

自分は想います。

「心」が聖なるものを求め、
求めたものが、実際に「心」を浄化し、向上させ、 輝く体験に導くものなら
それは善きものであって、
どんなに他の情報に翻弄されていても、それはいつかどこかで、
何らかの指標となり得る・・・。

だから
自身の心で感じ、視たものが
清浄かつ「悪の誘いや、明かな誤謬」ではない・・・と確信するかぎり

どれほど罵声を浴びせられようが、バカにされようが
勇気をもって
信じるものを追求していって良いだろう・・・と。

目的地は一緒でも、そこにいたるまでのツアー・コ-スは色々ありますし・・・。





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Author:世羽
心のなかに響く声なき「声」を、ひっそりと語ろう・・
ふと、そう思いたった無名の求道者(?)・・です。
すべての人が幸せに
喜びに満ちて生きることができますように祈っています

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